• 検索結果がありません。

魯北鎮

ホルチン区

通遼市

66 3- 2 生 産 建 設 兵 団 に よ る 炭 鉱 開 発

内 モ ン ゴ ル の 生 産 建 設 兵 団 と 地 下 資 源 開 発 の 関 係 を 検 討 す る た め 、 ま ず ホ ー リ ン ゴ ル 炭 鉱 の 開 発 に 直 接 関 係 す る 内 モ ン ゴ ル 生 産 建 設 兵 団 第 六 師 の 設 置 の 経 緯 を 見 て み よ う 。

3- 2- 1 内 モ ン ゴ ル 生 産 建 設 兵 団 第 六 師 の 設 置

シ リ ン ゴ ル 盟 東 ウ ジ ュ ム チ ン 旗 の ウ ラ ガ イ ( 烏 拉 盖 ) 地 域 に 中 国 建 国 後 多 く の 農 牧 場 が 建 設 さ れ た 。 そ れ ら の 農 牧 場 は 度 か な さ る 再 編 が 行 わ れ 、 最 終 的 に は ハ ラ ガ ー ト( 哈 拉 盖 図 )、ウ ラ ガ イ と い う 二 つ の 国 営 農 牧 場 と ヘ シ ゲ ウ ー ラ( 賀 斯 格 烏 拉 )、マ ン ド ボ ラ ガ( 満 都 宝 力 格 )と ジ ャ ガ ソ タ イ( 扎 格 斯 台 )と い う 三 つ の 公 私 合 営 牧 場 と な っ た1 0 8

こ の よ う な ウ ジ ュ ム チ ン 旗 に お け る 最 終 的 な 牧 場 再 編 の 決 定 と 時 を 同 じ く し て 、1969 年 1 月 、中 国 共 産 党 中 央 委 員 会 、国 務 院 と 中 央 軍 事 委 員 会 が 内 モ ン ゴ ル 生 産 建 設 兵 団 の 建 設 を 決 定 し た 。 そ し て こ の 決 定 に 伴 い 、 同 年 3 月 に は 内 モ ン ゴ ル 革 命 委 員 会 と 内 モ ン ゴ ル 軍 区 に よ り 内 モ ン ゴ ル 生 産 建 設 兵 団 の 第 四 、 第 五 、 第 六 師 が 組 織 さ れ た 。 そ れ に よ り 、 ウ ラ ガ イ 開 墾 区 が 北 京 軍 区 内 モ ン ゴ ル 生 産 建 設 兵 団 の 第 六 師 に 再 編 さ れ 、 師 部 が 東 風 ( 現 バ ヤ ン ホ シ ョ ー ) 鎮 に 置 か れ た 。同 時 に 、ハ ラ ガ ー ト 農 牧 場 は 六 師 51 団 に 、ウ ラ ガ イ 牧 場 は 六 師 52 団 に 、 ヘ シ ゲ ウ ー ラ 公 私 合 営 牧 場 は 六 師 53 団 に そ れ ぞ れ 改 め ら れ た1 0 9。 さ ら に こ の 時 、そ の 六 師 51 団 の 4 連 が ホ ー リ ン ゴ ル 川 付 近 に 入 り 炭 鉱 の 測 量 を 行 い 、そ の 後 炭 鉱 開 発 や 発 電 所 の 建 設 を 行 っ て い た1 1 0。 こ の こ と は 大 変 興 味 深 い 事 実 だ 。 何 故 な ら ば 内 モ ン ゴ ル 生 産 建 設 兵 団 が 炭 鉱 開 発 に 関 わ っ て い る か ら で あ る 。 そ し て 、1970 年 に 内 モ ン ゴ ル 生 産 建 設 兵 団 六 師 は そ の ホ ー リ ン ゴ ル 川 付 近 に 建 設 さ れ た ホ ー リ ン ゴ ル 炭 田 発 電 所 と 機 械 修 理 場 を 六 師 57 団 に 編 入 し た 。ま た 、 同 年 5 月 に 内 モ ン ゴ ル 生 産 建 設 兵 団 六 師 は 東 ウ ジ ュ ム チ ン 旗 ボ グ ド ( 宝 格 達 ) 山 林 場 を 受 け 入 れ て 六 師 55 団 に 、6 月 に マ ン ド ボ ラ ガ 公 私 合 営 牧 場 を 受 け 入 れ て 六 師 54 団 を 置 い て い る 。さ ら に そ の 年 、東 ウ ジ ュ ム チ ン 旗 の ウ ラ ガ イ と フ レ ー ト ( 呼 熱 図 ) の 二 つ の 人 民 公 社 も 内 モ ン ゴ ル 生 産 建 設 兵 団 六 師 の 管 轄 に 入 っ

