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きいことか

何年も前の総大会で,わたしは,ホセ・

デ・ソーザ・マルケスがどのように救い主 の次の言葉を理解したかについて話しま した。「あなたがたの中で御たまにおいて 強い者がいれば,その人は弱い者を伴っ て行きなさい。それは,……彼らも強くな るためである。」6

マルケス兄弟は自分の祭司定員会に所 属する全ての羊の名前を知っており,フェ ルナンドが集会に来ていないことに気づ きました。マルケス兄弟はフェルナンドを 捜しに彼の家に行き,それから友人の家 に捜しに行き,さらには海岸にまで行きま した。

ようやくフェルナンドが海でサーフィン をしているのを見つけると,ダニエルの話 のように,船が沈んでしまうまで待ちはし ませんでした。彼は失われた羊を救助す るためにすぐに水の中に入り,喜んで連れ 戻したのです。7

それからマルケス兄弟は,フェルナンド が二度と再び群れを離れることがないよ うに,確実に仕え,教え,導き続けたので す。8

それでは,フェルナンドの救助の後日談 を紹介し,たった一匹の失われた羊を救 助したことからもたらされる喜びについて お話ししたいと思います。フェルナンドは 恋人のマリアと神殿で結婚しました。今 愛する人たちが心配しながら待つ中,

救助者が対応を先延ばしにしたため,

間に合わなかった。

や彼らには 5 人の子供と 13 人の孫がい て,全員が教会に活発に集っています。

その他の親戚や家族の多くも教会に加わ りました。彼らは神殿の儀式のために合 わせて数千人分の祖先の名前を提出して きました。そして,祝福は今もとどまるこ とを知りません。

フェルナンドは現在,3 度目のビショッ プを務めており,自分が救助されたのと 同様に,他の人々を救助し続けています。

最近,次のように述べました。「わたした ちのワードには,アロン神権を持つ 32 人 の活発な若い男性がいます。そのうちの 21 人は,ここ 18 か月で救助された若者 です。」個人として,家族として,定員会と して,補助組織として,クラスとして,ホー ムティーチャーや訪問教師として, わたし たちはできます!

原則 4

年齢を問わず,わたしたちは 全員,救助に向かうよう召されている

ヘンリー・B・アイリング管長は次のよ うに宣言しています。「年齢や能力,教会

での召し,または住んでいる場所に関係 なく,わたしたちは主の再臨前の人の刈り 入れの業に,皆等しく召されているので す。」9

日がたつにつれ,子供,青少年,ヤングシ ングルアダルト,成人会員などあらゆる年 齢の,ますます多くの皆さんが,救助に向 かうようにという救い主の高らかな呼びか けに従っています。皆さんの努力に感謝し ます。幾つかの例を挙げさせてください。

7 歳のエイミーは,年に 1 度行われる 初等協会の聖せいさん会での子供の発表に,友 人のアリアナとその家族を招きました。

数か月後,アリアナと家族はバプテスマを 受けました。

ヤングシングルアダルトのアランは,

ソーシャルメディアを使って教会のビデオ やモルモンメッセージ,そして聖句を友人 全員に分かち合うよう促しを感じました。

リーブズ姉妹は販売のために電話をか けて来た人に福音を分かち合い始めまし た。

ジェームズは,娘のバプテスマ会に教会

員ではない友人のシェーンを招きました。

スペンサーは,あまり活発でない妹に ラッセル・M・ネルソン会長の大会説教 のリンクを送りました。そしてこう報告し ています。「妹はそのお話を読んでくれま した。心の窓が開いたのです。」

主は,あまり活発でない会員や会員で ない友人の救助に向かうために,わたし たちが 必 要な手 段を全て用意してくだ さっています。わたしたちはできます!

わたしは全ての皆さんに,救助に向か うようにという救い主の呼びかけに従うよ うお勧めします。わたしたちはできます!

