第3章 「財政の宝庫」としての仙台市営電気事業
第1節 仙台市営電気事業設立後の供給区域の変遷および電気需要の増大
1.仙台市営電気事業の成立
第 1 章でもすでに述べたが、仙台市営電気事業の成立時の動きについて簡潔に述べてお こう。
仙台市営電気事業は、1907(明治40)年8月の仙台市会に「五大事業調査建議書」(いわ ゆる「五大事業」)に盛り込まれた市営事業構想のひとつである。市営電気事業の構想は、
「五大事業調査建議書」の中で「仙台市営水利工事ヲ興シ工業者ニ原動力ヲ供給スルノ得失」
256として掲げられていることから、仙台市が工業化を目指すための都市基盤整備事業の一
256 仙台市役所『明治四十年 仙台市会会議録』および「所謂五大問題の建議愈々出つ」(『河北新報』
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環として実施することが念頭にあったものと考えられる。
その後、仙台市営電気事業は1911(明治44)年7月に成立し、翌1912(大正元)年12 月以降、低廉かつ安定的な電気供給を行う公共事業体として本格的な事業展開を行ってい くこととなる。
その間、1910(明治43)年12月の仙台市会において「仙台市水利電気事業ニ関スル特別 会計設定ノ件」が提出・可決され、仙台市営電気事業が特別会計で運営されることとされた
257。それによって「四十三年度水利電気事業予算」と「四十四年度水利電気事業予算」が立 てられた258。その後、1911(明治44)年の市制改正により、市営電気事業会計が特別会計 で行われることとなり、同年度からは特別会計電気事業費が設定され、そして1915(大正 4)年度からは特別会計電気事業積立金も設定された。
2.供給区域の変遷と電気需要の増大
ここでは、さらに一歩進めて、仙台市営電気事業の供給区域の変遷および電気需要の動向 について検討する。同事業が大正中期以降、「財源調達手段として機能」していった背景に は、広範な供給区域と関連した旺盛な電気需要の伸びがあったからである。
(1)供給区域の変遷
まず、仙台市営電気事業の供給区域の変遷についてみてみよう。表1は、1911(明治44)
年から1942(昭和17)年までにおける市営電気事業の電気供給区域をあらわしたものであ
る。このように、供給区域の変遷は、次の6つの時期に区分することができる。
第一期は、1911年7月から1912(大正元)年11月までの供給区域である。この区域は、
仙台市が仙台電力株式会社を買収したときに受け継いだものであるが、旧仙台市域よりも、
名取郡中田村・増田町・岩沼町、亘理郡亘理町といった仙南地域や、宮城郡塩竈町・岩切村・
利府村・松島村・多賀城村などの周辺郡町村が主な供給区域となっている。
第二期は、1912(大正元)年12月から1923(大正 12)年 3月までの供給区域である。
この区域は、第一期の地域に加え、仙台市が宮城紡績電灯株式会社を買収した際に引き継い だ区域も含まれており、旧仙台市域のほぼ全域、名取郡長町、宮城郡原町・七北田村・七郷 村、柴田郡大河原町・村田町、伊具郡角田町、刈田郡白石町などを加えた、きわめて広範に わたる供給区域が形成された。そのほか、七郷村の松原地区も供給区域にあらたに加わって
1907年8月8日)を参照のこと。
257 「市営事業と市会」、『河北新報』1910年12月21日、および「市営電力事業予算」同12月22日。
この特別会計は、おそらくのちの1911(明治44)年4月の市制改正を念頭において設定されたもので はなく、1889(明治22)年の市制に基づいて設定されたものであると考えられる。特別会計の規定は 市制改正によってはじめて設定されるのであるが、1889年制定の市制では特別な規定がなく、予算に ついても一般会計と同様の扱いを受けており、必要に応じて適宜設定するものであった。
258 「市営電力事業予算」、『河北新報』1910年12月28日。
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第三期は、1923年4月から1928(昭和3)年3月までの供給区域を示している。この区 域をみると、一部を除き、郡部の供給区域が激減している。これは、1923年3月末に、市 営電気事業が有していた郡部にかかわる事業施設および営業権(郡部財産)のほとんどを宮 城県営電気事業259に売却したためである。その際、仙台市は、郡部の中でも名取郡長町と宮 城郡原町、同郡七北田村の一部については譲渡せず、そのまま仙台市の供給区域として残し ていた260。それらの地域が、のちに仙台市が都市計画事業の一環として行う市町村合併の地 域と合致していることに鑑みれば、このような措置には何らかの政策的意図があったとも 考えられる261。
第四期は、1928(昭和3)年4月から1929(昭和4)年1月までの供給区域である。約 10ヶ月というきわめて短期間ではあるが、1928年4月1日に仙台市が名取郡長町、宮城郡 原町・七郷村南小泉地区との合併を行ったため、仙台市営電気事業の郡部への供給は宮城郡 七北田村の一部のみとなっていることをあらわしている。そのため、実際の供給区域は第三 期とほとんど変わらない。
第五期は、1929年2月から1931(昭和6)年3月までの供給区域をあらわしている。こ の区域は、1923年4月より宮城県営電気事業の供給区域となっていた旧宮城郡七郷村南小 泉地区を仙台市が譲り受け、同地区がふたたび仙台市営電気事業による供給区域となった
262ことによって若干広がりをみせたことを示している。
