2-1 初期ファッション写真史
2-1-1 ポートレート写真に写るファッション
ファッション写真の歴史の始まりは、ファッション・イラストレーションの 前⾝が肖像画であったように、肖像写真(ポートレート写真)の延⻑から始ま った。ルイ・ジャック・マンデ・ ダゲール(Daguerre, Louis Jacques Mande 1787-1851)が1839(天保10)年に発明した「ダゲレオタイプ」
(Daguerreotype)と呼ばれる写真技法75によって、写真は爆発的に普及し た。ダゲレオタイプによる写真は、細部まで描写され再現性が⾮常に⾼く、鮮 明かつ美しいものであったこと、そして⼀点物として絵画の代替として受容さ れやすかったことが⼈気の要因であった。その多くは肖像写真であり、⼿軽な ミニチュア肖像画として親しまれ、その普及とほぼ同時期に職業写真家も誕⽣
している。1848(嘉永元)年には、ダゲレオタイプの写真スタジオがパリに五
⼗六箇所存在し、1860(万延元)年にはそれを使⽤する写真家が207⼈いたと
⾔われているほど⼈気があった76。また、撮影された写真はそのまま使⽤され るだけでなく、絵画の下絵としても多く使⽤され、特に肖像画の場合は何時間
75 銀メッキを施された鏡⾯の銅板上に、ヨウ化銀を塗布することで感光性をもたせ、⽔銀蒸気で現像する技法
のこと。⾦属板の表⾯に直接焼き付けを⾏うために、複製が不可能であることや、感光⾯から鑑賞するために
左右反転した像になること、また、⾒る⾓度によってポジ像にもネガ像にもなる点が特徴。
76 東京都庭園美術館資料『パリ・街・⼈−アジェとカルティエ=ブレッソン』、東京都⽂化振興会、1988年、p.24
も被写体を拘束して絵が描くのが難しい際に重宝されていた。このダゲレオタ イプの誕⽣によって、⼈々、特に⼥性の容姿への意識が⼤きく変化した。鏡の ような写真に容姿が残ってしまうことで、多くの⼈がファッションへの意識を 強烈に保持した点で、ファッションと写真の関係は⾮常に深いと⾔えるだろう
77。こうした肖像写真によって⼈気を博した写真術は、その後、報道などの 様々な⽤途で使⽤され、それに伴い技術⾰新も起こった。
ダゲレオタイプ公表の翌年である1840(天保11)年、イギリスのウィリア ム・ヘンリー・フォックス・タルボット(Talbot, William Henry Fox 1800-77)により、紙ネガを使⽤し、紙に映像を焼き付ける新しいプロセスが発表さ れる。ギリシャ語のカロス(美しいの意)が名前の由来となっている、「カロ タイプ」(Calotype)と呼ばれるこの技法は、像の鮮明さはダゲレオタイプに 劣るが、ネガ画像を作成するため、複製可能な点が⼤きな特徴だった。その利 点を⽣かして写真アルバムの制作も多く⾏われ、タルボット⾃⾝も1844(弘化 元)年、世界初となる写真を挿絵に使⽤した『⾃然の鉛筆』(
The Pencil of
Nature
)という本を刊⾏している。この出版に際して、カロタイプの焼き付けには、最初の写真印画紙と呼べる塩化銀紙(Plain salted paper)が使⽤され た。また、カロタイプは鮮明ではないが、⼤きなサイズの写真を作るのが⽐較 的容易なため、ポートレート以外にも建造物や⾵景の記録⽤途としても活⽤さ れた。カロタイプを使⽤した肖像写真では、元々画家であったD・O・ヒル
(Hill, David Octavius 1802-70)が、肖像写真スタジオを経営していたR・ア
77 安友志乃『写真のはじまりの物語』、雷⿃社、2009年、pp.22-23
ダムソン(Adamson, Robert 1821-48)と 共に撮影した写真群や、ジュリア・マーガ レット・キャメロン(Cameron, Julia Margaret 1815-1879)によるものが有名 である。中でも、ヒルとアダムソンによる
