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也 四
T
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︑j
Jyl巻尾及び付属奥書
‑225‑
s ̲
一︑
訳出
に あた って の底 本は
︑
﹃浄土宗全書﹄続十二巻(昭和四十七年版)所収本で
ある
︒
て 訳 出 は
できるだけ平易な現代語とした︒
一︑本文中︑儀礼に用いられる偽文を区別する意味で︑偏文の箇所については書き下し文とした︒なお︑文末に訳例
として偽文にも現代語訳を試みた︒
一︑略符号
大正
・・
・・
・・ 大正 新修 大蔵 経
(例)大正四十・五六五C二九:::大正新修大蔵経第四十巻五六五頁下段二九行目
浄全
・・
・・
・・ 浄土 宗全
書
(例 )浄 全十 六・
二二
二
・九
::
:浄
土宗
全書第十六巻一三二頁九行目
‑226‑
授菩薩戒儀則
(黒 谷古 本)
I西 水
無言行道
対揚等
大衆列拝
供養 総礼出班
散 華
戒香と定香と解脱香と光明雲壷と法界に遍ず︑十方三世の仏並びに及び菩薩諸世天を供養す︒
能札所札性空寂として︑自身他身の体二つなし︑願わくは衆生と共に道を体解して︑無上意を発し︑真際に帰せ
ざらん︒
大乗菩薩戒を授ける行事︑儀式︑作法について︑十二の門にわけで説き示すこととする︒
第 一 開 導
かいどう開導とは︑要するに菩薩戒のおよその意味を述べることである︒菩薩戒とは﹃党網経﹄には﹁金剛宝戒ともよん
で仏性の種子であり︑すべての仏の根源である﹂と説いている︒
﹃大智度論﹄には︑﹁戒はもともと仏法の大地であって︑すべての功徳は︑この大地である戒によって成就するの
である︒この戒を離れては︑定も慧も生じないのである︒Lとしている︒総じていうならば︑人間や天上世界の勝れ
た果報や法雲につつまれた仏の境地の内外すべての荘厳にいたるまで︑その根本は戒によるのであり︑浄戒をもっ
て因縁のはじめとなすのである︒さとりのための広い路のりをあゆむためには︑戒は資糧となるし︑生死の大海を
渡るためには︑船や筏となる︒無明による迷いの暗闇には︑戒はまさしく灯となり︑悪業を重ねた重病には︑戒は
良薬となる︒﹂と述べている︒
‑227‑
﹃報思経﹄には︑﹁戒をたもたないものは︑受けがたい人の身を受けたことに値しない︒﹂と ︒
﹃華厳経﹄
には
︑
﹁戒はさとりにいたるための本であり︑戒をたもつものは︑仏となることができ︑道を成ずるこ
とになる︒まさに戒は︑甘露の妙薬であり︑これを服すると︑不老不死の境地にいたる︒﹂と説いている︒
こんかい
A 9)
すでに述べたように︑諸仏の禁戒は︑現在︑未来の二世にわたる良因である︒誰か︑この戒の勝れた利益を聞い
て︑願わないものがいるだろうか︒まして︑わずかな一生においては︑すべてが夢のようである︒
もし︑戒を受けないで︑一生をすごし終ろうとする人が︑万山火衆の地獄を目の前にして後悔したとしても︑な
んの益もないだろう︒壊れることのない妙戒をたもって︑きわまりない生死をのがれるほかに道はない︒授戒の本
来の意味はここにある︒開導のあらましは︑以上である︒
第
帰
(和上は次のように述べる)
き ん き
三帰とは︑仏の教︑えを信ずることである︒三宝をよりどころとして︑その他のよこしまな邪魔や外道の教えを信
じない︒このような誓いを立てるならば︑この世では三十六種類の神王がお守りくださり︑のちの世には二十五種類
もある迷いの世界から永遠にまぬがれることができる︒
まず
始め
に︑
三帰戒を授ける作法を行う︒
(受者に次の偽文を唱︑えさせる︒)
願わくは︑今身より未来際を尽くすまで︑仏の両足尊に帰依し︑法の離欲尊に帰依し︑僧の衆中尊に帰依せん︒ ( 点l)
(縄
磨
師は受者に合掌をさせて︑次の偶文を一句ずつ唱和させる︒)
仏 に 帰 依 せ ん 法 に 帰 依 せ ん 僧 に 帰 依 せ ん
{ 訳2 }
仏 に 帰 依 し 覚 ぬ 法 に 帰 依 し 寛 ぬ 僧 に 帰 依 し 寛 ぬ
