一 ¨
二 仏伝図浮彫パネルの配列
さらにファ ッチェンナは、これ ら主塔 円胴部周囲に設置 された仏伝図浮 彫パネルの うち、
H場
面十五例の浮彫 を比定の確実な場面 (・ scenes Of ce■Jn den●■cabn)、 約16場面二十例の浮彫 を比定に妥 当性 のある場面 (+scenes ofprobaЫe tten■■cabn)と して分類 し、これ らの作例をもとに、次の
〔挿 図1〕 の よ うに浮彫パネルの再配列 を行 った8。
6建築 用 語 辞 典 編 集 委 員 会 編2004,2 7 Facccnna2001;Faccenna,Ca‖
ie‖,and Filigenzi 2003,326 8 Faccenna2001,78,flg 18;Facccnna,Canicri,and F‖
igcnz1 2003,flg 44
なお 〔挿 図1〕 には、場面比定 と配置が未だ仮定的な浮彫断片 (x)が含 まれ る。
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〔挿図
1
サイ ドウ・シャリフ I主 塔仏伝図浮彫の再構成平面図〕これ らの浮彫を整理すると、約26の場面数が確認できる。それぞれの浮 彫の出土区域や法量、特徴に関す る情報については付録の 〔作例一覧①〕
にまとめ、ここでは、全体の場面構成の把握を中心に述べる。
想 定 され る 当初 の 六十 〜 六 十 五 枚 のパ ネ ル 数 か ら考 え る と (フ ァッチェン ナの再構成図 〔挿図1〕 では主塔の東西南北四面にそれぞれ16場面ずつ、計六十四パネル が想定される)、 約 半数 の場 面 比 定 で は あ る。 しか し、 階段 を あが った 地 点 の 北 中央 を起 点 と して 、 円胴 部 北東側 面 に誕 生 、東 か ら南東側 面 にか けて 宮 廷 生活 、南 側 面 に求 道 、西側 に教化 、 西側 か ら北 西 に か け て涅 槃 に 関す る場 面 が配 列 され て い た こ とが 分 か つ て きて い る。 主塔 の周 囲 を右 回 りに
62
巡 る右続の流れ に沿つて釈迦の生涯が「誕生」か ら「涅槃」まで、ま さに一代 記 として展開 してい るのである。
本項 では以 下、主塔周囲の浮彫 について、方角 と時系列 に沿つて以下、
「誕生」、 「宮廷生活」、 「求道」、 「教化」、 「涅槃」の五つのライフ サイ クルに大別 して、その場面の流れ を確認 しよう。比定の確実な場面は 下線部で示 した。
【誕生サイクル】 [北東
]4場
面①託胎霊夢→②誕生→③帰城→④バラモンヘの饗応→
【宮廷生活サイクル】 [北東から東
]10場
面⑤妃の選定→⑥競試武芸 〔榔象〕→⑦競試武芸 〔レスリング9〕 →
→⑨競試武芸 〔綱引き〕→⑩競試武芸→⑪父王によ る象の贈与→⑫宮廷生活 〔厭世10]→⑭宮廷生活→⑮官廷生活
9AMク
ワ リオ ッテ ィは、頭 をつ きだ して脆 く男性 像 が表現 され てい る断片S55 (Faccenna2001,tav 15b)も 「レス リン グ」 の場 面 にお け る敗者 の男性 と考 え る (Quaglioti2005,916)。 しか し、す でに この地域 の 「レス リング」 図 に特有 の 「倒れ て水 を注がれ る敗者 の男性 像 」 が表 され た別 の浮彫 (Sl124:本文 中 【宮廷生活サイ ク ル 】⑦)があ る以 上、断 片S55が 表 してい る うなだれ た男性 の場 面 も 「レス リング」に関わ る ものか ど うか疑 間が残 る。 この た め、 こ こで は フ ァ ッチ ェ ンナ の仮 定 に基 づ き、断片S55は 未 比 定 の場 面 と して場 面配列 か ら除 い てお く。
10ファ ッチ ェンナ は、断 片S20(Faccenna2001,tav 15b)で は男女像 が坐す 椅子 の 下 に 半球状 の構 造物 が表 され てい る こ とに着 目した。 そ して、仏伝 文 献『 マハー ヴァス
