第三章 先制的デモ規制体制における司法の役割
第二節 公安警察活動における司法の役割
今までの警察研究は、司法が政府の一部、または法律そのものに位置付けら れ、独立的ファクターとして十分検討していると言えない(della Porta, 2013; della Porta & Herbert Reiter, 1998a)。しかし、前節の考察によって、治安判決に限り、
三権分立の枠組みにおいて司法は行政をチェックし、歯止めとしての機能が十 分発揮していると言い難い。とはいえ、日本の司法が積極的に公安警察を協力 する証拠も見つからなかった。少なくとも、もし司法からも組織的な協力を得 れば、公安警察は警備判例と法令の研究にそんなに力を入らなくても良いでは ないだろうか。今までの考察を踏まえ、公安警察にとって、歯止めでなければ、
判決が先制的デモ規制体制において一体どのような機能が有するのか、改めて 整理する必要があると考えられる。
1. 治安判決による「暴力性」の生産 / 再生産循環
特定団体、運動を取締る必要性について、第二章で紹介した警察教養テキス トの中で、歴史や思想などが挙げられて説明されている。しかし、デモなどの 行動が低迷している時代において、裁判官や市民に、一方的に公安警察的認識 のみで社会運動を取締する必要性を主張すれば、説得力は低下していく。また、
新たな社会運動に対し、暴力革命など既存の社会運動への認識によって取締の 必要性を説明し切れない場合に、新たな根拠が必要になる。
第一章で述べているように、社会運動を取締る正当性、つまり治安法の目的 について、戦後日本では「民主主義」、「反暴力」と再確立した。「反民主主 義」について、主に社会主義など、資本主義を基づき民主主義を変革させる政 治思想を指している。しかし、1980年以降の時代には、評価はともかく、革 命や安保闘争など「決戦」によって体制を徹底変革させる考え方は、もはや運 動の主流ではなくなった。日本共産党をはじめ、労働運動、反原発、住民運動 など社会運動は、戦後民主主義の枠内で行うようになった。そこで、新たな取 締の必要性を構築するために、社会運動を「暴力性」によって立証すべきこと となった。
社会運動の「暴力性」を立証するために、デモ活動による衝突は一番鮮明で ある。しかし、大規模なデモ活動が低迷しており、小規模な武装闘争さえ遠く なった時代において、裁判所の有罪判決の役割は重要になってきた。既存の社 会運動組織について、デモ現場での公妨、道交法、建造物侵入などに加え、日 常の事件化によって活動家に私文書偽造、詐欺など刑事有罪判決を背負させる ことになった。その新たな犯罪歴は、昔のデモ活動などの「前科」に繋がり、
有罪判決の内容にもかかわらず、とにかく依然として不法行動が続けていると いう「暴力性」のイメージが生産されている。その「暴力性」は、さらに一般 情報活動及び強制捜査の必要性を支え、次の事件化に繋がり、また新たな犯罪 歴を再生産できるようになった。警察の裁量による一般情報活動や治安警備実 施と比べ、こうした事件化によって創り出される「暴力性」の生産/再生産循 環において、裁判所の有罪判決は不可欠である。
新たな社会運動に対し、有罪判決によって「過激化」のレッテルを貼れば、
いわゆる過激派と同じく捜査を進めることを可能にする。例えば、実験動物へ の虐待を反対するために実験動物を盗んだ、または捕鯨を反対するために鯨肉 を盗みもしくは捕鯨船の作業を邪魔する新たな環境保護団体に対し、警察は
「決して動物愛護運動そのもの…否定しているのではない」と前置きながら、
「言い換えると、『みんなが平等に幸せに暮らせる社会のためなら、爆弾や発 火装置を使って人が死んでも仕方がない』などと平然と公言する過激派と何ら 変わりがない」という「言い換え」によって、違法な非暴力行動を取った環境 保護団体を爆弾闘争が行った過激派に結びつけている(社会運動研究会, 2013,
P.145)。そして、「過激派」のレッテルによって、当団体を同じく暴力性の生 産/再生産の循環に巻き込むことができるようになった。
もちろん、裁判所からみれば、他人の物を盗んだ者に窃盗罪の有罪判決を下 すのは、何も間違っていない。ここで強調するのは、「過激派」というレッテ ルが、日本の先制的デモ規制体制における強力な武器であるということである。
1970年代から一般用語に定着して以降、一旦「過激派」と言われる組織は、
