• 検索結果がありません。

五 同

同 可

同 市 同

tP1廿P

岡 山

課 荘 ト

なおその聞における教官人事の変動について一言しておかなければならない︒その第一は︑校長の片腕として本校創設

のことに当られた八木沢誠三郎教授が晴れの開校の式典をまたず︑昭和二年十月二十日病を発し急逝されたことであっ

て︑改めて哀悼の意を表せざるをえない︒ついで谷口正順教授は在職二年九カ月で京都帝大に︑また上原専禄教授は在職

二年で東京商大専門部に︑津田芳雄教授は在職一年一カ月で東京女高師に︑それぞれ惜しまれつつ栄転されたのである︒

課 拙

大正十三年 次に創設期を通じての本校の職員定員の増加を年を追って示せば左の如くである︒

校 長

大正十四年

医学士医学士

九月二十五日︵勅令第二三二号︶

︑ 助 教 授

書記

教 授

六月

日︵

勅令

第二

一六

号︶

O

︑ 助 教 授 教 授

大正十五年

七 月 五

日︵

勅令

第二

四九

号﹀

一 六

︑ 五

助教授書記

五 教 授

昭和

二年

九月

授 十

四日

︵勅

令第

二八

八号

七 ︑ ︶

O ︑

助教授書記

一 」 昭 和

二年十二月二十七日︵勅令第三六六号﹀

助手

和昭

十月二十九日︵勅令第二五七号︶

生徒主事生徒主事補

つぎに教官の在外研究と内地研究について一言すれば︑教官が数的に充実し質的に向上するため︑外国留学と内地研究

は極めて効果的な対応策である︒新設校における教官人事の特徴の一つとして︑在外研究と内地研究の重視は時宜にかな

っていた︒先にもふれた如く矢口家治︑佐原貴臣︑上原専禄︑土生滋穂の四教授は本校教授拝命以前にそれぞれ在外研究

を終えられていた︒これに対して本校教授就任以後において在外研究員を命ぜられたのは次の八教授であり︑しかもその

うち六教授までが創設期においてであり︑そこにも清新な新設校の息吹きを感ぜしめるものがある︒

寺 廉

自大正一五

至 昭 和 三

八三 三五 植商 民業 政地 策理

英・米・仏

伊 藤 正

至白 同昭 和 四二

一一

一・

七・一五

商 業 学 簿 記 会 計 学

独・伊・米

Tl

連 淳 細 野 日 出 男 大

1 ヨ

正 長 尾 義 日 比 野 勇 夫

白昭和

至同

自昭和

至同

?  