トゥ』 (Mv,I,146)に み られ る、太子が「後宮の女たちと船 に乗 り、男のいない岸 に 降 り立った際、眠 る女たちの醜態 をみて「死体遺棄場Jと感 じた」(和訳参照 :平 岡 2010上 ,146)と い う記述 をもとに、 この構造物 はボー トを表 している可能性 を考え、
この記述にみ られ る太子の最初の厭世の場面 (FIst Revelation)で はないか と指摘 し ている (Faccenna2001,217)。 眠 りこける女性 たちを表すのはガンダー ラではいわゆ
【求道サイクル】[東から南]5場面
⑩出家の決意→⑭御者 と愛馬 との別離→⑬御者の帰還→⑩衣服交換→
⑩草刈人の布施
【教化サイクル】[西]1場面
⑪ナンダの教化→
【涅槃サイクル】[北西]5場面
②涅槃 〔比丘たち〕→④馬上の男性たち→②茶毘の準備→
⑮舎利の争奪→④舎利の運搬
この よ うに、は じめの北東か ら南 にかけて、半数以上のパネル 区画が太 子時代、成道以前の場面で 占め られ 、涅槃前後の場面 も詳 しく物語 られ る。
釈迦の誕生に続いて、成道以前の太子時代 について も仔細 に表す ことが既 に行 われ てい ることが うかがえる。太子時代 の競試武芸について もい くつ かの場面にわたつて表 されてい る。教化場面 を表 した浮彫 は、今 の ところ 確定的な ものがみ られ ない。やは り二、三の教化場面のあ とは涅槃 に関連 す る場面に展 開 していた ことを指す ものであろ うかll。
ファッチ ェンナは、ス ワー ト地方では既 に、仏塔基壇 において付 け柱 な
る「出家 の決意Jの場 面 に一般 的 で、太子 時代 の場 面 の うち、 ボー トの上 に男女 が坐 す よ うな場 面 は他 に類 をみ ない。 こ こで は仮 に「厭 世 」と呼 ん で、ガ ンダー ラの仏伝 図 に よ く確 認 され る「出家 の決意 」や「宮 廷生活」の場 面 と区別 した。
11ただ し、誕 生 か ら求道 サイ クル までが北東 、東 、南側 の 区画 、涅槃 サ イ クル が北 西 の8区 画 を 占め、残 り西側 の16区画 が教化場 面 で あつた とすれ ば、 【教化 サ イ クル 】 の配列 場 面数 も均 等 な一代 記的表 現 で あ つた とも考 え られ る。 しか し、そ の可能性 は本 文 に述 べ るよ うに低 い よ うに思 われ る。
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どの建築モテ ィー フを場面の区切 りに用いてい くつかの仏伝場面を連続 さ せ ることは行 われていたが、サイ ドゥ・ シャ リフI主塔 円胴部周 囲におい て初 めて、釈迦の生涯 を 「誕生」か ら「涅槃」まで水平に連続 させて表す ことが行われ た と指摘 している2。
そ こで次節 において、サイ ドゥ・ シャ リフI主塔 の 「一代記的仏伝表現」
の成立状況を考える上で重要 となる、ス ワー ト最初期の制作 とみ られる浮 彫群 とサイ ドゥ・ シャ リフ I主 塔浮彫群 の関連性 について、年代 と表現傾 向の観点か ら検討 したい。
第 二 節
浮 彫 の 年 代 と表 現
ス ワー ト地方の仏教建築お よび浮彫年代の考察には、サイ ドゥ・ シャ リ フI遺跡 か ら1.51mほ ど隔てた ところに位置するブ トカラI遺跡 の年代が 重要 となる。発掘報告では、ブ トカ ラI遺跡 が紀元前三世紀か ら十世紀頃 まで存続 し、 この寺院の主塔 は幾度の改修、増広を経たことが跡付 けられ、
その第二期の改修時期は前一世紀末か ら一世紀初めに置かれ る13。 このブ トカ ラI遺跡 か ら出土 した浮彫群 はまず、二冊の報告書 にま とめ られ 、 その後 ファッチェンナは、ブ トカ ラI出土の浮彫 が様式的に以下の二つに 分類 し得 ることを示 した15。
(1)ド
ローイ ング・ グループ 〔図7〕 :人 物像 は平板的で四肢は固 く、姿勢 はやや ぎごちない様子で、筋肉の質感 は ごく簡潔で、粗野で
tt
Faccenna" Callieri, and Filig enzi 2003 297 Faccenna2}}7, 186 13 Faccennal974,l6l
ra Faccennalg62; IEJ 1964
It
