第
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4.2.2 「居場所」ができるところ 「居場所」ができるところ 「居場所」ができるところ 「居場所」ができるところ
「居場所」はどこにできるのか。それは、本人が「居場所」として実感できるとこ ろにあり(萩原2000,西村2001)、また他者と自分との相互承認という関わりにおいて 生まれる(荻原 2000)。この二つの性質を踏まえて、本研究では、本人が「居場所が ある」と感じることを二つの軸から考えてみた。一つは、人間関係で「居心地がよい」
と感じる場合と、もう一つは、他者により自分の価値を「認められている」と感じる 場合である。また、それら二つの指標は、人間の基本的欲求(マズロー1987)におけ る「所属・愛の欲求」と「承認の欲求」に各々対応していると推測される。
4.2.3 踊り子の「居場所」と観客の「居場所」の違い 踊り子の「居場所」と観客の「居場所」の違い 踊り子の「居場所」と観客の「居場所」の違い 踊り子の「居場所」と観客の「居場所」の違い
「居場所」とは生活空間を指す。そこで、その居場所があると感じる空間を「縁」
という概念を用いて区別した。縁は、血縁、地縁、社縁、選択縁の四つに分類されて いる。血縁、地縁、社縁を「選べない縁」とするのに対し、選択縁は社会における「選 べる縁」の全てを指している。
そしてまず、踊り子または観客が、「居心地がよい」と感じる縁と、「認められてい る」と感じる縁がどれであるかを調べる。次に、その集計結果をもとに、各縁に対し て彼らが「居心地がよい」と感じている割合と、「認められている」と感じている割 合を求めた。そして、二次元空間において、横軸を「居心地がよい」と感じた人の割 合、縦軸を「認められている」と感じた人の割合とした。そして、各縁ごとに、「居 心地がよい」と感じている人の割合を縦軸の値とし、「認められている」と感じる人 の割合を横軸の値として、その座標をとった。
その結果、踊り子は、血縁、地縁、社縁において「『居心地がよい』という指標と
『認められている』という指標による評価が一致している居場所」を持っていること が分かった。また、観客は、血縁と社縁においての「『居心地がよい』という指標と
『認められている』という指標による評価にズレがある居場所」をもつ傾向にあった。
つまり、「選べない縁」において居場所がどのように評価されているかが、「選択縁」
に関わるか関わらないかの大きな分かれ目になったと推測できる。
4.2.4 踊り子として「祭り」に参加するのはなぜか? 踊り子として「祭り」に参加するのはなぜか? 踊り子として「祭り」に参加するのはなぜか? 踊り子として「祭り」に参加するのはなぜか?
まず始めに、居場所が成立する空間や種類は多様であり(西本2000)、一般的に「居 場所」は一つではなく、大抵の人は五つ以内の「居場所」を持つとされていることを 確認して(小沢2000)、この問の回答にはいる。
踊り子は、「選べない縁」において、「居心地がよく、認められている」居場所をも っていた。つまり、その居場所は、「所属・愛の欲求」と「承認の欲求」を同時に満 たしていた。「所属・愛の欲求」と「承認の欲求」について不満と感じている人は各々 一割に満たないので、踊り子の中には「自己実現の欲求」があるとみなせる。そして、
「所属・愛の欲求」と「承認の欲求」を同時に満たされていることで、踊り子は、観 客以上に、執拗に「自己実現」に執着していたことが伺える。そして、彼らはそこに とどまって、次の欲求である「自己実現」を目指そうとはしなかった。それは、彼ら が、既存の居場所では自己実現が図れないと感じたためであろう。その諦めが、彼ら の目を、新しい居場所へと向けた。確かに、彼らが踊り子になろうとしたきっかけは
「新しいことに挑戦したい」であった。
これらの事実から、踊り子は「選べない縁」における「居場所」で、「所属・愛の 欲求」と「承認の欲求」が同時にほぼ満たされたことが、観客よりも「自己実現の欲 求」を強く持たせることとなった。つまり、「所属・愛の欲求」と同時に「承認の欲 求」についてほぼ満たされたことで、「他者との関係の中で、自分らしく居られると 感じる生活空間」、つまり彼らにとっての「居場所」は、「自己実現の欲求」をも満た すものでなければならなかった。そのような欲求を持っているときに、YOSAKOIソ ーラン祭りという選択縁を目の当たりにし、彼らは踊り子となったのである。
4.2.5 観客として「祭り」に参加するのはなぜか? 観客として「祭り」に参加するのはなぜか? 観客として「祭り」に参加するのはなぜか? 観客として「祭り」に参加するのはなぜか?
