工 し工 た へ 本『 も 華 あ
る︒もともとの
﹃義
釈﹄
ザ ﹂ +
﹄l 品 ︑
厳経﹄﹃般若経﹄に説かれる思慮を超えた境地の立場を
含める﹀とあるのを︑弘法大師が整理した本では﹃般若
経﹄を捨てて︑
ただ
︿﹃
華厳
経﹄
の立場を含める﹀とだ
け書いてある︒また同様に﹃十住心論﹄には︑
︿ 華 厳宗
の立場である﹀と説明されている︒
い し よ う て い よ う し ん ぐ ど う じ さ い し ん
ところで十住心というのは︑異生抵羊心・愚童持斎心・
ょ う ど う む い し ん ゆ い う ん む が し ん ぽ つ ご う い ん し ゅ し ん た え ん だ い じ よ う し ん か く
嬰童無畏心・唯誼無我心・抜業因種心・他縁大乗心・覚
し ん ふ し よ う し ん い ち ど う む い し ん ど く む じ し よ う し ん ひ み っ し よ う ご ん し ん
心不生心・一道無為心・極無自性心・秘密荘厳心の十種
の心のことである︒はじめの異生抵羊心は︑三悪道(地
獄・餓鬼・畜生)に落ちた人の心であり︑この中に修羅
道をも含める︒第二の愚童持斎心は︑人間世界の教えを
実践する心である︒ここに儒教で説く仁・義・礼・智
信を含める︒第三の嬰童無畏心は︑天上に生まれる教え
173‑
を実践する心である︒ここに老子・荘子の教えを含める︒
第六の他縁大乗心は︑法相宗の修行をした人の心である︒
第七の覚心不生心は三論宗︑第八の
一道
無為心は天台宗︑
第九の極無自性心は華厳宗︑第十の秘密荘厳心は真言宗
である︒はじめの異生抵羊心を除いて︑そのほかの九種
げ て ん
の住心に︑仏教以外の書物である外典や︑仏教内の書物
ないてんである内典に説かれる種々の教えが︑すべてその中に包
摂される︒そうであるなら弘法大師の意図によれば︑内
典・外典の書物はすべて学ぶべきものであろうか︒
この
ようなわけで︑御室仁和寺門跡も博学であることを好ま れ︑私に出向いて講義するよう指示があったのかと思わ
れる
︒ただし︑この﹃十住心論﹄
の考え方には大きな難点が
ある
︒ ﹃ 義釈﹄には︑ただ
︿何経の趣旨を含める
﹀
とか
︑ またはただ︿何論の趣旨を含める﹀とか
言
って
いる
のを
︑
一宗の問題として扱って︑︿華厳宗の立場に含める﹀と
か ︑
︿法華宗(天台宗)の立場に含める﹀としているのは︑
誤まりだと思われる
︒
もし十住心それぞれを宗に含めて 勝劣を判定すれば︑諸宗がお互いに善し悪しの論争をす
る︒
このような宗論は︑昔からあって今なお終息してい
るものではない ︒
法華宗は華厳宗より浅はかな教えだと
言えば︑まったく法華宗の趣旨に背くことになる
︒
どう
して尊敬の意を込めて
H天台宗Hと言
うことができるだ
ろう
か
︒
ただそれは華厳宗の意図にすぎないと見たほう
がよいだろう︒
諸宗がお互いに浅い深いを論争すること
に対して︑第三
者の誰が判定でき
よう
か
︒
およそ一宗の
しきたりとして︑釈迦が
生涯に説かれた
聖教について浅い深いを判定するのは︑
一般的なことで
ある︒したが
って
一切経はどれも釈迦
一人が説かれたも
のではあるけれど︑各宗で学ぶ内容にしたがって浅い深 いや勝劣の判定が同じでないから︑何宗から見た
一切経
と言
わなければならない
︒天台宗から見た
一切
経も
あり
︑ 華厳宗から見た
一切経もある︒
そして法相宗や
三論宗に
もそれぞれの一
切経があるはずである
︒天台宗の一
切経 では︑﹃法華経﹄が最もすぐれているとするので︑釈尊 が﹃法華経﹄以前に説かれた諸経と対比して︑十箇のす ぐれた点をあげている
︒華厳宗の一
切経
では
︑﹃
