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リーハイは,家族が選ぼうとしていた変 化の大切さについてレーマンとレムエル が理解できるように何度も助けようとしま した。二人は父親の抱いていたビジョン を受け入れなかったため,旅の途中で何 度もつぶやきました。一方,ニーファイは,

父親が見たものを自分も見たいと思い,

主に願い求めました。

「わたしニーファイは,父が示現の中で 見たこと……について,父の言葉をすべ て聞いた後,わたし……もまた,聖霊の力 によってこのようなことを見聞きし,また知 りたいと思った。」( 1 ニーファイ 10:17)

このビジョンがあったので,ニーファイ は旅の試練を乗り越えられただけでなく,

必要なときには家族を導くこともできたの です。

ほとんどの場合,わたしたちがある道を 選ぼうと決心するとき,わたしたちの愛す る人々もその影響を受けます。その決断 によって,わたしたちと同じ結果を身に受 ける人もいます。いつもそうなるとは限り ませんが,理想としては,その人々もわた したちと同じビジョンと確信を持てるな ら,旅はずっと容易になります。

先ほどお話ししたわたし自身の経験で は,間違いなく妻の支えが必要でした。

子供たちはまだ幼く,何か意見を言ってく ることはありませんでしたが,わたしの妻 の助けが不可欠でした。まず,妻のモニ カが安心して決断できるまで,今後の計 画の変更について二人でじっくり話し合う 必要があったことを覚えています。ビジョ ンを分かち合うことによって,彼女はその 変化を支えてくれるだけでなく,成功させ るために不可欠な存在になりました。

この世で生活するわたしたちのために,

主が計画をお持ちであることを知ってい ます。主はわたしたちを御存じです。わ たしたちにとって最も良いものは何かを御 存じです。時折,全てが順調なときでも,

もっと良い何かがあるのではないかと考 える時間を取る必要があります。今のま まの生活を続けていたら,約束されてい る祝福は,成就するでしょうか。

神は生きておられ,わたしたちの御父で あられます。救い主イエス・キリストは生 きておられます。主の贖あがないの犠牲によっ て,わたしたちは日々受ける試練を乗り越 える力を見いだせると知っています。イエ ス・キリストの御により,アーメン。■

や混乱が少なくて済みます。

つい先頃,わたしとパッカー姉妹は数 か国を訪問しました。パスポートとその 他の書類を用意し,予防接種や健康診断 を受け,入国ビザや必要な証印などをそ ろえました。現地に到着すると書類が詳 しく調べられ,必要条件を全て満たして いると入国が許されました。

昇栄の資格を得るのは,外国に入国す るのに似ています。それぞれ自分の霊的 なパスポートを取得しなければなりませ ん。わたしたちは必要な条件を定めるの ではなく,一人一人が全ての必要条件を 満たさなければなりません。救いの計画 には,全ての人にとって昇栄の資格を得る ために必要な全ての教義,律法,戒め,儀 式があります。2それから「〔イエス・〕キ リストの贖しょくざいにより,全人類は……救わ れ得る」3 のです。教会は支援しますが,

わたしたちの代わりに行うことはできませ ん。昇栄の資格を得ることは,わたしたち が生涯をかけて目指す目標となります。

キリストはわたしたちを助けるために御 自身 の 教 会 を 組 織されました。 主 は 15 人の男性を召され,わたしたちは彼ら を,教会を導き,人々を教える預言者,聖 見者,啓示者として支持します。大管長 会4 と十二使徒定員会5 は等しい力と権 能を持ち,6 先任使徒は大管長に任命さ れます。彼らを助けるために七十人が召さ れます。7 教会の指導者が昇栄のための 必要条件を定めたのではありません。神 が定められました。これらの指導者は,

わたしたちが正しい道にとどまれるように 教え,説き明かし,勧め,さらには警告さ えもするために召されています。8

教会手引きにはこう説明されています。

「教会は,個人と家族が昇栄する資格を得 るよう助けるという目的を果たすため,神 が定められた責任を果たすことに焦点を 絞っている。これらの責任には,イエス・

キリストの福音に従って生活するよう会員 を助けることや,伝道活動を通じてイスラ エルを集めること,貧しい人や助けの必要 営地に戻ると,誰かがおこした火のおか

げで,木を切れなかった原因が分かりま した。手斧のカバーを外していなかった のです。その代わりに,カバーがすっかり ずたずたに破れていました。ここから得 た教訓は「他のことに注意を奪われてい るとこうなる」ということです。

昇栄に向かって努力するとき,わたした ちは全ての必要条件に取り組まなければ なりません。一つか二つの条件や,関係 ない他の事柄に集中し,注意がそれるよ うなことがあってはなりません。神の国を 求めることは,喜びや幸福につながりま す。1 必要であれば,わたしたちは喜んで 変わる必要があります。小さな修正を頻 繁に行う方が大きな軌道修正よりも痛み 七十人