わたしは厳粛に証します。イエスは良 い羊飼いであり,わたしたちを愛しておら れ,わたしたちが救助に向かうときに祝福 してくださることを知っています。主が生 きておられることを知っています。はっき りと知っています。イエス・キリストの御により,アーメン。■

1. マタイ 18:11 ,14 ,強調付加 2. 出エジプト 4:10

3. 出エジプト 4:11 - 12 4. エゼキエル 34:4 ,10

5. トーマス・S・モンソン,October 2015 General Authority Leadership Meeting ,許可を得て 6. 教義と聖約 84:106掲載

7. ルカ 15:5 参照

8. マービン・B・アーノルド「兄弟たちを強めな さい」『リア ホ ナ』2004 年 5 月 号,46 - 47 参照

9. ヘンリー・B・アイリング「わたしたちは一つ です」『リアホナ』 2013 年 5 月号,62 若い男性のときに,自分を気にかけてくれた指導者に救助されたフェルナンド・アラウホ

(それぞれの写真の中央)は,今日ビショップとして若い男性を救助している(上)。

また,うれしいことに,子供や孫も教会に活発に集っている。

妻とわたしは,神殿で家族が永遠に結 び固められるのを熱心に待ち望んでいま した。それは,わたしのバプテスマの 1 年 と 7 日後に実現しました。すばらしい瞬 間でした。あたかも永遠が,結び固めの 前に起こったことと,その後に起こったこ ととに分かれたように感じました。

わたしは合法的に数年間アメリカ合衆国 の東海岸で暮らしたことがあったため,そ の町々の幾つかについては知っていまし た。それらはほとんどが小さい町でした。

最初の示現に至る出来事について読ん だり聞いたりするときに何度も,大勢の 人々のことが出てきます。わたしにはそれ が不思議でした。

そこで,疑問が湧いてきました。教会 が回復されたのがブラジルやわたしの祖 先の地であるイタリアではなく,なぜアメ リカ合衆国でなければならなかったのだ ろうか。

それらの大勢の人々,つまり,宗教復興 や宗教の混乱に関わった人たちはどこか ら来たのだろうか。こうしたことがこんな にも平和で静かな場所で起こったのだろ うか。

りませんでした。次の日は地域大会に出 席しました。

わたしたちの教会での旅が始まりまし た。そこには,人生の転換期にあったわ たしたちを温かく迎えてくれるすばらしい 友人たちがいました。

毎週日曜日にわたしたちが出席したそ れぞれの新会員クラスもすばらしく,わた したちを知識で満たしてくれました。そう した霊の栄養をもっと取れる日曜日が待 ち遠しくて,1 週間が早く過ぎないかと 思ったほどです。

七十人

ジャイロ・マサガルディ長老

しくしていた教会員の友人は何 年もの間,わたしに永遠の家族 の福音を教えようと努力してく れました。しかし,わたしが永遠の家族 に関する教義に初めて感動を覚えたの は,1978 年 10 月に開かれたサンパウロ 神殿のオープンハウスに行き,結び固めの 部屋に入ったときでした。これが真の教 会かどうか知るために何日も祈りました。

わたしにはあつい信仰心はありません でしたが,信仰深い両親に育てられたの で,他の宗教の良いところは知っていまし た。その当時,それらの宗教は全て神に 受け入れられていると思っていました。

神殿のオープンハウスを訪れた後,どれ が地上における神の教会であるのか神は 答えてくださるという信仰と確信をもっ て,祈りを通して答えを求めました。

苦しい霊の格闘を経て,ついに確かな 答えを受けたわたしはバプテスマを勧め られました。わたしのバプテスマは,サン パウロ神殿の奉献式の前日,1978 年 10 月 31 日の夜に行われました。

主がわたしを御存じで,主はわたしの祈 りにこたえてくださるほどにわたしを大切 に思っておられることを知りました。

翌朝,妻とわたしはサンパウロに行き,

神殿の奉献式に出席しました。

その場にはいましたが,まだその機会 のすばらしさを十分に味わうほどではあ

回復の聖なる地

パルマイラは,約 2,000 年の時を経て御父の御

こえ

が響いた回復の

舞台でした。

多くの人に尋ねてみましたが,答えを得 ることはできませんでした。できる限りあ らゆるものをポルトガル語で,そして英語 で読みましたが,気持ちを静めるものは見 つかりませんでした。それでも調べ続け ました。

