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先行研究と問題設定

本章では、ソフトウェア産業について、これまでの先行研究のレビューとそれを踏まえ た本研究の問題設定を行う。

本研究の視点によれば、ソフトウェア開発、特にその下流工程は従来の理解とは異なり 担当者の保有する様々な知識に依存するところの大きい知識労働としての側面を備えるも のと考えられる。しかしながら、日本のソフトウェア産業においてこれまでこうした捉え 方がなされてきたかというと、必ずしもそうではない。

本章では、本研究が主張する、わが国のソフトウェア産業が直面する変化の速い市場に 対応できず、さらに革新的なイノベーションが期待することができていないという問題が 引き起こされていることと、その問題の克服のためにはソフトウェア開発業務の知的作業 あるいは知識労働としての側面を重視し、開発従事者の知的能力の発揮を阻害しない開発 プロセスの編成が必要となることを説明するにあたり、「知識マネジメント」の問題解決を 中心とした考え方に関する整理を行う。その上で、日本のソフトウェア産業が先行研究に おいて、これまでどのような評価や分析が行われてきたのか、そこでソフトウェア開発が どのような業務、労働であると捉えられてきたのか、先行研究の検討を通じて確認すると ともに、そこから導き出される問題設定について述べる。

(1) これまでの先行研究との関係

本研究は、ソフトウェア開発の分業構造を対象とし、アーキテクチャーやビジネスモデ ルについての先行研究を検討している。しかし、ソフトウェアを対象とした研究の多くが、

その技術的な特性からソフトウェア工学やそれに類するものであり、ソフトウェア開発に おける分業の問題や、日本のソフトウェア開発企業の戦略やビジネスモデルなどの経営学 的視点より研究したものはほとんどない。

① 分業に関する研究との関連

分業に関する研究は自動車産業などを対象とした研究(浅沼, 1997; 武石, 1999; 藤本,

2001a, 2001bなど)が多く、ソフトウェア産業を対象とした研究は少ない。

当然ながら、アウトソーシングを含めた企業間関係とその境界を対象とする研究や著書 は数多く存在し、現在でもその研究は活発に行われている。さらに、企業の競争優位に関 わる知的作業として、企業の中核となる資源であるコア・コンピタンスに注目した研究

(Prahalad and Hamel, 1990)などもある。

そのほかに、企業間の分業関係に関わらず、従業員間といった企業の内部のコンテクス トの共有化に関する研究も多い。例えば、青島編(2008)は、従業員間でコンテクストの 共通化が図られることにより、組織内のコミュニケーションがスムーズになるとしている。

Clark and Fujimoto(1991)は、企業内における部門同士の密接な協力を部門間統合と呼び、

それが日本の自動車メーカーが高品質で、顧客ニーズに合った製品を開発できる要因の一 つとなっているとしている。

一方、企業の内外のそのような分業関係の問題は、単純にコミュニケーションの良し悪 しだけに起因するものではない。例えば、企業間提携として、相手組織の行動に対する組 織間の信頼の質についての研究も進んでおり(Sako, 1992; 真鍋, 2002, 2004; 川崎, 2014)、

英米では契約関係の誠実な履行を信頼しているのとは対象的に、日本では長期的で互恵的 な善意に基づく信頼があることが指摘されている。また、真鍋(2004)は、トヨタ自動車 とそのサプライヤー間の信頼関係を定量調査し、コミュニケーションは知識の共有を進め るものの、信頼関係の構築には協力会などによる組織間学習や長期的な取引関係などがそ の要因と考えられるとしている。

青島編(2008)は、日本企業の従業員の職務範囲の境界が曖昧であり、従業員が助け合 うことで多能工化が進みやすくなっており、そのことで顧客ニーズへの対応のほか、業務 の繁閑にも柔軟に対応できていると述べている。そのほかに、企業のドメイン固有の知識 間にある境界について、その橋渡し役としてのプロジェクト・リーダーの役割の重要性に ついての研究(藤本, 2001b; 椙山, 2001; 林, 2008など)も進んでいる。

一方で、Taylor(1911)に代表される科学的管理法のような高度な専門分化と作業の単

純化の研究から、そういった行きすぎた分業と機械化に対する批判として、1950年代の炭 鉱労働の研究に端を発する技術的要因と社会的要因の両方を充たす社会・技術システム論

