第 7 章 総括
第 3 節 インプリケーションと今後の課題
3.2 今後の研究課題と本論文の限界
最後に、今後の研究課題と本論文の限界についても確認しておく。前節で触れたように、R&D 投資とCVC投資は恐らく補完的関係にあるというのが、本論文から導き出される理論的なイン プリケーションの 1 つである。第2 章にて検討したように、本論文では、社外にある知識が自 社の戦略やイノベーションにとって有用であるということを認識し、それを自社に取り込むま でを捉える能力として、Zahra & George(2002)が提唱した「潜在的吸収能力(potential absorptive capacity)」を中心的な概念に据えて検討を行ってきた一方で、取り込まれた知識を活用するまで を捉える能力である「顕在化された吸収能力(realized absorptive capacity)」については、殆ど言 及してこなかった。先行研究によれば、顕在化された吸収能力は、組織の内部要因に強い影響 を受けることが示唆されている(Fosfuri & Tribo, 2008; Jansen, Van Den Bosch, & Volberda, 2005)。
それゆえ、CVC投資は顕在化された吸収能力にどのような影響を与えるのか、あるいはCVC投
資とR&D投資との間にはどのような補完関係が見いだされるのかといった課題は、オープンイ
ノベーションをマネジメントしていくうえでの重要な論点となるだろう。
加えて、ニッチのバイオベンチャーに着目した研究を行う必要性も導き出される。製薬会社 によるバイオベンチャーのM&Aが、バイオベンチャーにとってのイグジットの主流になるとい うことは、ある意味では、製薬会社が好みやすいバイオベンチャーのみがイグジットに到達で
きるという見方も可能であろう。Christensen & Bower(1996)が指摘するように、企業は自らの活 動を顧客という資源に依存している。本論文で観察してきた製薬会社とバイオベンチャーの関 係は、まさしく顧客と提供者の関係に他ならない。それゆえ、提供者は顧客が望まない方向の イノベーションに取り組むことが困難となる。その結果、製薬会社がポテンシャルを見抜けず に「買収されない」バイオベンチャーが今後生まれてくるかもしれない(あるいは既に存在し ているかもしれない)。こうしたことを考慮に入れた時、既存企業と新興企業による分業システ ムが存在するが故に、必然的に生じてしまう歪の中で、ニッチプレーヤーはどのような生存戦 略を採用するのかといった事例の蓄積が求められるといえるだろう。
本論文には次のような限界も指摘することができる。本論文の限界の第 1 は、第4 章で示し た製薬会社とバイオベンチャーの企業間分業における補完的なアクターの存在に関する問題で ある。ある産業の企業間関係全体を捉えるうえでは、例えばシリコンバレーがそうであるよう に(e.g., Bahrami & Evans, 2000)、経営を担うプロ経営者やそれを紹介するエージェントなど、補 完的なアクターの存在に目を向けることも必要であったが、本論文では十分に考察しきれなか った。
第 2 の限界は社外から獲得した知識の活用に関する問題である。今後の研究課題でも言及し たように、本論文の後半では、焦点企業がオープンイノベーションに不可欠である社外の知識 を獲得する上での課題に焦点を当て、統計的な検証を行なってきた。まず第 5 章では、単一の 技術ライフサイクルを切り取らなければならない方法論の制約上、検証を行った企業が同時期 に行っていた他の技術パラダイムに関する提携による影響を考慮にいれることができていない。
また、ライセンス提携によって獲得した知識が、その後の企業のパフォーマンスにどのように 寄与したのかといった点についても本章の議論の範囲からは除外している。第6章においては、
複数の技術パラダイムを含めているものの、やはり、獲得した知識をどの程度有効活用できる かといった点は、モデルの制約上、検証の対象からは除外している。しかしながら、現実には、
社外から獲得した知識を組織内でどの程度有効に活用できるか、あるいは、獲得された知識が、
当該組織が既に持つ知識とどのようなシナジーが働くかといった点を考慮に入れる必要がある だろう。したがって今後は、社外から獲得された知識がどの程度有効に活用されているかを組 織要因に着目して分析することも必要であろう。
補論(シリアルアントレプレナーの台頭)
バイオベンチャーのイグジットのトレンドが IPO から M&A にシフトすることで、企業家が
M&Aをされた後に再び起業するケース、すなわちシリアル・アントレプレナーの活躍が目立つ
ようになった。その例示としていくつかの具体的なショートケースを紹介する。
イリプサ(Ilypsa)社
