て 御 代 官
・御
一︑大納戸ヨリ諸品請取通
て所々御定番人足御本帳 て
伺 留
て 高 出 入 書 抜 帳 て金目銭定高出金銭積帳
一︑
古荒
・不仕付・川
欠高書抜帳
米・御手当米御証文留
一︑辰不仕付高書抜帳一︑享和元年
・二年・文化十二年・
弘化元年川欠高書抜帳一
︑
諸給 て 駅 所 困 窮 ニ 付 御 手 当 米 銭 御 証 文 留 一
︑ 御 免 地 高 御 証 文 留 て 加 高
・引高御
証文留
て永ク金目定高御証文留
て道橋御普請銭割付御証文留
一 ︑川除御普請人足割付担帳
一 、
大畑詰庶人銭割付担帳
て江戸上下御屋敷詰御中間割付如帳
て 御 金 銭 大 図 帳
一︑地頭定高出金銭取
立御本帳
て塩釜御役銭御本帳
一︑本御金銭始末留一︑携御金銭留帳
て 御 米 本 留 帳 一︑御米梯 留 帳 て年々諸向差出候御用物之事
て諸御代官所御役高書上帳
一︑諸船・塩釜改書上帳一︑諸普請割合高書上帳
とある︒七戸代官所の仕事が︑右と全く同じであったとは限らないが︑ほぽこのようなものであった︑という
ことができよう︒
今引用した資料は難解であるが︑その多くは︑年貢に関係したものであることが分ろう︒
天 間
林 村 史
三三七
第四編
近
世
ニ 三
八
そのためか︑代官の中には︑年貢の取立を専務と心得︑不法にこれを取立てる者すらあった︒
そこで︑盛岡藩では
﹁御代官心得草
﹄
なるものを作り︑代官の心得とした︒
これは︑長文にわたるので︑
その一節のみを引用してみよう︒
御代官は重き御役ニ候所︑近年一統困窮︑御上ニても御差支之所より︑金銭取立之事己専務とご得候類
多︑且不法之取扱を以︑金銭取立候者も有之︑右ヲ出精と相心得義︑甚御代官之趣意相応申間敷哉︑随分
村方之事心を附︑貧富・騎者・質朴等之訳ヲ相考︑土地善悪・薪努之祐ヶ等迄気ヲ付取扱可申事︒
農業之外産業有之村方︑或ハ田畑之油一通リ之所杯勘弁︑取立方考も有之事也︒
惣て御高併給地等︑是又委細ニ心得担度事也
其役所ニは諸書付も有之︑前々より被仰渡候事共熟覧︑取扱候義甚重き事候問︑専ら主役之要たる事な
るへ
し︒
廻村之節は︑御百姓共閑かなる時を考︑春秋之内廻村一村毎ニ心ヲ用へ︑土地善悪︑草木之有無︑人物
等承合︑覚不申節は︑取扱方不行届も多き事也
故に寓民不服︑自然と大難ニ至る事古今不少︑小吏ヲ頼ミ致候て︑事任申間敷事︑下役共外御役屋掛之
者共︑能々人物ヲ覚申度事也
惣て人ヲ不知シては︑取扱方ニ不埼多し︑国家ヲ統るニは︑寛猛中ヲ取る一定之大法也︑賢愚ニ依りて︑
或ハゆるく︑文は猛く︑何れ見合へき事也︑
一朝一夕ニ事ヲ成さるハ︑是不学不智之謂也︒
要は︑百姓やその持てる土地の善悪をよく知り︑百姓の迷惑にならぬよう適切なる取扱をし︑万一にも不行届 の取扱いによって百姓の不満を招き︑大事に至ることがないようにせよ︒
また部下を用いるにも︑小吏に仕事をまかせることのないよう︑人をよく見て使え︑
と説ききかしている︒
このような︑代官としての心得は︑幾度となく藩当局から発せられている︒
そのうちの一つ︑寛政七年(一七九五)十二月八日付のものを紹介しよう︒
御代筆を以被仰出候御書付左之通
支配所遠近も有之候得共︑役人共繁多ニて指図も行届不申故︑為長其処々え遣置︑田畑之興廃︑百姓之
安否を致見聞︑取斗候ために候処︑何事も司候者之申付而己を重し︑民之銀苦を不掛川様ニ相成候ハ︑甚
不宣
風儀
ニ候
︒
年貢金銭取立斗ハ︑村肝煎ニて相済候事ニ候︑代官は其身を慎︑支配処之邪曲を札し︑下々を教導︑風
俗を正しく致候心得等第一之主意︑御代々被仰渡︑何れも心得居可申筈︑今更委敷不及申渡候︒
都て︑下々之愁訴を押へ置候事ハ不宣候︑併願之向ニ寄︑表立候ては他村之障ニ相成候哉︑或ハ平生山
天 間 林 村 史
三三
九
第 四 編
近
世
三四O
野之稼を致不精︑家業ニ怠り候類︑或ハ行跡不宜︑村之風儀ニ拘り候者︑顛に制しかたき類有之候ハヘ
役人共え申出候上︑内々御向手寄之方え其旨可申出候︑何ニも差図可遺候︒
ケ様申渡候上︑若不正之取扱等有之︑村方難渋之開得有之候ハヘ急度相札︑不念ニ可申付候︒
諸音物受申間敷儀︑兼々申渡置候処︑百姓共願筋ニ付てハ︑物入有之趣も相聞得候︒