華厳
経﹄
が最もすぐれているとしている
︒三
論宗では︑様々な大 乗経典は倍りへの道をあきらかにしている点では異なら ないと主張するが︑﹃般若経﹄を究極の教えとしている
︒
げ じ ん みつきょう
法相宗では︑﹃解深密経﹄を真実の教えとしている
︒
、,
、ー
のよ
うに
︑ それぞれの宗では理解が異なっているのに︑
無理やり各宗を十住心に当てはめて︑浅い深いを判定さ れることには︑しかるべき理由がない
︒
諸宗のしきたり
では
︑ ただ経典についてのみ浅い深いや勝劣の判定を下
すのである︒ましてや善無畏の﹃義釈﹄では︑まったく 経典について言うのみである
︒
また
﹃義
釈﹄
はに
︑︿
(第
九の極無自性心に)﹃華厳経﹄や﹃般若経﹄に説かれる 思考を超えた境地を含める﹀とあるのを︑﹃十住心論﹄
には︑(﹃般若経﹄には触れず)ただ﹃華厳経﹄のみ取り︑
さらに誤って華厳宗までを含めてしまい︑
そして﹃般若
経﹄を第七の覚心不生心に含めるのは︑これまた﹃義釈﹄
に背いている
︒
このような趣旨から︑
ひそかに非難を加えていたとこ
ろ︑今から二
十余年ほど前になろうか︑源平合戦が起こ る前︑私が嵯峨に住んでいた頃︑次のような夢を見た
︒
人に招かれて外出したそのあとに︑
︿弘法大師から︑必
ず参上いただきたいと使いの者が来ました﹀と
言うのを
聞いて︑心の中で︿
内々に非難したことが︑漏れ聞こえ たのだな﹀と思ったけれど︑そうではあってもお招きだ と思って︑ただちに大師の住房へ参上した
︒それは五間
ほどの家で︑板の間も仕切り戸もなく︑ただ内部の四方 に壁を塗りめぐらして入口さえない部屋があるだけであ
る︒大師はこの中におられると思われた
︒まず外でせき
ばらいをすると︑壁の内から
︿こちらへ﹀とおっしゃる
声がした︒その声に従って︑家に入って壁の内を見ると︑
どこにも入口がない
︒
壁一のくずれた所だけがある︒その くずれた所からくぐって入ると︑大師は壁際におられ︑
すぐにお互いの胸を合わせて抱き合った
︒大師はお顔を
私の左肩に置かれた
︒
こうして以前非難したことについ て ︑
一つ一
つ ︑ お互いの意見に矛盾がないよう解釈され
た︒
その解釈を聞いても︑やはり驚くことはなかった
︒
︿
そ
‑175‑
れについては・:﹀と言って
︑再度大師の考えを非難しょ うと思ったところ︑夢からさめた
︒後にこのことについ
て思案すると︑非難した内容がすべて大師のお考えに叶 っていたのだろうか
︒二 人でしっかり抱き合ったのは︑
ご意向に叶っているように見えるはずである
︒本当
によ く非難してくれた︑と思われからこそ︑夢の中でも様々 に矛盾なく解釈されたのだろう
︒
一般に︑後学者
に対しては(これから学問して偉くな るであろうから)畏怖しなければならないと
言い慣わし
ており︑学者は必ずしも先学者だからといってりっぱで あるとは限らない
︒
釈尊が入滅されて五百年後に︑五百
だ い び ぽ
し
や ろ ん
人の阿羅漢が集まって﹃大毘婆婆論﹄を著したところ︑
くしゃろん
釈尊が入滅されて九百年後に世親が生まれて︑﹃倶合論﹄
を著して先行の学説を論破された
︒
学説が正しいか誤つ ているかを議論するにあた
っては︑決して大昔の説に対 して恐れてはならない
︒﹂とおっしゃられた
︒
第 段
たいみつ
法然上人は︑はじめは
天
台密教(台密)を学ばれていた
︒
ところが中の
川
実範阿闇梨は︑上人の仏教を受
容
する器
かんじよう
量に深く感心して︑自分の弟子と認めて濯頂を授け︑真
言宗
の要点を残すところなく伝受した
︒実 範は︑東
寺の
と う み っ ち ゅ う い ん り ゅ う
