• 検索結果がありません。

第 1 章 陶磁器産業と戦時統制

7. 陶磁器製品における公定価格制度

7.1 公定価格の根拠法令

このような物価統制が陶磁器へ及んだのは、昭和恐慌期からの価格低迷期を経て、日中戦 争勃発以降の軍需インフレに伴い製品の騰貴を生じている最中のことであった。最初に内 地向け陶磁器製品に関して公定価格が設定されたのは昭和15年7月に「価格等統制令」中 の規定による商工省告示の形で示達された。この時の公定価格設定に関する根拠は、同日に 出された次の2つの法令による。

「磁器製飲食物容器販売価格指定ノ件」(昭和15年7月26日 商工省告示第三八一号)

「陶器製飲食物容器販売価格指定ノ件」(昭和15年7月26日 商工省告示第三八二号)

最初の公定価格は、「製品量の最も多く移動する比較的低価格の大衆向き製品を対象」15 として、愛知、岐阜産の製品について設定された。これは、当時この2県が日本の陶磁器生 産のほぼ半分の生産比率を占めていたためであり、全国に適用する公定価格を一度で制定 することは困難であることからの経過措置である。

その規模を知る参考として、昭和16年の陶磁器主要産地別生産比率を以下に示す。16 い かに愛知、岐阜県に生産が集中していた状態であったか理解できる。

愛知32.6 岐阜25.8 三重 3.1 石川 1.3 京都12.6 大阪 0.2 滋賀1.9 兵庫 1.2 福岡1.1 佐賀2.1 長崎2.5 その他15.6 全国工場数8,500

その後、昭和15年10月に愛媛、佐賀、長崎、京都産品が加えられたが、17 いずれも砥 部焼、有田焼、波佐見焼、京焼といった陶磁器産地である。同年12月には、その他の道府 県産にも拡大された。18

当初県別に設定された公定価格では、製品の価格設定の基準となる等級は、「上」「中」「並」

の3等級が設定されていた。この価格決定は、「価格等統制令」第七条の規定19および「価

24

格等統制令施行規則」第十二条20により地方長官(道府県知事等)が額の指定を行うもので あった。

7.2 価格決定の経緯

公定価格設定の具体的な手続きの事例として、昭和15 年10月に愛媛、佐賀、長崎、京 都産品への公定価格設定に先立ち、商工省物価局次長から同年7 月8日に各知事に宛てた

「価格等統制令第七条ノ規格ニ依ル額ノ指定ニ関スル件」(史料六)にその様相を見ること ができる。商工省告示にあたっての価格指定に先立つ 3 ヶ月以上前に通達が出されている のは、実際の告示までの実質的な準備期間であろう。価格決定に際しては、「原則トシテ指 定期日(九、一八)ニ於ケル価格ヲ越エザル額ヲ以テ之ヲ結〔決〕定スルコト」とあり、ま た製品の等級は「日陶連ノ定ムル所ニ依ルコト」とされていることから、知事の一方的な権 限によって決定されたものでなく、日陶連の定めた枠組みに依拠していたと判断できる。

「卸業者販売価格」「小売業者販売価格」それぞれの開差率の算出数字を示している点でも 興味深い。

更に付け加えるならば、この史料の写しが佐賀窯業指導所を経て佐賀県藤津陶磁器工業 組合に所属する源六焼窯元に伝わっていたという事実は、中央における価格設定の意向を 産地がいかに注視していたかを示している。

7.3 全国製品への拡大

しかし、実際に昭和15年7月からこの県別、3等級の公定価格制を運用してみると、地 区別、材料別、手法別の価格設定はかなり繁雑であった。このことから昭和16年 11月よ り全国に共通する規格へと改訂されることとなった。これに至る状況は以下のようであっ た。21

最初は昭和15年7月、飯碗、湯呑、番茶茶碗、丼、皿、土瓶、急須の品種に限り先 づ決定され、逐次他品種に及ぼす事となし、価格は京都、石川、佐賀、長崎、愛知、岐

25

阜の地区別とし、一品種を寸法別になし、上中並の3通りの等級を付し、其れに工業組 合販売価格、産地卸売業者販売価格、卸業者販売価格、小売業者販売価格の4段となせ り。而して同一品種、同一寸法のものにても、地区別価格に加ふるに、材質別(磁器、

陶器)、手法別(白、染付其の他、上絵附)の価格が異なり、繁雑を極めるにおよび、

昭和16年11月、地区別、材料別、手法別の制を廃し、全国製品を1級より15級の15 段階に分ち、日本陶磁器工業組合連合会最高販売価格、卸売業者最高販売価格、小売業 者最高販売価格の公定価格に改変されたものである。

7.4 等級区分の根拠

こうして陶磁器製品の公定価格が昭和 16年 11月に全国製品を包含する等級に改定22さ れてからは県別の表記はされなくなり、個々の製品ごとに等級が細かく区分、格付されるよ うになった。ただし、格付にあたっては産地は大きく影響した。

製品の分類は、当時の公定価格表23によれば「一 蓋無飯茶碗類」からはじまり、「四十四 手附蓋附水呑類」までの和洋食器が掲載されている。等級は「和飲食器」を例にとると、「一 級」から「十五級」となった。この15等級区分の根拠について、三井は以下のように回想 している。24

