// iil q川 "l 一 ′ く (
(.‑
:壬■
\ l
\ 主 三 言 を 、̀・\
後
山 /一/ ノ//
/ ./ //一 一 一 二二 二 二二二二
嘉
詩
§ ≡ ̀: \‑「\、
‑
\ ー叫̲\
\ \
‑‑ I
‑ 、 ̲\ ̲
EilTT・・・ii・・・コ /ハ ヽ
ノ
\
\
干 ミ\、く く「
図 6‑2‑1
I
Tl
J'rf,'鞘 ;).'キ ト・I飢 配 :Ll日当
ニー 277‑
\ ノ ㊨
\ \ \ し ̲
この部落の人 nは男10 6人 ・女9 4人 であ る。
年齢別 人口をみ ると米 8‑ 2‑ 1の ようになる.
この安の特徴 は, 5 1歳か ら4 0歳の働 きざか り の壮年 が急激 に少 ないこ とである。
(ロ) 歴史的概況
「関 山民俗学会」の資料に よると
,
「後山・中
谷の両部落は往古 は,太田 ,野原 などと嫡 こ奨粟缶 荘の一部 であったo足利 の末世 よ り,毛利,字哲 多 を経て小早川の除ilqに至 るまで,小原 城 主新免 I;P焚守の領 地 とな り同家 中の竹内F11筋大棚久稲が 全荘 を腎 邸 していた。陛 長8年 に至 り轟忠政が安
袈 6‑2‑1 年 齢 別 人 口
記,元禄 10年
I r ・
・lJ
家が段落後 は御
料地 とIJり古町代官が支配 した。
」 と記 されているが, この部落 に も関係 したことが残 されているの ではないか と調 べてみたが,残念なが ら実証 で きる資料は手に入 ら なか つI=。i瑚 き取 りに よると, オエノ株のA氏の先限であ る明石家門之守 lt,伐 臣秀 吉 を盛切 り,卯 の花が き れいに咲 き乱 れていたこの他
に
LIJ‑:み ついた とか, ':jJH IV)合判 で放れ てこ ())旭に住 みつ いたとい う言 いrJ;=えが残 っている。当時喧嘩 を よくしてい .'=ので,ケ ンカ痛 と名付 ナられ,今 の キン力餅 こ相当すI‑3のではない か とujことである。 しか し
,ぶ. WI 件
に乏 しいD文 化財 として指定 されていないれ A氏砧の7iI'向 きの天神があるO かつて5怖 あったが,現 在 は残 り2幅が兵雄県 と京都 にあ るそ うであるo この天 神は スサJlォノミコ トを祭 ってい る。 これを代 々Jl 氏 の本家 が黙 ってい た もので,棟内が'何 日か 日を決 めて拝 みに釆 ていた らしい。
また
, A
氏 の虞に 2 1D年 くらい前の松が あ るCこれ らか らす ると,少 な くと も近世初頭までには この部落 に定住す るようにな った と思 われ る. しか し, 近tii.と近代の間 に空白が あ り, 資料 に乏 しい ことは輯念 である,,卿'(,L1i/rT'I,中谷 に戸・Eu地場が‑設 け られ
, 後
山 ・中 裕 ・7g・野 ・太 田 ・野原の'5つの大字が軌 壊され, 明治22年8月の町村制炎鮎で割 犬に近 い もの とな り今 Flに至 ってい る。明治末期 ごろ,大字 後山に は・現在 の区良に
相当する971訴委 員が庄屋的役割 を していた らしいO しか し, いつか ら封鞍重民が存 在 してい[:か,いつか ら今 の区堤的役判の 広 報 蚕 Llに な っ た の か は,
捌 き取 りでは明 らかに きれ flLlか つ1=。 し/),し,湘碩
Elとい う言,.'拝が,
捌 118・にある上伯茂夫氏の謎の砕文に記 されてい る。 こ れは耶一一の巽.