1984 年 10 月,わたしはステーク会長 会の顧問として総大会に出席し,その後,

ぜひ答えを見つけたいと,ニューヨーク州 パルマイラに行きました。

パルマイラに着き,次のことを理解しよ うとしました。なぜ回復はここで起きな ければならなかったのか。なぜあのよう な宗教騒動が起こったのか。ジョセフの 記録の中で述べられている人々はどこか ら来たのか。なぜ,そこだったのか。

当時,わたしにとって最も合理的な答え は,アメリカ合衆国憲法が自由を保障して いたから,というものでした。

その朝,モルモン書の初版が印刷され たグランディン・ビルディングを訪れまし た。聖なる森に行き,一生懸命に祈りま した。

そのパルマイラの小さな町の通りに人は ほとんどいませんでした。ジョセフが語っ た大勢の人々はどこにいたのでしょうか。

その日の午後,ピーター・ホイットマー の農場に行くことにしました。そこに着く と,丸太小屋の窓の所に一人の男性がい ました。強い輝きのある目をした人でし た。わたしは彼に挨拶すると,同じ質問 をし始めました。

その人に「時間がありますか」と尋ねら れ,「あります」と答えました。

彼の説明はこうでした。その地 域に は,エリー湖とオンタリオ湖,そしてその ずっと東にはハドソン川があります。

1,800 年代初頭,航路を開くための運 河を建設することが決定されました。運 河はその地域を横断し,ハドソン川まで長 さ 300 マイル( 480 キロメートル)以上に 及び,当時としては非常に大掛かりな事業 でしたが,頼れるのは人力と動物の力だ

けでした。

パルマイラはその建設の拠点だったの です。建設者たちが必要としたのが技術 者,専門家,家族と友人たちです。運河 工事に従事するために,近隣の町々から,

そして,例えばアイルランドなど,遠くか ら,人が大挙してやって来るようになりま した。

わたしはとうとう大勢の人たちが誰だっ たかを突き止めました。神聖で霊的な瞬 間でした。彼らは自分たちの習慣や自分 たちの信条を持ち込みました。その男性 から,彼らそれぞれの信条の説明を受け たとき,神はわたしに理解する心を与え,

霊の目を開いてくださいました。

神がその無限の知恵を用いた計画の中 で,年若いジョセフ・スミスを登場させる 場所を用意され,パルマイラでのこうした 宗教騒動の真っただ中に置かれたことを,

わたしはそのときようやく理解しました。

そこクモラの丘は,モルモン書の大切な版 が隠されていた場所だったからです。

そこは回復の舞台でした。すばらしい示 現の中で,少年ジョセフ・スミスに語る御 父の声が 2,000 年の時を経て聞こえまし た。ジョセフは聖なる森に行って祈り,「こ れはわたしの愛する子である。彼に聞きな さい」1 と言われた声を聞いたのです。

そこでジョセフは,筆紙に尽くし難い輝 きと栄光を持つ二人の御方を見ました。

そうです。神は再び御自身を人に現され たのです。地を覆っていた暗闇が消え始 めました。

回復に関する預言が成就し始めました。

「わたしは,もうひとりの御つかい使が中なかぞらを飛 ぶのを見た。彼は地に住む者,すなわち,

あらゆる国民,部族,国語,民族に宣べ伝 えるために,永遠の福音をたずさえてき

〔た〕。」2

数年の短い期間で,ジョセフは,古代の 預言者が残した預言と聖約と儀式の記 録,つまり,わたしたちの愛するモルモン 書に導かれました。

イエス・キリストの教会は,イエス・キ リストについてのもう一つの証あかしであるモル モン書で明らかにされている永遠の福音 なくしては回復され得ませんでした。そ のキリストこそ,神の御子,神の小羊であ り,世の罪を贖あがなってくださった御方です。

エルサレムでキリストは御自分の民に言 われました。

「わたしにはまた,この囲いにいない他 の羊がある。」3

「わたしはよい羊飼であって,わたしの 羊を知り,わたしの羊はまた,わたしを 知っている。」4

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