(Trist and Bamforth, 1951; 上林, 2001; 森田, 2010)のほか、1970年代に始まったQuality of

Working Lifeや労働の人間化(小林, 2008; 菊野, 2010)などの人的資源管理の分野で多くの

研究が蓄積されている。

このように、分業に関する研究は多くの知見が存在するが、企業間関係の研究としてソ フトウェア産業を対象としたものは少ない。さらに、ソフトウェア産業の分業構造を対象 とした研究においても、その表面的な特性や問題を述べるに留まっていることが多く、ソ フトウェア開発のプロセスまで深く踏み込んだ研究はほとんどない。

② ビジネスモデルに関する研究との関連

本研究では、日本のソフトウェア開発を製造工場化しようとしたビジネスモデルについ て分析しているが、このようなソフトウェアのビジネスモデルに関する研究としては、2000 年以降、企業の枠に囚われないオープン・ソース・ソフトウェア開発の研究が盛んとなっ ている(国領, 2004; 竹田, 2005; 谷花・野田, 2012, 2013; 野田・丹生・コークラン, 2012, 2013;

野田・丹生, 2014; 神戸, 2014, 2015)。しかしながら、このオープン・ソース・ソフトウェ アの開発手法は、仕様書もないまま、インターネットを介して多くの開発者によって自由 に開発が行われており、本研究が対象とするカスタムソフトウェアといった企業の受託に

よるソフトウェア開発とはその方法や目的が大きく異なっている49

また、ソフトウェア開発に従事する知識労働者としての技術者に焦点をあてた人的資源 管理の分野の研究も多く、例えば、ソフトウェア技術者の能力の活用やキャリア形成につ いての研究(今野・佐藤, 1987, 1990; 梅澤, 1996, 2000; 三輪, 2009, 2010, 2012, 2014; 古田・

藤本・田中, 2013)がある。そのほか、システム開発の技術の多様化やステークホルダーの 増加に対するマネジメントとして、プロジェクトチーム内のコンフリクトの研究(床井・

妹尾, 2010)もある。

このように、ソフトウェア産業のビジネスモデルに関する研究は、オープン・ソース・

ソフトウェアを中心に、遠隔地を通したソフトウェア開発や、コミュニケーションに関す る研究が確認される。しかし、ソフトウェアに関する研究の多くは、その技術的性格から、

ソフトウェアの利用方法やその導入方法について、ソースコードの行あたりのバグなど欠 陥の数やアルゴリズムの解析といったソフトウェア測定法50について、そしてプログラム を効率よく作成する方法についてなど、ツールや手法の開発に傾斜した技術や工学の分野 が中心となっており、人間的な部分や組織的な部分など社会学や経営学に関する研究は非 常に少ない(DeMarco and Lister, 1987, 1999, 2013)。

(2) 日本のソフトウェア産業に関する研究

本節では、これまでの日本のソフトウェア産業がどのように捉えられてきたのか、本研 究に特に関係するものとして、5つの先行研究を検討する。

ソフトウェア産業やIT全般について、特にその技術に関する研究が非常に多いものの、

日本のソフトウェア産業の分業や組織構造の問題を題材とした研究は非常に少ない。特に 2000年以前の日本のソフトウェア産業について研究されたものは少なく、その中の重要な 研究結果として、Cusumano(1991, 2004)や今井・安藤・白井・辻・久保・玉置・浜田(1989)

が存在する。

49 オープン・ソース・ソフトウェアの開発コミュニティとして、OS(オペレーションシス テム)であるLinuxの開発がある。このLinuxは、MicrosoftのWindowsなどの企業が開発 するOS製品に匹敵する機能、品質、信頼性を持っている。自発的に技術者が参加したり、

メンバーが入れ替わったりするような集合体によって、高度なソフトウェアの開発が可能 であるとともに、全体としてのソフトウェア生産能力を維持しうることを証明した(竹田, 2005)。

オープン・ソース・ソフトウェアについては、本章ではこれ以上取り上げないが、第10 章の本研究の課題で説明する。

50 プロセスの評価・改善、工数の見積り、信頼性の評価などソフトウェアの品質や生産性 の改善を目的とし、ソフトウェアとその開発や利用過程を対象とした定量的な評価尺度(松 本, 1998; 阿萬・野中・水野, 2011)。