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会 : 重

ドキュメント内 教化研究 No.16 (ページ 179-200)

工 し工 た へ 本『 も 華 あ

る︒もともとの

﹃義

釈﹄

ザ ﹂ +

l 品 ︑

厳経﹄﹃般若経﹄に説かれる思慮を超えた境地の立場を

含める﹀とあるのを︑弘法大師が整理した本では﹃般若

経﹄を捨てて︑

ただ

︿﹃

華厳

経﹄

の立場を含める﹀とだ

け書いてある︒また同様に﹃十住心論﹄には︑

︿ 華 厳宗

の立場である﹀と説明されている︒

ところで十住心というのは︑異生抵羊心・愚童持斎心・

嬰童無畏心・唯誼無我心・抜業因種心・他縁大乗心・覚

心不生心・一道無為心・極無自性心・秘密荘厳心の十種

の心のことである︒はじめの異生抵羊心は︑三悪道(地

獄・餓鬼・畜生)に落ちた人の心であり︑この中に修羅

道をも含める︒第二の愚童持斎心は︑人間世界の教えを

実践する心である︒ここに儒教で説く仁・義・礼・智

信を含める︒第三の嬰童無畏心は︑天上に生まれる教え

173‑

を実践する心である︒ここに老子・荘子の教えを含める︒

第六の他縁大乗心は︑法相宗の修行をした人の心である︒

第七の覚心不生心は三論宗︑第八の

一道

無為心は天台宗︑

第九の極無自性心は華厳宗︑第十の秘密荘厳心は真言宗

である︒はじめの異生抵羊心を除いて︑そのほかの九種

の住心に︑仏教以外の書物である外典や︑仏教内の書物

ないてんである内典に説かれる種々の教えが︑すべてその中に包

摂される︒そうであるなら弘法大師の意図によれば︑内

典・外典の書物はすべて学ぶべきものであろうか︒

この

ようなわけで︑御室仁和寺門跡も博学であることを好ま れ︑私に出向いて講義するよう指示があったのかと思わ

れる

︒ただし︑この﹃十住心論﹄

の考え方には大きな難点が

ある

︒ ﹃ 義釈﹄には︑ただ

︿何経の趣旨を含める

とか

︑ またはただ︿何論の趣旨を含める﹀とか

って

いる

のを

一宗の問題として扱って︑︿華厳宗の立場に含める﹀と

か ︑

︿法華宗(天台宗)の立場に含める﹀としているのは︑

誤まりだと思われる

もし十住心それぞれを宗に含めて 勝劣を判定すれば︑諸宗がお互いに善し悪しの論争をす

る︒

このような宗論は︑昔からあって今なお終息してい

るものではない ︒

法華宗は華厳宗より浅はかな教えだと

言えば︑まったく法華宗の趣旨に背くことになる

どう

して尊敬の意を込めて

H天台宗Hと言

うことができるだ

ろう

ただそれは華厳宗の意図にすぎないと見たほう

がよいだろう︒

諸宗がお互いに浅い深いを論争すること

に対して︑第三

者の誰が判定でき

よう

およそ一宗の

しきたりとして︑釈迦が

生涯に説かれた

聖教について浅い深いを判定するのは︑

一般的なことで

ある︒したが

って

一切経はどれも釈迦

一人が説かれたも

のではあるけれど︑各宗で学ぶ内容にしたがって浅い深 いや勝劣の判定が同じでないから︑何宗から見た

一切経

と言

わなければならない

︒天台宗から見た

一切

経も

あり

︑ 華厳宗から見た

一切経もある︒

そして法相宗や

三論宗に

もそれぞれの一

切経があるはずである

︒天台宗の一

切経 では︑﹃法華経﹄が最もすぐれているとするので︑釈尊 が﹃法華経﹄以前に説かれた諸経と対比して︑十箇のす ぐれた点をあげている

︒華厳宗の一

切経

では

︑﹃

華厳

経﹄

が最もすぐれているとしている

︒三