了1F'を示す もの であるO鳩だ号22年 の!町村制'‑k地 で,
中
筋 だけの村治 はrJくな り.削 」全体 として運営 されてい る。 その た U・‑,'tll牌 か ら区f211'J役l・J・qJ&す る広 報 蚕 n が 選 出 き れ , 役 場 か ら の 伝 達 率 項 を 広 報 萎 氏 が 受け とるOつま り,広報垂Ei
は .役劫 と部落 との巾rEiJ的伝達独酌の役割 ,‑e示 す ものである.一一278‑
¢う 経済的概況
後山に端 を発す る漠流 に沿 う耕地及 び湧水 を利用す る稲作 が中心の産業 であ る。位近, 10年前 か ら蒜 山で栽培 きれていた ダイコンを県や普及所 の倭助 でこの部落に も栽培 きれだ した。 ダイコンの反 当収入は,米の それの5倍の収入があ り,その上 人手 をあ ま り要 さないので,中谷 ・青野 で さかん に栽培 してい る。 ダイコンは,春 ・秋2回植 えつけるが,天候 に左右 され る。 また, ダイコンは消祐 して もくさることが あ った り縦割れが あった りす る。必要 な労働力 は,平均4人 で,家族労働者が 主 であ る。 この他 に, しい たけ栽培があ るれ 中筋部者 で2‑5軒が栽培 してい るにす ぎない。 しいた け栽培 は,原 木がなけれ ば栽培 できないため, ダ イコンの よ うには簡 単に転換が きかない。
写共 6‑2‑1 ダイコンの洗浄1段階
写央 6‑2‑2 ダイコ ンの洗浄2段階
‑279‑
写 韻
d‑2‑5 ダイコンの選別及 び荷 ごし らえ県や町の産業振 興政解 に よって此 菜は米作か ら商品生産物 へ と変化 してい るが,労働 力の確保 や自 然的 条件 にかな り間組が残 されてい るよ うに脇 われ る。
次に,少 し山林 につ いて触 れ てみ よ う。 中筋部滞 だけの特 別 な部落 宵財産 は ないが, 入谷 には山林 な どの共有財産が あ る。 また後山 の採 r̲'F地が払 い下 けにな った時,入谷地区 ・日名 籍地 区 ・道 仙寺地 区に分割 されたが,中筋部落 と道 仙寺部落 o)場 合 は, 2つの組 の採草 地に分 って, それ ぞれの探 草地 か ら割当比 を も らった。大字全体の財産 は,後 山 (中衛部落 ・退仙寺 部落 )地 区 と入谷地 区に分 割 さ れ てい た。 そのため,後 山全件の大字後 山 の野戦蚕 員 と入谷の妨 新委 員 が存在 し,かつ入谷の事務委 員は大字の行 政 (こも関係 してい たため.結 局後 LLJf 体 として2人 の耶 防素見が存在 した とい うことに な る。 これ に対 して,入谷部落 は,‑ つに まとまってい たの で,入谷 として独 自の行 政 を行 いやす く, 山林分割 に際 して も有利 な位 匠を占め る ことが で きた と思われ る。
山林 の‑矧こ茅刈 り場 が あったが,これ は中筋部 落 だ けでな く後 山全体の もの であ った
。
「茅 の口開 け」 とい って, 梅年11
月
2 1日ごろ茅nEき屋根 の家の者が茅刈 りに行 き, 刈 った茅 を小 さな東に して組 んで しば ら く乾か し, 暇な時 自分 の家 に持 ち川 ってい た。早 く刈 る者 は夜中の12時 ごろか ら 出かけた り, また早朝6時 ごろか ら取 りに行 ったそ うであ る。 この持 ち帰 った矛 で屋根 替 えをす るの であ る。 甘;をLjLく日には, 職 人に頼 んた'り, 分家 ・本 家 の棟 内の者が手 伝い に行 ってい た。屋 根替 え は2 4年〜 50年に 1回行 われ, 一部 は7‑ 8年に 1回鯵輔 していたO ところが, 茅の免が減 り不足 して くると,茅誹が組 織 され たO茅講 はほ とん ど場 内の者 で自由参加 の形 で粗 繊 きれた。 これ も一
