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ドキュメント内 技術の本質 (ページ 43-46)

網を給ふに如か宇﹂と云った場合.との主憶の究極の目的は魚を獲るととそのととにあるのであって︑網走一五ふ

技術的なものを作るととにあるのでもなく︑叉むの技術的手段を用ふるととその事でもない心況んや網を用ひん

が局には.彼は先づ目的物たる魚の居る方向と反封の方向に退いてゆかねばならないし︑家に到って網を作る

ためには彼は糸を結ばねばならない︑そして網が出来てから再びもと退いて来た途を進み歩まねばたら友い︒彼

の行動するかくの如き過程の一つ一つは網と云ふ技術的たものを用ひ

τ

魚を獲ると云ふ究極目的のためには︑そ

の一つ一つが何づれも意味ある不可快の蓮績をなし︑‑次第に次元を高めてゆく一つの目的の系列をなしてゐるも

のではあるが然し究極目的にすぐ着目してそれまでに至る過程を一つ一つふり︑返って見るとき︑たしかにそれは

幾つかの迂回であるととに相還ない︒﹁念がば廻れ﹂と云ふととは一一位の行動の技術であり︑憶しかに一つの合

理性を示すものである︒然し廻ると云ふととは迂回するとと︑一臆は目的から遠ざかる性質を含んでゐるととを

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桂内

先きに技術はそれが持続的な形成をしてゆくために自らは同定的な性質︑制度的な性質を帯びて居るものでな

技 術 の 本 質

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一 一 一

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ければなら宇︑閏定には﹁一度切り準備﹂の合理性が生々とその意味を後揮じてゐるととを越ぺた︒然し一回切り

ではあるが︑技術は回定的に準備されねばならない︑準備するととは叉計差す右ととでもあるから技術は計諜

(設計﹀されねばならぬと云ってもよいであらう︒そして此の一度丈準備︑計書して置くととの矯に爾後活動が如

何に意欲の線に沿って持続的︑統一的にうまく賓現されてゆくかは測り知れたいものがある︒然しそれにも拘は

ら宇準備するとと︑計聾するととは一応究極目的からふり返れば迂回の性質を含むものであるととを否めないで

あらう︒それ故にそれが本来は迂回ではあるが然しその迂回を乗り越へ︑て︑'金徳的に見て結局は合理であるζ

との鏡にその準備︑︑計書は科事化されぬばならぬ︑否準備︑計書と云ふ技術は合理化されねば注らぬc若しと

の科墜化︑合理化を軽一服するときは準伺計書︑否一般に校術はその本来の含む迂図的たものであると云ふ性質

を頴はに露呈して来る︒通常﹁準備倒れ﹂﹁計芸倒れ﹂と云はれる場合︑それは賀行力の紋乏によるものである

とともあるが然し準備・計葺と云ふ技術的なものが科皐化︑合理化を忘れ

τ

あまりに迂回してゐたためでもある

一時﹁計霊経済﹂と云ふととが盛んに問題とされ︑賞現されつつあると思は.れた暫く後をうけて﹁計霊終務では

なく機動経済で︑たければならない﹂と云ふととが一部の人々から銃く設へられた︒之は

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しく計書即ち沼健の技

術が迂回しすぎ℃ゐたえとに気づいたものと云ふべきであらう︒企業経替に長けるプラン=シグ・J

アパ

ート

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ヂザfトの出現も一皮切り準備の原則の合理性を充たさんとする経営技術の現はれであり︑テーラーは機械の設計から

常利

山し

たも

ので

ある

oそして企蓋し︑計議するととそのニとは経皆活動の資践上一つの合理性を一訴すものである

とは一五へ︑本来企輩︑計謹は技術的なものとして迂凶の性質を字むものであ

aるから︑更に進んで

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一重

計萱

その

のの内容を合理化せねばならない課題を不可避的に負ふ

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ゐるどとを忘れてはならたい︒

さて︑技術が本来は迂刷的危性質を字むものであると一五ふととに開漣

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て︑最後に想ひ出すものはポエム・パ

ウエルがその﹁資詮資本論﹂に沿いて提示してゐる﹁迂回生産﹂﹁資本の迂回﹂と一五ふととである︒周知の如く彼

は生産以高度化すればする程︑生産の最初の問後賠から最後の製品完成に至るまで

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明間が迂回的に延長される

と云ふのである︒果して時間的た期間が延長されるかぎうかは疑問であるとしても︑生産の過程が枇曾経済的に

も又経替経情的にも生産手段の偲系に沿いて︐次第に延長され︑複雑となるのは事震であらう︒例へば目前の例で

飛行機を作るためには鼓動機を︑後動機を作るためには工作機械を.工作機械を作るためには織を︑銭を作るた

めには石茨をと云ふ風に︐次第に延長される︒叉之を生産経管的に見ても今日一個の航空後動機丈でも約五千の部

分品から成り.之が延工程数は総計二両五千に建すると云はれてゐる︑従って最初のア舟ミ‑一ュlム及鈍から最

後の飛行機に至るまで共間には如何に多︿の生産過程が必要とされてゐるかは想像に難くない︒かくて生産の話

回︑資本の迂回は盆々鏑大してゆくのである︒然し・ながら斯くの如き生産の迂回︑生産された生'産手段として

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の資本の迂回は畢覚するに技術の高度的分化に基因するものと云ふぺく︑結局は技術の迂回性を別の姿で現はし

てゐるものと見ねばならぬ︒蓋し技術はそれが高度化せんとすればする程その形成する過程即ち生産過程を分化

せしめてゆくものであり︑分化が高まれば高まる程それ丈生産は迂回するととを避け難いからである︒.

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