一 一
、頃は天文五年の春よ末は天下を握れる始め
元H生れの人は誰れ草履つかみし人は誰れ
警固さんy
−ゑ
らい
御威
徳
曲一
日岡
さん
どえ
らい
御威
徳
一 一 、
四 攻 四 め 困
扉て 九
5
外|か/]、
す 田
入 原はカ、
誰 げ れ て
吉野醍醐の花をも眺め
謡曲作りし人は誰れ
豊岡ちんどえらい御威徳
曲一
眠岡
さん
どえ
らい
御威
徳
乙れは︑漸く記憶に残ってゐる︒官時の踊ち歌の断片である︒
一 一
糸月少龍は市外松ケ枝に在った悌敬小血中林そ卒業して︑四候堀川の中皐林に入事した計b
であ
っ
た︒此の皐枝の生徒の大部分も夜は︑それん\に偶装して踊bに加った︒随分奇抜な装を航した者もゐ
った
平素頗る物騒な様な顔をしておた津村某は.能く似合う定九郎に成って︑腰に刀を差して出た︒九 ︒
恩 智 い づ れ か
一三
七
思 雌 冒 い づ れ か
一三
八
州男子の巌永某は︑炭俵の一方そ披げて︑其のま︑︑笠に被って踊って出先︒偶々五怖の橋の上から︑
祇闘の塾妓等の大群が︑緋縮緬の着物に︑花笠を被って︑踊って遺って来たのを観て︑跳ぴ込んで一
所に踊ってわたが︑忽ち幾人もの聾者等の顔や手に︑怪我きしたので︑彼等が︑悲鳴を揚げて逃げ惑
ふのを︑彼は痛快がって喜んでわた︒が︑遂に巡査に且つ付られて︑五傾警察署に引かれた︒それで
も小
言を
謂は
れた
い︑
けで
隠っ
て来
た︒
糸月
も︑
あ串つ操b人形が道禦で︑中にも太閤記十段目の久吉遣いが得手で︑其の久士口になる人形や︑その衣装が︑
ふだん︑彼の家の︑古い黒光bのする薩摩杉の着物画に︑彼等の咲い
l r t
おずと共に︑だみこみに入れ
幼少
の頃
から
︑
非常な太閤最負であった︒それは彼の父親が水呑み百姓であb
なが
ら︑
られてゐたのが︑幼時よb彼が︑秀吉崇祥の主なる原因となったのであるらしい口
彼は︑心から︑此の祭典を喜んだ︒何だか︑肩味が庚い様に戚じた︒然し︑新入生で︑臆病者で︑
因循な性質の彼は︑心中には︑自分も耐らね程︑暇装踊bに加って見度くて︑それでわて︑遺る勇気
を出すこまが出来なかった︒
然し︑彼は︑豊岡祭よLリ も
︑
一層大事に考へてゐることがあった︒それは︑彼の皐校のすヤ近所の
或本山に昔から古く安置せられ
τ
ゐる由緒深3
彼の立像稗迦キ厄知来の教像のニとであった︒彼は︑小信の時から︑単純に︑備敬の本隼は︑殊に法華経の宗旨の本牲は︑現論を弄する迄もなく︑
此の立像め四件迦牟尼如来に決まってゐるご︑誰れに教へられた三無く︑堅︿/\信じてゐた︒そうし
いつも此の隼像の働形木が有難γぞう仁貼りつけられてゐた︒て彼の机の向ふの壁には︑
彼はいつも︑備敬の本章の不統一を痛切に慨いてわた︒それで︑彼が︑此事林に来て︑第一に喜ん
だのは︑此の大息数主の勘請せられてある︑異﹁傍に来た乙とであった︒彼は皐林に来る止︑第一仁︑
此の立像蒋掌に参拝した︒大概の日︑皐課がすんで︑夕方の散歩時聞が来ると︑決って此の御堂に奉
って︑二時間計ちは必や讃経したo彼は緯隼に到して︑生主党人間に謂ふ様に訴へた︒
アナタは唯一人の偶数の御本隼であらせらる︑︒悌
ありさま教が︑幾ら︑乱雑を極むるにしても︑鈴bに甚しい今の肢態である︒此の御堂は︑殆んど︒蜘妹が ﹃アナタは︑唯一人の救済主であらせらる︑︒
巣そ張ら
A
ばか
bの御山肌態︑それに何ぞや︑隣りの本願寺の阿捕陀如来は︒樺敬方便の備であるこ
H々のゐの群盛︑此の方は真偽︑本悌であるのに︑知何に宗徒︑が︑無恥怠慢
あんどん
であるとはいで此れはえ飴
bに畏れ多い︑申誇けのない︑残念なことでゐります︒無智闇鈍の私︑ とに間違は無いのに︑
鰹質虚弱の私であムリますが︑将来命に掛けても︑アナタを異質世に輝かさねばならぬと思ひます︒
主師親三徳のアナ夕︑何卒私の雅少なる闘を︑不思と思召せ︒﹄
思 笹 い づ れ か
一三
九
問 山 讐 い づ れ か
一四
O
彼の譲粧後の︑閤の中の涙乍らの熱願は︑乙れであった︒彼は豊園祭が︑何時の間に終ったかも知
らな
かっ
た︒
糸月が︑立像韓牲に参拝してゐた頃.すぐ横手に私る本願寺の黒い狭い一長門から︑まだ肩上げ委の︑
な り む ん り 寺
山碩つごした装をした娘が︑よく伸に乗って出るのを糸月は翻てゐた︒そうして︑世には美人もあるも
のかなぜ﹂思ムてゐた︒今は無き人の数に入って︑無憂華の主人公となって惜しまれてゐる偏人武子夫
人が︑それであった︒
彼の皐校の生徒は︑僅々八十人足らやであった︒彼と同時に松ケ枝小皐林から入って来た者は︑彼
