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ドキュメント内 ω 津軽弘前藩の武芸的 (ページ 37-50)

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一一

一十

迄 真 ノ 位 裏鑓合五本 丸 右同六本 橋 同 同

御 御 rill 御 御

竹詰今士福ョ大本神本

E 註 土 誌 記

五 湯 郎 左 蜜 門

門 弟

粛 浅

浅之進

季 科

伊兵禽

三之介万之介

忠太夫 喜太夫

山 弥右議門

P

膳 自

牛品

,豊田

王子健

主持八 衛 五 門 部

仕合

牧長太郎

仕合久左衛門

物打太万孫十路

本 村 控

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桜盟結靖休について︒桜躍又右衛門成奨の乙と︒宝永七年二七一O﹀鶴居して清体と号す︒宝麓読流十文字鑓額鮪︒高

田平

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絹川

正章

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﹁妙心震様(鶴代藩主倍政﹀轡代の明暗の領土六五五i一六五七﹀高田平右繍門正重被日出︒正重は階部の僧徒宝蔵

椀覚禅一房法部胤築震伝にして︑弟子七人の内の一人と告︒其の先制粕後菌の産と去︑来地一一首石を賜ふ︒其の頃浪岡村に岩

生して招勤め︑其の鋳を師範すと也︒男子二人有るとかや︒殊民門人の内に密に勝れたる者六入︑我が子と円以上八人年捷犠之印可棺伝と也︒嬢子は甚六正利と一五︑其の宗を得て父に勝れる奇術といへり︒亦︑廿敵兵蕎と申し来和之頃噂ら勤仕し

( レ

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同じく師範す︒或る人云︑正利不行跡にして毎回階︑家絶えるとなり︒

mA正軍一弟子に山中午岩瀬門(同六お衛門お次男て青木兵次兵蜜︿問兵右葡門の次男)等浪縄町に行きて稽古問醗難く讃

︿ 亦

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其の術を得て宗たり︒後記午右衛門師範す︒

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r4午右衛門其の後桜庭久右衛門の養子となり︑桜庭又友衛門と一五︒艶より誌の家鑓術と或りて代々師範す︒襲町民住居し

て御家中門弟余多と也︒殊に点事︑一児禄の境︑命に依り奈須余一様(間代議主信政の子︑下野悶︿栃木累﹀那須郡烏虫ニ

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けよ

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七代議主那活相違江守資訣の養子となる﹀江縄師範︑同所に道場郵政懇下さると品︒

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鰐伝︒高田平お衛門正重li桜庭又左禰門或美

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緩ll摘又左密門武又

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問又左蕎門武標︒﹂

また︑﹁要記秘鑑﹄︿筆写本︑黒人・一一一種左十銘文化年間の婦︑弘前国書館時議﹀の﹁師範の部﹂には次のように記されて

いる

( )

﹁桜

庭又

奈緒

掛け

申官

接 一︑陸祖父又左衛門議室蔵院流十文字鱗高田平お衛門門弟托て罷有饗文四年︿二ハ六四)皆伝相演申候師範申立 接年号月日伝不季候宝永七年︿一七一O﹀蕗師麓仕候

︿ 布

一︑祖父西部一一一都議右又在構内より皆伝仕安永七年︿一七一

O)

より享保十六年(一七一一一一)迄師範仕候

︑ 父 又 ( 友 衛 門 儀 お 四 郎 三 部 よ り 皆 伝 仕 事 保 十 六 年 ( 一 七

﹀ よ り 明 和 元 年 二 七 六 四 ) 迄 鋪 範 仕 候

︑私議

串上袈

ζの高覧の日︑即ち正徳五年︿一七﹀コ一同月九四には桜灘又お諮問或奨は既に議体と母し

L

K訴しであるように宝護院議に関

ζの中で伊共衛均禄自身が授い与や受けている巻子本は︑内響がそれぞれ興令る次の五点である︒

大和

一一

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一六

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状﹀

O二十一丹吉日︑桜鹿又右衛門成美︿滑休﹀より浅和伊兵鑑あて︒O閥﹀十一一月十一一一段︑桜麗又布衛門成奨︿滑休﹀より浅利伊兵籍あて︒︿印可状﹀

︿ )

文文左寵門より皆伝仕明和元年︿七六回﹀より師範仕組期有候尤韓観父より私迄間代鱒襲仕掛駅

此 段

ζとのできない重要な人物である︒乙の点前述叶奥富士物語Lの師伝の記述は必ずしも正確とは言い難い︒ちなみ

奈良住一応範宝議説重簿

高田平右衛問正重

高 田 議 平 衛 正 茂

(錦

帯疏

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浅利伊兵禽尉均禄

高田甚六部正制約淳子)三之介宗明

延享西ザ年

山初

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殿

なお︑伊兵議場禄が高田犠平織より延宝密年(一六七六﹀九月十五日コ悶騒いや受ザ︑さらに桜庭又布衛門成美より宮

永元年︿一七O四)十二月十一一一日﹁印可﹂を許されるまで︑実記一一十八年数ヶ月の年月号裂している︒異議体得げ仏軍るま

で︑伊兵喬均禄の真警な稽古ぶりを知るζとができる︒

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中間次太夫について︒忍術︿後に車道と称する)の大家として第四代藩主津軽穣政に援用された中川小紘一︐入の鏑男であ

る乙とはづ輿醤士物語・巻一一い︿既出︑一一三七l三一一九一鼠﹀托記されているが︑流議修行の過程については詳しく知るべき資料が見当らない︒ζの臼の鑓術は︑震式種目から推察すれば桜寵務体と同じように宝蔵院十文字鑓と思われる︒

5︑﹁設問嫡傍流人数付帳﹂

号 長

1

本き 亭保十

年(一七

一六

﹀八 月 浅

]1

万之助

さき多

(5)

