︐
yp え
MW
え川司九九七唖
7
‑ E h z h h
叫に作法︑先陣一陣ノ分︑右同前也︒但シ︑馬上ニ鎗ヲ持テ突 合ヒタリトモ鎗トハ不云一陣ハ一陣︑先陣ハ先陣トパカリ云ブモノ也︒
写真仙鎗脇太万之夏
『武律」 のこの頁以後になると、と くに左側の方が判読できなし) 0
一︑懸口︑請止メ退口ニ不限︑鎗ヲ合スル兵
ニツ
ゾキ五人六
ny
真写
人一一テモ万ヲ抜テ鎗脇ヲ詰メ︑力ヲ添ルヲ鎗脇ノ太万ト云ブ︒況ヤ鎗下へ飛込ミ敵ヲ切梯フハ大成ル誉シ也︒但シ︑
鎗脇詰ル兵多クシテ三人四人一一不過モノ也︒子細ハ大方鎗ヲ口口口(以下数行破損甚だしく不詳)
鎗脇弓之夏
(ほこさき)一︑鎗合スル兵一一ツゾキ︑弓ヲ持テ掛リツ﹀鎗脇二v一チ︑敵ノ勢掛ル枝先ヲ矢次ギ早一一射口カシ︑鎗合スル兵‑
一カ
ヲ
添ルヲ鎗脇ノ弓ト云フ︒但シ︑時ニヨリ鉄砲一一テ鎗脇詰ル事モアリ︒鎗脇ノ弓鉄砲ハ幾人一一不限ナリ︒左云ブテモ
多クハ又ナキモノ也︒古ヨリ五六人ヨリ多キハ不問︒
163
鎗下高名之夏
弘前大学教養部「文化紀要」第33号第2,1991年
一︑鎗脇ヲ詰ル兵一一テモ︑又ハ後ヨリ走リ績キタル兵一一テモ︑
164 万ヲ抜テ鎗合ス最中一一飛込ミ切伏セテ鎗合ス下一一
テ首ヲ取 ルヲ鎗下ノ高名ト云フ︒但シ︑味方ノ鎗合ス兵ノ鎗付タル 首ヲ鎗ノ兵討取ルモ同前ニ鎗下ノ高名ト云フ︒敵味方少シ
モ不退︑勝負ヲ決スル最中一ごア取リガタキ首故一一賞翫スル
也︒鎗下ノ功名モ三人四人有ル事モあり︒又一人モナキ事 モ可有︒但シ︑敵モ味方モ惣テ手ノ先ヲ掛ケ虎口へ出テ鎗 ヲ合スホドノ剛者︑唯今ヲ限リト白刃交ヒ死生ヲ一ツ口口
写真側
口(以下数行破損甚だしく判読不能)
『武律』の後半部分は、和紙が綿 のように「塊」となっている。
写真側
注
ω
虎口︒虎の口とも云う︒一般には非常に危険な場所を指して云う︒城攻めのような場合には︑守る側からはその城の入口で最も守りの堅い区域︑攻める方からすれば︑逆にここが一番危険の場所で︑生命を失う率の高い場所となる︒
ω
カセギ︒命をかけて働くこと︒ω
録︒兜の鉢の下端に設けられ︑前面を除き︑頚のまわりを覆う防具︒ω
勇め︒寸奮い立たせ﹂の意︒えんぽく間遠北︒遠くまで逃げてゆくこと︒
おもてふらず側面も不振︒寸後ろをふり返ることもなく﹂の意︒ 的 シ ダ ル ク
0 1
ねばり強く﹂の意︒
ω
白ミテ︒﹁勢いがにぶって﹂の意︒倒シタリトモ︒とんでもないことであるけれども︒
弘前大学教養部下文化紀要」第33号第2,1991年
)
nH
HV
'EEA (
叫HH
咽EEA( )
) ( 'EEA n r
qd
'EEA (
Am v
l ( )
ι J
内HM シタリ︒﹁よくやったL
の態
︒
嘩ト︒特裂な読み方で︑多くの人の一時に高く両を出す醸の
葉武者︒木の葉のようにうろたえる武者︒兵︒
鋒︒軍勢の先端又は中央︒
(群 )