の外に三人であった︒
その中の志摩智朗は︑頗る瓢逸で︑仙人の様な顔をして︑可なb奇行に富んでゐた︒が内貫は頗る怜
例で︑中々注意深い縦密な心を持ってわた︒他に劃する思ひ遺・9も深かった︒彼が念に出家した原因
には頗る哀れな物語りを有してゐる︒糸月と志摩は周年で︑除程深︿交ってゐた︒
野中智康は徳島の出身であった︒非常な勉強家で︑中々良い頭を持つ℃ゐた︒毎日皐課がすむと︑
さめ五僚醍ケ井の有名な漢皐岩山本市先生に︑四書の講義を受付てわた︒そうして︑夜は又三保寺町の基
替敬青年脅の夜皐校へ行って直接西洋人から英語を教はってゐた︒
野中は︑糸月より二つ年少であった︒二人は兄弟の如︿心から互に敬愛してむた︒然し糸月は︑野
中が飴bに激しい勉強含するので︑健康を案じて︑幾度ご無く警告してゐた︒それで日曜が来ると態
Z誘ひ出して散歩に出かげたb
して
ゐた
︒
今一人は吉岡国異で︑巌村皐林長の弟子であった︒師匠が大本山の貫首で︑六牙潮師以来の王義之
の名筆である
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り︑吉岡も若年であbながら︑中々好い筆肢を持ってゐ花︒尼借の如︿大人しくて︑それでゐて俊敏であった︒相撲が強くて︑糸月等は直﹁に倒された︒野中と吉岡は同年で︑よく気が
ゐっ
てゐ
た︒
四
糸月等四人と同時に︑他の所々の小皐林から︑此の中曲学林に進級して来た者は二十幾人であった︒
その中には赤木秀典︑大村観長︑北峰大旭等の︑中々の出来物も雑ってゐ史︑
入畢試験が行はれた時に︑先づ働組干の試験が課せられた︒績いて同月に普通事の試験も行はれた︒
が︑松ケ枝小串林から来た糸月等四人に封しては︑皐力が明瞭だからごあって︑免除せられたま︑に
梼んだ︒ぞれは此の皐林の敢頭で事貨は林長である
Mm
信正が︑松ケ枝小皐林の林長をも粂ねてゐ党w
思 雌 普 い づ れ か
四
思 雌 習 い づ れ か
四
からであった︒無論この林長も名義芦けで︑事貨は矢張
b
︑数頭名義の芝海瑞義師が線ての事務を遺って
ゐる
ので
あっ
力︒
笠満信正は︑高潔の人格の所有者で︑純粋の皐者肌で︑世事には全然無頓着の人であった︒専心備
串の致授と研究とを︑自己の使命と魁ふておらる︑様でゐった︒此の入事試験も賞際は︑誰れが斯く
きしたのかは剣らな同が︑笠満敢.顕は異質此れで善いと信じ切っておられ究のであったろフと思はれ
る
。
糸月は心中潜かに﹁これで善いもの打ろうか﹂Z何まなく不安に思ふた︒ そn v
翌日入皐試験の結果が講堂に張bだされた︒そうして此れが又太いに糸川等
μ
も意外であった︒糸月等松ケ技出身の四人は皆二年級民︑他の二十幾人は皆一年級に編入されてゐるのであった︒
糸月は胸がドキ/\した︒野中も︑志摩も︑吉岡も︑同じく皆眼を見張った︒一年級に編入された
多数も︑上級生も︑悉く何物かを戚じたらしかった︒
豊岡
祭・
9の騒ぎの聞は無事であった︒怜倒な志摩は考へたと見えて︑
四︑
五日
する
芝︑
三人
民断
はり
もせずに︑瓢然として何所かに行って終った︒貨は岡山の小皐林に入って悌串の研究をしてゐたので
あった︒彼が中華林を逃げ出たのは︑
一つは英語︐か非常に嫌いでゐった錦かとも思はれる︑
寄宿合の部屋々︒に︑寄b/\上級生の密議が行はれた︒一年級の赤木までが︑此れに加はって忙
し︿奔走するらしい模様が見へた︒
鈍戚の糸月は︑それが︑何事であるかを︑知るぺ︿して知らなかった︒川司教が経つに従って︑岡部
屋の上絞生までが糸月に到して折々不可解の表情をすることが多︿なった︒それでも糸月は︑白升等
が問題に奉ってゐるご云ふ乙とに気が附かなかった︒
不立に生徒は同盟休校を宣言したo上級生等︑が委員ケ設げて︑はげしく︑数師説幹部に接衝を重ね
てゐ
るら
しか
った
︒
す .へ
糸丹
は︑
たい
よ位
一一
然ご
し
τ
錦す業を知らなかった︒吉岡も野中も只困った顔をしてゐた︒三人が相談もして見たが︑何の智慧も出なかった︒
其の時︑計らずも︑越前の糸月の師匠から電報が入って来た︒﹃大病至念掠れ﹄の短文であった︒
糸月の岡部屋の上級生等は︑ぞれが︑糸月の師匠が︑早く事件を知って︑糸月を救ふ矯めの作h事と
思ふたらしかった︒
然し糸月は驚いて︑大念ぎに蹄闘した︒米原鐸で北陸線に乗b挽へる時︑僅かの時聞を利用して
小い町を尋ねて︑夏密柑を幾っか民って来たoそれは師匠は大熱で拝んでゐると思ムだからであった︒
思 讐 い づ れ か
[1.LJ