由、

流 太 刀 表

十郎

成 田

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右打太万

右打太万右打太万

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万之助

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良 溝江源五左衛門 野 浅 山

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万之助

山三郎

三之介

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6 で 年

「嘗田嫡惇流人数付帳」の最初の部分。

(5) 

八部志郎

角十部 栗 原

源之助

⁝福 士与 四右 密門 浅

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勘右密門

工 藤

武右衛門

右打太万

浅 利

万之助

御座候

以 上 八 月

軍 日

万之助

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議利万之助む実名について︒浅剥家の家系托よると︑﹁万之勤均実﹂﹁万之助︿清麓とも)鈎緒

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刀之劫鈎豊﹂﹁万之胎

均致﹂と通称﹁万之助﹂が数人いる︒本資料の﹁万之助﹂は吋要務秘鍵同輿富士物語・審問下﹄︿本紀要第一一十四号︑八三頁二一O斑K掲載済み)等から︑浅科伊兵禽均禄の拙照子﹁均実︿均定・均費ともとと推定される︒

∞﹁常国矯博流人数持帳

Lの性格について︒ζの﹁付帳﹂の記載形式は︑氏名の﹁肩書き﹂ζそないが︑議記4の資料のように議利伊兵衛均議が﹁武芸高覧﹂花洛した時の流儀の裂とその撲武者の氏名を記載した台帳(持優﹀の控えに似てい

る︒従って本費料は﹁浅利万之助均突い姥代の﹁武芸高齢拠いの時の台張控と考えられ易いが︑次の点でζのとと花は疑興

があ

る︒

ζ給月には賦芸尚慌の記細燃は箆

ζと︑識にとっても戴擦な行事であったから︑武装高覧があれ

ζとから﹁瞥問嫡簿旅人数付騒いが﹁武装高賢いの時記提出した台帳︿付帳﹀の控えル耗荒するには疑問がある︒

の﹁付帳いが醤かれた﹁世子探十一年L当時︑十刀之助均実は未だ正式に﹁指南許状﹂は授与されていない︒

L4守番いた践的は向か︒ζの﹁付緩い或立の動機号訴瞬すると臨わ

む記録は︑瀦の懲役が正之助宗明民対して︑鴻科伊兵額約︐禄の矯ヱγ・万之助均実へ問中く按犠を相伝するようにと

(ζ

の翠惑などについての経緯は

AO栢続キ諸士指酪

ζの﹁嘗密機簿流入数付帳いの通り行うというζとではなかったか

う︒

ζζとは︑当回擁鍛指に対する万之助均実の競々ならぬ態依と党惜の一端号訴すものと思われる︒

抗上 のよ うに

﹁常

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嫡博流入数付騒いは︑武張商覧のための舎桜︿付帳﹀では‑なかったとしても︑万之助均実本入

って披露する場合の台帳︿付帳)であったと思われる︒

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年八丹務

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11 一の関係記録全文︒

一之 助手 申渡 候

御用有之挟間

御用脊之侯間 今晩八時過拙宅江一組詰候様ニ可申付旨

今晩八時過描宅江相詰侯様可申付旨

5

万之助

浅利捗兵衛犠無調法有之展得一中身上被召上候者ニ有之挨得共

奇特被思召候封被召出御扶持方被下候

可申事

候 当部流鰐築免印可伊兵衛方AO

事之候併ヶ様之義者修行之程脊之事

其上段々情を入修行上達候様取立可申候

有之挟共免印可一小残致待受

可相心持候事

総申渡之 御議守居組頭十山内新布衛門江縄自付申遺之

一之

助 調目見も被仰付按 御家中之諸士江武鄭無関断指構致侯犠

候得共

一之 助江 一小 残痔 受相 済候 段相 関江 一候

在之訳・有之故怜万之助猫以志指甫油断無之様心懸

然有蔀匠万之助江

万之助義者伊兵衛

AO

相績キ諸士指南一通桔立候者

候 関

万之助義も蕗分修行油断無之様

嘗田流剣術

林崎新夢想流居合﹂

(門 人帳 )

許停授

乙 戊 年 年 入 入 門 門

隠 居

御留

千 葉 市 葛 御手廻

西 永 笹 勘定奉行

森 案 次 郎

花 田 輿 五 郎

御使番格勘

定奉行手

浅 利 七 郎 治

吟味役格作

鍋役

成 田 官 蔵

馬廻役

岡 吉 太 郎

居組

林 輿 三 郎

御中小姓成 田 良 八 郎

御馬砲ー 笹 一 森 弥 八 郎

御使番役野内町

西 館 万

梨官佐

田 田

武之進 靭 冊子本

良R

蔵 司

「嘗田流剣術・林崎新夢想流居合」門人帳の飼術の部分 (6) 

文設元東年入門

文政二卯年入門

文政五午年入門

文政七甲年入門

文政七平年入門

文政七甲年入門

文政七申年入門

事和 一一 氏年 入門 事和 一一 一亥 年入 門 事和 コ一 亥年 入門

文化三寅年入門

文北六己年入門

文北十酉年入門

文化十四年入門

文北十爵年入門

御 御 御 御 御 織 作

I~下草封室外1 市警千雲斎事光Z

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量 生 居

内ぎ馬崎川毒薬葉通俣芸

志 霊 室 甚 千 源 熊 東 語

馬全之 代 吉 之 九

古 語 助 助 勢 郎 助 郎

侍援不済

路 穏 蕗 居 居 間

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神喜八五岩本山主 平 反 高 善 明 綾田高灘雲形

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孝毅喜 七 八 郎 部 和 経之極

工毒自警渋喜或

藤 取 長 谷

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弥 可

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