これ までウェスレー にお ける霊 性 の源 泉 とその発 展 過 程 を初 期 、中期 、後期 に分 けて考 察 して 来 た。その際 、その発 展 過 程 にお いては、回 心 、主 の晩 餐 、そして組 織 形 成 が、それ ぞれ の発 展 段 階 においてどのような意 味 を持 っていたのかに注 目した。
本 章 では、これ まで述 べてきたウェスレーの初 期 、中期 、後 期 にお ける霊性 形 成 が、今 日にお いてどのような意 味 があり、どのような宣教 的課 題 を持 っているのか、現 代 にお けるウェスレーの 社 会 的 霊 性 につ いて検 討 する。
第
1節 :ウ
ェスレー にお ける霊 性 体 験これ までの回 心 体 験 の内容 を踏 まえ、ウェスレー の宗 教 的 な体 験 について考 察するためには、
まず ウェスレー にお ける正 統 的な霊性 体 験 としての聖 霊 体 験 について、さらにその正統 的な霊性 体 験 を確 認 す るしるし(marks)に つ いて、最 後 は宗 教 的 な体 験 の本 質 である聖 霊 の働 きと宣教 につ いて明 らかにしなけれ ばならない。
(1)正
統 的 霊 性 体 験 としての聖 霊 体 験ウェスレー の霊 性 あるいは神 学 思想 を理 解 するために、既 に
1章
でその源 泉 について述 べた が、ここでは彼 の神 学 思想 を特徴 づ ける「四辺 形 」の一 つである「体 験 」について言 及 する。ウェスレー の神 学 を四辺 形 という用 語 で説 明 し始 めたのは、アウトラーである。この四辺 形 を構 成 す るのは、国教 会 の三 つ の神 学規 範 であった「聖 書 」、「伝 統 」、「理性 」と、それ にウェスレーが ドイツ敬 虔 主 義 の影 響 を受 けて加 えた「体 験 」である。それ ゆえ、ウェスレーの神 学 は多 くの人 々 によって「体 験 の神 学 」あるいは「宗 教 体 験 」と呼 ばれているのである1。
ウェスレー の宗 教 体 験 を理 解 するために鍵 となるのは、回 心 である。山 内一 郎 はテオ ドール0ラ ンヨン (Theodore Runyon)を 紹 介 しながら、宗教 体験 について次のように述 べている。
「ウェスレーの宗 教 体験 の理解 にとって重要 な鍵 となるのは、言 うまでもなく彼 の福 音 的 回 心で ある。彼 は回 心 の体 験 を義認 と再 生 の問題 と結合 させ 、人 間 が 自己の内奥 に神 の愛 を受 け入 れ 、 その結 果 、神 の創 造 的 な力 が新 しい生 活 、新 生 の始 まりを可 能 にすることを身 証 した。しかし、こ こで多 くのメソジストたちが看 過 している点 、す なわちウェスレー にとつて回 心 の体 験 が、より大き
1ウェスレー の 体 験 の 神 学 に つ い て は 、Henry Bett,動θ卵 ″ ′b劇々 励θdism,London:Epworth Press,1937;
Lycurgus Lo Starkey, 動 θ 〃%ks θノ励 θ Ho//シirit; Lindstrёm Harald, レレOs/g/∂J17ごS∂″θ[fic∂′」θ″; 7青水
光雄『ジョン・ウェスレーの宗教思想』、
95‑152頁
;野呂芳男『 ウェスレーの生涯と神学』、215‑228頁 ;藤本 満『 ウェスレーの神学』、100‑109頁などを参照。な神 の 出 来 事 の一 部 に過 ぎず 、したが って、その 大 きな出 来 事 とは 、全 被 造 物 の再 生 と神 の 国 の始 動 という事 実 である」2。
つ まり、山 内 の分 析 によると、ウェスレー にとつて回 心 の 出 来 事 は 、たんなる個 人 的 、主 観 的 な 体 験 にとどまらず 、客 観 的 であり、さらに神 学 的 にも非 常 に重 要 な意 味 を持 っていることが分 かる。
さらに、ウェスレー にとって 回 心 とは 、新 しい存 在 論 的 な現 実 、す なわち、神 に造 られ たもの が、
