第 3 章 : 「ドイモイ I」以降の政治行政システムと外国投資政策
第 2 節 . 「ドイモイ I」推進の政治行政システム
前節に述べたように、1986年の第
6
回党大会は、国家統一後の1975
年の第4
回党大会以降の路線を否定し、全面的な「ドイモイI」路線へ転換することを
決議した。「ドイモイI」路線の内容は、既述したように社会主義路線の見直し、
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産業政策の見直し、市場経済の導入、国際協力への参画を4つの柱とするもの であり、従来の性急な社会主義化の路線を根底的に違うものであった。従って、
第
6
回党大会以降、全国において急性な社会主義化を展開するために制定され た1980
年憲法の規定と党・政府の決議・決定との間の不整合や矛盾が目立つよ うになった。そこで、
1988
年12
月の国会は、1980
年憲法の序章における「中国覇権主義」や「日本、フランス、アメリカの帝国者」などの用語を削除し、「ドイモイ
I」
路線の一つの柱である国際協力への参画を展開するうえで「不適切だと思われ る表現」(24)を修正した。さらに、1989年
6
月の第8
期第5回国会は、国家評議 会主席のVo Chi Cong(ボー・チ・コン)を委員長とする憲法改正委員会を設
置した。同委員会は、
1990
年2
月に第1
次草案を、1991
年7
月には第2
次草案を発表 し、同年12
月の第8
期第10
回国会に第3
次草案を提出した。1992
年に入ると、約
3
カ月間この第3
次草案に対する国民の意見聴取が行なわれた。1992
年3
月 下旬に招集された第8
期第11
回国会に提出された最終草案は、第3
次草案に若 干の修正を施したものである。同国会は草案の条文を逐一討議した後、4 月15
日、満場一致で1980
年憲法の改正案を採択した。このように、憲法改正委員会 は、1992 年憲法の採択に至るまでに、草案を4回に作成・修正した。そして4
月18
日には改正憲法が公布・施行された。1992
年憲法の特徴は、「ドイモイI」を全面的に推進するために市場経済の導
入と対外的経済関係の開放に関する諸規定を新設したことである(25)。例えば、市場経済の導入に関しては、「国家は、 国家管理と社会主義的傾向にもとづく 市場メカニズムに従い、多様なセクターによる商品経済を促進する」(第
1 5
条)、「国家を繁栄させ、強化し、すべての労働力を使い、あらゆる経済的構成要素、
すなわち国家経済、集団経済、個人経済、私的資本主義経済、および国家資本
(24) 鮎京正訓「ベトナムの憲法制度」、日本貿易復興機構(ジェトロ)『アセアン諸国の憲法 制度』ジェトロ、1997年、193頁。
(25) 西修「各国憲法概要(2)」『駒澤法学』第6巻第1号、駒澤大学法学部、2006年、55 頁。
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主義経済の潜在性を十分に発揮させ、物質的、技術的基礎の建設を加速させ、
世界市場との広範な経済的、科学的、技術的協力と協働を促進することによっ て、人民の物質的、精神的需要をいっそう満足せしめることは、国家経済政策 の目標である」(第
1 6
条)などが挙げられる。また、対外的経済関係開放に関しては、外国企業・個人との提携・合弁の容 認(第
22
条)、「国家は、対外的な経済活動を統一的に管理して拡大し、相互の 独立・主権・相互利益を尊重するという原則に基づき、国内生産を保護・促進 しつつ、すべての国家・組織との間で、各種経済関係を発展させる」(第2 4