アラン・F・パッカー長老

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歳のボーイスカウト隊員だった 頃,ずっと欲しかったスカウト 用品を贈り物としてもらいまし た。それは厚い革製のカバーがついた手おの

でした。次の夜通し歩くナイトハイクの とき,わたしたちは日が沈んだ後で野営地 に到着しました。深い雪道を歩いたせい で体が濡れ,冷え切っていました。わたし はごうごうと燃える大きなたき火を作るこ としか考えられませんでした。すぐさま新 しい手斧を使って倒木を細かく切り始め ました。木を切りながら,わたしはいら だってきました。手斧の切れ味が良いと は思えなかったからです。いらいらしな がら,さらに力を入れて木を切りました。

落胆しつつ,ほんの数本の薪を持って野

家族の記録の書

家族歴史と神殿活動は,わたしたち個人の日常的な礼拝の一部と

なるべきです。

な人の世話をすること,神殿を建設し,身 代わりの儀式を行うことによって死者が 救いを得られるようにすることが含まれ る。」9 この 4 つの焦点と他の全ての律 法,戒め,儀式は必要条件であり,取捨選 択の対象ではありません。イエス・キリス トの贖あがないを通して,そしてこれらの焦点の 一つ一つを実行することにより,わたした ちは霊的なパスポートに必要な証印を加 えていくのです。

この大会の間,わたしたち全員がよりよ く備えるのに役立つ数々の変化について 教えを受けています。

家族は救いの計画において中心を成す ものです。だからこそ,「偉大な幸福の計 画」10 とも呼ばれるのかもしれません。

ボイド・K・パッカー会長はこう述べてい ます。「教会における全ての活動の最終 的な目的は,男性とその妻とその子供た ちが家庭で幸せになれるようにすること です。」11

スペンサー・W・キンボール大管長は このように語りました。「個人的にも教会 全体としても,わたしたちの成功はおも に, 家庭で福音を実践することにどの程 度忠実に取り組んでいるかによって決ま るのです。」12 神殿と家族歴史活動は,家 庭で福音に従って生活する方法の一部で あり,教会の活動である以上に家族の活 動であるべきです。

大管長会と十二使徒定員会は,家族歴

史と神殿活動について改めて強調してい ます。13 この強調点を実践するなら,皆さ ん自身と皆さんの家族に,一層大きな喜 びと幸福がもたらされることでしょう。

教義と聖約にはこうあります。「主の大 いなる日は 近 づ いています。 ……した がって,わたしたちは教会として,また民 として,また末日聖徒として,義をもってさ さげ物を主にささげましょう。また,主の 聖なる神殿〔に〕……わたしたちの死者 の記録を載せた,そのまま受け入れるに 値する書を……ささげましょう。」14

この家族の記録の「書」は,教会のファ ミリーツリーデータベースに保存されてい る名前と儀式の記録を使って用意される ことになります。

わたしはこのデータベースを調べ,記録 を追加しています。愛する家族全員の名 前を記録の書に載せたいからです。皆さ んも同じではないでしょうか。

教義と聖約 128 章にはこう書かれてい ます。「〔 わたしたちの先祖〕なしにはわ たしたちが完全な者とされることはなく,

またわたしたちなしには彼らが完全な者 とされることはないのです。」15

家族歴史とは,系図とそれに関するきま りごとや,名前や日付や地名以上のもので あり,過去に目を向けること以上のもので す。わたしたち自身の歴史を記すとき,家 族歴史に現在も含まれます。子孫を通し て未来の歴史を作るとき,未来が含まれ

ていきます。例えば,子供に家族のエピ ソードを語り,写真を見せる若い母親は,

家族歴史活動を行っているのです。

せい

さん

を受け,集会に出席し,聖文を読 み,個人の祈りを行うのと同じように,家 族歴史と神殿活動は,わたしたち個人の 日常的な礼拝の一部であるべきです。預 言者の勧めに対する青少年やその他の 人々の姿は,わたしたちを鼓舞し,あらゆ 年齢層の全ての会員がこの業を行う 力と義務があることを示しています。

クエンティン・L・クック長老が説明し ているように,今や教義と,神殿と,テクノ ロジーがあります。16 この業は今では非常 に簡単に行えるようになっていて,あとは この業を優先する会員が増えさえすれば よいのです。今でも時間と犠牲は必要で すが, 誰でも行うことができ,ほんの数 年前と比べても簡単になっています。

会員を支援するために,教会は記録を 集め,ツールを提供して,この業の多くを 各家庭やワード,そして神殿で行えるよう にしました。ほとんどの障害が取り除か れています。これまでの認識がどうであ ,今の家族歴史活動は以前とは違いま

す。

それでも,教会に取り除けない障害が あります。それは,この業を行うことに対 する個人のためらいです。必要なのは決 意とわずかな努力です。長時間の作業は 必要ありません。ほんの少し時間を使っ

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