論宗では︑様々な大 乗経典は倍りへの道をあきらかにしている点では異なら ないと主張するが︑﹃般若経﹄を究極の教えとしている

法相宗では︑﹃解深密経﹄を真実の教えとしている

のよ

うに

︑ それぞれの宗では理解が異なっているのに︑

無理やり各宗を十住心に当てはめて︑浅い深いを判定さ れることには︑しかるべき理由がない

諸宗のしきたり

では

︑ ただ経典についてのみ浅い深いや勝劣の判定を下

すのである︒ましてや善無畏の﹃義釈﹄では︑まったく 経典について言うのみである

また

﹃義

釈﹄

はに

︑︿

(第

九の極無自性心に)﹃華厳経﹄や﹃般若経﹄に説かれる 思考を超えた境地を含める﹀とあるのを︑﹃十住心論﹄

には︑(﹃般若経﹄には触れず)ただ﹃華厳経﹄のみ取り︑

さらに誤って華厳宗までを含めてしまい︑

そして﹃般若

経﹄を第七の覚心不生心に含めるのは︑これまた﹃義釈﹄

に背いている

このような趣旨から︑

ひそかに非難を加えていたとこ

ろ︑今から二

十余年ほど前になろうか︑源平合戦が起こ る前︑私が嵯峨に住んでいた頃︑次のような夢を見た

人に招かれて外出したそのあとに︑

︿弘法大師から︑必

ず参上いただきたいと使いの者が来ました﹀と

言うのを

聞いて︑心の中で︿

内々に非難したことが︑漏れ聞こえ たのだな﹀と思ったけれど︑そうではあってもお招きだ と思って︑ただちに大師の住房へ参上した

︒それは五間

ほどの家で︑板の間も仕切り戸もなく︑ただ内部の四方 に壁を塗りめぐらして入口さえない部屋があるだけであ

る︒大師はこの中におられると思われた

︒まず外でせき

ばらいをすると︑壁の内から

︿こちらへ﹀とおっしゃる

声がした︒その声に従って︑家に入って壁の内を見ると︑

どこにも入口がない

壁一のくずれた所だけがある︒その くずれた所からくぐって入ると︑大師は壁際におられ︑

すぐにお互いの胸を合わせて抱き合った

︒大師はお顔を

私の左肩に置かれた

こうして以前非難したことについ て ︑

一つ一

つ ︑ お互いの意見に矛盾がないよう解釈され

た︒

その解釈を聞いても︑やはり驚くことはなかった

︿

‑175‑

れについては:﹀と言って

︑再度大師の考えを非難しょ うと思ったところ︑夢からさめた

︒後にこのことについ

て思案すると︑非難した内容がすべて大師のお考えに叶 っていたのだろうか

︒二 人でしっかり抱き合ったのは︑

ご意向に叶っているように見えるはずである

︒本当

によ く非難してくれた︑と思われからこそ︑夢の中でも様々 に矛盾なく解釈されたのだろう

一般に︑後学者

に対しては(これから学問して偉くな るであろうから)畏怖しなければならないと

言い慣わし

ており︑学者は必ずしも先学者だからといってりっぱで あるとは限らない

釈尊が入滅されて五百年後に︑五百

人の阿羅漢が集まって﹃大毘婆婆論﹄を著したところ︑

ゃろん

釈尊が入滅されて九百年後に世親が生まれて︑﹃倶合論﹄

を著して先行の学説を論破された

学説が正しいか誤つ ているかを議論するにあた

っては︑決して大昔の説に対 して恐れてはならない

︒﹂とおっしゃられた

第 段

法然上人は︑はじめは

台密教(台密)を学ばれていた

ところが中の

実範阿闇梨は︑上人の仏教を受

する器

かんじよう

量に深く感心して︑自分の弟子と認めて濯頂を授け︑真

言宗

の要点を残すところなく伝受した

︒実 範は︑東

寺の

(東密)の流れをくむ中院流の教

阿闇梨から濯頂

以前から勧修寺の範俊僧正を師として 密 教 を受けた弟

で ︑

いた

