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勢至丸︵法然上人︶

ドキュメント内 佛教文化研究 第52号 (ページ 38-51)

  私事であるが︑大学入学時︑釈尊そして法然上人についても全く無知に等しい私でありながら︑何かにつけて仏教には懐疑的であった私であったが︑当時︑購入した荻原雲来訳注﹃法句

であった︒ちょうど第一章の次の二偈の︑ 未出版︶を読んで︑私は︑初めて﹁仏教﹂を勉強してみたいと思ったの 経﹄︵中村元博士の訳本は 1

  五 世の中に怨は怨にて息むべきやう無し︒無怨にて息む︑此の法 000

易はることなし 0000000︒︵中村元訳では︑﹁これは永遠の真理である﹂︶   六 然るに他の人々は﹁我々は世の中に於て自制を要す﹂と悟らず︑人若し斯く悟れば其がために争は息む︒

  という名句を読んで︑そして︑そのとき︑新しい文献を発見した思いでうれしかったことがあった︒それは︑﹁法然上人伝﹂︵法然上人行状絵図︶を読む中で︑その劈頭の︑父時国公の勢至丸への遺言のことばが︑

三七     宗教と教育 この﹃法句経﹄の二偈の思想と全く一緒であったからである︒それによって︑釈尊と法然上人との深い繋がりがあることを知り︑感動したことを今思い出して感慨深いものがある︒  勢至丸とは︑浄土宗の開祖︑法然上人︵1133〜1212︶の幼少の名前である︒彼は岡山県︑美作の国︑稲岡庄の誕生︑父は漆間時国︑母は秦氏︑父はこの地方の豪族で︑治安警察の役目であった押領使であった︒時国には︑彼の在地豪族の誇りを抑えようとする強い対立者︑源内武者明石定明がいた︒彼は都から︑荘園の預所として赴任していた︒武器を持つ地方豪族の時国は自分の家柄を誇り高ぶる気持ちから︑定明を見下げ︑服務に従わず︑面会して敬意を表することもなかったので︑定明とは仲が悪く︑つばぜり合いのかたちでにらみ合っていた︒そして︑遂に︑定明が夜討ちを仕掛けて︑漆間家は修羅場と化したのであった︒時国は深手を負い︑いまわの際に遺言をした︒その状況が法然上人の伝記﹃法然上人行状絵図  第

一﹄には︑次のように記されている︒ 2

  時国ふかき疵かうぶりて死門にのぞむとき︑九歳の小児にむかひていはく︑汝さらに会稽の恥をおもひ︑敵人をうらむる事なかれ︑これ偏に先世の宿業也︒もし遺恨をむすばゝ︑そのあだ世ゝにつきがたかるぺし︒しかじはやく俗をのがれ︑いゑを出で︑我菩提をとぶらひ︑みづからが解脱を求にはといひて︑端坐して西にむかひ︑合掌して仏を念じ眠がごとくして息絶にけり︒

  いわゆる﹁法然上人伝﹂の最初に位置するこの所説の事件は︑上人の全生涯を画する基点となるものとして重要である︒もし︑明石定明の夜襲︑父時国の討死に︑特に︑父親としてのこの遺言が無かったとしたな らば︑後の法然上人はなかったはずである︒まさにそのことを意識してであろうか︑この短い文章の中で︑この伝記の編者は︑少年勢至丸がどうしても出家せざるを得なかった情勢が織り成す内容を巧みに記述している︒  文中﹁汝さらに会稽の恥をおもひ︑敵人をうらむることなかれ︑⁝⁝もし遺恨をむすばゝ︑その仇世ゝにつきがたかるべし﹂と︒﹁遺恨をむすぶ﹂とは﹁敵討ち・仇討ち﹂である︒わが国の︑中世︑近世には︑﹁敵討ち﹂といって︑主人や親・兄弟を殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは封建的道徳と武士道的観念から︑黙認奨励され︑世間にも美談として賞賛されるほどのものであった︒父時国は︑すでに風習となっていた敵討ちを否定し︑これをしてはならないことを勢至丸に誡めたのであった︒この誡めの理由が︑先に引用した釈尊が説かれる﹃法句経﹄第五偈の精神そのものである︒  戦闘や戦争の根源には︑物質・財産欲︑性欲︑名誉欲等の飽くなき欲望が挙げられるが︑何れも︑その根底には︑自我心による執着・こだわりとしての恨みに因るものである︒勢至丸の父と明石定明との諍いもその恨みを根源にしている︒恨みには恨みをもって報うの仇討ちが常識化し︑当りまえとなっていった時代に︑勢至丸の父・時国の遺言は︑時の流れに反したものであったともいえる︒しかし︑﹁恨みには恨みをもってするなかれ﹂という遺言は︑わが子を思い︑愛しい子孫の行く末を考えるときには︑むしろ自然の愛情ともいえよう︒釈尊が﹃法句経﹄第一章第五偈に説かれるように︑これは﹁永遠の真理﹂である︒勢至丸にとっても燃え滾る敵への憎悪の気持ちの中で︑父時国公の心からの願いを