そして第六期は、1931年4月から1942(昭和17)年3月までの時期の供給区域である。
この時期は仙台市域のみとなっているが、第五期とくらべると、郡部への供給区域がなくな っていることがわかる。これは、仙台市が1931年4月に宮城郡七北田村荒巻・北根地区と の合併を行ったため、それまで行っていた郡部への供給区域がなくなったことを示してい る。そしてその後、1942年3月に仙台市営電気事業が東北配電株式会社263に事業譲渡を行
259 宮城県営電気事業とは、当時の宮城県知事森正隆が、県内の産業発展の阻害を防ぐために県内の電気 事業を統合して県営電気事業を設立するという構想を提示したことを契機に、1923年に発足したもの である。これについては次章で言及するとともに、安孫子麟「宮城県の電気事業」(白い国の詩編『東 北の電気物語』、東北電力株式会社、1988年)367~375ページ、および高橋芳紀「戦前東北地方にお ける公営電気事業―仙台市・宮城県を中心に―」(東北学院大学大学院経済学研究科『経済研究年誌』
第22号、2001年)69~99ページを参照されたい。
260 長町・原町は仙台市との合併以前から仙台市営電気事業の供給区域に含まれていたが、南小泉は供給 区域に含まれておらず、1929(昭和4)年2月に再び供給区域に組み込まれることとなる。
261 なお、名取郡長町との合併の経緯については、仁昌寺正一「資料 昭和3年仙台市と名取郡長町の合 併」(東北学院大学東北産業経済研究所『東北学院大学 東北産業経済研究所紀要』第30号、2011 年、79~103ページ)および北根・荒巻との合併の詳細な経緯については、同「仙台市と宮城郡七北田 村荒巻・北根の合併」(仙台市博物館『市史せんだい』Vol.15、仙台市、2005年、39~54ページ)に詳 しいので、そちらを参照されたい。
262 このときの経緯については、仙台市役所『昭和三年 五年 電気 南小泉区買収関係』(仙台市役所所 蔵)を参照されたい。
263 東北配電株式会社(現・東北電力株式会社)は、国内の電源をすべて国で統制する(電力国家管理体
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うまで、文字通り“仙台市営”として、仙台市域のみを供給区域としたこの区域において市営 電気事業が展開されていったのである。
このように、市営電気事業の供給区域は、仙台市域を中心に、一時期は周辺町村や仙南地 域にまで及んでいた。むろん、供給区域の変化には、仙台市による周辺町村との合併など、
同市の都市政策の変化が反映されていたといえるだろう。
(2)電力需要の増大と発電所の建設
では、このような供給区域の展開過程で、電気需要(電灯および電動力の需要)はどのよ うな動きをみせていたのであろうか。ここでは、電灯需要数の推移と電動力需要数の推移に みてみたい。
図3-1は、1911(明治44)年から 1938(昭和 13)年における市営電気事業の電灯需 要数の推移をみたものである264。ここから、電灯需要数は全体的に増加傾向にあり、市部(仙 台市)における需要数が圧倒的に多いことがみてとれる。この電灯需要数の推移を地域別に みたものが表3-2-1・表3-2-2である。仙台市における電灯需要数が最も多いほか、
郡部の中では名取郡長町、宮城郡原町、白石町、塩竈町、岩沼町、角田町などの電灯需要数 が多い。
このような電灯需要数の増加の要因としては、2つのことが考えられる。1つは、仙台市 において、市域の拡大もあいまって人口の増加が顕著になったことである。図3-2は、
1889(明治22)年から1945(昭和 20)年までの仙台の人口数の推移と市域面積の推移を
みたものである。これをみると、仙台市の人口は1889(明治22)年の市制施行以降、人口 が増加傾向にあることがわかる。特に1920年代半ば以降には、周辺町村の仙台市への編入 による市域の拡大265もあり、その傾向が顕著にみられる。もう1つの理由は、このような人 口の増加にともなって電灯が各戸に普及しはじめ、その需要数が増加したことである。図3
-3は、1911(明治 44)年から 1938(昭和 13)年までの仙台市の全戸数(世帯数)と仙 台市営電気事業の電灯需要家数(電灯を使用している世帯数)の推移をあらわしたものであ るが、1913(大正2)年以降、仙台市の世帯数と電灯需要家数はほぼ同じ数値で推移してい ることから、仙台市のほぼ全戸にわたって電灯が普及していることは明らかである。そのこ とは表3-3によっても裏付けられる。同表から、同時期における仙台市の戸数に対する電
制)ために1941(昭和16)年の配電統制令によって1942(昭和42)年4月に発足した九配電株式会 社のひとつである。
264 ここで使用するデータが1938(昭和13)年までなのは、1939(昭和14)年度以降の『仙台市事務報 告書』に電灯数・電灯需要数の記載がなく、データが収集できなかったためである。また、管見の限 り、他の資料にもそれらのデータは確認できないため、それ以降の推移については不明である。このこ とは、のちにふれる電動力需要、および電熱数の推移についても同様である。
265 戦前における仙台市と周辺町村の合併は、1928(昭和3)年の名取郡長町、宮城郡原町、同南小泉地 区の第一次合併に始まり、1931(昭和6)年の宮城郡七北田村荒巻・北根、その翌年の西多賀、1941
(昭和16)年の宮城郡岩切村、高砂村、六郷村、七郷村、中田村の第五次合併まで行われている。