では、観客はなぜ踊り子にはならないであろうか。そこで、観客と踊り子には趣向 の違いがあるのではないかと、両者が日々積極的に取り組んでいることに注目した。
ところが、そこに相違は見られなかった。踊り子の方がよりスポーツ等を好む訳でも なく、観客の方がより趣味的活動が多いわけでもなかった。そこで、観客が YOSAKOI ソーラン祭りに対してどのような感情を抱いていたかを調べた。それによると、祭り に「是非参加したい」と思うものは全体の 28%で、「参加したい」が 18%で、「どちら でもない」は 28%と、つまり、観客の 4 分 3 の人は祭りに対して否定的ではなかった。
以上のことからでは、観客が踊り子にならない理由が見出せなかった。
そこで、観客にとっての選べない縁における「居場所」は、「居心地はよいが認め られてはいない」と感じる、また「認められてはいるが居心地はよくない」と感じる 傾向をもつのである。それは「所属・愛の欲求」と「承認の欲求」の満たされかたに 偏りがあるということである。ただし、「所属・愛の欲求」と「承認の欲求」につい て不満と感じている人は各々一割に満たないので、観客の中には「自己実現の欲求」
があるとみなせる。しかしそれは、踊り子よりも「自己実現」の欲求に対する執着心 がなかったと推測できる。そこで、彼らは既存の「居場所」で、満足を感じながら、
そこにとどまり、現状を生きることに努めているのである。しかし、新しい居場所を 求めないことが「自己実現の欲求」を持っていないことにはならない。なぜなら、選 べない縁、特に社縁において自己実現の欲求を満たすことは可能だからである。特に 若い世代のものは、「自己実現」という視点をもって職場選びをする人が増えている
(西川他 251)。要は、彼らには、選択縁を選ぶまでもなく、自分の可能性を実現し、
自分らしくいられると感じる「居場所」があるため、観客でいると推測される。
その傾向は以下二点からも伺える。第一に、観客が祭りに参加しない最大の原因は、
現在の生活の忙しさを物語る「仕事や家事が忙しくて時間がない」ということである。
第二に、YOSAKOIソーラン祭りを目の前にして彼らが思うことは、「新しいことに挑
戦したい」ではなく「ストレス発散・気分転換」や「仲間と共に認められたい」とい う、現状の生活を変えるのではなく、その生活の不満を違う場所にぶつけようという 傾向が強かった。彼らに新しい何かに挑戦したいという欲求がよりも、今の居場所を 生きることこそ望まれることなのである。
4.2.6 踊り子をやめるのはなぜか? 踊り子をやめるのはなぜか? 踊り子をやめるのはなぜか? 踊り子をやめるのはなぜか?
YOSAKOIソーラン祭りの縁は「選択縁」に属する。そして「選択縁」への加入や
脱退は、すべて本人の自由である。その自由は、「踊り子をやめたい」という意志を 存分に尊重することとなる。確かに、不満を抱えた踊り子はほとんどいなかった。つ まり、不満を持った時点で、踊り子は踊り子であることをやめるのであろう。では、
どんな時に、踊り子をやめたいと思うのであろうか。その答えは、YOSAKOIソーラ ン祭りが自分の「居場所」ではなくなった時である。
一般チームのメンバーは3年を周期に大きく入れ替わると言われている。本研究で もその傾向は見られた。実際、所属年数が三年目に至るまでは、祭りに対する満足度 は所属年数の増加に伴い低下し、また、祭り以外のことに関心を示す割合も高くなっ ていた。しかし、三年をすぎると、それらの傾向は落ち着く。
つまり、三年を境に、踊り子が二つのタイプに別れることが推測できる。一方は、
踊り子でいることを自分の「居場所」、つまり「自分の可能性を実現し、自分らしく いられると感じる生活空間」」ではないとするタイプである。その背景には、集団と しての目標を追うあまり、自分らしさが犠牲になってしまい、その結果「居場所」と は感じられなくなった踊り子も少なくない。そのような踊り子は、しだいに他の居場 所を見つけたいという欲求とともに、YOSAKOIソーラン祭りから卒業する人々であ る。もう一方は、踊り子であることが自分の「居場所」、つまり「自分の可能性を実 現し、自分らしくいられると感じる生活空間」であるとし、そのまま踊り子としてチ ームに残る人々である。従って、所属年数が三年を過ぎてから人々の満足度状態など