ムラ捧り︒一一団となっての攻撃︒臨針︒しおどき︒
と
解説1
︑ 本 資 料 は 写 本 で あ る が
︑ も と も と 誌 が 息 男
の所在は不明であるの司近世武道文離詰
M F
トザ)は︑
網羅した文戴目録であるが︑﹃武律﹄という書名は載っていない︒
あったのかも知れない︒
ちなみに︑伊勢貞丈(ぽ時計一刊誌土手一一
j I
批o )
の﹃
安藤
月麓
筆・
巻之
十八
﹄
の説明がある︒ や家間
ι
授け
た童
一一
回と
なっ
てい
る︒
ただ
しこ
の栗
本
事νでなく別の饗名で
ヘ故 実叢 黍編 集部 恒職
︑ /吉川弘文館︑一九五一)司軍師高名﹄の項に次
独身のかせぎは鑓を合ずるそ第一とす︒総じ
来伐の諺に去ふ︑其の品川端あり︒所謂一番
鑓︒是にさし続きたる鋤き倒梨あり︒一番乗︑乗込鑓︑蕗太刀鑓︑脇弓︒
叡て高名︑捉討高名︑山朋謹の高名︑場中高名︑凡そ縄問に叡て鑓にてなき品十五カ条あり︒祖しイスヤリと訟ふ︒ の強きを静めて呼ぶ事は︑古より鎗法ど強きかせぎはなき故に︑
域攻
の錦
︑ 165
右の八条︑四条︑七条(鑓脇高名が抜け﹁似て高名﹂が本資料では﹁退口高名Lとしている)の各名称は︑本資料とほ ぼ 同 じ で あ る
︒ こ の こ と か ら 揖 察 す れ ば
︑ 史 民 律
﹄ と い
﹃ 軍 師 高 名
﹄ で 涜 和 し て い た 軍 法 の 書 で あ っ た と も 思
われ
る︒
またよ品律Lであれであれ︑この欝の内窓には吋申鶴粛鑑抜欝前集恥
弘前大学教養部「文化紀要」第33母第2,1991年
166
が参考にされたのではないかと思われる︒それは次の一館があるからである︒
一錆にての侍衆簡の誉定九ヶ条の事
一に一番鑓・一一番鑓・鑓脇⁝一一様は刀錨脇・弓脇鑓・鉄砲鑓接︒
一
ι
場中の高名︒一一
に場
出?
にて
手負
を引
懸本
の場
に一
牒り
て︑
戦瀞
聞の
一帯
︒ 開 く し て
︑ 味 五 返 事 一 場 に で
︑ 幾 度 も 有 之 な り
︒ 五 小 返 の 叫 官
︑ 或 小 選 際 の 高 名
︑ 戒 は 小 選 の 場 中
ての犠きゅへ静なりと被定︒
口の高名大智なり︒或は後れ退き引に︑味五
おのような﹁持衆しの合戦におりる評価は︑本資料に少なからず影響していると考えられる︒2︑JA律﹄の著者については︑本文中に﹁私の所存ヲ書キ加ブLとるり︑﹁本多忠勝Lの間近の一人と思われるが︑その﹁払Lが不明である︒3︑本多忠勝︒天文一七日(一五四八i
一六
一
O)
H慶長一五︒一ニ湾生まれ︒本多恵高の長男︒徳川家康に仕え︑永禄一⁝一年(一
五六
O )
一三議で拐薄︒蔀川の戦︑長篠の戦などで抜群の戦功をみげ︑酒井忠次︑櫛原康政︑井伊直政とならび徳川の四
天王と云われた︒拐揮捺額五七回の合戦を経験し︑身
ι
傷痕をとどめなかったという︒六六歳没︒4︑本資料は﹁表紙﹂がなく仮綴の冊子本ではあるが︑後半の部分が﹁綜﹂のよう