1 1 1

こ れ ま で 内 モ ン ゴ ル に お け る 様 々 な 農 地 、 牧 場 、 そ し て 炭 鉱 な ど を 管 理 下 に 置 き 、そ の 勢 力 を 拡 大 し て き た 内 モ ン ゴ ル 生 産 建 設 兵 団 で あ っ た が 、1975 年 12 月 に 、 国 務 院 と 中 央 軍 事 委 員 会 の 同 意 を 得 て 、 内 モ ン ゴ ル 生 産 建 設 兵 団 体 制 に

1 0 8 烏 拉 盖 総 合 開 発 区 志 編 纂 委 員 会 編 ( 2000 ) 4 8 頁 。

1 0 9 烏 拉 盖 総 合 開 発 区 志 編 纂 委 員 会 編 ( 2000 ) 4 6 頁 。

1 1 0 烏 拉 盖 総 合 開 発 区 志 編 纂 委 員 会 編 ( 2000 ) 2 4 頁 。

1 1 1 烏 拉 盖 総 合 開 発 区 志 編 纂 委 員 会 編 ( 2000 ) 4 5~ 55 頁 。

67

幕 が 下 ろ さ れ た 。 そ の 後 、 中 国 共 産 党 内 モ ン ゴ ル 委 員 会 と 内 モ ン ゴ ル 革 命 委 員 会 の 決 定 に よ り 、 内 モ ン ゴ ル 農 牧 場 管 理 局 が 内 モ ン ゴ ル 生 産 建 設 兵 団 六 師 を 受 け 入 れ る こ と に な っ た 。 こ れ に 伴 い こ の 六 師 は 内 モ ン ゴ ル 農 牧 場 管 理 局 ウ ラ ガ イ 分 局 と 名 を 改 め 、所 属 の 各 農 牧 団 も そ れ ぞ れ 国 営 農 牧 場 に 改 称 さ れ た 。ま た 、 同 年 に ウ ラ ガ イ と フ レ ー ト の 二 つ の 人 民 公 社 が 東 ウ ジ ュ ム チ ン 旗 の 管 轄 下 に 戻 さ れ た 。さ ら に 、1978 年 に ホ ー リ ン ゴ ル 炭 田 発 電 所 は ホ ー リ ン ゴ ル 建 設 指 揮 部 の 管 轄 下 に 入 る こ と に な っ た 。

1981 年 7 月 に 、中 国 共 産 党 内 モ ン ゴ ル 委 員 会 の 決 定 に よ り 、内 モ ン ゴ ル 農 牧 場 管 理 局 ウ ラ ガ イ 分 局 は 内 モ ン ゴ ル ウ ラ ガ イ 農 牧 場 管 理 局 に さ ら に 改 め ら れ 、 所 属 の 各 農 牧 場 は 内 モ ン ゴ ル 自 治 区 直 轄 の 企 業 に 再 編 さ れ た 。 そ の 後 も 体 制 や 管 轄 地 域 が 再 三 変 更 さ れ る の だ が 、1993 年 2 月 に ウ ラ ガ イ 総 合 開 発 区 が 建 設 さ れ 、 よ う や く 体 制 や 管 轄 地 域 が 安 定 し 、 現 在 に 至 っ て い る 。 ウ ラ ガ イ 総 合 開 発 区 管 理 委 員 会 の 所 在 地 が バ ヤ ン ホ シ ョ ー ( 巴 音 胡 碩 ) 鎮 で あ る1 1 2

3- 2- 2 生 産 建 設 兵 団 に よ る 炭 鉱 開 発

ホ ー リ ン ゴ ル 地 域 の 石 炭 は 1958 年 に あ る 地 元 の 牧 民 が 発 見 し て 政 府 に 報 告 し た こ と に は じ ま る と い わ れ て い る 。1 1 3こ れ は 大 躍 進 運 動 が 行 わ れ て い た と き の こ と で あ る 。た だ し 、あ る 回 想 録 の 記 事1 1 4に よ る と 、1959 年 5 月 に 内 モ ン ゴ ル 自 治 区 地 質 局 フ ル ン ボ イ ル 地 質 分 局 第 一 地 質 大 隊 ホ ル チ ン 右 翼 中 旗 分 隊 が 地 質 調 査 で 発 見 し た と も 記 さ れ て い る 。 い ず れ に し て も 、 実 際 に 開 発 に 着 手 し た の は 文 化 大 革 命 が 始 ま り 1966 年 に 内 モ ン ゴ ル 生 産 建 設 兵 団 が 設 立 し た 以 後 の こ と で あ る 。1967 年 に 、当 時 シ リ ン ゴ ル 盟 東 ウ ジ ュ ム チ ン 旗 の ウ ラ ガ イ 牧 場 に 設 置 さ れ て い た 中 国 解 放 軍 総 後 勤 部 所 属 の 「 五 七 軍 馬 場 」1 1 5の 要 請 に よ っ て 、 吉 林 省 炭 田 地 質 探 査 公 司 所 属 の 203 探 査 隊 が ホ ー リ ン ゴ ル 地 域 に 入 っ て 石 炭 採 掘 調 査 を 行 い 始 め る 。 そ し て 、 五 つ の 地 点 で 、 穴 を 掘 り 測 量 を 行 っ た と こ ろ 、