至白 同昭 和

四二

八三

商 経 経 商

学 業 業

業 済 数

五四 学

仏・伊・米

至白 同昭

五三

七一 四

・ 三 一

六・

0

・一

五 七 五

七一

一 一 一 ・

一 一 一 一

四・二六

二・二八一・一九

工 経

業 政

学 米・独・伊 白

昭 和 九

・ 至 同 一 一 白 昭 和 二 了 船 同 一 四

応 商 経 用

史 学

英・独・米

策 学

独・伊・米

《主ん戸三今

一ナーf

英・独・米

ι戸

独・米

なお内地研究については昭和四年度に商工経営及び商業実務研究のため東京・大阪に栗原教授が出張され︑以後毎年ほ

ぽ一名又は二名がこれに当られ︑それぞれの成果をあげられた︒

研究会の発足と研究論集の発行

教官陣容の充実につれて︑学校本来の任務である研究活動もようやく活発になってきた︒最初に組織されたのは高岡高

等商業学校商業研究会と称するものであって︑件研究調査資料の蒐集︑同学術研究会の開催︑同研究調査の発表の報告︑

同講習会講演会の開催︑同商事に関する質疑応答︑などの事業を行うものとされた︒しかしてこのうちの講習会は別に十

五カ条よりなる商事研究会定期講習会規則をつくり︑春秋二期にわたって夜間に実施された︒これは本校の対外的社会教

育活動である︒その他の事業は殆んど調査課の所管とされたが︑特に教官の学術研究とその発表を促進することが急務と

され︑この目的のために独自に高岡高等商業学校研究会が組織され︑その規程︵一

O

カ条︶が作られた︒これが課題にな

ったのは昭和三年春であったが︑開校式に間にあわなかったのは残念であった︒まず機関誌の名称をいかにするかが問題

になったが︑結局のところ﹁研究論集﹂ということに決定された︒かくしてその創刊号︵一一︐七一一

JA

︶は昭和四年一二月五日

﹁研究論集﹂創刊号内容目次 に発行され︑その内容は次の如く華かなものであったが︑昭和六年から年三回とされた︒

b

議 の

ゴ ニ 社 fl. 

" " '  

の 本 体 を 論

シュタムラーを中心とせる法律と経済との関係::

j i

− −

ji

− − 向

国家経済的命題としてのロlドベルトスの労働価値説::

j i

− − 城

交換

経済

の機

構:

::

j

i

− − ・

j

i

− −

: : ・

j i

−−

::

::

J

− − 位

i

経済理論的思惟に先立つもの・

ji

−−

::

::

::

ji

−−

::

::

::

大 配

会盟参

説 史

デlヴィッド・ヒュl

ム:

::

::

::

::

ji

−−

::

::

ji

−−

::

:柏

者::r 

b '  

W‑l  口

北 川

宝原

ノ 制!i¥1 

N‑, H

寺 倉

E

I~ 治 海 次 ヨ

正 室

i

行 臣

A {~

れ 廿ハ パ

lh

N叶

でとI

五五

五六

支部全国経済及財政会議と重要経済会議・

. . . . . .

. . . . . .

. . . . . .

. .  

・ ・ ・

・ ・ ・

・ ・ ・ 打

ノ、

マックス・ウェlパlの経済史

j

i− −

j

i− −

: : : −

− j

i−

−:

::

::

正 治

事情

変更

の原

則に

関す

る一

一一

著・

・・

・・

・:

・・

・・

・:

・:

・・

. . . . . . . . .

.  

・ : ・ ・

: : ・ ・

・ : 向

梅 次 学 友 会

結 成

教官側の研究活動に対応して︑校風の樹立に最も密接な関係があるのは学生側の課外活動︑すなわち学友会における各

方面の活躍である︒まず創立開校後間もなく学友会組織のことが取りあげられ︑学校側は全教官︑学生側は創立委員十三

名をあげて数回の会合打合せの結果︑高岡高等商業学校学友会会則合一三カ条︶が出来あがった︒当初は一五部で組織さ

れたが︑昭和三年からは卓球部と寵球部とが結成︑翌年から予算が与えられた︒その後この外に射撃部︑乗馬クラブ︵蹄

友会﹀︑広告研究会︑美術研究会︑写真の会静座の会︑精琳会︵謡曲の会︶なども作られていった︒また学友会とは別で

あったが︑昭和三年五月には国際連盟協会高岡高商学生支部なるものが設立され︑その中に付国際法制研究会︑

ω

国際金

融研究会︑同国際労働研究会︑同国際経済事情研究会がおかれ︑それぞれの研究活動をおこなった︒

かくて創立委員と学校側との努力によって学友会役員の選考がなされ︑大正十四年七月十日に十五部の部長︵教官一

名﹀︑幹事︵学生一名︶︑委員︵学生三名﹀がきまった︒

学友会の組織と運営の上に最も関係の大なるは会計と予算であったが︑まず会則の中の会計に関する主なる条項を摘記

すれば︑次の通りであった︒

第十四条会計ノ年度ハ毎年一月ニ始マリ十二月ニ終ル

創設期の学友会各部予算

年度別| |  |  | 

部 別 \ \ 」 大 正14年 度 | 大 正15年 度 | 昭 和2午 度 | 昭 和3'<T二度

l

114円 | 円. 48  191. 91 

l

159. 41 

l

414. s1 

287. 50  327. 50  '  409. oo  611. 20  83. 50  I  147. 30  I  194. 46  243. 21  50.00  138.50  120.97  229.37  103. oo  142. 70  252. 58  ;  294. 02  100.00  I  147.54  253.25  I  278.10  182. 20  178. 20  561. 23  790. 07  316.20  443.30  I  784.95  .  882.84  230.42  415.80  I  696.34  743.82  ,  150.20  316.25  411.03  444.22 

