組で統一的に説明することを目標とする。筆者の知る限りにおいて,ナイル語西方言に所属す る各言語の記述において,それぞれの言語の複数形成を扱った研究は存在するが,ナイル語西 方言全体の複数形成法を包括的に研究したものは,筆者の一連の研究を除いて存在しない。ま してや,西ナイル祖語の複数形成法を再構成する試みは存在しない。ただし,Gregersen
(1974a)と(1974b)の研究は,ナイル語西方言の複数形成法の一部を扱ったものであり,包括 的なものではないが,示唆に富んでいる。実際,本研究は,Gregersen(1974a)と(1974b)の アイデアを発展させたものである。
本研究は,通時的な視点からと共時的な視点からの両面から,ナイル語西方言の複数形成法 を明らかにしようとする。全体を通時的な説明によって満足するのではなく,まず,ナイル語 西方言に所属する言語に共通する名詞複数形の形成法を発見することから議論を始める。
既に述べたように,本章の最終的な目標は,名詞語幹の末尾の位置での子音の音韻的性格を 決定することである。なぜなら,ナイル語西方言において,名詞語幹の末尾の位置で,子音 は,複数形成法や「単数(Singulative)」形成法に付随する音韻規則に従って交替する。このた めに,名詞の複数形成法や「単数(Singulative)」形成法を明らかにしない限り,名詞が語幹末 尾の位置にどんな子音を本来もっているのか決定できない。従来の研究は,複数形成法や「単 数(Singulative)」形成法を明らかにしなかった。したがって,名詞語幹の末尾の位置に現われ る子音が,音韻規則によって交替したものである可能性を考慮しなかった。そのために,音韻 対応の作業を誤ったのであった。
ナイル語西方言における名詞複数形成法と「単数(Singulative)」形成法を明らかにすること が,ナイル祖語における語幹の末尾の位置での音素を再構成するために極めて重要であること を簡単な例で説明しよう。
筆者は,かつて,ナイル祖語における語幹の末尾の位置で有声閉鎖音を再構成することを試 みた際に,ナイル語西方言の単数形をナイル語東方言や南方言の単数形と直感的に対応させ た。単数形に単数形を対応させるのは当然のことと思われるが,なんら根拠もなく,すなわ ち,形態論的分析を行うことなく,対応の作業を行うことは危険なことであった。
例えば,以下の対応から,ナイル祖語再構成音,両唇有声閉鎖音の再構成を試みた。
Proto-Nilotic SouthernNilotic EasternNilotic
‘buffalo’ *kwo-kAb NasA:-e:t Maol-osow-uAn
(*kwは唇軟口蓋閉鎖音を表記する。Naはナンディ語,Maはマサイ語である)
これらナイル語東方言,ナイル語南方言の「野牛」を意味する形式に対して,筆者は,ナイ ル語西方言ルオ語の「野牛」を意味する形式jow-iを対応させた。ルオ語においては,両唇有声 閉鎖音bは,母音間の位置において半母音wで現われることが分かっている。したがって,ナ イル語東方言,ナイル語南方言と,ナイル語西方言を比較して,「野牛」を意味する名詞語幹の 末尾の位置に両唇有声閉鎖音*bを再構成した。そして,ナイル祖語における「野牛」を意味す る名詞語幹を*kwo-kAbと再構成した。また,ナイル語東方言やナイル語南方言では,語幹の 末尾の位置で,ナイル祖語再構成音,有声閉鎖音*bは,弱化して,半母音w(マサイ語の形式 を参照)や,長母音の一部を形成する要素(ナンディ語の形式を参照)になったと考えた。
しかし,ここで比較方法に使用したナイル語西方言ルオ語の「野牛」を意味する形式jowi は,単数形であった。これに対となる複数形は,jopeである。すなわち,ナイル語西方言ルオ 語においては,名詞の単数形と複数形の間で,語幹末の位置において,両唇有声閉鎖音bと両 唇無声閉鎖音pとの間の交替という現象が観察される。それでは,上記の比較方法で使用され
るべき形式は,ルオ語の単数形であるべきであろうか,あるいは,複数形であるべきであろう か。比較方法に単数形を使用するべきか,複数形を使用するべきかという問いは,実は正しく ない。正しい方法は,複数形成法を明らかにして,複数形成の形態論的プロセスを受けていな い語幹の形式を確定して,もともとの語幹,すなわち,複数形がつくられる基になった基準形 とも呼べる本来の語幹を使用して,ナイル語西方言,ナイル語東方言,ナイル語南方言を比較 しなければならなかった。
本章がナイル祖語における名詞語幹の末尾の位置での音素を再構成するための準備となるこ とは,理解されたであろう。
本研究では,ナイル語西方言の名詞複数形成法と関連して,以前は考えられていなかった音 素*r1(調音点は歯から歯茎あたりの無声閉鎖音),*r2(調音点は*r1の調音点と同じ,歯から 歯茎あたりの有声閉鎖音),*l1(調音点は硬口蓋あたりの無声閉鎖音),*l2(調音点は*l1の調 音点と同じ,硬口蓋あたりの有声閉鎖音)を西ナイル祖語に再構成する。それらの音素の再構 成は,ナイル語西方言の名詞複数形成法を説明するうえで欠くことのできないものである。こ れらの音素の再構成は,名詞複数形成法の解明にとっては二次的なものであるが,本章の議論 全体にとっては重要な位置を占めている。しかも,ナイル語西方言における名詞複数形成につ いての従来の研究を覆し,新たな視点を提供するものである。したがって,これらの音素の再 構成についての注意深い検討が,第3章で行われる。
