ガンダー ラの仏伝 図の表現の特質について、イ ン ドの仏伝美術 の展開 と比較す ることで考察 して きた。 ガ ンダー ラにお ける仏塔 円胴部 の「一 代記的仏伝表現」系統 を構成す る場面が、 「誕生」や太子時代 の数多い 場面を中心に、ガ ンダー ラで倉1始された ものが多い点、または、イ ン ド
にお け る仏伝 表現 の類型 の観 点か らみ て も、ガ ンダー ラにお け る叙事 的・伝記的表現が最 も顕著である点は、 この「一代記的仏伝表現」の成立 を考 える うえで興味深 い。
ガンダー ラにおいては、 この よ うに数多い場面を用いて仏伝 を水平 に 物語 る表現傾 向か ら、その場面数 も際立ってお り、未だに どの よ うな場 面 を表 してい るのか不明の浮彫 も存在す る。 この よ うな点か らも、フー シ ェの研 究 (Foucher1905‑51)以来 、ガ ンダー ラの仏伝 図研 究 は仏教文献 を用いた主題比定お よび、各主題 の図像学的考察が中心である。 フー シ ェの研 究は主にサ ンスク リッ ト語、パー リ語文献 を用いて数多 くの場面 比定に成功 し、先に もみた よ うに、その比定及び解釈 は現在で も踏襲 さ れ てい る。 この よ うに仏伝 の場面や展開について、特定の文献の記述 を いわゆる「典拠」として用いて読み解いてい く手法は、ガンダー ラの仏伝 図の事例 に限 らず仏教史、美術史研究において広 く行われ てい る。
ただ し近年 では、イ ン ド世界の仏塔お よび浮彫彫刻 を考察す る うえで、
使 用す る文献群 を峻別す る必要性 が指摘 され てい る。J.ウ ォル ター ズは、
イ ン ド古代初期のバール フ ッ ト、サー ンチー、アマ ラー ヴァテ ィーの仏 塔 と関連碑 文の内容 と、パー リ語文献 で成立が比較的早い と考 え られ て いる『 アパ ダーナ』 (′″″″´)、 『 ブ ッダヴァンサ』 (3 ″ヵα″″sα)、
『 チャ リヤー ピタカ』 (cr夕″″αたの の内容を比較 し、これ らの三文献の 記述内容はバールフッ ト、サーンチー、アマラー ヴァテ ィー とい う、紀
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元 前 三 世 紀 か ら一 世 紀 (wahes 1997の呼ぶ、後アショーカ時代、すなわちシェン ガ朝およびサータヴァーハナ朝時代初期)に か け て の 巨 大 な仏 塔 構 築 の制 作 過 程 と相 互 に 関連 した もの で 、 三 文 献 の成 立 と仏 塔 の制 作 は 同 時 代 的 に起 こ つ た もの で あ る と論 証 した (wa■ers1997)。 この な か で彼 は 、従 来 の仏 教 研 究 で は 文 学 作 品 か ら直接 に歴 史 を述 べ よ うとす る傾 向 が あ る と指 摘 した。 つ ま り、 これ ま で の研 究 にお い て は 、紀 元前 に属 す る これ らの仏 塔 や そ こに刻 まれ る彫 刻 を考 察 す る に あ た つ て 、 文 献 の歴 史性 は 無 視 さ れ 、専 ら『 デ ィヴィヤー ヴァダーナ』 (D
"α″″α)、 『 ラ リタ ヴィスタ ラ』 (ια′″″ぉrarα)、 『 マハー ヴァス トゥ』 (■ィα加 ′″)、 『 ジャー タカマ ー ラー』 (ヵratα″ル)、 『 ジャー タカア ッタカ ター』 (Ja"勉rraα厳′力a)、
『 ダンマパ ダア ッタガ ター』 (助α″″ηα′α′′力αttrla)と い う一般 に一世紀 か ら五世紀 に成 立 した と考 えられ る文献の内容が、まるで銘文 と同様で あ るかの よ うに用い られ て きてお り、 この銘文 と文献の間の「時代錯誤」
が幾多の仏伝 の歴 史的段 階を不明瞭な ものに してい ると述べてい る31。