条)、「国家は、外国の各種組織および個人が、ベトナムの法律・国際法および国際 通例に基づき、ベトナムに資本・工業技術を投資することを奨励する。外国の 各種組織および個人の資本・財産に対する合法的な所有権および各種権利を保 証する。外国に投資資本のある企業は国有化されない」(第
2 5
条)などの規定 は、1992年憲法で初めて登場した規定である。そこで、本節は、「ドイモイ
I」推進のために制定された 1992
年憲法の制定要 因および内容を分析しながら、「ドイモイI」にもたらされた政治行政システム
の変化を明らかにする。第
1
項 1992 年憲法の制定要因「ドイモイ I」が誕生した 1986 年から 1992 年まで、ベトナムは 1980 年憲法 の規定に基づく政治体制を維持し続けた。しかし、1992 年に新しい憲法が制定 された。1992 年憲法の制定には二つの要因をあげることができる。
第 1 は、既述した「ドイモイ I」の実施過程において、急速な社会主義工業化 路線を規定した
1980
年憲法の規定と党・政府の決議・決定との間の不整合や矛 盾が目立つようになっていたことである。例えば、1980 年憲法(第18
条)は、旧ソ連の 1997 年憲法の影響を受けて国有・公有の所有形態のみを認めたが、共 産党の
1988
年4
月の政治局決議第10
号は国有・公有、集団所有、個人所有と75
いった所有形態を認めることになった。従って、1988年以降、有限会社、株式 会社などの民間企業が設立されることになった。1990 年には
340
民間企業、1991
年には163
民間企業、1992
年には1868
民間企業が設立された。また、外 国からの投資を誘致するため、「大臣評議会」の提案に基づいて国会は1987
年 に個別投資法を採択した。しかし、1980 年憲法(第25
条)は、外国企業の資 産を無賠償で国有化することを規定した。この第25
条の規定を修正しない限り、個別投資法が採択されても外国からの投資を誘致できない。
また、1980 年憲法は、「重工業を優先的に発展させる」(第
16
条)ことを規 定した。それに対して、1986
年の第6
回党大会は、従来の重工業優先政策から、農業、生活用品や輸入代替商品などの軽工業を中心に政策転換することを決議 した。それに、「教育費用は無料」(第
60
条)、「医療費は無料」(第61
条)など の1980
年憲法の規定は、実際の経済・社会の現状の下では実現困難である。こ うした矛盾を解決するために新しい憲法の制定が必要になったのである。1992 年憲法のもう一つの制定要因は、1980 年憲法で規定された国家機関の権 限・責任が明確でなかったことである。例えば、変動が激しい市場経済を直ぐ に対応できるように、執行機関としての「大臣評議会」の主席の権限を強化す ることが必要である。しかし、1980 年憲法は、「大臣評議会」の主席の権限を制 限して行政管理の役割を発揮できなかった。そのため、1986 年の党大会の政治 報告は、「新しい管理体制を設立するために国家機関の組織を大きく改革しなけ ればならない」、「政治システムの改善も大事な問題である」、「党と国家機関の 権限、役割を区別するべき」、「党が国家機関の全ての事を決定し、国家の法律 の代わりに党の決定、指示を優先する認識を変えなければならない」などを述 べた。(26)こうした共産党の方針を具体化するために、1980 年憲法に代えて 1992 年憲法の制定が必要になったと言える。
(26) Dang Cong san Viet Nam(ベトナム共産党), Van kien dai hoi dai bieu toan quoc lan thu 6(第6回全国党大会文献), Nha xuat ban su that(事実出版社), 1987年.