(和
上は
次の
偽文
を唱
︑え
る
︒ ) 今より以後︑三宝を称して師となす︒さらに余の邪魔外道に帰せざらん︒ただ願わくは三宝慈悲摂受したまえ︒慈
‑228‑
慰の故に︒ ( 訳3)
(和
上は
︑ 第 三 輔 師
(教授師は︑次の偽文を受者に唱えさせる
︒ )
A抗4}
我某甲等︑今大徳に従
って︑菩薩戒を求受す
︒
大徳我に於いて︑苦労を偉らず︑慈慰の故に
︒
(この偽文は︑和上(伝戒師)に菩薩戒の取りつぎを願う﹁請師の文﹂である
︒この偽文を教えて唱︑えきせるか︑
または省略してもよい
︒)
' し w be A' 'l v
請師とは︑菩薩戒を受ける道場に︑授戒の師として︑不現前の諸仏諸菩薩を招くことである
︒
我々にはまのあた りに拝することができないが︑仏は我々を見たまいて︑不思議な力によ
って︑必ずこの道場に来臨されるので︑ま
この文を唱
︑えたならば︑受者も
一札 す る
︒)
(和上仏前に向
っ
て
︑ 和 上 は じ め 受 者 は 合 掌 す る
︒ )
q
ょ う ぜ 人 ( げ 叩 ) わ じ よ う
{げ}
一心に霊山浄土の釈迦牟尼如来大和尚を請じ奉る
︒
我がために和尚となりたまえ
︒ 次の偶文を唱︑える︒
‑229‑
ごころをこめて招くべきである
︒
我れ和尚に依るが故に︑菩薩 一 戒 心 をに 受 金:く 色
i
世 慈 界
B
慰グ〉グ〕
文 故F朱 lこ 師 手JI 菩 薩 請を じ 奉
る 我がために潟磨阿閤梨となりたまえ
︒
我れ阿閤梨に依るが故に︑菩 一 薩 心 戒 都と受に を 史しく 多た 天:慈 の
8
慰 弥 の 革力故 菩 に 薩を 請 奉じ
る 我がために教授阿閤梨となりたまえ
︒我れ阿閑梨に依るが故に︑
菩薩戒
を受く︒
慈慰の故に
︒
しようみよう
( 円
=
一心に十方の諸仏を請じ奉る
︒我
が た め に 証 明 尊 師 と な り た ま え
︒我れ証明によるが故に︑菩薩戒を受く
︒慈
慰
の故に︒
一心に一切の諸大菩薩を講じ奉る
︒
我がために同学等侶となりたまえ
︒我れ同学に依るが故に︑
菩薩戒を受く
︒
ぐ、 主主 一 、 民t
...,じρ
λ
帆グ〉芹 春
日 目 円ニ え
終 わ
♂コ
て 第
四
一札
する
︒ )
(和上仏前に向って︑次の文を一人立って唱︑える
︒ )
敬って十方一切の諸仏菩薩等にもうす︒受者︑我れに求めて諸仏菩薩に啓せよと︒ただ願わくは︑諸仏菩薩慈慰
の故に︑菩薩戒を施与したまえ︒ ( 抗6)
餓 悔
さ ん げ ぴ や
︿じよう機悔とは︑戒は白浄の法であるので︑戒を受ける者が身と心を清浄にすることである︒機悔によって︑戒を受
けるのにふさわしい資格が備わる︒罪やけがれは不浄なものである︒遠い昔から今日にいたるまでのはかり知れ
ないすべての罪障を繊悔すべきである︒その機悔には︑多くの方法があるが︑まず自分自身の罪業を悔いること
である︒誠の心をもって︑自ら犯した身の過ちを悔いれば︑今日にいたるまでの罪障はたちまちに消滅して︑身
も心も清浄になるのである︒だから︑機悔すべきである︒
(次の偽文を受者に教えて︑これを唱︑えさせる
︒ )
至心に無始よりこのかたの自他の三業の無量罪を俄悔す︒今︑仏前に対し皆繊悔す︒機悔己後にさらに作らざら
ん︒
‑230‑
我れ昔より造る所の諸の悪業は︑皆無始の食眼療による︑身語意より生ずる所なり︒
{ 訳 7)
まつる︒ 一切我れ今皆繊悔したて
第 五 発 心
ほ っ し ん お ニ
発心とは︑菩薩の戒法のもとである菩提心を発すことである︒この菩提心については︑いろいろの説き示し方
おこがあるが︑要約すると︑それは四弘誓願におさまるのである︒したがって︑この四弘誓願を発すべきである︒
(受
者
にこれを教えて唱えさせる︒
衆生無辺なれども替って度せんことを願う︒煩悩無辺なれども誓って断ぜんことを願う︒
{ 以
8v法門無尽なれども誓って知らんことを願う︒無上菩提誓って証せんことを願う︒
第
/、
問 遮
もんしゃ(剖)問遮とは︑戒を受ける資格を問うことで︑七つの遮罪があれば︑戒を受けることはできない︒もし一つでも遮
