Ⅴにおいて能力主義的賃金制度がゆとり、人事考課の納得性、公平性、あるいは機会の平 等をもたらさないという考えを示した。では、そうしたことも含めて労働者にとってより 平等な制度を考えてみたい。平等ということは全ての人に平等の立場、賃金をもたらすと いうことではない。
「従業員間の身分的・制度的平等とは、もちろん昇格、昇進、職務割り当て、賃金の同一化を意 味するものではない。分業の織り成す組織に置いては、職務と賃金の階層間および個人的格差の 結果的な形成は、必然的である。だから身分的・制度的平等とは、個人の仕事と賃金の公平な決
45 熊沢誠『女性労働と企業社会』 岩波新書 2000年 84-85頁。
め方のことに他ならない46。」
私もこの考えに賛成し、より平等な制度とは、「個人の仕事と賃金の公平な決め方が成さ れる制度」としたい。
まず、現在の人事管理で大きな問題となっているのは、人事考課において納得性、公平性 が欠けているということである。より具体的にいうと、
①主観性が大きく影響している
②労働者の側からの異議申し立てができないこと
の2つが人事考課における納得性、公平性の欠如を生み出しているのである。①主観性が 大きく影響している はこれまでも再三述べてきたように日本ではフレキシビリティなど を重視していること、職務が明瞭に区別されていないことなどの理由により、人事考課に おいては「情意考課」が非常に重視されてきたということである。「情意考課」は態度や性 格を見るものであり、これらの要素はおよそ数値化できないものである。また、好き嫌い なども影響することなどから、主観性が多分に入り込むわけである。その結果、人事考課 の納得性、公平性というものは失われ、労働者の不信を招くのである。また、先にも述べ たように情意考課は企業に対する忠誠心を強要し、会社人間に導く。
人事考課の納得性、公平性はさらには会社人間と呼ばれ、過労死するまで働くような環境 の阻止は、主観性の排除、つまり「情意考課」の排除、または限りなく極小化することに よってなされるのである。そして、「情意考課」の役割の低下は、性差別の克服へも近づく ことになる。
「イギリス労働組合は、もちろん人事考課の対象項目にも規制を加えようとしている。イギリス の公務員労組UNISONが傘下の電力労働者の業績考課給交渉のために用意したガイドブックか ら、『よりましな評価要素』と『避けるべき評価要素』を対比させた表を作ってみよう。まず強く 印象付けられることは、日本でいう「情意」(態度、性格)考課の拒否である。いうまでもなくこ れは主観的な評価になりやすく、労働者の企業への人格的従属を招きかねないからだ。しかし解 説を読むと、この主張は性差別克服という問題意識の反映でもあることがわかる。すなわち、た とえばイニシャティヴ、創造性、積極性などは伝統的に男性の特徴とみなされてきたので、それ らを評価要素に加えるとどうしても女性よりは男性を高く評価する偏向が生まれるというのであ る。一見客観的な『出勤と時間厳守』が忌避されているのも、家事を担っている女性は男性より もこの養成を満たしにくいと言う理由による47。」
「情意考課の役割の極小化は、やはりもっとも重要な課題である。ふえんすれば、柔軟で弾力的 な働き方の要請がともすれば惰力として生み出す<生活態度としての能力>の要請は、端的に言
46 前掲「日本的能力主義の惰力」 135頁。
47 前掲『能力主義と企業社会』 223-224頁。
って禁じられなければならない。サラリーマンとその組合は、個人生活の必要からあるときには 残業や休日出勤を拒む、妻の就業権や『男の育児権』を大切にした働き方にこだわる、会社の施 策に批判的な組合活動や社会運動にかかわる――そんな生活態度を、仕事にかかわる潜在能力と して査定させてはならない。人権と『個人尊重』、すべての生活領域にわたる男女協同の名におい て、『会社人間』を造型する日本的能力主義のモメンタム(惰力)は、人事考課制の内容への介入 を通じて立たれるべきなのだ。
労働条件に関するとめどない<個人処遇化>を連帯的に規制するあらゆる営みは、人事考課制 に対する労働者のおよそ以上のような介入をもってはじまる。そして経営者にとっても、そうし た介入に応じることは、『ストレスによる管理』とも評される日本的経営を世界に通用する労働シ ステムとさせる上で不可避の手続きのはずである48。」
イギリスでの情意考課の拒否は人格的従属の拒否と性差別克服の試みである。出勤や時間 厳守といった項目に関して規制するということについて「客観的な要素だからそれはいい じゃないか」と感じるかもしれないが、家事を担う女性はこの養成を満たしにくいといっ た見方があるということなどはもっともである。それも性別職務分離が存在する現在にお いては無視することは出来ないだろう。
イギリス労働組合が人事考課を受け入れる条件を熊沢氏は次のように分析している。
「1、績考課給はあくまで協約される賃金への付加であり、それにより大きな賃金格差が生まれ てはならないこと(賃金全体に対する組合のコントロールパワーの確保)
2、考課点数と支払いの関係が固定的で、人によって異ならないこと(『非人格性』の維持)
3、評価段階に配分される労働者数に制限のないこと(相対評価ではなく絶対評価)
4、労働者個人が面接の場で自分に対する査定について質問し、組合役員を同くさせ、同意を 拒むことも可能なこと。不同意のケースは、最終的には労使双方から独立した機関で処理 されるべきこと(同意権、アッピール権の獲得)
5、同僚への評価の情報にもアクセスでき、定期的に創結果の調査も行われるべきこと(『結果 の差別』へのチェック)49」
次に②労働者の側からの異議申し立てができないこと についてである。これもすでにⅤ で述べた50。実際に異議申し立て制度が機能しているのはわずか 10%の企業においてのみ なのである。
「ドイツでも、使用者による査定は存在するし、任意加給制度もある。また、後に述べるように、
48 前掲『能力主義と企業社会』 225-226頁。
49 同上 222頁。
50 図表12を参照。
使用者が自由意志で支給するボーナスもある。使用としては、多少とも査定によって差をつけて 労働者の勤労意欲を刺激しようと考えるのは、当然であろう。しかし、日本と異なるのは、こう した使用者による査定そのものについて、労働組合や従業員代表委員会の監視の網がかぶせられ ている点であって、基本的に使用者にまかせっきりの日本との相違は大きいと言わねばならない。
また、ドイツでは、各労働者は、給与の計算と構成、自己の能率の評価、これからの昇進の可能 性などについて使用者に説明を求める権利を保障されている…ドイツにおいては、労働者にかか わる事項については労働者(集団または個人)と共同して決定し、労働者にきちんと説明する、
という思想が賃金制度にも反映しており、査定制度によって労働者を競争させようとする使用者 の意図も、そうした各段階の共同決定制度によって限界付けられるわけである51。」
ドイツにおいては労働者が説明を求める権利が保障されているなど労働者と使用者の共 同決定制度が働いているのである。また、スウェーデンのボルボなどの例を見てみても、
本人の異議申し立て権、評価制度の公開などの仕組みがある。52このような制度を日本でも 導入することが求められるだろう。