高リン血症治療薬であるビキサロマー(bixalomer)を創出したバイオベンチャーのイリプサ は、腎領域に特化したバイオベンチャーとして、2003年に米国のカリフォルニア州に設立され た。2006年、イリプサは米国におけるビキサロマーのP1試験が終了した後、日本におけるビキ サロマーの開発権をアステラス製薬にライセンスした。その直後の2007年、イリプサは非上場 のまま、米国のアムジェンに4億2000万ドルで買収された。アムジェンによるイリプサの買収 後、イリプサの経営陣はすぐにレリプサ(Relypsa)社を設立した。そして、イリプサ時代に創 出し、そのまま特許を保有していた高カリウム血症薬、パチロマー(patiromer)の開発に着手し、
2013年にはNASDAQに上場を果たした。パチロマーは、米国でのP3試験を終え、2015年に米
国のFDAによって認可された。
なお、アステラス製薬が日本における開発権を取得したビキサロマーは、2012年に厚生労働 省によって承認され、キックリンカプセルという商品名で同社から販売されている。
ペニンシュラ・ファーマシューティカルズ(Peninsula Pharmaceuticals)社
ペニンシュラ・ファーマシューティカルズは、抗感染症薬に特化したバイオベンチャーとし て、2001 年にカリフォルニア州に設立された。同社が創出した医薬品の開発は結果的には失敗 に終わったが、2003 年に塩野義製薬より北米における開発権を取得したドリペネムの開発を手 がけた。ドリペネムの臨床試験が米国の P3試験を実施中の2005 年、米ジョンソン・エンド・
ジョンソン社によって2億4500万ドルで買収された。ペニンシュラ・ファーマシューティカル ズ社の経営陣は、すぐさまセレクサ・ファーマシューティカルズ社を設立する。セレクサ社は、
武田薬品工業より開発権を取得した抗生物質セフタロリン(Ceftaroline)の開発を手がけ、2007 年にフォレスト・ラボラトリー社によって4億8000万ドルで買収された。なお、ドリペネムは、
我が国においてはフィニバックスという商品名で塩野義製薬から、米国においてはドリバック
スという商品名で米国のジョンソン・エンド・ジョンソンからそれぞれ販売されている。
ファーマセット(Pharmasset)社
米国のファーマセットは、抗ウイルス剤の開発に特化したバイオベンチャーとして、1998年 に米国のニュージャージー州に設立された。4回の増資を行いながら、複数のC型肝炎治療薬の 臨床試験を全て自社で行ない、2007年に自社製品の売上のないまま、製薬会社とのライセンス 提携による収入のみでNASDAQにIPOを果たす。同社が持つC型肝炎治療薬のシーズのうち、
とりわけ有望視されていたC型肝炎治療薬のソホスブビル(Sofosbuvir)が米国のP3試験を実 施中であった2011年、ソホスブビルの権利取得を目的とした米国のギリアド・サイエンシズ43に よって110億ドルで買収された。ファーマセット社の経営陣は、今度はB型肝炎治療薬の開発 を目指し、巨額の売却資金を元手に、2012年にオンコア・バイオファーマを設立。更に2015年、
同社はカナダのテクミラに吸収合併された。
なお、ファーマセットが創出したソホスブビルは、ギリアド・サイエンシズによる買収後、
2013年12月にFDAによって承認され、2014年にソバルディという製品名で販売されている。
ソバルディの初年度売上高(2014年)は、約102億ドルを記録している44。さらに驚くべきこと に、米国におけるソバルディ投与患者1人あたりの標準治療期間(12週間)に要する費用は
84,000ドルにものぼる。しかしこれだけ高額であっても、ソバルディの治療効果は他のC型肝
炎治療薬とは比較にならない効果を示していることから、米国では爆発的な売上を誇っている。
今後、米国以外でも承認が進めば、更なる売上増加は確実である.
アイテック・ファーマシューティカルズ(Eyetech Pharmaceuticals)社
アイテック・ファーマシューティカルズは、AMD(加齢黄斑変性症)治療薬、ペガプタニブ
(Pegaptanib)を開発した眼科領域を専門としたバイオベンチャーであった。ペガプタニブは、
元々は米国のネクスター・ファーマシューティカルズが発見した物質であるが、同社は1999年 にギリアド・サイエンシズによって買収されている。しかし、眼科領域を専門としないギリア
43 ギリアド・サイエンシズ社は自体、その前身は、世界的に有名なインフルエンザ治療薬であるタミフルを発見したバ イオベンチャーである
44 臨床試験報告書によれば、ソバルディ投与患者の9割がC型肝炎を完治している。また、一説によればソバルディの 売上高はブロックバスターの初年度売上高の記録を更新したと言われている。