喋じ︑語塞ウ︑棲目坐に生し︑萬慮條に沈むo嚴粛静蓼︑七百學生の精露今果して何庭をや
辿る︒胸底熱血避﹀︑隻眼血泪漣測たウ︒捧讃畢◇︑一同最敬禮を行ム︒次ユ校長再び祭
壇に立て玉串を捧■奉﹀︑一同叉最敬禮Y行ふ︒此に於て式全く畢り︑解散を命せらる︒
時將さに十時るちん巴す○然れ已も誠悼追慕︑陪阻逡巡︑恨然去るに恐び難く︑麗わす躊
曙低徊するもの数歩︑数分し
歳月荏蒋2一月十日に至う︑國民喪鼓に期を終るo黒布は腕を解かれ︑帽を腕す︑而めも 我輩胸中の悲痛は︑解く能はす︑除く能は古o天地を傭仰Lて︑熟涙止む能はすo志擢け 心傷み︑永く筆Y取葛よ禁へす○悪んぞ詞章Y修むるを得んや○臆し
○第五回通常會 二月廿一日午後一時よう第四
高等學校本舘担所にてにて︑開催せらる︒大島會
長 先 づ今より開會すべきを述べ︑次で
第一席高山教授登壇 ﹁クレオソート及グアヤ
コールに就て﹂なる按題一の下に︑熱心に︑荘重に︑
殆ん舌一時間牛の長演認をなし︵詳.細は次號に
議る︶
第二席渡 貞氏 は﹁怪しの臨床實験﹂あ就て︑
種奇響の辮を揮ひ︑人をして或は笑しめ或は一
嘆せしむ
第三席金子一敢授
王「薩⁝骨上鯉怜突・起のデモソス
トラチオソ﹂に就て︑其稀有易る實験の紹介あ
り︵詳゜細は次號に譲る︶
第四席木村教授は﹁人体國の人民﹂参る演題を
以て︑いピ面白く人体の造構及び生理に付て説 明わう︵詳細ハ次號に譲る︶
第 五 席 小川教授 ﹁膀胱充満を卵巣嚢腫と誤ま
りし一例﹂に就て︑縷々競て曰く世上自已の學藝
に
誇りo技術を負ふ者頗る多しoしか賄余は︹自
ら其過失をあけて○大方の示紋を乞ふもの少な
きを怪むc去年夏余け腹部に一大腫物を有す移
女子の一患.者に遭過せう○営時余は之を卵⁝巣嚢
腫に診断してO直ちに適當菰る塵潰を行ハん巴 欲したるも該患者n爾肺結核○蜜尿病等の疾病
を有L︒到底手術に堪ぷる能はホε思惟したる
を以て○巳を得下其儘放置したりo后藪日Y経て
再試之を診したるに︑腫物ハ幾分か其位地形状
を憂じ︑且つ以前其高さ隣に全卒面にあ6し者
が︑縮小して麟下三指横穫の部あ下うLを認め
たるも︑卵集嚢腫に於て︑時として斯の如き憂象
を見るこ巴あるが故に︑余は爾卵巣嚢腫をるを
疑nぎ◇き︑然るに第三回の診察に於て︑患者が
其 直 前排尿せうピ訴ひしにも係はら古︑試に伺
カプー・7ルを掠入して︑排尿せしめたるに︑何スつ
圓らむ尿を排泄する.殆んぜ二千立方仙迷o下腹
●
雑 報
部 の 腫瘍n全時に忽焉として油⁝失せむ電はo余
は・今余が誤謬の診察を掲げてo⁝世の輕々診し去
って余ε其轍を全ぶせん巴する者を戒む竃︑夫 れより欧洲諸大家乃蕎明なる實例を引証し︑演
じ去ウ演じ來つて亦醗藍るく︑聴者をして麻姑
の
痒きを援くが如き戚あ全しめき︑
右
終nつて︑大嶋會長閉會を告ぐ︑時に后六
時
○森口専次郎君逝く 會員繋科第三年生森口専 次 郎 君は一月十五H︑有爲の材を齎して︑九泉・
の
下に入る○君爲人沈毅寡獣︑萄句人芭合はず︑
自ら僻界將ポの明星を以て任せう○然るに昨年
以來︑氣色頓に揚らず︑姿容大に衰ふる竜のあ
ちO畢友或は其罹病に非さるやを疑ひ︑勘むるに
自重を以てすれば︑君轍ち之を斥けて曰く︑男
子
志を立て︑研鍛に從ふo匿々二竪の故Y以て
學業を廃するが如きハ︑我所志に非#に︑螢雲奮
七
+ 三
●
雑 報
の 如し︒客臓果して痛を得︑金澤病院に入院し
て︑山崎高橋爾警學士乃︑懇篤なる治療の下に︑
振養怠δ・なかりーが︑天之に年Y假さず︑蹄郷
の