種 の相互 扶助 で あ るO中筋部落 では茅誹が2つあ った。 いつ頃形成 さttTこか明 らか でないが,明治5 0 年頃 には既に存在 してい た。茅潮 の加入者 は, 10人 ほ どで, 1軒 につ き 5シメずつ出 し合 い , 1 年 間 で5 0シメを帯め てい た。 1年 間 ですべ ての家 の矛Iil:さを行 ない, その後1 0年Fl馴 ま借 りた茅 を‑280‑
返 し続 け,次 の茅諦加入者 のために苛 めてお き,返却後, その誹か ら脱退 したO それ で も茅が足 りな い場合には,茅 を買 っていた といわれ る。
l 巨)■政治的概要
調査対象 とした中筋部落 は,政治的単位 として.大字後山に含 まれ るC大字後山は,中筋の他に, 入谷,道仙寺 を含む5部落 で構成 されてお り,村会に よ り相宿 が運営 されている。村 会の構成費貝は, 正区長1名,副区長2rl,広報艮 1名,組 合 長1 4名で,‑Lfl18名 であるoそして別に,広報補助員 が,入谷,中筋 ,道仙寺 にひと りずつ い るO
我 々は, これ らの役員の退出に際 し,同族幽係 や,本分家の蛸係が,なん らかの彫軸力 を持つので はないか と予想 したのであるが,軌在 では,組合良.広報祁助良を順番制 にした りして,村 の運営 ・ 部落の遊常 上,同族 は表面
に
出 て こない。村会の変題 を少 し調べ たの で, ここにつ け加 えてお こうo大字後山全体に,軸 小単 位 として
組
が d 組 あった.中筋 はか2部 落は,それぞれ上組 と下租 に分かれていて, その6組合の中か ら, それ ぞれ 1名ずっ,組頭 と呼ばれ る骨 を, 1戸1頚 の選挙 によ lJ選 出 していたO そのdf.の組頭 に,総代が 8 名 と区長が加わ り村治が運営 されてい たO以上は搬前の組織 であるが,職暗中か ら,d奴 告は1 4組合に細分 化 きれ るo 入谷は4組 に,中筋 は上組が5粗 と 占組 に分 かれ,下組が7‑ 10粗に分かれ
,
遣仙寺 も1 1‑ 1 4組 に分かれ,新 しく14組 合がで きたO それ ら14組合か ら, それ ぞれ 1名 ずつ組合長 を選挙 で出 していたが,現在は順 番制 にな ってい るo こうして,現 行の村 会が組織 してい ったのであ るC貰い薪 としたが,正別 区環は, 大字後山全体 を*・位に,住民1戸1票 の選挙 で選 ばれ る。広報貝は, かつて4年1期 で,各戸1欝 の 選挙 で選 ばれてい たが,現在 は,任期 は ・2年 とな ってい るO
きて,村会で詣 し合 われ たことの連綿な どは,軌合」も 広報見 な経 て,組 に伝わ るわけであ るが, 部落布 り合い として,組内の者が妹 ま り,謂 し合 う敬が設 け られ てい るO
中慨の 占つの組 (5‑ 11鮒 )は
, 糾
前 の上松 ・
