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人権教育―仏教を媒介とした戦略的な人権のヴァナキュラー化

はじめに

UNTACの統治下で始まり、その撤退後は主にローカルの人権NGOを中心として实施さ

れてきたカンボジアにおける人権教育を分析することで、移行期のカンボジアにおいて人 権に対する理解が定着化していく過程の特徴を分析するのが、本章の目的である351。パリ 和平協定を根拠とし、UNTACの任務のひとつでもあった人権の普及活動によって、国際人 権概念や規範が初めてカンボジアに広く導入されることになった。そのさいに、国際人権 の基礎的な知識をカンボジアの人びとにどのようにして理解してもらうかが現实の課題と なった。

人権に関する知識やスキルの伝達および態度の形成を通じて「普遍的な人権文化」を構 築するという人権教育の目的を实現するためには、さまざまな国やローカルの価値観を利 用することがひとつの鍵となる。そのため、人権教育は人権と道徳・文化が交差する領域 を扱う。この点に、人権のヴァナキュラー化を考察する対象として人権教育を取り上げる 最大の理由がある。人権の知識や概念を教える作業においてローカルな価値観がどのよう に、どの程度まで活用され、どのような影響を与えるのかに、人権をヴァナキュラー化す る現象が集約されるからである。

人権のヴァナキュラー化の事例として、カンボジアにおけるさまざまなローカル人権 NGOによる仏教を媒介とした人権教育を分析対象とするのは、次の理由からである。第1 に、ローカル人権NGOは、国際社会(国際人権)と草の根の人びと(および価値観)を結 ぶ「媒介者」・「中間者」だからである。その意味で、ローカル人権NGOは人権のヴァナキ ュラー化を推進する鍵となる存在である。第2は、人権教育を通じて人権のヴァナキュラ ー化を推進するさいに、上座仏教という文化的資源が存在するという点である。

その意味で、本章は、文化的資源を内発的に活用して人権を変容しながら受容する市民 社会の戦略的な人権のヴァナキュラー化の特徴を探求することになる。同時に、カンボジ アの伝統的価値観を形成してきた仏教の教義が人権を教育するために活用される事例を考 察することで、カンボジアにおける人権の文化的側面を部分的にでも観察することが期待 できる。

以下、本章は、次のような手順で論述する。最初に、国連における人権教育の議論――

特に普遍的人権文化とローカルな文化的価値観との関係――を参考にして、人権教育と人 権のヴァナキュラー化との接点についてのべる(第1節)。次に、カンボジアにおける人権 教育について考察する。その軌跡を簡潔に振り返った後、4つのローカル人権NGOによる 仏教を媒介とした人権教育の事例を紹介し、なぜ人権教育において仏教的価値観を積極的 に活用したのかという理由を説明する。そして、2種類のサンプル調査を用いて、人権教

351 本章では、UNTAC撤退(1993年9月)以降の約10年間のカンボジア人権NGOによる人権教育の事例を分析す る。

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育の効果・影響について言及する(第2節)。その上で、カンボジアにおけるローカル人権 NGOによる仏教を戦略的に活用した人権教育が、人権のヴァナキュラー化の視点から見て どのように評価されるのかについて論究する(第3節)。最後に、カンボジアにおける仏教 を媒介とした人権教育はローカルの文化的資源を最も戦略的に利用した人権のヴァナキュ ラー化、そしてカンボジアの文化的な色彩を持った「普遍的な人権文化」の構築であるこ とから、人権教育の国際基準に寄与していること(ヴァナキュラーな人権の法化)を指摘 する

第1節 人権教育と人権のヴァナキュラー化 1.人権教育の定義

国連において人権教育に関する議論をリードしてきたのは、国連教育科学文化機関(ユ ネスコ)であった352。しかし、冷戦崩壊後に多発した宗教や民族をめぐる内戦の根本的な 原因に対応する必要性から、総会や人権理事会といった国連本体の機関において、人権教 育についても討議されるようになった。その端緒となったのが、ウィーンで開催された世 界人権会議(1993年6月)である。その会議において「ウィーン宠言及び行動計画」353が 採択され、第Ⅱ部のD において「人権教育」の項目に5ヵ条の条文が挿入された。そこで は「人権分野における教育活動を促進し、奨励し、及びこれらに焦点をあてるために、人 権教育のための国際連合の10年の宠言がなされなければならない」(パラグラフ82)と定 められた。

この規定を受けて、1994年12月23日、第49回国連総会決議で「人権教育のための国 連10年」総会決議(以下、10年総会決議と略)が採択された。この決議の付帯文書である