今まで紹介された警備情報活動による圧力、または裁判上の不利益を受けるだ けでなく、その社会的スティグマによって、世論が寄りにくくなり、募金、動 員など活動上の支障が出かねない。すなわち、「過激派」というレッテルは、
先制的デモ規制の手法の一つとして、デモ活動などの集会自由、表現自由への 抑止力になっている。公安警察は自ら社会運動にこの武器で規制できるが、「過 激派」というレッテル自体を作る際に、今の時代には治安判決による支持が必 要である。
2. 公安警察活動への「お墨付き」
任意行為とされている一般情報活動から、令状による強制処分まで、公安警 察は様々な手法を応用している。その適法性はしばしば裁判の争点になってい る。社会運動から見れば、デモ活動によって警察への対抗は困難になったが、
法動員によって裁判所で警察活動の適法性を問うことがまだできる。一方で、
一旦裁判で勝訴判決を勝ち取れば、当事件における公安警察活動の正当性が認 められ、裁判所から「お墨付き」をもらったことになる。
前節で検討したように、裁判所による公安警察へのチェックは、既有の危険 論証モデル、機能的治安法による争点脱憲法化、司法の受動性によって、不十 分だと言わざるを得ない。さらに、公安警察が「お墨付き」として使う判決は、
果たしてその射程は本当に警備活動に及ぼすのか、疑問が残っている。例えば、
いわゆる自動車一斉検問判例99の射程について、警備実施の一環として実施し ている検問は、当決定において検討された一般犯罪の予防.検挙を目的とする
「警戒検問」に当たり、当決定において提示された合理性、任意性、比例原則
99 最高裁昭和55年9月22日決定(刑集34巻5号272頁)。
という要件を満たせば、当決定によって適法とされた検問と同じく警察法2 条1項を根拠にして行うことができると解釈している(警備判例研究会, 2009, P.11)。
この論理に沿って、警察は過去に公務執行妨害や公安条例違反によって逮捕 者が出ることがあり、もしくは違法行為が行った組織が参加する可能性がある デモに対し、事前に参加しよう者に一斉検問を実施している。その検問の必要 性に対し、裁判所は「違法行為の発生するおそれが一般的にはあったことが認 められ、そこで危険物が使用されるおそれも認められないではない」とし、警 察法2 条1項による検問の必要性を認めた100。さらに、社会運動のネットワー ク化が進んだ現在、デモの主催者は参加者の背景を把握、コントロールするこ とが不可能である。もし過去の逮捕事案、または警察の情報によって参加者の 中で違法前歴を持つ個人または組織メンバーがいる可能性があるだけで、事前 に一斉検問の必要性を認めるであれば、恐らくあらゆるデモは対象に当てはま るだろう。このような見解は果たして上記自動車一斉検問判例の射程に当ては まるかどうか、疑問が残っている。
また、社会運動側が提訴した訴訟類型は、主に国賠訴訟である。前節で検討 しているように、警察が敗訴判決を受けても、違法とされた警察活動を直ちに 中止するとは限らないし、むしろ個別事例として無視や再挑戦をすることが多 かっただろう。安藤(2013, pp.220-224)が指摘しているように、1970年代以降の 日本社会運動は、その制度化の道を狭く限定され、「新しい政治」を生みださ なかった。そのため、社会運動は、司法判決から実際の制度変革に「繋ぎ」と して行政への影響力が低下し、勝訴判決の影響力がしばしば個別事案にとどま ってしまった(Charles R. Epp, 2009)。
しかし、事件化の事例において、国賠を勝ち取るのはそもそも困難である。
その原因は、警察は令状をもらって捜査を行う以上、問題があっても、捜査を 発動できる疑いを説明できる以上、違法とされる可能性が低かったからである。
捜査階段において、不確定性が高い現場状況を対応するために、捜査者に裁量 空間を与える必要がある。しかし、公安事件において、公安警察は捜査者だけ
100 東京地裁平成5年4月16日判決(判タ827号91頁)(控訴棄却)。なお、当判決は検問実 施の方法(楯を持つ機動隊員が両側に検問対象を挟むいわゆる「トンネル検問」)について、
「被検問者は所持品検査の説得に応じなければその囲いから出ることができない状態に置か れる…被検問者の自由な意思決定を阻害するおそれが高く、検問の手段としては著しく相当性 を欠くもの」と手段の相当性(比例原則)を否定し、国賠を認めた。」