三八     佛 敎  化 硏 

受け止める知性が働いたのであろう︒勢至丸は母の弟である菩提寺の住職・観覚に引き取られて発心し︑十三歳にして比叡山に上った︒この言葉は︑勢至丸にとっても永遠の真理であり︑尊い教えとなった︒

  ﹃法然上人行状絵図﹄第三

の︑ 3

  幼稚のむかしより成人のいまに至まで︑父の遺言わすれがたくして︑とこしなへに隠遁の心ふかきよしをのべ給に︑少年にしてはやく出離の心をおこせり︒という文言がその証左である︒

  現代では︑中世︑近世で黙認されたようには﹁敵討ち﹂は公認されていない︒しかし︑現実には︑戦争という形で公然と行われている︒そして︑敵討ちの当事者だけでなく︑関係ない者までもが被害を蒙っている︒一般の民衆であり︑子どもたちである︒勢至丸だけが被害者ではない︒勢至丸だけが決して当時における特殊な存在ではなかった︒人間が戦争する限り︑無力な子どもたちは︑ずっとその犠牲者であったし︑今も︑そのようにあり続けている︒

  人間はどうして戦闘や戦争をし︑殺人を繰り返すのであろうか︒人間は︑その歴史を通じて︑常に︑その大小はあるにしても︑小競り合い︑戦闘そして戦争をし続けて現在に至っている︒そして︑その間︑数え切れない人の命が失われてきた︒それなのに︑社会では大量殺戮に追い込む民族間や宗教間の戦闘︑国家間の戦争は︑止むを得ない当然に起こり得るものとして承認されてしまっている︒人間からそれを根絶したいという動きはは少ない︒わずかに︑インドで建国の父と尊敬されていたマハトマ・ガンジー︵1869 〜1948 ︶が︑アヒンサー︵非暴力︶という実 践哲学を揚げてインド独立のために活動したことは周知の事実である︒  因みに︑︿ガンジーの思想には﹇敵﹈という存在はない︒もともと︑アヒンサーという言葉にも︑﹁敵は存在しない﹂という意味合いがある︒ガンジーはインドの聖典﹃ヴァガヴァッド  ギ―ター﹄にその思想の根拠を持っているといわれるが︑そこには﹁友人︑同志︑敵︑悪人︑誹謗者や中立者をも同じ眼で見る者は  もっともすぐれた者である﹂という言葉がある﹀とい

によって射殺されたことは︑実に残念なことであった︒ 教の融和政策を実現しようとする努力のなかで︑ヒンドゥー教の狂信者 う︒そのようなガンジーが︑ヒンドゥー教とイスラム 4

  非暴力による平和の実現に専心している人として︑もう一人︑ダライ・ラマ十四世︑テンジン・ギヤツォ︵1935 〜︶を挙げることができる︒中国領チベットからの出国やむなきに至ったダライ・ラマは︑一九五九年インドのダラムサラに亡命政権を樹立︑世界中を回ってチベット問題の平和的解決を訴え続け︑一九八九年にはノーベル平和賞を受賞した︒現在もチベット民族の絶大な尊敬と信仰を受けながら︑非暴力よる平和社会の実現に努力されている︒今︑注意されることは︑そのダライ・ラマがシャーンティ・デーヴァ︵寂天 ︵650 〜750 ︶︶という中観派の哲学者の著作﹃菩薩行への道︵入菩提行論︶﹄を根拠に引用して﹁恨みには恨みをもってしない﹂という真理の教えを判りやすい言葉で語っている︒その主要な所説を引用させていただこ