ι
﹁ 塊
Lとなっている︒また第⁝一興ぷ﹁浅 利 文 嘩
﹂ の 印 が 持 さ れ て い る
︒ こ の こ と は
︑ 浅 利 家 に は 相 当 日 現 一 爪 て い た と 思 わ せ る の で あ る が
︑ 今 ま で 紹
介した資料に法この印がなかった︒かなり散逸したと思われる︒
ら
︑ 本 資 料 の 内 容 は
︑ お け る 下 級 武 士 の 武 功 の 評 価 武 器 と し て
︑ な 状 況 の も と に お
的 問ιA /、
敵 多 衆 は 懸 号i
互 布 施 る せ 者 わ な し り
(以
下略
)
弘前大学教養部「文化紀要」第33号第2. 1991年
八︑小笠原流諸礼(態)(承前)
8︑﹃幕一流之書﹄
巻子本
写真仙幕一流之書
夫幕者︑天照太神大六天摩王御取合之時︑摩王小神達
ヲ悪
眼ニ
テ奉
見︑
其眼之光ニ小神達驚キカナシミ給フ時︑
太神ノ御袖ヲ小神ヲ﹀イ給ふ︒﹁之眼ノ光ウスクナッテ
小神達タスカリ給フ︒其時天照太神不可負被仰ケリ︒其
ヨリ以来幕と云也︒恭モ秘夏穴賢々々︒
幕田町之夏
一流之次第井圃
大将軍之幕串者表加勝字也︒臨
167
摩利支天党天
ザ 小 三 九 仔 ソ
『幕一流之書』の書き出しの部分。「臨」の字の次に書くべき字 があった筈である。
写真(11)
弘前大学教磯部「文化紀要j 第33号第2,1991年
汚Ij
168
東ニ向テ鱒ハ
シ
一 向 ︑
東
先護
身法
︒
次ニ九字頬吊ヲ以テ幕ヲ加持ス︒
拠 ︑
柁 宅
待 ︑
そ 柁
も 創
刊 何
絵 ︑
た
(遜 )
摩利支天究百返唱一ア暗々如葎令ト唱ヘシ︒千金莫縛
々 ︒
( 及 ﹀
一ヲ
ヨハ
ス︒
秘吏ナレハ
口一
博ス
︒
︑幕
ノ大
古文
次第
︒
ルヘシ︒五
ノ、
一叫
漏ヲ
西ツ
ツ
ノ、
ワリ
テ︑
一ツ
ハ
白ク
︑
ツハ膏ク色ナルヘシ︒相或ル一ツハ
ツ
リテ乳スヘシ︒向テタツへシ︒ヒ
カエテハ関神ヤリ万ニタツヘシ︒ ︑縫事ハ手ノ競ノ役ナリ︒布長サ三十尺ナリノ︒告陰陽
口博
ハ幕布作夏︑男ノカ夕刊ブイナキ女︑不然ハ不 ︒
生ノ女︑不祭ハ
ニテ
可用
︒
ハシシカキ布ヲ本
トス︒幕ノ
ヘシ
︒
ヲ平縄
スヘ
シ︒
… 、
数︑廿八者天ノ廿八荷ヲ表ス︒対六ハ品川ムハ禽ヲ
表ス︒依之大将ノ廿八用也︒
一︑乳ノ吏︑廿八語表儀若ハ法華廿八品ヲ表す︒
テウ
ニ
︑幕串尋常八本也︒ヲ象ル︒尺ハ九八尺攻︒
時︑本尊一一八幡摩利支夫︑又入リ我氏
勝軍本ヲ尤立︑洗米︑香炉一一
へシ︒主人ト幕ノ問瓶子二ルヘシ︒比内
呉ヲ
蝶形
一一
モ提モ蝶形成ヘシ︒肴ハ一番
ノシ
︑
一番
ニ栗
︑一
一
昆布引渡シナリ︒
ル ︑ 心
ノ、
持︑打テ勝テ境ト取ヘシ︒
一︑師匠ハ授ヨリ前ニ護身法︑次其後銀吊ヲNM
テ一ノ幕串ヲ乳ノ本
語︑
二兵
︑
問者
︑
五皆
︑
ヤ 同