途 次 宇 野氣の客舎に於て︑途に瞑せり・享年 二 十四︑悲夫︒
○幹事の交迭 醤科第三年級幹事石森國臣君都
合にょう︑其⁝職を解ーた゜るを以て︑稲⁝歓撰學を行
ひー慮︑生沼曹六君當撰せφo
O新入會員 前の本校助敢授谷中正勝氏は︑今
向本會へ入會せられたうo氏は當時秋田縣米内
澤病院長を奉職し︑令聞噴々泥◇巴云ふO
讐
O
堅 部 評 議 會
今回我が聲學部に評議會なる
ものを設けられ︑學校長の諮問に感ヒ︑重要の校
務
Y
評 議する乙と︺なれり○而ーて高安主事︑木 村 敷授︑櫻井敷授︑山崎散授該評議員を命せら色︑其の任期は−二箇年なウ巴云ぶo
O
舎 監 の任命 散授・今井省三氏は・今阿本校合監
七 十 四
を命せら乏たうo
O
阜生掛の任命 今回新ユ學生掛を︑輻見宙太郎︑日下庄太郎の南助授放に任命せら巨たうρ
○ 級 長及幹生 今度學級整理の便を計う︑學生 心得の實行Y督働誘導せんが爲め︑各學級ユ級
長一名幹生若干名を置うるo蓋ー級長ぬ携任學
生
Y
統率し︑行歌及勤惰を監査し︑兼て数膓内の 秩 序及清潔を保持するものにしてo幹生ハ級長
の 指圖に依う︑學生心得の實行を誘導するもの
なクo而して級長の任期は一學年間巴し︑幹生は
一學期間巴せう︑但し擶期後更に縫績する乙と
あるべー巴云ふO
得
O
業 士 交名 元高等中學校堅學部卒翼缶にし
て其後得業士の稀號を用ゐる之巴・.細ぽ︑日せ夕れ
たる諸君は左の如し
馨 學 得 業 士 木村辰次郎︵山 口︶ 島村豊次鄭二右 川︶
上 野
貞吉︵富 山︶
秘森佐一︵稲井︶
加 須 屋 武留︵牝海道︶
藥 學 得 業 士
鵜澤豊吉︵石 川︶
森岡市太郎︵石 野 崎
三郎︵石
吉田和三郎︵兵
)
庫川川
) )久保喜卒︵石川︶
○卒業生諸氏の方向
客秋︑犀涯古今亭に︑金欝を叩いて︑卒業生諸氏
を法つてよク︑烏兎匁〃己ユ三閲月o寒嵐梢を描
ひ︑冷氣執に蒲つo起て諸氏が奮︻寓を訪へぱ︑柴
扉人なく︑安室堅く鎖すo來者荘々去者亦荘々︑
吾輩許て堂Y全ふtて︑研鍛の業に從ひーものo
回憶何ぞ窮ま夕むo今諸氏が方向を追尋ーて︑全
學諸氏に報ず︑敢て無用の學にあちさらん欺o
鈴木寛之助東虚太郎末岡外次郎の三氏は金澤
病院内科に入う︑室田萬三太郎︐東頁卒の二氏は 全 外
科に入芝少c
園崎純次郎︑森川脩爾氏は歩兵第七聯隊第十一
●雑 報 中隊︑本多勝久︑田上捗爾氏は全第十二中隊へ各
年一
志 願 兵巴ーて入隊せう︒四氏皆現役を志願
ーカム・巴云ムo肚志知るべし
嶋田士口三郎︑竹中繁次郎︑金子太須計の三氏は.︑
客 臓 上京︑嶋田︑金子爾氏は相件ひて醤科大學病 理 室 ゐ 入う︑竹中氏は全生理室に入芝>o竹中氏 響て他R語つていふっ須里大學に遊ぴ︑更よ航し
て海西k趣かんピo果ーて然るう︑ア︑果しぐ然
るうo亦一個の風雲見o喜ぶべきる6︒叉金子氏
よう常地の知友に贈ウたる書簡の一節に曰く︑
余輩は充分濁語を學び居らさるがため︑何虞へ
出ても頭上が夕ず︑大ユ悔恨致居候︑爾來上京せ
ん巴欲するものは︑・充分なる猫語の修養を要す
る儀巴被存候εo好箇の鑑戒εいムベしo
其 他 紺 谷 艮作︑氏・は遠めらす上京の途あ就・のる べく︑中嶋正泰氏は過日常地を過ぎて上京の途
に
上れ∧ノ︑林幸市郎氏は−河牝郡木越村の自宅に 七 十 五
●
維 報
あウて︑修得の妙腕を揮ひ︑四方忠客の需めに
纏せウ︒近くは新紙にれける實扶的里血清療法
施
行
H
大々的廣告を以て見るも︑氏が氣炎のあ
る所を知るに足るo廣野喜久雄共は目下本市木
の