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第 2 項 1992 年憲法の政治行政システムの変化
それでは、次に「ドイモイ I」の展開期間において大きな意味を持ち、「ドイ モイ」の憲法とも言える 1992 年憲法とそれに規定された政治行政システムの変 化について考察してみよう。
第 1 は、〈工人階級政党〉すなわち労働者階級政党から〈全人民政党〉への変 身である。1992 年憲法は、1991 年の第 7 回党大会の路線に基づいて、1980 年憲 法の「プロレタリア独裁国家」の規定を削除し、「人民の、人民による、人民の ための国家」(第 2 条)であるとし、「全ての国家権力は、工人・農民・識者の連 合体に基礎を置く人民に帰属する」とした。また、1992 年憲法の第 8 条も次の ように規定した。「国家機関、幹部、公務員は、全て人民を尊重し、人民に心か ら仕え、人民と密接な関係を保持し、人民の意見を聴取し、かつ人民による監 視を受けなければならない」。
このように、1992 年憲法は、1980 年憲法の「プロレタリア独裁」、「集団的」、
「社会主義的」という言葉を削除し、新たに、「人民の、人民による、人民のた めの国家」という国家の性格規定を入れた。しかし、国家を指導するために政 治組織が必要である。その政治組織は、ベトナム共産党である。1980 年憲法の 第 4 条は、ベトナム共産党の位置づけについて「工人階級の先導者、参謀者で あり、マルクス・レーニン主義によって武装されたベトナム共産党は、国家・
社会の唯一指導勢力であり、革命のあらゆる成功を決定する主要要素である」
と明記していた。しかし、1992 年憲法の第 4 条は、「ベトナム共産党は工人の先 導者として、かつ働く者、労働する人民、そして全人民の利益を忠実に代表す るものとして、マルクス・レーニン主義とホーチミン思想を追求するものであ り、かつ国家・社会の指導的勢力である。党の全ての組織は憲法と法律の枠内 において活動する」とした。
一見すると、ほぼ同一のように見えるが、重要な違いがいくつか指摘されて いる。その 1 つは、1992 年憲法では「全人民」という言葉が新たに加えられた
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ことである。1980 年憲法は、単なる「工人階級の先導者」という位置づけであ るが、1992 年憲法はこれに「全人民の代表」という性格が加わった。〈工人階級 政党〉すなわち労働者階級政党から農民、知識人などの〈全人民政党〉への変 身を図ろうとしている証と見ることができるだろう。2 つには、国家と社会の唯 一の指導勢力という規定から「唯一の」が抜け落ちた。3 つには、見落とせない 変化は、共産党の思想的基盤としてマルクス・レーニン主義にホーチミン思想 が加わったことである。ソ連・東欧における社会主義体制の崩壊は、ベトナム 共産党に大きな衝撃を与えた。これについて共産党は、旧ソ連モデルではなく ベトナム独自のモデルを構築することを主張した。そこで新たな思想的支柱と して加えたのがホーチミンの思想である(27)。「ホーチミン思想とは(1)独立、(2) 自由、(3)幸福を標榜し、国民がみな幸せに生きていかれる国をつくろう、とい うすごく単純な思想」(28)である。
さらに、第 10 回党大会(2006 年 4 月)で改訂された党規約では、共産党は「工 人階級、労働人民、民族の利益の忠実な代表」と記載されている。また、党を
「工人階級の先導者」とする従来の規定に、「同時に労働人民とベトナム民族の 先導者」という文言を付け加えた。つまり、中野亜里が指摘したように、共産 党の階級的性格に加えてベトナム民族および人民の政党としての性格を明記す ることで、党の人民への浸透を図ったということである。(29)
このように、ベトナム共産党は国家と社会を指導する役割を維持している。
しかし、ジョヴァンニ・サルトーリによれば、「政党は、意思表明のチャンネル である。即ち、政党は、何よりも先ず、代表の手段である」(30)というが、ベト ナム共産党は「工人階級」から「全人民」の意思表明のチャンネルへ変身した。
そこで、前章で述べたジョヴァンニ・サルトーリの「一党制のタイプ」(図表 II.10)
(27) 江橋正彦(編)『21 世紀のベトナム:離陸への条件』日本貿易振興会、1998年、2頁。
(28) 窪田光純・原田滝介『六面体のベトナム』ダイヤモンド社、2007年、156頁。
(29) 中野亜里「ドイモイ下ベトナムの国家と市民活動の関係の様態に関する考察」、寺本実
(編)『ドイモイ下ベトナムの「国家と社会」』(調査研究報告書)アジア経済研究所、2007 年、109頁。
(30) ジョヴァンニ・サルトーリ、岡沢憲芙・川野秀之(訳)『現代政党学』早稲田大学出版 部、2000年、48頁。