従来の研究 では、 とくにイ ン ド仏教 の場合 、 これ らの長大な文献 には古 い 口頭伝承が伝 え られているとい う了解が存在 している。ただ し、た と え彫刻 とこれ ら後代 の文献の内容 に一致が認 め られ た と して も、それは 文献 の内容 が影響 してい るのではな く、前段 階の彫刻 が後代 の文献 の内 容 に影響 してい るこ とを考 えね ばな らない。 ウォル ター ズの指摘 は、イ ン ド仏教史、思想史研究における文献の使用方法に再考を促す ものであ る。 さらに、先 に挙 げたベー レン トの研 究 (Beh"ndt2005)で は、ガンダー ラの仏伝 図の全体の配列順序 を確立す るために、「ガンダー ラ美術作例の 比定 に伝統 的に用 い られ て きた『 ラ リタヴィスタラ』やパー リ文献 とい う、ガ ンダー ラの浮彫 よ りはるかに後代 である資料 に基づ くのではな く 3r walters 1997, 162- 163
32」 、浮彫それ 自体 に残 され ている順序 を重視す る とい う立場 が とられ て い る。
そ して、下 田正弘は最近年の論文で、初期大乗経典 と大乗仏教の成 立 の理解のためには仏教経典の研究方法を再考す る必要性 を述べている ( 下田2013)。 下 田は、近年行 われ た仏塔研 究にお け る考古学 的、お よび 地政学的方法 を、なかで もJホ ー クス、Jシ ョウ、島田明33によってな さ れた僧院や仏塔の機能 と、それ らが与 えた周辺地域 の交通、交易の発展 の様相 を具体的に示 した研究を評価 して、これ ら考古学的、地政学的方 法 による研究成果が、仏教研究における歴 史学的方法に対 して提起す る 問題 として次の よ うに述べ る。第一に 「これ らの研 究成果 はほ とん ど文 献テ クス トに依存す ることな く、考古学的調査 によって獲得 された点が 重要である。成立時期が不明な仏典の内容 と仏塔の彫像 とを直接比較す るとい う、出 自も性質 も異なる資料の積年 の相互依存関係 を断 ち切 り、
考古学的資料 によつて歴史を再構成 したのは歴史研究の進展 において大 きな意味がある34」 もので、第二は地理 の解 明に力 を注いでい る点であ り、これ らの成果は、従来の律蔵や経蔵の文献のみか ら歴 史を再構成す ることが方法 として、いかに危 うい ものであるか示 してい る と指摘す る。
では、 こ うした宗教文献 は古代イ ン ドの歴史の再構築 に貢献 し得 ない
32ぅ1用 :Behrendt2005,385A19‑21
33バ̲ルフ ッ ト仏塔 に関 して は、発掘 記録 と周 囲 の考 古学 的状況 を精査 し、紀 元 前 三世紀 か ら二世紀 にか けて の社 会 的役割 を明 らか に したHawkcs2009が あげ られ る。 サー ンチ ー仏塔 につ いて は 、や は り紀 元 前 三世紀 か ら一 二世紀 にか けて の役 割 を明 らか に し、仏塔 と僧 院 の位 置 関係 の必然性 につ い て も新 知 見 を もた ら した Shaw2007;同 2009が あ る。 南 イ ン ドの アマ ラー ヴァテ ィー にお いて もShimada2006;
同2009に よ り地政 学 的 に建 立 の必然性 を探 る研 究が行 われ 、紀 元前 三 世紀 か ら三 世紀 にか けて城 門付 近 とい う位 置 にあ った仏塔 の機 能 が考 察 され た。
34引用 :下 田20i3,2728‑,283
のか、 とい う問題 については、「テ クス ト外の事実がいかなる「屈折率」