「メアリー・ルースヴェン夫⼈」(Lady Ruthven)を撮影したポートレート(写真 9)には⼥性の後ろ姿が映し出されてお り、⼥性の⼈物像がその服装と佇まいから のみ推察されるといった点で、個⼈⽤では あるがファッション写真の⾛りと⾔えるだ ろう78。
1851(嘉永4)年、イギリスのフレデリック・スコット・アーチャー
(Archer, Frederick Scott 1813-1857)は、ダゲレオタイプの鮮明さとカロタ イプの複製可能性を併せ持つ技法として、ガラス板を⽀持体とし感光物質の媒 体としてコロジオン79を使⽤する「コロジオン湿板法」(Wet collodion process)を発明する。この技術によって、⾮常に鮮明で情報量のとても多い 画像を何枚でもプリントして得ることが出来るようになり、写真は社会の中に 浸透した。また、⽇中なら2-3分の露光時間で撮影が可能なため、被写体は
78 海野弘『都市を翔ける⼥』、平凡社、1988年、p.222
79 硝化綿をアルコールとエーテルの混合液に溶かしたもの。
写真 9 D・O・ヒル, R・アダムソン「メアリ ー・ルースヴェン夫人」1845
ダゲレオタイプの撮影時のように20分近い時間拘束されずに済み、結果、肖像 写真に⼤ブームとなる。表情や動作も「硬さ」から解放され、動きをつけた全
⾝写真も撮影がしやすくなった。こうした全⾝写真の肖像写真を使⽤したカル ト・ド・ヴィジット(名刺版写真)80を考案し、複数のポージングの写真を⼀
気に8-12枚撮影して焼き付けて販売して⼤繁盛したのがアンドレ・アドルフ=
ウジェーヌ・ディスデリ(Disdéri, André-Adolphe-Eugène 1819-1889)だっ た。ディズデリはその著書『写真の芸術』(
L'art De La Photographie
1862)において、「全⾝の肖像写真は、個⼈の完全な類似物をつくることができる」
と述べている81。彼は「書き割り」82を最初に写真撮影に持ち込んだ⼈物でも あり、その⼿法は背景や⼩
道具によって、シチュエー ションをスタジオ内に作り 込み、ある種の虚構をポー トレートの世界に作り出し た。また、ポージングや⾐
装などの⾒せ⽅にも拘り、
それらを⽤いて被写体を
「類型化」した(写真
80 ディスデリの開発したマルチレンズカメラによって、⼀度に複数枚の名刺サイズのネガを作成することが可能に
なって流⾏した、肖像写真のことを指す。名刺としてだけでなく、トレーディングカードのように交換された。
81 多⽊浩⼆『写真論集成』、岩波書店、2003年、p.410
82 舞台の背景画のこと。
写真 10 アンドレ・アドルフ=ウジェーヌ・ディスデリ「Uncut sheet of carte de visites of a French lady 」 1860
10)。これは、多くの肖像写真家が⽬指す、被写体の個性や内⾯を描写するた めの写真ではなく、ある種の「なりきり写真」の始まりだと⾔えるだろう。デ ィズデリは、多くの⼈の⼼の内にある「セルフ・イメージを変えたい」という 欲望をいち早く⾒出し、それに沿った写真を撮影することで⼈気を博した。こ うした類型化が⾏われることで、⼈々の「理想像」を写し出すという構造が⽣
まれ、それらがファッション写真の原点の⼀つであると⾔えるだろう。同時期 のパリにおいて、ディズデリ同様に、職業写真家として虚構的なポートレート を撮影していたのが、レオポルド・エルネスト・メイエール(Mayer, Leopold Ernest 1817頃-1865)とルイ・フレデリック・メイエール(Mayer, Louis Frederic ⽣没年不詳)の兄弟、そして共同経営者であったルイ・ピアソン