67. I 117.50  211.95 8

I    k i I : : :   ~

;,~   ; : " ' ' o  

I 9. 70 1.40  227. 40 

50. ()()  '  151. 30  195. 00  209. 53 

35. 00  110. 240.oo  312. oo 

合 計

i

1 944. oo  2 862. 50  4 77

6, 2  総 務 部

文 芸 部

弁 論

i f G

語 学 部 剣 道 部 柔 道 部 陸 上 競 技 部 野 球 部 庭 球 部 蹴 球 部 山岳スキ一部 弓 道 部 水 泳 部

相 撲

r n ;

音 楽 部

第 十 五 条

第十六条

第十七条

第十八条 普通会員ハ会投トシテ一ヶ年金拾円ヲ四月︑

}L 

月ノ二期ニ金五円宛授業料ト北ハニ分納スベシ

普通会民ハ入会金トシテ金三円ヲ入会ノ際納付 スベ シ

特別会口一ハ会費トシテ毎月俸給ノ二山分ノ一フ

醸出スルモノトス

木会ノ経常費及臨時時ハ会質︑

入会金比ノ他寄

附ヲ以テ之ヲ支介ス

各部次年度ノ予算ハ各部一一於テ之ヲ編成シ毎年

十一月三十日迄ニ総務部一一捉出スベシ

総務部ハ各部ノ予算ヲ査定シ総予算主ヲ編成ス 総予算案ハ幹事会ノ審議ニ付シタル後討議会ニ

於テ審議決定ス

入会金ハ其ノ一一一分ノ一ヲ基本金トシテ苔砧ス

そこでこの会計予算を審議するのは評議会及び幹事会で

基本金ニ関スル規定ハ別ニ之ヲ定ム あるが︑その予算の査定と編成の主たる責務は総務部であ

五七

五八

ったがため︑特に創設期においては総務部の役員はよるべき前例もなく︑最も苦心をしたのである︒大正十四年度は第一

学年生のみ︵収入予算二︑

O

九九円︶︑同十五年度は第一・二学年生のみ︵収入予算三︑二八五円︶︑

降にいたって初めて全学年の会費による予算が組まれたわけである︒ しかして昭和二年度以

これらの予算をもってする各部の活動状況については︑学友会誌に詳しいのでそれにゆずることとするが︑既に当初か

ら相

当の

成績

をあ

げ︑

いくつかは北陸での優勝をかちとり︑その後の一地域守フロック或いは全国的出場と優勝への準備をと

とのえた︒学友会誌は毎年一冊の発行であったが︑昭和五年からは年二冊とされた︒また第十二号︵昭和八・七・五発行︶

からは﹁志貴野﹂と命名された︒

昭和

3

年学生本籍地調

(9月20日現在〉

, , . , , , .  

寸一

本文

二七七頁・部報

第一号︵大正一五・

二・

一一

発行

LεJ

第二号︵同

一五

・一

二・

O

発行

本文一一一頁・最報

| 司

第三号︵昭和本文三一頁八四頁・葉報

九・

二三

発行

| 司

開学記念八四頁本文一八三頁・魚報第四号︵同二・二了二八発行︶

ω998776555544444444333333322221111110000000

1

A

山川野潟原知一井草阪山部馬悦口川附岡島京荒川木公取似島知形良山品川日本一附城玉川分子川島木崎悶近森城縄太パ鮮一汁

Aゐ 今

プ パ ︑ ︑

::ix 

ず ほ

富石長新日︵愛岐に泊三大同京群愛山神静街路東千山以鳥島広白山奈和徳佐熊宮沃埼香大作秋一仙栃長米必青作山沖

m A

口明人υ

ドキュメント内 第一部校史篇第一部校史篇第一部校史篇 (ページ 54-64)

関連したドキュメント