神 ご 自 身 に よる更 新 の 力 に 参 与 す ることで あ る。した が つ て 、創 造 (creation)と 再 創 造
(re―creation)の 事 実 が 、神 の み わ ざ全 体 のいわ ば枠 構 造 を形 づ くり、この大 きな枠 組 み の 中 に ウェスレー の教 理 一 先 行 の恵 み 、義 認 、再 生 、聖 化 、そ して全 き聖 化 もしくはキリスト者 の完 全 な ど一 が意 味 深 く位 置 づ けられ ることになる3。
ウェスレー の 救 済 論 の 特 徴 とも言 える「救 いの順 序 」を通 して体 験 す る聖 化 の過 程 は 、一 人 の キリスト者 の 生 涯 を貫 く聖 霊 の継 続 的 な働 きである。ただ し、それ は個 人 の生 の営 み を救 贖 者 の 普 遍 的 な働 きと結 び つ けるだ けでなく、そ の 生 涯 をして、救 い の み わ ざをこの世 にお いて具 体 的 か つ 実 践 的 に推 し進 める使 命 を帯 び た生 涯 たらしめるものである4。
ランヨンは ウェスレー の宗 教 的 体 験 を、三 つ のキー ワー ド、正 統 主 義 (Orthodoxy)、 正 統 実 践 (Orthopraxy)、 正 統 霊 性5(Orthopathy)の体 験 を用 い て特 徴 付 けてい る6。 第 一 の正 統 主 義 と は 、正 しい信 念 、意 見 、教 理 などを意 味 す るものであり、第 二 の正 統 実 践 は 、神 が人 間 に要 求 す る正 しい 訓 練 、行 為 、活 動 などを意 味 す るものである。第 二 の正 統 霊 性 とは 、正 しい感 情 、感 覚 、 気 質 、霊 的 な傾 向 を意 味 す る。もう少 し簡 略 に言 え ば 、第 一 が教 理 や 信 条 の神 学 であれ ば 、第 二 は実 践 神 学 、第 二 は体 験 、情 感 に関 す る霊 性 神 学 である。正 統 教 理 と正 統 実 践 、す なわ ち、
学 問 的 な神 学 と敬 虔 なる生 活 を決 定 的 に結 び つ けるものが正 しい霊 性 、正 統 霊 性 である7。
ランヨンによれ ば 、ウェスレー の宗 教 体 験 に対 して、正 統 主 義 の教 理 だ けで は答 えにならないし、
それ と同 じように正 統 実 践 も充 分 で はない とい う。そ の代 わ りに、真 の信 仰 の しるしとして霊 的 な 実 在 に参 与 し、新 しい感 性(sensit市 ity)を意 味 す る第 二 の要 素 がまさに「正 統 霊 性 」なのである8。
ウェスレー が 国 教 会 の長 い 教 理 的 伝 統 の上 に立 ちなが ら、特 にメソジズムの特 徴 であると考 えて 強 調 した教 理 は 、「確 証 」と「キリスト者 の完 全 」であった。他 の諸 教 理 はこの二 つ の教 理 を浮 き彫 りに盛 りあげるような仕 方 で 、有 機 的 に 関 連 している。この 中で確 証 の教 理9は主 に聖 霊 の証 し10
山内一郎『メソジズムの源流』、118‑119頁 。
同 上 、120頁。 同 上 、121頁。
これについての翻 訳あるいは解釈 は、いろいろあるが(例えば、山内一郎 は「正統 的パトス」『 メソジズムの源 流』
125頁以下、清水 光雄 は「正統情感 」『 メソジストって何 ですか』、198頁)、 筆者 はこれを正統霊性 として解釈 する(拙稿「J.ウェスレーの社 会 的霊性 に関する一考察」、195頁を参 照)。 また、これ についてのランヨンの説 明は、Theodore Runyon,刀bノヽ咎〃(レθグ」θ″,p.251,note 2 Zれ参照。
Theodore Runyon, 7助 θA毎 〃(乃"θ∂ォノθ″,pp。147ff.
このような表現については、清水光雄『メソジストつて何ですか』、198頁 を参照。
TheodOre Runyon,動θ Ne″ Crθ∂″θ″,p.149.