ナイル語西方言の名詞複数形成法を明らかにするにあたって,ナイル語西方言に所属する言 語を,(1)ヌエル語,(2)ディンカ語,(3)北ルオ方言(シルク語,アニュワ語,パリ語,ジュ ル語),(4)南ルオ方言(ケニア・ルオ語,アルル語,アチョリ語,ランゴ語,クマム語)に 分けて,考察する(表1参照,(5)北・西ナイル方言は資料の欠如のため議論できない)。
本研究は,分類そのものに議論の重点を置いていない。しかし,上記の4つの言語,言語グ ループ,それぞれは,名詞複数形成法について,グループを他のグループから隔てることを可 能にする特徴があることから,グループごとに議論するのがよいと考える。実際,北ルオ方言 と南ルオ方言においては,明らかに,名詞複数形成法について,異なる現象が観察できる。ま た,ヌエル語やディンカ語において,それぞれの言語で複数形成法について独自の発展を遂げ たことが,後の議論で明らかにされる。さらに,名詞の複数形成法のみに着目すれば,(1)と
(2)のヌエル-ディンカ言語グループと(3)の北ルオ方言の間には,共通の特徴が存在するこ とが分かる。現在,一般に受け入れられている分類では,(3)の北ルオ方言と(4)の南ルオ方 言が系統関係において近いグループであると考えられている。名詞複数形成法の特徴だけから 考えると,系統関係において,(1)と(2)のヌエル-ディンカ語グループと(3)の北ルオ諸 語が1つの下位グループを構成する可能性がある。そして,(1)と(2)のヌエル-ディンカ 語グループを(3)と(4)のルオ方言から切り離す根拠となっている様々な特徴の共通性は,
(1)のヌエル語と(2)のディンカ語の間での言語接触による言語特徴の伝播の結果である可能 性がある。ただし,複数形成法の特徴のみで言語分類を行うことは危険であろう。
北・西ナイル方言については,資料の不足から詳しいことがわかっていなかったが,近年,
資料の出版により,少しずつ言語構造が明らかになりつつある。しかし,他のナイル語西方言 の言語と同等に本研究において扱えるほどの資料はない。
表1は,系統関係を示すものではなく,複数形成法に関して共通する特徴で言語グループに 分けたものであって,必ずしも系統的な分類にはなっていない。ナイル語西方言の系統分類に 関して,ほぼ解決しているかのように思われるが,実際は,未解決な点が残っているのである。
表1 ナイル語西方言の下位分類 1.ヌエル語Nuer
2.ディンカ語Dinka
3.北ルオ方言(シルク語Shilluk,アニュワ語Anywa,パリ語Pari,ジュル語Jur)
4.南ルオ方言(ケニア・ルオ語Kenya-Luo,アチョリ語Acooli,アルル語Alur,ランゴ語 Lango,クマム語Kumam)
5.北・西ナイル方言(ブルン語Burun,マバン語Mabaan)
本章において,ナイル語西方言における名詞複数形成法が明らかにされる。そして,後続す る章で比較方法に用いられるべき名詞の語幹の形式が決定される。本章では,名詞語幹の形式 を確定することにとどまらず,名詞複数形成の発展の歴史を考察する。ナイル語西方言におけ る名詞複数形成を統一的に説明することで,ナイル語西方言の名詞複数形成法が比較的単純で あるかの印象をあたえることになるだろう。しかし,実際は,ナイル語西方言は,豊かな名詞 複数形成法をもち,また,名詞複数形成法を様々に発展させた。これこそが,ナイル諸語全体 における名詞複数形成法を特徴づけている。ナイル語西方言における名詞複数形成法の通時的 発展を記述することは,ナイル諸語全体の名詞複数形成法を理解するために有益である。
2.ナイル語西方言における名詞の形態論的構造
名詞複数形成法を議論する前に,複数形成に関与する形態論的な要素を明らかにしておかな ければならない。そのためには,ナイル語西方言において,名詞がどのような形態論的構造か ら成り立っているか議論する必要がある。
ナイル語西方言に所属する言語は,名詞の複数形成に関与する接頭辞をもつことがある。し かし,これらの接頭辞は,複数形成に関しては二次的なものである。例えば,ルオ語は以下の ような複数形をもつ。
ルオ語 sg. pl.
‘elder’ jAduoN jdng (Tucker(1994))
‘rainmaker’ jakth
duoNは,「大きい,重要な」を意味する形容詞であり,単数形である。dngは,その複数 形である。jaは,名詞ji「人」の修飾語を後続させるときの形式である(Constructformと呼 ばれることがある)。jは,その複数形である。例えば,ji「人」に指示詞li「この」(単数),
gI「これらの」(複数)が後続すると,以下のようになる。
ルオ語 sg. pl.
‘thisman’ jAli jgI (Tucker(1994))
jAとその複数形jは,強勢を考慮しなければ,後続する修飾語に修飾された名詞と考えられ るかもしれない。しかし,強勢を考慮すると,jAduoNとその複数形jdngは,それぞれ1語 である。また,jakthは,「雨」を意味する名詞kthと,「人」を意味する名詞の修飾語に後続 される形式jaから構成されている。名詞jaと名詞kthからなる複合語と考えられるかもしれな