(東密)の流れをくむ中院流の教
真
阿闇梨から濯頂
か ん じ ゅ じ は ん し ゅ ん
以前から勧修寺の範俊僧正を師として 密 教 を受けた弟
子
で ︑
いた
︒
密教の修法と教
学
に通達していたのみでなく︑
他
宗の教えにも詳しかった
︒
それなのに実範は上人に帰依 するあまり︑後には実名の
二字を
書
いて献じその弟子と
がんじんわじよう
なり︑鑑
真
和尚から伝わる小乗戒を
受けた︒
上人は︑円 頓戒を中心として守っておられた
︒
ところが円頓戒を
差
し
置いて︑実範は鑑真から伝わる小乗戒を受けられたが︑
﹂れにはきっと深い意味があったのだろう
︒
第四段
法然上人は︑当
世第 一の知恵者だという名声がちま たにあふれ︑多くを聞いて広く
学
んでいるという世評は 隅々まで及んだ
︒
およそ日本に伝来した経論や高僧伝な
‑176‑
どで
読
まないものはなかった
︒
そこで︑郷里の師匠観
覚
も実名の
二字
を書
いて献じて弟子となり︑比叡山黒谷の 師匠叡空も上人を模範とされた
︒経典の言
語文字によっ
て真
理を追求する諸宗の教えに精通したのみでなく︑文
字
を離れて心から心へ
真
理 を 伝
え
る仏心宗をも︑奥深 くまで探求された
︒
﹁ 禅
宗
は伝来して日が浅く先
学者が
いないため︑疑問を
呈
してはっきりとした判定ができな
ぃ︒
﹂と︑常におっしゃっていたという
︒
じようか︿ぼうこうさい
円頓戒について説教された時︑成覚
房幸 西が質問した
﹂とには︑﹁この円頓戒は︑あらゆる存在や現象の真実
のあり様を戒の本体とする︒ところが山王院の大師と呼
ばれた円珍は︑︿あらゆる存在や現象の真実のあり様は︑
禅である﹀と述べられている︒もしそうなら︑禅の教え
とこの戒の本体とは合致するのか︑しないのか
︒﹂
と︒
上人が判定していわれるには︑﹁この円頓戒は︑文字 によって真理を示そうとする教えである
︒しかし禅宗は
文字を離れて心の鍛練によって真理を求めるのである
︒
どうして両者が合致するといえようか
︒ただし禅によっ
て悟った人が︑この円頓戒について説教したなら︑間違 いなく正しい筋道に叶ったものになるだろう
︒禅の修行
者が文字による教えを説いたなら︑文字による教えが従
となり禅が主となる︒文字
による教えの立場の人が禅の
﹂とを説いたなら︑禅が従となり文字による教えが主と
なる︒およそ︑真
言宗 や天台宗の立場から禅について推
測するべきではない︒まして法相宗や三論宗の立場から
はなおさらである︒
まし
てや
︑
それ以外の小乗の宗派の
立場からはなおさらである︒﹂と︒
これはまったく文字よる教えに立つような人の
言葉で
はない
︒
実に
︑ つるべ縄が短くては深い地下水は汲み上 げられず︑鳥の翼が弱くては大空に羽ばたくことができ
ない
︒
それと同じで︑知恵が浅く心が愚かであっては︑
どうして禅を深く理解することができようか
︒
だか
ら︑
上人が神宗の教えを論じられた自筆の書物が今に伝わっ
ているのだ︒
未熟者はそのことを疑つてはいけない︒
第五段
‑177‑
つきのわどの
ある時︑法然上人が九条兼実邸の月輪殿で比叡山の僧 侶と会って会談されたことがあったが︑その僧侶が︑﹁浄 土宗を立てられたのは︑どのような経論の文章を拠り所
として立てられたのか︒
﹂と質問したところ︑上人は︑﹁善
か ん ぎ ょ う の し ょ ふ ぞ く の も ん
導の﹃観経疏﹄の付属文である︒﹂と答えられた
︒さら
に重ねて僧侶は︑﹁
一宗としての教義を立てるほどの場
合に
︑
どうしてたった一
つの文章だけを拠り所にできる
だろうか︒﹂と質問した︒上人はほほ笑むだけで︑何も
いわれなかった︒