(Pierson, Louis 1822-1913)による⼤規模写真スタジオであった。彼らは着
⾊写真の制作も⾏い、「⼤衆をもっとも喜ばせる着⾊写真の芸術家」とも呼ば れている。そのスタジオの技術には定評があり、ロイヤルファミリーや他国の 王族も多数撮影し、「ナポレオン3世の写真家」とも呼ばれていた83。彼らの代 表作の⼀つである、ナポレオン3世の愛⼈であるカスティリオーネ伯爵夫⼈
(La Castiglione 本名:ヴィルジニア・オルドイーニ Oldoini, Virginia 1837-1899)を撮影した写真群(写真 11)では、カスティリオーネが積極的に「演 じる」ことで、より顕著に虚構の演出やファッション写真特有の「軽薄さ」が 現れている。この写真のカスティリオーニの雰囲気や⽬つき、座ってリラック スしたポーズなどは、写真家のニック・ナイト(Knight, Nick)が1992(平成
83 『19世紀〜20世紀 モード写真展 VANITES[虚栄]』、朝⽇新聞社、1994年、p.26
4)年に撮影したジル・サンダー(Jil Sander)を着⽤したモデルのタチアナ・
パティッツ(Patitz, Tatjana)を彷彿させる(写真 12)。こうして現代の写 真と⽐べると、カスティリオーネの写真がファッション写真として充分に成⽴
していることが理解できるだろう。
この時期に撮影された、王族や貴族などの有名⼈の写真は、カルト・ド・ヴ ィジットの誕⽣により販売や収集の対象となり、現在のカードゲームのレアカ ードのように頻繁に交換・売買された。その販売⼒は凄まじいものがあり、
1867(慶応3)年の⼀年間でウェールズ⼥王のカルト・ド・ヴィジットは30万 枚売り上げたと⾔われている84。ポートレートの被写体であった上流階級の⼈
間は、「中産階級の憧れ」として⾃分の姿が普及していることを⾃覚し、より
⼀層被写体として⾃分の⾒せ⽅に拘泥した。それと同時に、中産階級の⼈間は
84 多⽊、前掲書、p.413
写真 11 メイエール兄弟とピエソン「カスティリオーネ伯 爵夫人」1863
写真 12 ニック・ナイト「ジル・サンダ ー(モデル:タチアナ・パティッツ)」
1992
憧れを持って、その服装や佇まいを眺め、その結果、ポートレート写真は広く 普及しマスメディアとなった。以上のように、撮影によってその⼈を写すこと に意味があった時代から、被写体も写真家も、「どう写るか・どう写すか」が 重要な時代となったことで、ファッション写真の開始は、すぐそこまでやって きた。
しかし、類型化されたポートレートとは、現在の「カタログ写真」に似てお り、広く普及する⽤途には適しているが、写真⾃体の芸術性は落ちてしまう。
ある⼀定の型をなぞることで陳腐化してしまい、そこには芸術としての美や新 奇性が決定的に⽋けていた。メイエール&ピアソンと同時代の写真家であるフ ェリックス・ナダールは、こうした類型化された写真に反発していた写真家の
⼀⼈だった。彼もまた肖像画の名⼿として知られているが、その⼿法は、出来 る限り被写体をリラックスさせ、被写体の内⾯を引き出して撮影しようとい
う、ディズデリ達と正反対の⽅法であっ た。そういった点では、正統派の肖像写真 家と⾔えるだろう。彼の特⾊の⼀つは、撮 影技術の⾼さ、とりわけ光の選び⽅の巧み さにあった。ナダールの写真をメイエール の写真と⽐較すると、レンブラントの絵画 を彷彿とさせる優しい光とモノクロの美し い快調が特に⽬を引く(写真 13)。こうし た写真表現は、そのまま洋服のディテール を美しく⾒せることに繋がり、ナダールの
写真 13 フェリックス・ナダール「ミス・オー ルデン」1868 頃