下級 が, それ ぞれ細分 化 され たことは,先に も述 べたが, この 当時の啓情 は,聴取 したところに よると,次 の ようであ ったO戦時中 よ り,節 の司令部 の伝運 が末端 に行 き届 くLようにす る7こめに分 けた, とか。 あるいは,戦後食料 不足 で,分利 に際 し能 率 を考 えて,細分 化 された と もい っていた。 あい まいな点が残 ってい るのであ るが, その細分化で, 宗教 的な溝 として従来 あ った,大師計 を利拝!し, その寄 り合 いが,部瀦碍 ()合いの機能 を果 す よ うに なった̲O とい うことであ る。現 在 も, 各組 ごと,毎月1回, 日を定 めて順番制 で線 内の どこかに喋 ってい る。大師部 とはい う ちのの,別の宗派 (創価学会 )に属 している 西がいる範 は もとよ t),全休的 に,常会的色 彩が磯 くな ってい る。
この大師誹 は,組内の者 は全且参加 で,各戸か ら喝賓 を問 わず1名が出席す る。 9観 な どは,学会 加入者がお らず,今 で も大師様 を拝 むとい うことTJが, ほとん どの組 は,す ぐ共食 に入 り,常会 とし て話 しあった り,連絡 をした り, また, くつろいで世間題 をす るとい う,娯楽的性格 もあ るよ うだ0
128'.‑
農地改革前 は小作人がかな りいたため, 改革後 は土地所有 の変 化がかな りあった.改革以前 は,大 字の 役人が, それぞれの家 の下見 を行 い, 1秤について1等田 ・2等 田・5等 田の上 ・中 ・下の坪狩 りを して収穫高 を調べていたOまた, もみ1升 に対 し米5合 と見研 り, 米の収穫高 を推定 していた。
これ は,出地改 革後 も行 われ,近年5年前 まで行 われていた。この下見まは,いつか ら存在す るか明 らか でないが,明治末期に記 入 された ものが現在 まで保存 されてい る。
棟内 の中 に も,地 主 ・小作関係 が あったQ
笈 6‑ 21 2をみ てわか る ように, 5線 は小作が多 く,反対に 9紐 は少 ないQ地主は各級 に 1‑ 2名 いたo 1O組 のα・β・rとい う文字 は, 5名が耕作予備台帳 に記 されてい る が,地主 ・小作 ・自作 が明確 に され ていない ことである。
表 612‑2 胸和21年の桝作予備 台帳
級
地 主 小作 自作 地 主 姓5 2 i 15 A姓
6 1 5 9 A姓
7 1 5 9 E 姓
8 2 ̲5 6
M
姓9 2
1
10T
姓.
H姓単位 :人 a+β+T‑5 (ホ) 部落構造
( a)
組大字後 山は中筋 ・入谷 ・道仙寺の小字 に分かれ, あ る程旺独 立 した共同体 的な性格 を もち.村 とし ての意識 を もら, 自然 村か ら現在 の行 政村 の単位 に組み込 まれ た と思われ るO
組 として,かつては大字後山がd姐 に分 かれてい たが ,現 在 は14組 に分 かれ,中筋部落 は5組か ら10組 までを占めてい る。
表 占12‑5 組 と 屋 号
5 組 屋 号 d 組 屋 号 7 観 屋 号
明 石 数 男 妙 見 明 石 職 ナ カ ダ 明 石 馳 夫 シタ ジンタク
〝 昭 夫 オ エ 〝 育代志 上 // 男 市 ×
〝 文 夫 シ ン タ ク 〝 保 ニ シ ャ 〝 工E 男 ×
〝 敬 克 ウニ ジンタク 〟 降 懸 ム カニL 大 坊 茂 男 シモ ダイポウ
" 弘 志 南 屋 〝 忠 治 ヒロ ミヤ 〟 ̲峰
次
シ ミズ〟 深 オ モ テ 〝 英 彦 ア ク ラ シャ 〝 勝 報 シタ ダイポウ
春 名 芳 男 杉 番 屋 〝 安 志 × 〝 乗鞍罪 ホン ダイポウ
山
本
髄 サ カ ヤ // 昏 次 ク ラ ヤ 竹 下鼠
男 不 明〟
欄
エノミガ イチ 〝 節 男 ナ カ ヤ 〝 兵 治 ′′居 安 弘
志
ミナ ミヤ 八 尾 実 ハ チ オ 南 下 ひめの ′′l ‑282‑