1 1 2 烏 拉 盖 総 合 開 発 区 志 編 纂 委 員 会 編 ( 2000 ) 5 0~ 52 頁 。

1 1 3 ホ ー リ ン ゴ ル 市 政 府 の 非 公 開 の 資 料 に よ れ ば 、ホ ー リ ン ゴ ル 炭 鉱 の 測 量 は 1957 年 か ら

始 ま っ た と 記 載 さ れ て い る 。こ れ が 事 実 だ と す る と 、1957 年 以 前 に す で に ホ ー リ ン ゴ ル 炭 鉱 が 発 見 さ れ て い た 可 能 性 が 高 い 。 し か し 、 市 政 府 か ら 出 版 さ れ て い る 資 料 に は 殆 ど で 1958 年 に 牧 民 が 石 炭 を 発 見 し 、 政 府 に 報 告 し た と 書 か れ て い る 。 市 政 府 は 炭 鉱 開 発 を 順 調 に 進 め る た め 、 あ え て 牧 民 が 石 炭 を 発 見 し て 政 府 に 報 告 し た こ と を 強 調 し て い る の で は な い か と 考 え ら れ る 。( 市 史 志 編 纂 委 員 会 ( 1995 ) 21 頁 。 )

1 1 4 政 協 霍 林 郭 勒 市 委 員 会 編 ( 2001 ) 1~ 10 頁 。 ( 王 許 茂 、 長 戈 )

1 1 5 「 五 七 軍 馬 場 」 は 1963 年 に 建 設 さ れ 、 内 モ ン ゴ ル 公 安 部 隊 の 管 轄 下 に あ っ て 、 人 員 は

全 て 現 役 軍 人 で あ っ た 。 当 初 は 「 ウ ラ ガ イ ( 烏 拉 盖 ) 河 軍 馬 場 」 と 称 さ れ て い た 。 1966 年 に 中 国 解 放 軍 総 後 勤 部 に 所 属 が 変 更 さ れ 、 そ れ に と も な い 「 五 七 軍 馬 場 」 と 改 め ら れ た 。 さ ら に 1975 年 に 内 モ ン ゴ ル 自 治 区 の 行 政 再 編 に よ っ て 「 五 七 軍 馬 場 」 は 吉 林 省 に 属 し 、 吉 林 省 「 五 七 馬 場 」 と 改 名 さ れ た 。 そ し て 、 1977 年 11 月 に な る と ホ ー リ ン ゴ ル 鉱 区 に 引 き 継 が れ 、 ホ ー リ ン ゴ ル 農 牧 場 と 改 名 さ れ た 。 当 時 、 占 有 地 面 積 は 2 ,58 0 ㎡ 、 総 人 口 は 約 3,000 人 で 従 業 員 は 1,150 人 で あ っ た 。

68

埋 蔵 量 が 266.40 万 ト ン で あ る こ と が 分 か っ た 。 1969 年 3 月 に 、 上 述 の 北 京 軍 区 内 モ ン ゴ ル 生 産 建 設 兵 団 第 6 師 51 団 が ホ ー リ ン ゴ ル 地 域 に 入 り 、ま ず 小 規 模 な 炭 鉱 や 発 電 所 を 建 設 し た 。 こ れ が こ の 地 域 に 定 住 し た 最 初 の 人 々 で あ る1 1 6