新保に潜むて︑自夕池中の腔龍を以て任せる
も︑二月下旬頃にn︑朋昨郡の某地ゐ門戸を張
る積ク易うε︑さ渇人よ語うたうに云へば︑其雲
漢 に
銅 翔するの日ハ︑遠うらすして目賭するY
得べし︒婦竃氏n郷里幅井縣丹生郡安居村に於
て︑父君を助けて頻あ趨死同生の技を施し︑近村
の欝師殆ご顔色なしピは眞欺o月前の徴星其光
輝を失ムは抑も當然︑しうも吾輩は夫の非命に
鎚る︑上の徒をLて︑よく其天壽を全からしめん
を希ふ而巳︒千田榮三男氏は痛疾甚だ蓬@︑先頃
止善堂病院に入蓬ウピo氏にして疾病H器さら
ずんバ︑亦こ芝有爲の一俊材︑時爾盤寒盟朋︑乞 ム 加餐せよo債堀直江氏は其ハ郷地信州飯田に悠
七 十 六
々し︑永井環兵は嚢11三州幡豆郡なる田中病院
に聰せら4﹂たウ逗聞くo 卒 業 生諸氏の動灘概ね斯の如し︒知らヤ校堂幾 百
の士.誰人の面影か︑よく枕頭に捉匂來って︑
悟⁝々巴して温故知新の綻談をなす者そo
O一年志願兵消息 小西寅次郎氏ぱ近衛歩兵第
二 聯 隊 第 入
中 隊に︑安田順太郎氏は金澤歩兵第 七 聯 隊第一中隊に︑石田太吉氏は全第二中隊に︑
間中泰三氏は大津歩兵第九聯隊瑳五申隊に︑河
本算悟及松坂治助の爾氏は︑姫路歩兵第十聯隊 第 七中隊に︑準井正澄及渡邊鐵の爾氏はー︑大坂歩
兵第二十聯塚第九中隊に︑谷一年志願兵巴ーン㌦
入螢せられカ∧o
薬
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剤官任命 卒業生金田一春.澁谷十郎は︑兼
て一年志願兵ゐて入螢の堤︑今度金田一春氏は
陸 軍 三 等 藥 剤官︑東京衛戌病院勤務に︑澁谷十郎 氏は陸軍三等藥剃官.名古屋衛戌病院勤務に任
命された0
0
甲午麟學會新年宴會 は去る一月九日正午よ6︑本市里見町大野棲に於て︑石川縣藥捌師會巴
の
合併ゐて催せしに︑會する竜の四十八名にし
て︐頗る盛會をうしピ云ム﹂
○職員及一學生の種痘 ム﹂や天然痘n︑各府縣到
る庭に流行して其の毒⁝勢を疸にせさるハ壱し︒
鼓
に
於て︑我校は小川︑野田︑岡部︑村上敷授及松
本︑森嶋助教授ゐ種痘委員を一命ヒ︑殴︻科第四年生
をして施術者だらしむ〇二月十二︑十三爾日︑本
桟職員を始め︑讐學部及大堅豫科學生総計五百 五 六十名に種痘を施し︒後ち十五︑十六雨日にい
た◇︑之Y験診せしゐ︑善戚者百二三十名あ6就
中既に幼時天然痘を患へたるも乃にして︑善戚
せる屯の︑職員中あ=一名あリカる由o蓋し今回
の 種痘成蹟は︑學術上の興味勘から宇o依て野田 散 授は次號に於て︑緻密精細の報告を寄稿て斯
●
雑 報 る︑由
○ 海 軍 少 軍 讐 候 補生の募集 今般海軍少軍馨候
補生三十四名を募集し︑且將來は毎年春秋二回
に
莫 集 可 相成見込に付き︑屡學部卒業生井在校 學 生 卒 業 の 上 右出願すへき様勤誘の義︑海軍衛 生 會 議 長よう︑我が主事k宛て依頼わうたう︑行
よ肚心の男子︑走芝青雲の健見︑而して志願乃者
は︑明治二十六年十二月勅令第二百五十一號︵海
軍 高 等 武 官 候補生規則︶︑同二十入年九月勅令第
百二十七號︑同二十九年⊥ハ月勅A口第二百五十八
號︵共ゐ海軍高等武官候補生規則中改正の件︶及
同二十九年三月海軍省令第二號︵海軍少軍閤候
補生探用試験規則︶に依0︑本年四月三十日まで
に
海 軍 衛 生 會議ユ出願し︑身賠槍査及學術槍査
は本年五月十一日よう︑海軍大學校内ゐ於て開
始すピ云ふ︑弦に惑考の爲め検査科目Y鵠⁝■︑旬
ほ海軍少藥剤官候補生の瞼査科目をも皐ゆん
七 十 七