ウェス レー の 確 証 の 教 理 あるい は 聖 霊 の 体 験 に つ い て は 、中 村 謙 一「ジ ョン・ウェス レー の 確 証 の 教 理 に つ い ての一考察」『 ウェスレー0メソジスト研 究』7、 日本 ウェスレー・メソジスト学会 、教 文館 、2006年、
97‑121頁
を 10聖参照。霊 の証 しに関 してはウェスレーの説 教10番(聖霊 の証 し1)、 11番(聖霊 の証 し2)を参 照 。β」 レ陶″s,vol.1,あるい は聖 霊 の体 験11に関 わるものである。また、「キリスト者 の完 全 」の教 理 も完 全 な聖 化 に至 る までの役 割 は聖 霊 の働 きである。
ウェスレー が 強 調 す る正 統 霊 性 の体 験 としての聖 霊 の体 験 とは具 体 的 に何 を指 していることで あろうか。ウェスレー は聖 霊 の証 しあるい は確 証 をキリスト教 の 中 心 となる次 元 として考 えてお り、
事 実 、彼 の救 い に対 す る直 接 的 な聖 霊 の証 しと確 信 はウェスレー の 回 心 の核 心 となつた。それ と 当 時 にこのような聖 霊 の 直 接 的 な証 しは 、彼 が起 こしたメソジストの リバ イバ ル 的 な霊 性 の 中 心 と なっていった12。 勿 論 、このような聖 霊 による宗 教 体 験 を強 調 す るが ゆえに、周 りか らは「熱 狂 主 義 者 」だ と批 判 され たが 、彼 は真 の 宗 教 には 聖 霊 の 直 接 的 な働 きに対 す る確 か な証 拠 があると 確 信 し、そ の 主 張 を弱 めることはなか った。ウェスレー によれ ば 、聖 霊 が 降 ると、す ぐ私 たちの 心 の 中で神 に対 して「アッバ 、父 よ」13と呼 び 掛 けることが 出 来 るようになり、これ こそ聖 霊 の 直 接 的 な 証 しであると説 明 してい る14。 また 、ウェスレー にとつて聖 霊 による体 験 の具 体 的 な 内 容 は 、人 間 が新 しく生 まれ 変 わる「新 生 」であった。聖 霊 による新 たな誕 生 とそれ による生 命 に満 ちた生 活 を ウェスレー は聖 霊 中 心 の 霊 性 の核 心 の 一 つ として考 えたの である。ウェスレー によれ ば 、この新 生 の特 徴 は 、上 か ら降 りて来 る神 の恵 み を心 に受 け入 れ て、体 験 し、その体 験 を通 して逆 に神 に 祈 りと賛 美 をささげることである15。 言 い換 えれ ば 、この体 験 は 、神 と御 子 イエスが一 つ であつたよ うに、神 と人 が交 わ り、言 わ ばこの霊 的 呼 吸 を通 して人 間 の魂 の 中 に神 の命 が保 たれ るものであ る。
ウェスレー は「新 生 」と題 す る説 教 の 中で 、とりわ け聖 霊 による「神 の像 」の 更 新 という「偉 大 なる 変 化 」を強 調 している。
「新 生 の本 質 は明 らか になります 。それ は、神 が魂 を命 へ と移 され る時 、す なわち、罪 の死 から 義 の命 へ とよみ がえらせ る時 に、神 が魂 の 中 に働 いてくだ さる偉 大 なる変 化 (great change)で す 。 それ はキリスト・イエスにあって新 しく造 られ た時 、魂 が神 の像 に似 せ て新 しくされ 、真 理 に基 づ く 義 と聖 をもつて神 にかた どり造 り出 され る時 、全 能 なる神 の御 霊 によつて魂 全 体 の 中 にもた らされ る変 化 です 。… … 一 言 で言 えば 、この変 化 によつて地 に属 し、肉 に属 し、悪 霊 に属 す る思 い が キリスト・イエスにある思 いへ と変 えられ ます 。これ が新 生 の本 質 です 。御 霊 によつて生 まれ る者 も み な、その通 りです 」16。
このような聖 霊 による新 生 は 、神 の像 に従 って回 復 され 、癒 され 、新 た になることを意 味 している。
それ はこの 世 の地 上 的 なもの 、肉 体 的 なもの 、悪 魔 的 なものがキリスト・イエスにあつて新 しく造 ら れ 、変 えられ ることである。
それ で は 、この新 生 の 目標 は何 なのか。新 生 の理 由や 根 拠 が原 罪 であれ ば 、その 目標 は聖 化
pp. 267‑298.
H清
水 光雄『メソジストつて何ですか』、151‑169頁(聖霊体験)。12李厚政『 聖化 の道』、75頁。 13ガ ラテヤ4:6を参 照。
14 BE″brks,vol.1,p289。
15 BEレレb〃をs,vol.2,Sermon 45(The New Birth),p.193.
16 ノbid。,pp。193‑194.