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ドキュメント内 重 藤 威 夫 (ページ 31-34)

石田博巌:都部問答〔日本経済叢書,巻8p. 327, 33D 

9) 

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一一七九年︑第三四円三AA

2 3

教舎の宗教熟を復興した聖ロ

2 5 ι 5 ( H g H I M

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合議は悔改めない高利貸に︑聖躍典︑臨格の兎罪式及びキリスト敦徒としての埋葬忌拒絶すべき己︑とを布告した︒ 金貸を痛烈に非難しに︒

十三世紀には︑かふる観念は聖トマスによって数合思想中に一居強く結びつけられた︒彼は︑後述するが如く︑

金融を罪とする観念を聖書からのみでなく︑

クレ

γト五世アリストテレIスからも得てゐる︒十四世記の初︑

の主宰するさ

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合議は︑﹁もし利息をとることは罪悪にあら・?と執拘に主張するものあれば︑我々は彼を刑

に庭すべき異端者なりと宣言する﹄ことを宣明した︒

宗教改革以後︑新教の図々に於ては︑後述するが如くカルグィYの徴利是認の教設の影響により既に十六世

紀頃にかLる考へ方か

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脱却してゐたが︑奮教図に於ては依然として十八世紀の央頃迄は徴利否認の思想に支配

されてゐた︑しかし︑十八世紀も央になると現震の経済欣勢と徴利に濁する禁令との霜離が甚しソ¥なり︑それ以

上はか﹄る禁令は存続し得なくなった︒公にロlマ数舎が徴利を是認したのは一八七三年であって︑その年にロ

ーマ法王隠の認可を経た一書が公布され︑

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を取るも可なることを容認した︒﹂ 以後は法王の命令に賊従すぺきことを俊一件として︑信徒も遮営の利息

聖トマスは︑ウズラは罪悪であり︑禁止さるぺまものとしてゐるが︑その論擦は次の遇わである︒

第一は聖書の教へに基いてゐる︒ルカ倖﹁汝等何物︑をも笠ま

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して貸し奥へよ﹂(六ノ三五)︒申命記﹁汝の兄弟J

より利息を取る可ら事︑部ち︑金銭の利息︑食物の利息など凡て利息を生ホJ

ぺき

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利息

を取

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10)  White, Warfare of Science  (189G)森島恒雄語,ホYイト科卒と宗款との閲

p.  145‑158 

一九

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其他聖書には徴利を戒むる個所は多数存在する︒

第二は法理的根披による︒聖トマスはアリストテレIス以来の停統﹁貨幣は貨幣を生み能は﹂ごとの原則によわ︑

貨幣は流通過程の裡に治費される治費物であるとする︒こ﹄に於て︑伎はロlマ法に於りる治費貸借の概念を採

用し︑金銭貸借は一の治安貸借なりと定義する︒金銭貸借が治費貸借とすれば︑骨同然貸借営事者聞に所有擦の移

特が後生するから︑貸主は自己の所有権を離れた物件から使用料亭}徴牧するは不法であるとの結論を生争る︒聖

トマスの言葉によれば﹁融通された金銭に封してウズラを受くるは夫自鰐不正である︒査し存在せぎるものが責

波され︑それによりて明白に不均等が構成され︑而して不均等は正義に背馳するからである︒このことの立設の

ため心得べきは︑諸物のうちにはその使用其物自胞の治費に存するところのものがあるといふことである︒例へ

ば︑荷萄沼は飲料として使用するによりて吾人これを泊費し︑小姿は食料として使用するによりて吾人これを治

廷するが如し︒この故に︑新る諸物については︑ものL使用は其のもの自らを離れて︑間早濁に秤円五されてはなら

ない︒有も使用を許さる土宥はすべてその事室よりして︑営然主︿のものを許し奥へられるのである︒市して︑こ

の理由の下に︑右諸物については︑治安貸借により所有権が移蒋されるのである︒それ故に︑若し人が別に葡萄

を買わ︑一史に別に葡萄酒の使用を賀らんと欲するならば︑彼は同一物を二度買ること﹄なるであらう︑印ち︑彼

は存在せざる所のものを頁ることLなるであらうυこの故に︑彼は明白に不正義の尿により罪することLなるで

あらう︒叉︑同様の理由により︑荷宥沼或は小李伊}貸し︑而して自身のため二つ報酬ーーその一つは印ち︑類似

近代資本主義の倫理と東亜経済

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