手先之軽き者共ニ
ハ︑心得違之者も可有之哉︑心を付︑急度吟味可申候︑自然少分之品たり共︑受納之
趣相聞得候ハヘ急度可申付候︒
この書付は︑代官は︑
田畑の興廃︑百姓の安否を見定め︑取計らうのが任務であること︑司候者の言のみを信
じ︑百姓の銀苦をわきまえないようではいけないこと︑年貢取立のみを事主する者もあるが︑それは村肝煎だけ
でもすむことで︑代官の仕事は別にあること︑
それは︑身をつ﹀しみ︑管内の正邪善悪をただし︑下々の者を教 導し
︑
風俗を正しくすることであること︑百姓の訴も︑むやみに押えておくことはよくないが︑願によっては上
司の命を仰ぐこと︑もし不正の取扱があって村が難渋しているときこえてきたときは︑
きっと札明すること︑代
官又はその下の役の者がワイロを取ったときは処罰すること等をきびしく示したものである︒
第三節
七戸代官所御給人役職
代官所勤務の給人数が時代とともにふえていったことは前に記したが︑嘉永
二年(一八四九)の七戸代官所御
給人役職表が七戸町の小林家に残っているので︑左にかかげよう︒
七戸代官所御給人役職(嘉永二年{}一八四九)
一︑下御役
一︑牛馬吟味役
村 中 中
泉
八 十 助 村
新左衛門
木 喜 太 郎 野
太郎右衛門
御武器係冥加銭取扱御用係兼 て 下 御 役 当 分 加
一︑御蔵手伝
天 間
盛 盛 福 盛
林
田 准
助 田
太 弓 回
准
助 田 文 蔵 村
三四
一 史
第四編 一
︑ 御 境 役
一︑御山奉行
一︑御武具係
鳴 近
海 高 清水目
高
工 浦
藤 福 土 て 奥 御 用 大 豆 御 買 上 係 一
︑ 牛 馬 役
一︑御用手伝
工
藤 中
島 米 盛
世
三四二
長
蔵
長左衛門
田 善 八 郎
田 田
寛
留 龍
之 丞 伊左衛門 龍
田 泰 田
准 善
八 郎 平 太
治 太 助
一︑由緒御用係
一︑同当分加
一︑
御 物 書 一
︑ 同 定 加
一︑同
力
天 日
間 駒 附 盛 駒 盛 工 浦 米 工 福
藤
嶺 藤
林 嶺
田 文 龍 田 泰 田 寛 龍
田 祐 田
勇 田 山 真 村
史
太 蔵 治平
助 太
又左衛門
司
其右衛門
理
又左衛門
三四三
て 御 用 見 習 て
五 銭
係 第四編
近
盛
高 四
野辺地 藤
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中
町 西
四
世 回
祐
戸
角 之 進
島 回
丹 久 村
才 島 弥 野 広
屋 七郎右衛門
戸
角 之 進
一︑御所限御代物御貸付御用係
て 御 普 請 係
四 福
士
留 之 丞
戸
角 之 進
三四四
勇 助
五 口
士口
助
‑'‑/'¥
治
福 土 附 田
留 之 丞 其右衛門
一︑盗賊吟味方並火之廻用水奉行
中 原 千 葉
一︑御本丸御座処御掃係
駒 嶺
野辺地
一︑御古城廻御掃除係
四
戸
高 村 て 往 還 道 橋 御 掃 除 係
工 佐々木
藤 苫米地
一︑蟻渡御野馬御用係
天
林 間
才 平左衛門
蔵 久 又左衛門
士口
角 之 進 庄 之 助 其
馬 茂右衛門 伊右衛門 村
三四 五 史
第四編
近 工 藤
世
ニ四 六 龍 太
一︑大阪御仕向大豆御用係
中 島
伊左衛門
て 贋 金 銭 並 悪 銭 吟 味 御 用 係
一︑三本木平植立奉行
て 魚 粕 御 買 上 御 用 係
中
大下内 附
工 町 米 四
中 藤
原 山 回
屋 藤
田 戸
島 島
平左衛門其右衛門
県
理 武
太 夫 喜 三 太
勝右衛門等
J¥
武右衛門丹
五口
伊左衛門
て 泊 村 遠 見 御 番 所 御 番 人 作
回 半右衛門 貝 塚
平
助 貝 塚
伝
助
第四節
七戸通の行政区域
前述した処によって明かな如く︑七戸通の行政組織は郡・通・
{ 楠
・村という組織になっており︑下級の通には ︑
沢山の村を統轄する大肝煎がおかれることもあった︒そして︑大肝煎がおかれた場合︑その配下の村には時とし
て肝煎は置かれなかったようであるが︑この点については研究が十分でなく︑後考をまちたい︒
以下︑江戸時代の七戸通を構成していた村々の︑村名・民戸数・馬数等を‑記してある幾つかの資料をかかげよ