を もつてテ クス ト内の叙述 として映 じているかが明 らかになるな ら、テ クス トを用 い るこ とに よつて信頼に足 る歴史が構成 され うる35」 と述べ 、 この成功例 として、先述の ウォルターズの研究 (wJters1997)を挙げてい る。 そ して、考古学資料 と同時代的な文献 を峻別 し、 これ らを相互に比 較 した ウォル ター ズの研 究手法は、仏塔 にお ける レリー フ とテ クス トの 関係 をめ ぐるこれ までの研 究のみな らず、大乗経典 の考察にも重要な意 味を もつ と評価 した。
確かに、 これ まで仏伝 図の研 究にお いて も、イ ン ド宗教文献の もつ 口 頭伝承の重層性への意識か ら、使用す る文献の成立年代や成立地 に関す
る考察はやや軽視 され る傾 向にあつた と思われ る。仏伝図浮彫の「典拠」
として浮彫 よ りも後代 に成立 した文献が挙げ られ ることも多い。 ウォル ターズや下 田の指摘 は、今後、仏伝図浮彫の図像学的研究における文献 の比較方法において も意識 され る問題である。
しか し、 ウォル ターズの批判 は、彼 が後アシ ョーカ時代 と呼ぶ紀元前 三世紀か ら一世紀の間にかけた時代の仏教の様相を考える上で、この時 代 の仏塔や彫刻 の考察 を行 うにあたつての文献の使用方法にあてはまる
もの と考 え られ る。
ただ し、銘文 も少ないガ ンダー ラの仏伝 図浮彫 を考察す るにあたつて は、文献峻別 の意識 を持 ちなが ら、後代成 立であって も文献の内容 を渉 猟 し比較す る必要がある と思われ る。
本研 究の結論 を先取 りす る形 になるが、紀元一世紀か ら二世紀 にかけ て制作 され続 けたガンダー ラの仏伝 図の作例か ら、 この時代の仏教信仰
tt
TE20t3, 28. 9-l Iの様相や制作背景を考察 してい くにあたっては、 ウォルターズの批判 に 述べ られたサ ンスク リッ ト語のいわゆる「仏伝文献」との内容お よび、そ れのみな らず、後代 に中国で翻訳 された漢訳文献であって も、その内容 と比較す ることはむ しろ必要不可欠である と考える。釈迦の生涯 をま と まった形で編年的に叙述す る仏伝文献 とい う形態 の成立状況 と、一世紀 か ら二世紀にかけてのガンダー ラにおける仏伝図制作は無 関係 ではない と思われ るのである。先述 した よ うに、ガ ンダー ラ仏伝美術研究の基礎 を築いたフー シェの研究では、文献 を峻別す る意識 はなかつたか も知れ ないが、『 ラ リタヴィスタラ』、『 マハー ヴァス トゥ』、『 デ ィヴィヤ ー ヴァダーナ』 を使用することで多 くの浮彫の場面比定に成功 してい る。
その一方で、ガ ンダー ラの仏伝 図、説話図のなかにはこれ ら現存す るイ ン ド成立の文献の内容のみでは解釈できない資料が多数 あ り、漢訳経典 を用い ることで解釈 が可能 となるものが存在す る。上述の フー シェも、
「死んだ女が子を産んだ話」、「比丘 とガチ ョウJ図については、中国学者 シ ャ ヴァンヌの助 力 を得 て、漢訳 文献 の記 述 を用 いて解 釈 して い る
(Foucher1917) 。
ガンダー ラの仏伝 図、説話図解釈にお ける漢訳文献の有用性 は、その 後、小谷仲男の説話 図研究によ り再度注 目されている。小谷 は、漢訳文 献の記述 を用いて、新 たに「樹 に縛 られ た子供」の説話図を同定 した (小
谷1996)。 さらに、小谷は近年では、それ までフー シェに よる「デー ヴァ ダ ッタの投石」図 と考 え られ ていた浮彫 について、や は り漢訳 文献の記 述 をもとに「マ ッラカ士の移石」説話 を表 した ものであることも明 らかに した (小谷2002同2010)。 なお 、宮治 の仏伝 図研 究 (宮治198■同 [1988]
2010)で は、漢訳文献 を用い ることで場面 をよ り適確 に解釈 できること が示唆 されている。 また、小谷は、「ガンダーラ仏教」の解明に向けて も
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