Faccenna 1974, 174 Faccenna2OO7ある。頭部 は大 きく、見開いた眼には虹彩 と瞳孔が刻 まれ る。衣 文は極 めて繊細な描 き方で細かい平行線 に刻 まれ る。
(2)ナ
チ ュラ リステ ィック・ グループ 〔図8〕:(1)の
グループ よ り実体的な表現、すなわち衣文は よ り自由に垂下 し、表面 も豊 か な抑揚 をみせ る。明確 に 自然主義的である。髪型や ターバ ン冠飾 の表現、瞳孔が刻 まれ ない限な ど、外観 の諸要素にそ うした要素 があ らわれ ている 。(3)ス
テ レオメ トリック・ グループ 〔図9〕 :ゆ つた りとした質感 を 持 ち、体躯は重厚 に肉付 きよく表 され 、頭部 は丸 く、胸部 は広い。衣文 も厚 く装 は単純化 されてやや形式ばった表現。
ファッチ ェンナは、 この うち ドローイ ング・ グループの年代 について、
ブ トカ ラI主塔第二期の早期 とみ られ る小塔14、 17出土浮彫 の人物像が ド ローイ ング・ グループの特徴 をもつ こと、また出土貨幣 (アゼスII世)の状 況 な どか ら、
ドローイ ング・ グループの年代は主塔第二期 に関わ り、主に 一世紀前半か ら一世紀の間 とみて、その初現 は一世紀前半の前 クシャー ン 時代 に遡 る可能性 を示唆 してい る17。
サイ ドゥ 。シャ リフI主塔浮彫群 も、
ドローイ ング・ グループの特徴 を 有す るものであることは着 目され る。ただ しファッチェンナは、付 け柱 に 配列順序のために記 されたカ ロー シュテ ィー文字の書体 は一世紀 中葉 を下
らない こと18、 空間的に も奥行 きの生まれ るその表現技法か ら、サイ ド
こ の グル ー プ に は 瞳 孔 を刻 む 一 群 の 作 例 も あ る。Facccnna 1974,174 Faccenna 1974;Faccenna,Ca‖ieH,and Fnigenzi 2003,302;Faccenna 2007,193 Faccenna 2007,181
66
ゥ 。シャ リフ Iの 主塔浮彫 の制作年代 を一世紀 中葉19にお く。ただ し、フ ァ ッチ ェンナの見解以降、様式比較や主塔か らの出土貨幣の状況か ら、や は リクシャー ン時代以降の一世紀後半 と見 るべ きではないか とい う意見 も 認 め られ る20。 この よ うに制作年代についてはなお検討の余地があるが、
いずれ にせ よ、ガンダー ラにおける仏伝 図制作の最初期に位置づけられ る ことは注 目に値す る。 ここでは、そのサイ ドゥ・ シャ リフI主塔浮彫群の 表現 について、 「父王による象の贈与」 と推測 され てい る作例 (sH 12)
〔図10:ス ワー ト考古博物館蔵〕 をとりあげて確認 してお こ う。 〔図10〕
では、水瓶 を持 つた男性 が確認 できる。その腰布は細かい平行線 を示 して い る。側方翼のついたターバ ン冠飾や装身具を身につけ、頭部は面長で、
ややつ り上がった眼に、虹彩 と瞳孔が刻 まれ た瞳を もつ。体つ きはす らり と高 く、肉体 の質感 も示 されている。左足に重心をかけ右肩をやや後ろに 引き、顔 は左側 に向けることで、 らせん状 にひね った姿勢を実現 している。
その右側 には同様 の姿勢で、 しか し菱形文様の鎧を身に纏 った男性が表 さ れ、背後 に も右 向きの男性 たちの頭部が頭頂 に並ぶ。 この浮彫の図像や構 図に も表れ るよ うに、サイ ドゥ 。シャ リフI主塔浮彫は、人物の姿勢や遠 近法、複雑 な構 図を用い る点で、
ドローイ ング・ グループのなかにみ られ る平面的で一次元的な視点の浮彫 を超 え、奥行 きの感覚をもつ特徴が認 め られ る。 この表現か らは、確かに、一世紀前半にス ワー トに現れた ドロー イ ング・ グループの様式が、一世紀 中葉にはよ り発達 した段階にあつた こ
とが想 定21され よ う。
Facccnna 1974;Facccnna,Ca‖ieri,and Filigcnzi 2003,304,348;Faccenna 2007,195 Behrendt2004,102‐ 103;'「治2011,25
宮治20H,24;内 記2012,50