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(ロ) 本家 を和 むとした5つの株
明石 姓全休の絵本家は明石個 夫氏宅 である と思われ るが,先 に述べ た ように,5つの棟 に分かれて い る。次にA ・B ・Cの3つの株 につい て, それ ぞれ詳 し く見てゆ くことにす る。
4枚
明石姓の家 々のFPで位 も同族志輪のは っき りしてい るの は① を本家 とした⑦ までのAlの株であろう。
分家③ か ら③ まですべて① を本家 として承認 し,本家 もこれ ら② か ら③ までの家 々を分家 として認 め てい る。① と② は,本分 家 とEB接 して兄弟 胴係に ある。② が分家 したのは唱和25年の ことで,肌 1 皮,田 5反 4畝 の肘健 分与 を うけてい る。木分家 とい うよ り,親族窟誠 の色 あいが濃 い ようであ るo
それはulと⑤ について もい えるo③ が分家 LTこのは昭和1 7年 ごろの ことで門灯 あわせて2反 5畝の
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財産分与 を うけてい るO③ は① に対 しお じにあたる。
⑳3
の家 と も本 家があ ったか らこそ分家 で きた とい う患織 を もってい るし,
親族 として も朗係が深 いか ら,① に対 し経済的 に援助 しあ うとい う的係 にある。④ は分 家 して 5代 目で世相 主は養子 であ り,④ の家のい とこにあたる。⑤ は分家 して5代 目 で④⑤ とも分家の時期 は明治以飢 であるとい うO◎ は分家 して5代 目で当時 ,田を8反
7畝 ,・Jmを1 反ほ ど分 与 されてい る。⑦ は(参の分家 でくかか らすれば孫分家 になるわ けであ る。① は孫分家 として⑦を認知 してい るが⑦ は直接 の本 家 はQ)としてい るO⑦ も◎ か ら分家 して 5代にな り,総本家 とい う悪 態 は弛れてい るようであるO
臓 についてみ ると鵬 の本家 は㊥ で,O か ら分家 して 8代 目にな る. 分 家の時期が古いだけに, 分家が1つの株 を形成 して本家 と,fっているが
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⑮ は① を本家 とし,① ⑪ ともに地位 を相 5・譲知 し‑295‑
てい る。 ⑲ は昭和24年 に結婚 と同時 に ⑮ か ら分家 して お り,田 47a,頼= Oa,家島敏 の財 産分与 を受 けて いろ。 仲 と⑲ は兄弟的係 にあ るか ら日常生活において もつ きあいが深 いO ⑮ は 本家 を① としてい るが, それ は近接 の本家 は ⑪ だが冶本家 である① を志功 LT=ためであ ろ う。分家 して 2代 目であ るが田 を d反 はど分 与 され てい るo ⑲ は ⑮ の弟 にあた る。昭和 55年にtU林 ・田
・家 を分与 され分 立 した。兄 を本家 として その地位 を認め てい るが, 血緑的 な恥係か らのつきあいが 掛 、。 日常生活 で も, よ く行 き来 してい るし正 月な どに もよばれてい る。 ⑮ は ⑩ か ら分家 して5 代 目にな るO ⑮
は
さらに ⑲ ⑲ ⑲ を分家 として創出 してい る。 ⑮ が分家 したのは明治以百打であ るといわれ るが,当時の財産分与は明 らかでな く. 家屋敷 はあ ったであ ろうといわれ る。 この分家は 娘に婿,+Cと‑ての分家 であっTこO ⑪ ⑲ と も地位の相互認知があ る。 ⑯ は ⑮ の鍬 こあた り,昭和 55年 ごろ,財産分与 を うけて分家 した。当時 は兄碑 とい うこともあ って今 よ りももっ と韻いつ きあ い をしていたそ うであ る。 ⑫ の家 につい ては, アンケー ト調香が で きなかっ t=T=め,分家当時 の笹 倍等,現 在の芯卦 こついて も不明であ るo ⑲ は ㊥ の* ・,・こあ
た り,昭 和2占年に結婚 と同相 こ家 ・ 田を分与 されて分 家 した。 兄弟であるか ら経析的 に も相談 す るな ど, 日常のつ きあいは掛 、o ⑲ の 家 は ⑮ よ り分家 して 5代 目であ る。分家 の臥 財産分与 はな く, 自分 で酢 たそ うであ る。現在本 家 とのつ きあいは,近所づさか 、種皮 で援助 な どはない. しか し, 1つの明石株 であるか ら本分家 は 続け るべ きであ るとい う藩論 は持 っている。章一̲・l勺姫 のた去りこ親族 と同然 が・Qii概 して,抹円に現巌 を含 む樹合 が多 い
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2株 では,兄弟分'Rが4恕lあ
る。 63)を本家 とす ると孫分家 は 5戸あ るが, どれ もが本家 は t'こか とい う質問に対 しては底糎の 本家をあ げてい るo A維全件か らみ ると,本分家の相互誇知 は明碇 だが,倭助 を求 め る際 は,本分 家とい う窟誠 よりも親族であ るか らとい う忠弘が前 面に出てい るの ではないか と思われ る.