う︒ 5

 ○ わたしたちはある人を敵と考え︑他の人を友と考える偏見を持っています︒もし敵が敵であり続け︑友が友であり続けるのが事実であ

三九     宗教と教育 ったとするならば︑ある人を憎み︑ある人を愛する理由もあるかも知れません︒しかしこれもまた絶対にありえないことです︒前にも述べたように︑ものごとの他のものとの関係は絶対的なものではないのです︒○ 親しい人や嫌いな人というのは︑果して決まっているものなのでしょうか︒友であるか敵であるかは分からないということは︑わたしたちの普段の生活の中でしばしば体験することではありませんか︒今現在︑敵であっても友であっても︑あるいはそのどちらでもない人でも︑次の点で同じ性格のものであると言えます︒すなわち︑敵はいつまでも敵のままでいるとは限らず︑ときには友になることもあります︒また︒その逆もあり得ます︒こうして︑敵は必ず敵であると決まっているわけではないので︑忌み嫌うべきでなく︑又友も必ず友であると決まっているわけではないので︑愛されるべきでなく︑どちらでもない人も必ず友でも敵でもないと決まっているわけではないので︑無関心に振われるべきではないのです︒むしろ長い輪廻の中ではすべての人はみな等しく敵となってきたし︑みな等しく友となってきたし︑みな等しくニュートラルな人となってきたのです︒云々︒と説かれている︒このように︑ダライ・ラマが語る︿敵・友・どちらにも属さないもの﹀についての説法は︑一見︑ありふれた何でもない説教のようであるが︑実は︑法王が︑シャーンティ・テーヴァ︵寂天︶の著作﹃菩薩行への道﹄を学問されての深い洞察︑すなわち︑悟りの智慧に基づいている︒ダライ・ラマは︑それに基づいて︑﹁敵﹂の在り様を語り︑﹁敵という存在は本来無い﹂ことに私たちは覚まされるのである︒ 彼の説法はさらに深まる︒要約すれば︑  ○ 修行する者にとっては︑敵は自分を傷つけようと仕掛けてくるが︑そのおかげで︑忍耐の修行ができるのであり︑敵が存在しなかったら︑自分は修行もできないではないか︒したがって︑敵には︑怒りをもって応えるべきものではなく︑むしろ︑敵は尊敬されるべき存在と思うべきだ  敵によって自分が苦しまされるのであるが︑本当に自分を苦しませる当体は何かと言えば︑それは︑その人が手にした武器であり︑その人に宿る煩悩ではないのか︒それゆえ︑あなたが︑怒るのなら︑あなたは敵の武器やその動機である煩悩に対して怒るべきであって︑その敵自身に怒りを向けるべきでない︒敵は感謝されるべき存在である︒というのである︒すでにここに至っては︑憎むべき相手としての敵なる実体も恨むべき相手も存在しないことになる︒相手を敵と思って︑怒り︑憎み︑恨んでいる自分こそ問題であると教えているのである︒  ﹁敵﹂に関しては︑ガンジー翁がアヒンサーの根拠とする﹃ヴァガヴァッド・ギータ﹄も︑ダライ・ラマ法王が仏教徒としての不戦の典拠として依用するシャーンティ・デーヴァ著﹃菩薩行への道﹄︵﹃入菩提行論﹄︶も全く同意趣であり︑宗教としてはヒンドゥー教と仏教と異っていても︑やはり︑地下水のごとく︑その根底で深い智慧と慈悲とのインド精神が共通して流れていることを強く感じる︒勢至丸・法然の思いも︑同じであるに違いない︒  まさに現代こそ︑﹁恨みには恨みをもってしない﹂という永遠の真理を︑常に意識し︑実践し︑もって︑非暴力︑不殺生︑不戦という誓願の

ドキュメント内 佛教文化研究 第52号 (ページ 38-51)

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