ま た 同 年 は 、 河 北 省 炭 田 地 質 探 査 公 司 所 属 の 116 調 査 隊 お よ び 内 モ ン ゴ ル 地 質 調 査 隊 も 内 モ ン ゴ ル 生 産 建 設 兵 団 6 師 の 要 請 を 受 け て ホ ー リ ン ゴ ル 地 域 に お け る 石 炭 採 掘 調 査 を 実 施 し て い る 。測 量 箇 所 は 30 か 所 で 行 わ れ 、埋 蔵 量 が 7.49 億 ト ン で あ る こ と が 分 か っ た 。 そ し て 、 同 年 7 月 5 日 に 先 に 述 べ た 内 モ ン ゴ ル 自 治 区 に お け る 行 政 再 編 の 結 果 ジ リ ム 盟 は 吉 林 省 の 管 轄 に 入 り 、 ホ ー リ ン ゴ ル 地 域 も 吉 林 省 に 所 属 す る こ と と な っ た 。 ホ ー リ ン ゴ ル 地 域 の 炭 鉱 開 発 は 当 地 域 が 内 モ ン ゴ ル 自 治 区 の 管 轄 か ら 吉 林 省 の 管 轄 下 に 入 る こ と で 、 本 格 的 に ス タ ー ト し た こ と は 注 目 に 値 す る 。

翌 年 の 1970 年 1 月 に 、 北 京 軍 区 内 モ ン ゴ ル 生 産 建 設 兵 団 所 属 の 第 6 師 57 団 は 、 ホ ー リ ン ゴ ル 地 域 に 炭 鉱 の 開 発 や 発 電 所 を 建 設 し 、 開 墾 も 行 わ れ た 。 隊 員 規 模 は 628 人 で 、 開 墾 面 積 は 333.34ha に お よ ん だ 。 1972 年 に は 吉 林 省 炭 田 地 質 探 査 公 司 所 属 の 472 調 査 隊 が ホ ー リ ン ゴ ル 地 域 で 測 量 を 行 い 、 更 な る 詳 細 な デ ー タ を 提 供 す る こ と に な っ た 。さ ら に 、1973 年 に は 吉 林 省 炭 田 地 質 探 査 公 司 と そ れ の 関 連 部 門 所 属 の 102、112、203、472 な ど 四 つ の 調 査 隊 の 1500 人 が 続 々 と ホ ー リ ン ゴ ル 地 域 に 入 り 、 大 規 模 な 測 量 を 実 施 し 、 そ の 後 炭 鉱 開 発 が 本 格 的 に 展 開 さ れ る よ う に な る 。

こ う し た 大 規 模 な 地 質 調 査 の 結 果 を う け 、1973 年 6 月 に 吉 林 省 は さ ら に 多 く の 人 員 を 派 遣 し て 炭 鉱 開 発 に 着 手 し 、 8 月 に は 「 開 発 霍 林 河 籌 備 処 」 が 設 立 さ れ た 。 こ の 籌 備 処 は 石 炭 採 掘 の た め 調 査 活 動 を 精 力 的 に 行 う と と も に 「 霍 林 河 鉱 区 沙 爾 呼 熱シ ャ ラ フ レ ―

露 天 工 鉱 計 画 任 務 書 」 を 作 成 し 国 家 計 画 委 員 会 に 提 出 す る 責 務 を 負 っ て い た 。こ の「 任 務 書 」は 、1974 年 に 吉 林 省 内 各 機 関 や 各 部 門 が 地 方 経 済 の 発 展 な ど 当 該 地 域 の 総 合 的 な 開 発 に 関 し て 検 討 さ せ た 結 果 と し て 作 成 さ せ た も の で あ る 。 当 初 、 国 家 計 画 委 員 会 は 当 該 地 域 に お け る 大 規 模 開 発 に 難 色 を 示 し 、 そ の 後 も し ば ら く 許 可 を し な か っ た 。 そ の 原 因 は 上 述 し た よ う に 、 ホ ー リ ン ゴ ル 地 域 が 中 国 と モ ン ゴ ル 人 民 共 和 国 の 国 境 付 近 に 位 置 し て お り 、 中 ・ ソ の 関 係 悪 化 に 対 す る 懸 念 が あ っ た た め で あ ろ う 。 し か し 、 本 格 的 な 開 発 に ま だ 至 っ て い な か っ た と は い え 、 文 化 大 革 命 の 混 乱 の な か で 地 質 調 査 や 炭 鉱 開 発 の 準 備 作 業 が 着 々 と 進 め ら れ て い た の は 事 実 で あ り 、 辺 境 地 域 の 開 発 に か け る 中 国 政 府 の 強 い 意 志 も あ っ た こ と が う か が わ れ る 。 そ の 際 、 尽 力 し た 人 物 が 周 恩 来 で あ る ら し い 。こ の こ と に つ い て は 次 項 で 詳 述 す る 。ち な み に 1973 年 末 に「 開

1 1 6 霍 林 郭 勒 市 志 編 纂 委 員 会 編 ( 1996 ) 11 頁 。

関連したドキュメント