「人権教育のための国連10年(1995~2004)行動計画」(以下、10年行動計画と略)では、

人権教育が「知識と技術の伝達及び態度の形成を通じ、人権という普遍的文化を構築する ために行う研修、普及及び広報努力」(Ⅰ-2)354と定義された。それまでユネスコにおい て、国際教育、平和教育、民主主義教育などとの関係で語られてきた人権教育が、「10年総 会決議」および「10 年行動計画」によって初めて人権教育に限って、その重要性が国際社 会で確認された。

この人権教育の定義は、その後の人権教育に関する国際人権文書においてもほとんど同 じ表現で踏襲されていく。「10年行動計画」の終了後に予定された初等・中等教育における 人権教育の实施内容を定めた「人権教育のための世界プログラム第1段階(2005年~2007 年)のための修正行動計画」(第59 回国連総会、2005 年3月2日採択)では、「人権教育 とは、知識及びスキルの伝達ならびに態度の形成を通じて普遍的な人権文化を構築するこ

352 その成果については、[生田2005]第1章を参照。

353「ウィーン宠言及び行動計画」の日本語訳は、[江橋監修1996]に所収されている日本語訳を参照。

354「人権教育のための国連10年(1995~2004)行動計画」の日本語訳については、アジア・太平洋人権情報センター のウェブサイトを参照。http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinken/kyoiku/pdfs/k_keikaku3.pdf

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とを目的とした教育、研修および広報」355であると記され、「10年行動計画」における定義 と同じである。さらに、「人権教育および研修に関する国連宠言」(2011 年3月 23 日の国 連人権理事会決議16/1により採択、2011年12月の第66回国連総会決議で採択)では、

「人権教育と研修は、人権および基本的自由の普遍的尊重と遵守を目的に、人権の普遍的 な文化を築き発展させることに人びとが財献できるよう、エンパワーするための、あらゆ る教育、研修、情報および啓発・学習活動から成る。それゆえ、人権教育は知識とスキル と理解を与え、態度と行動を育むことによって、とりわけ人権の侵害と乱用の防止に財献 する」(第2条)356と規定された。

このように、1990年代以降に国連で作成された人権教育に関する文書において、キーワ ードとなっているのが「普遍的な人権文化」の構築であることが分かる。ただし、この人 権教育の鍵概念である「普遍的な人権文化」については、国際人権文書において明確な定 義はなされていない。

2.人権教育と人権のヴァナキュラー化の接点

人権文化を世界中に構築するためには、文化的・宗教的・歴史的に多様な国・地域の文 化の差異に配慮することが求められる。そこで、人権教育に関する国際文書においても、

人権教育を实施する上で必要だと考えられる人権と文化の関係について一定の言及がなさ れている。

「10年行動計画」では、「一般的指導原則」において「人権教育の諸活動は、効果を高め るために、学習者の日常生活と関連づけたやり方で行われる。そして、人権を抽象的な規 範の表明としてではなく、自分たちの社会的・経済的・文化的・政治的な生活現实の問題 としてとらえるような対話に学習者を導くための手段や方法をさぐる」(Ⅱ-6)とある。

「实施プログラム」では、「各国の人権情報・研修センターは、人権教育に取り組む中心的 組織と協力し、とくに以下の任務を遂行する」ことのひとつとして、「研修用教材を翻訳し たり、文化的に適合する形で取り入れたりすること」(Ⅶ-61)を挙げている。

各国が人権教育のための国内行動計画を策定することを支援するため、1997年に国連人 権高等弁務官事務所が作成した「国連による人権教育のための国内行動計画ガイドライン」

では、人権教育が促進される3つの次元(知識、価値観・信念・態度、行動)の「価値観・

信念・態度」において、「人権を大切にするような価値観、信念、および態度を育てること によって、人権文化を促進する」(Ⅰ-13)357ことを、人権教育にとって必要な内容として いる。「人権教育のための世界プログラム第1段階(2005年~2007年)のための修正行動 計画」では、「C 人権教育活動の原則」のひとつとして、「異なる文化的背景の中に根づい

355 「人権教育のための世界プログラム第1段階(2005年~2007年)のための修正行動計画」の日本語訳は、[平沢 2005]に所収の日本語訳を参照。

356「人権教育および研修に関する国連宠言」の日本語訳は、アジア・太平洋人権情報センターのウェブサイトを参照。

http://www.hurights.or.jp/archives/promotion-of-education/post-5.html

357「国連による人権教育のための国内行動計画ガイドライン」の日本語訳については、[部落解放・人権研究所編2003]

に所収の日本語訳を参照。