罪があるならば︑ただちに機悔しなさい︒また︑もしもなければ黙然していればよい︒
れ
︾ ん 倍 角 い だ
(汝等)仏身より血を出せしことありや︑なしゃ
︒(
作法としては︑なしと答えるように教︑ぇ︑受者はなしと答え
る︒ )
(汝
等)
父を殺せしことありや
母を殺せしことありや なしゃ︒
なしゃ︒
(な
し
︒
(汝
等)
(な
し
︒
‑231‑
汝等
)
(な
し
︒ )
阿閤梨を殺せしことありや︑なしゃ︒(
なし
︒ )
掲磨僧を破せしことありや︑なしゃ︒(
なし
︒ )
聖人を殺せしことありや︑なしゃ︒(
なし
︒ )
和尚を殺せしことありや︑なしゃ︒
汝等
)
汝等)
(汝
等)
第
七 くいま︑すでに七つの遮罪がな
︑戒
を受けるにふさわしい器であることが明らかになった
︒(
これは和上が説く
︒ )
正受戒正受戒とは︑前の六門は受戒め準備段階であるが︑まさに菩薩の大戒を受けるときである︒いまこの段階に入っ
たならば余念なく一心にこれを聴くべきである︒
戒には相伝戒と発得戒の二つがある︒相伝戒は相伝によって戒を授けることである︒これは菩薩の円頓戒だけが︑
この国に縁があり今日まで伝わってきているのである︒昔︑蓮華ム口上の慮遮那仏は︑常に自らの呑属のためにこの
心地金剛宝戒を説いて︑本師釈迦牟尼如来︑及び妙海王ならびに一干の王子にこれを授けたのである︒次に阿逸多
等の二十余の菩薩が次第に伝持して︑日本に伝わっているのである︒
{ .
) {
犯 }
( . ) { . )
中国の南獄大師は︑霊山の聴衆となってこの円戒を授持し天台大師に授けた︒天台は章安大師に授け︑章安は智( .
) (
. )
(
. )
(
. )
この時代に日本の比叡山の祖師である伝教大師最澄が入唐して︑大唐の貞元二十一年(西暦八
O
五)春三月二日( . )
威大師に授け︑智威は恵威大師に授け︑恵威は玄朗大師に授け︑玄朗は妙楽大師に授け︑妙楽は道建和尚に授けた︒{ . )
初夜の二更亥の刻︑台州臨海県(斯江省)龍興寺の西廊極楽浄土院において天台第七代の伝持者道遼和上を請い奉
(‑ぎり︑大唐の沙門二十七人とともに円頓菩薩戒を受け︑帰朝の後に︑比叡山の根本中堂において慈覚大師に授けた︒
{ .
} (
. }
(
. )
慈覚は露地の座主長意和上に授け︑長意は平等坊の座主慈念僧正に授け︑慈念は飯室の座主慈忍僧正に授け︑慈忍( .
) (
. }
(
. }
は西明坊の座主源心僧都に授け︑源心は東因坊の禅仁阿閤梨に授け︑禅仁は大原の光寂坊良忍上人に授け︑良忍は{ .
} {
. }
{ . }
黒谷の慈眼坊叡空上人に授け︑叡空は黒谷の法然坊源空上人に授けた︒源空は鎮西の聖光上人に授け︑聖光は佐介{ .
} (
. }
{
. }
{ . }
の良忠上人に授け︑良忠は良暁上人に授け︑良晩は良署上人に授け︑良替は了審上人に授けた︒このように釈迦如 来から二十四代を経て︑戒は相伝され︑今日あなた方︑新受者の仏子に授けられるのである︒これを相伝戒と名づ けている︒釈迦如来の浬繋の後︑造か二千三百余年を経ているが︑この相伝は今日まで絶えたことはないのである︒つぎに発得戒とは︑この相伝によって体得される戒をいうのである︒その内容は三緊浄戒である︒
一は
摂律
儀戒
︑
一切の悪をしない
こと
︑
ニは摂善法戒︑一切の善を行うこと︑三は鏡益有情戒︑一切の衆生を利益することである︒
あらゆる法門と諸仏の功徳は︑この三思洗浄戒のなかに摂まるのである︒物には皆名がある︒﹁戒﹂もまた名である︒ 名がある物に体がある︒戒にも体がありその戒体は妙色荘厳にして︑しかもそれは十五夜の秋の月のように十方世 界にあまねきわたっている︒それはただ仏と菩薩だけがこれを見ることができるのである︒声聞縁覚は徳が少ない
{却)のでこれを見ることはできない︒この戒法は三潟磨の作法が終わった瞬間に受者の体内におさまる︒これを戒体と 名づけるのである︒信があれば受者の体内におさまるが︑信がなければおさまらない︒声聞戒は二百五十戒をたも
‑232‑