茶碗類の代表品種である飯茶碗の例を採ってみるに、その産地は、瀬戸、美濃、名古 屋を始め有田、京都、九谷その他、全国各地に亘り、価格もこれ等産地別による格差と、

工場間の品質差による価格差が相交錯して、多岐に分かれる。公定価格は、これ等を総 て包含しながら、現実の適用が合理かつ簡素に行われるよう整理されたものでなけれ ばならない。当時の実態を調査するに、飯茶碗の一般市販品(特別に指定された工芸品、

芸術品は除く)の価格の幅は、最低価格を基準として、最高価格はその約十五倍である ことが解った。この開差の幅の中で、どのような段階別価格を設ければ、現実の取引実 態に合うかを検討した結果、概ね十五階級の等級に分け、かつ一階級の開差率を約二 十%程度に刻めばよいことが算定された。

26

例えば、岐阜の笠原の茶碗(蓋無三寸六分)の当時の市販価格(一個)八銭(最低)

に対し、京都、九谷に高級品は一円二十銭(最高)で、この両者の間に、京都、九谷の 中級、並級品、有田の上中並、瀬戸、美濃、名古屋の上中並の段階別価格と、更に特別 な品質による価格差、例えば、ノリタケ(日本陶器)一級、瀬戸の特殊ブランドは三級 と言った具合に、ランクをはめ込んで、一階梯の開差率を概ね二十%で整理すると、十 五階級を持って、全国の茶碗を網羅せる価格別番付表が出来たのである。

上記のような研究段階を経て、茶碗以外の飲食器においても概ね15等級に区分されるこ ととなった。当初の 3 階級分類は地方公定価格設定に際しての暫定的処置であり、同じ格 付同一製品であっても、産地ごとに値段が異なるといった変則的なもので全般的に見た場 合には不明瞭であったため、全国共通の公定価格設定にあたっては産地ごとの製品傾向の 住み分けおよび主要製品の価格帯も考慮して細分化された経緯が読みとれる。

7.5 公定価格制度における日陶連の業務

先に触れたように、昭和 15 年 7 月の公定価格制導入の際には、流通上の価格の段階を

「工業組合又ハ同連合会販売価格」「産地卸売業者販売価格」「卸業者販売価格」「小売業者 販売価格」25の4段階になっていたが、昭和16年11月に全国価格への改訂する際に「日本 陶磁器工業組合連合会最高販売価格」「卸売業者最高販売価格」「小売業者最高販売価格」の 3段階に改められた。日陶連販売価格が表示されていて生産者価格が明示されていないのは、

三井によれば「○(マル公)はすべて、日陶連で共販を行う」という意味であるとしている。

生産者の手取り価格は附則により5%引と定められており26、これは日陶連の手数料として

「製品毎個に貼付する公定価格証紙の代金とか、日陶連が全国に配置せる検査員(この頃約 三百人)が、工場の窯詰め、窯出しを一々検査し、焼上った製品を、製品の価格に応じ等級 別の格付を行う費用、あるいは○(マル公)証紙(小売価格を表示してある)を貼付したも のを、各産地の卸商業者へ共販する事務費用等」27に充当された。

27 7.6 価格決定の経緯

また、本来景気の変動により価格の騰落の激しい陶磁器製品が、公定価格設定の際に、日 中戦争勃発以降の軍需インフレも反映された経緯については、以下のようにある。28 蓋無飯茶碗並品は昭和6年の最不況期には1個、1銭内外にまで下落し、生産者は以

後、長らくの間赤字経営に悩んでいたが、昭和13年下期より景気が好転し、昭和14年 9月(価格停止時)には3銭程度に騰貴した。それは昭和14年末の一般物価(東京卸 売物価指数は当時、昭和6年ころの2.07倍であった)に比し、異常な昂騰ぶりであっ たが、更に昭和15年7月、愛知、岐阜産品の公定価格設定の際には4銭2厘に引上げ られた(但し並級品は公定価格公布当初はこの値段では売れず、10%乃至15%の値引 を行っていた)。ついで昭和16年11月、中央の公定価格公布に際しては6銭2厘(12 級)に改訂され、昭和18年末には格付操作で11銭3厘(9級)まで上昇した。

ここで着目すべき点は、「格付操作」の表現があるように、日陶連によって恣意的に価格 操作が行われていたことと、統制経済下厳守されるべき公定価格が製品相場の実状に応じ て値引き販売がされていたということで、必ずしも一元的経済統制が円滑に運営されてい た訳ではない様子を物語っていると言えよう。また公定価格設定の設定は、一時的に小売業 者の販売方法に混乱を招いたようである。29

昭和12年より日陶連は、従来その大部分を所属組合に委ねていた製品検査権を手中に収 め、直属の一元的検査機構を確立していた。公定価格設定に際しては、価格自体は中央(商 工省告示)で定められるものであったが、その品質基準となる等級の査定(検査格付)は日 陶連が格付査定機関として指定され実行されるようになった。これは「価格等統制令第七条 ノ規格ニ依ル額ノ指定ニ関スル件」(史料六)に、公定価格導入の前提として製品等級が日 陶連の定めによることと、更に「右決定ニ当リテハ同連合会ト打合セ相成リ度シ」とあるこ とから、商工省としても当初から見込んでいたことのようである。検査格付の詳細について

関連したドキュメント