密教の修法と教

に通達していたのみでなく︑

宗の教えにも詳しかった

それなのに実範は上人に帰依 するあまり︑後には実名の

二字を

いて献じその弟子と

がんじんわじよう

なり︑鑑

和尚から伝わる小乗戒を

受けた︒

上人は︑円 頓戒を中心として守っておられた

ところが円頓戒を

置いて︑実範は鑑真から伝わる小乗戒を受けられたが︑

﹂れにはきっと深い意味があったのだろう

第四段

法然上人は︑当

世第 一の知恵者だという名声がちま たにあふれ︑多くを聞いて広く

んでいるという世評は 隅々まで及んだ

およそ日本に伝来した経論や高僧伝な

‑176‑

どで

まないものはなかった

そこで︑郷里の師匠観

も実名の

二字

を書

いて献じて弟子となり︑比叡山黒谷の 師匠叡空も上人を模範とされた

︒経典の言

語文字によっ

て真

理を追求する諸宗の教えに精通したのみでなく︑文

を離れて心から心へ

理 を 伝

る仏心宗をも︑奥深 くまで探求された

﹁ 禅

は伝来して日が浅く先

学者が

いないため︑疑問を

してはっきりとした判定ができな

ぃ︒

﹂と︑常におっしゃっていたという

じようか︿ぼうこうさい

円頓戒について説教された時︑成覚

房幸 西が質問した

﹂とには︑﹁この円頓戒は︑あらゆる存在や現象の真実

のあり様を戒の本体とする︒ところが山王院の大師と呼

ばれた円珍は︑︿あらゆる存在や現象の真実のあり様は︑

禅である﹀と述べられている︒もしそうなら︑禅の教え

とこの戒の本体とは合致するのか︑しないのか

︒﹂

と︒

上人が判定していわれるには︑﹁この円頓戒は︑文字 によって真理を示そうとする教えである

︒しかし禅宗は

文字を離れて心の鍛練によって真理を求めるのである

どうして両者が合致するといえようか

︒ただし禅によっ

て悟った人が︑この円頓戒について説教したなら︑間違 いなく正しい筋道に叶ったものになるだろう

︒禅の修行

者が文字による教えを説いたなら︑文字による教えが従

となり禅が主となる︒文字

による教えの立場の人が禅の

﹂とを説いたなら︑禅が従となり文字による教えが主と

なる︒およそ︑真

言宗 や天台宗の立場から禅について推

測するべきではない︒まして法相宗や三論宗の立場から

はなおさらである︒

まし

てや

それ以外の小乗の宗派の

立場からはなおさらである︒﹂と︒

これはまったく文字よる教えに立つような人の

言葉で

はない

実に

︑ つるべ縄が短くては深い地下水は汲み上 げられず︑鳥の翼が弱くては大空に羽ばたくことができ

ない

それと同じで︑知恵が浅く心が愚かであっては︑

どうして禅を深く理解することができようか

だか

ら︑

上人が神宗の教えを論じられた自筆の書物が今に伝わっ

ているのだ︒

未熟者はそのことを疑つてはいけない︒

第五段

‑177‑

ある時︑法然上人が九条兼実邸の月輪殿で比叡山の僧 侶と会って会談されたことがあったが︑その僧侶が︑﹁浄 土宗を立てられたのは︑どのような経論の文章を拠り所

として立てられたのか︒

﹂と質問したところ︑上人は︑﹁善

導の﹃観経疏﹄の付属文である︒﹂と答えられた

︒さら

に重ねて僧侶は︑﹁

一宗としての教義を立てるほどの場

合に

どうしてたった一

つの文章だけを拠り所にできる

だろうか︒﹂と質問した︒上人はほほ笑むだけで︑何も

いわれなかった︒

ドキュメント内 教化研究 No.16 (ページ 179-200)

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