1 刑法の保護法益
刑法は、私達を加害者から守り、被害・損害などを受けないよう、私達の生活上の利益を保護する ために作られています。このような私達の利益を保護法益といいます。つまり、刑法によって保護す るに値する利益を短く表現して保護法益といいます。
それではこの保護法益にはどのようなものがあるのでしょうか。
⑴ まず、個人の権利・自由は他人の侵害から保護されなければなりません。自分が望んで他人に譲 渡したり、贈与したりする場合は、民法の領域です。しかし、その人の意思に反して自由や権利が 侵害されるならば、これは国が保護しなければいけません。このような個人の権利・自由は、次の ように分類できます。①人の生命、②人の身体、③人の行動・意思決定の自由、④人の信用・名誉、
⑤人の財産、などです。刑法は、たとえば①について殺人罪、②について傷害罪、③について逮捕 監禁罪、④について名誉毀損罪、⑤について窃盗罪・強盗罪・横領罪・詐欺罪等の財産罪を定め ています。もちろん、これらは代表的な犯罪であって、刑法は他にも細かくたくさんの犯罪を定め ています。このような犯罪は、加害者と被害者の間において、民法の定める不法行為責任が常に成 立し、損害賠償責任その他が認められています。この民法上の法律問題を当然の前提として国家が 加害者に対して、それぞれの犯罪に応じた刑罰を加えるものが刑法なのです。
⑵ もう少しこの点を考えてみますと、犯人が行った行為が個人の権利・自由に対する侵害行為でな くても一般国民からみて看過し得ない事態を生じさせることもあることに気付きます。たとえば公 共の場、たとえば新宿駅の近辺で、200 〜 300人の人が石を投げたり大声をあげたり騒いだりしたら、
そのままにしておくわけにいかないでしょう(騒乱罪、106)。このような行為は国民一人ひとりの 権利自由に対して直接被害を及ぼしていなくても新宿周辺の人々に不安感を与えています。また日 本の一万円札を勝手に偽造されたら大変でしょう(通貨偽造罪、148Ⅰ)。このような行為は社会一 般の人々の生活上の利益を侵害していると考えます。そこでこのような行為を社会的法益に対する 罪といいます。
⑶ 同じように、公務員が公務を行っている際にこの公務員に暴行を行ったりしたら公務員は公務の 遂行ができなくなります(公務執行妨害罪、95Ⅰ)。また、裁判で虚偽の陳述をしてもよいとすれば、
日本の裁判制度は成り立たなくなってしまいます(偽証罪、169)。このような犯罪を国家的法益に 対する罪といいます。
2 刑法の解釈基準
刑法で取り上げられる犯罪について、その大枠を説明しました。このような犯罪が成立するかが問 題となる場合、刑法の解釈が必要となります。まず、憲法は私達に自由に行動することを認めていま すから、その基本的人権の行使である自由な活動を制約する刑法の条文は誰が読んでもわかりやすく 明晰であるように書かれていることが必要です。そうでないと、どのような行為を行えば刑法が禁止 する犯罪行為に該当し、処罰されるのかが判断できないからです。刑法は、厳しい刑罰を科す法律で すから、その条文の文言ははっきり明瞭でないと困るのです。このように刑法の条文をはっきりと法律 に定めることを要請する原則を、罪刑法定主義といいます。次に、国民の利益を保護するという刑法 の目的からは、犯罪の成立範囲をなるべく広く解釈した方がよさそうに思えます。しかし、逆に他人に ちょっとした迷惑をかけたというだけで犯罪者として処罰されるというのでは人々は安心して自由に生 活できません。人は社会生活を営むうえで、他人に迷惑をかけてしまうことは避けられないからです。
そこで、人の行動の自由を確保するためには、犯罪の成立範囲を法益保護が達成し得る必要最小限度 に狭める必要があります。これをまとめると、刑法は①人権保障機能と②法益保護機能を調和するよ うに解釈されなければならないということになります。
4 C-Book刑法Ⅱ〈総論〉【結果無価値版】第3版
●1 概説
3 犯罪論の体系
次に刑法が定める犯罪は、どのような構造・仕組みをしているのでしょうか。犯罪論の体系を考え てみましょう。結論から述べますと、犯罪とは構成要件に該当し、違法かつ有責な行為をいいます。
つまり、人の行為が、①構成要件に該当し、②違法性、③責任を有することが犯罪の成立要件です。
まず、刑法の評価対象は「行為」でなければなりません。憲法において内心の自由が保障されてい ます。つまり心の中の思想や良心は、どのようなことを考えようとその考え自体を処罰することはでき ません(憲19)。ですから、刑法は外にあらわれた行為を処罰の対象にします。暴力行為や殺人行為 だけが人の行為ではなく、発言や言葉やインターネットによる表示なども、物理的な力をはっきりと有 していませんが、人の外形的な行為です。
そして、行為はまず、①構成要件に該当する必要があります。構成要件は違法かつ有責な行為の類 型とされます。つまり、構成要件は違法・有責な犯罪をパターン化し、枠組みとして示したものであ って、行為が構成要件に該当すれば違法性があり、有責であることが推定されます(構成要件に主観 的要素を含めない立場からは、構成要件は違法類型とされます)。
次に、②違法性を説明しましょう。法益には、個人的法益・社会的法益・国家的法益がありますが、
法益を侵害すること(及びその危険)を違法といいます。しかし、違法性の本質すなわち犯罪の本質 について、単に法益侵害のみならず社会倫理規範に違反することと考える立場もあります。この立場 は、道義秩序、社会的相当性を考慮しなければ違法性の内容は決定できないとするのです。しかし、
道義・倫理の強調は、刑法が国民の内面に干渉し過ぎることになり、かえって処罰の範囲を拡大する 危険があります。本書では、違法性の本質を法益侵害及びその危険と考えることにします。
次に、③責任について説明します。私達の生活は個人の意思や希望を起点として作られています。
ですから、自分の意思に関係しない行為は、それが法益侵害行為であっても、その行為を自分の仕業 だとされるはずはありません。つまり、法益侵害行為を行為者の個人意思に結び付ける条件が責任の 要件なのです。この責任の要件は、犯人の行為だとして、社会一般の人々が非難できるものでなけれ ばなりません。そのためには、①犯人が、悪いことであると理解し、その理解に基づいて行動できる 精神能力(正確には後述しますが、これを責任能力といいます)があること、②法益侵害結果の発生 することを認識しつつ行為をしたこと(故意)または、③不注意により法益侵害行為をなしたこと(過 失)が必要です。たとえば、何もわからない3歳の幼児が人を殺したからといって、刑罰という制裁を 科すことには、社会一般の人々の意見からみても賛成されないでしょう。なぜなら、その行為につい て3歳児を非難することができないからです。責任とは、犯罪行為に対して行為者を非難することを いいます。
このような要素、つまり、行為、違法性、有責性の内容は、一応理解できたと思いますが、次にど のように組み立てるか、体系化する必要があります。この点について、民法の体系は、どうだったで しょうか。民法は、外形的な意思表示の合致を契約の成立要件とし、意思表示の合意の内容につい て、確定性・実現性・適法性・社会的妥当性の四つの要素をもって客観的有効要件としました。さらに、
意思表示そのものについて、心裡留保・通謀虚偽表示・錯誤・詐欺・強迫などの心理的瑕疵や制限行 為能力などを主観的有効要件としました。民法の場合は、合意の内容がお互いに有益となる客観的な 要素ですので、これを客観的有効要件といいます。
刑法ではどうでしょうか。刑法では、構成要件に該当する行為について、まず、違法性を検討して、
次に責任を検討します。結果無価値論の立場からは、違法性の本質を法益侵害及びその危険と考えま すので、主観的違法要素は一切認めないか、認めるにしても例外的に認められるにすぎません。した がって、違法性の段階では、主に行為の客観面を検討します。これに対して、責任の本質は法益侵害 を生じさせるような行為を避けることができたのに、そのような行為をしたことに対する非難です。そ して、責任段階では、故意・過失などの主観面を検討することになります。
さて、話を民法に戻します。民法では、外形的に意思表示が合致していれば契約は成立し、契約は