1986
年の「ドイモイ I」路線採択以降、社会主義体制を維持したままで市場 経済化を目指す改革路線を歩むことになった。そうした中で、ベトナムへの外 国投資は、前章に述べたように 90 年代に直接投資が流入、「第1次ベトナム投 資ブーム」となった。しかし、社会経済システムの改革は進まず、投資環境の 整備も遅れ、1997
年のアジア通貨危機と相まって、「第1次ベトナム投資ブーム」は終焉し、
1997
年以降直接投資は激減した。その後、市場経済化が一応着実に 進展し、越僑資金及び ODA 資金の流入もあり、輸出も増加したから、経済成長 率が回復に向かった。また、2000
年6
月に、1996
年の新個別投資法が追加・修 正されるなど、外資誘致への環境整備が進み、2003 年から直接投資が再び回復 した。そして、2005
年11
月には世界貿易機構(WTO)加盟へ向けた内国・外国 投資法制整備の一環として、外国投資と国内投資を一元化した「共通投資法」が制定された。
この共通投資法は、法案作成の段階から国会で採択するまでに国内外の数多 くの組織・個人から批判・提案を受け、
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回も修正が行われた。そうした中で、共通投資法には、投資・企業形態の多様化、投資許認可制度の簡略化、地方自 治体および工業区管理委員会への権限・手続き窓口委譲による各種手続きの迅 速化、内・外資間差別の多くが撤廃される改善点が見られる。そのゆえ、同法 が公布された後、2006年からは「第 2 次ベトナム投資ブーム」ともいえる動き となった。
かくして、2007年には、外国投資
200
億ドルを達成し、2008年上半期にはす でに300
億ドルを突破した。さらに、注目されるのは、投資対象が従来の輸出 加工型に加え、内需生産型にまで広がっているという質的な変化が現れている 点である。特に2009
年にベトナム政府が外資の小売流通業への進出を解禁した98
ことで、「消費市場」としてのベトナムを狙う動きが始動している。そのため、
ベトナムは直接投資対象国として世界の関心を集めていた。
このように、「ドイモイ I」路線が実施されて以降、外国投資は以前よりベト ナムの経済発展に大きく貢献し、ベトナムは世界の投資家に注目を浴びること になった。個別投資法が制定された
1987
年以前、外国直接投資の企業は1
社も なかったが、1995年にはベトナムのGDP
の6.5%、2004
年には GDP の15%を占
めるに至った。こうして「ドイモイ I」の実施過程において外国投資政策は重要 な役割を担うに至っているのである。特に、共通投資法は初めて外国の投資家 と国内の投資家の差別がない平等的な投資環境を作り、投資に関する法制度を 大きく改善した。共通投資法の内容だけではなく、共通投資法の制定過程にお いても様々な変化が現れた。そこで、「ドイモイ I」の展開における外国投資政策の重要性を認識したうえ で、本章では次のことを狙いに論述している。第 1 の狙いは、個別投資法から 共通投資法への転換過程においてベトナムの外国投資政策がどのように変化し たかを明らかにすることにある。第 2 の狙いは、共通投資法の制定過程の分析 を通じて「ドイモイ I」展開がもたらした法律制定過程の変化を明らかにするこ とにある。
第 1 節.外国投資を支えた要因
上記のように、外国投資は、ベトナムの経済発展に対して重要な役割を果た した。その外国投資は、次の3つの要因に支えられていた。
第 1 は、「ドイモイ I」の導入・展開である。1975 年に南北統一を成し遂げ、
翌 1976 年に現在のベトナム社会主義共和国が誕生した。社会主義体制のもとで 国づくりを行った財源は、旧ソ連をはじめとする社会主義国からの援助や、国 際通貨基金(IMF)、世界銀行、アジア開発銀行(ADB)からの融資だった。この 時期の長期的開発戦略は、旧ソ連・中国を中心とした社会主義諸国との国際関
99
係に依存しながら、重化学工業を優先的に発展させ、全国的に経済活動を社会 主義化して、急速な経済発展を実現するというものであった。
しかし、この開発戦略は、他の社会主義国と同じく、次々と困難な問題を引 き起こし、経済の停滞と混乱を生み出してきた。その上、1978 年の隣国カンボ ジアへの軍事介入や中国との紛争などにより、アメリカを始め西側諸国からも 経済制裁を受け、国際関係が極めて不利となった。西側諸国からの援助も停止 され、国際社会から孤立し、閉鎖的な独自の中央集権的計画経済の路線を歩む ことを余儀なくされた。旧ソ連・東欧の援助は続いたものの、エネルギー、原 材料、部品などが不足する状態になり、国営工場の稼働率が 50%近くまで低下し、
物資および食料の不足と重い戦費の負担で生活水準の大幅な低下が起こった。
そこで、ベトナム政府は、共産党の指導のもとで、国民の最低限の生活を保 障するために、生活必需品の配給制度などの政策を実施した。国民に配給する すべての生活必要品が国の負担になるから、1984 年には国家補助金は、財政赤 字の 67%を占めるまでになった。1980 年代のベトナムでは、1 人あたりの国民 所得が最貧国の水準(1)を大きく下回り、200 ドル未満となった。失業率も 15%を 超えていた。
この深刻な状況の中で、1986 年 12 月の第 6 回党大会で、一向に振るわない経 済を活性化させ、低所得国から脱出することを目指し、それまでの開発戦略を 刷新させる路線、いわゆる「ドイモイ I」に踏み切った。
永田智章が指摘するように、その「ドイモイ I」の主な内容とは、まず、近隣 アジア諸国はもとより、植民地支配からの独立を求め戦ったフランスや、抗米 戦争の敵国であったアメリカを含む自由主義市場経済体制諸国との経済的な関 係を強化することである。そして、国内の市場経済化を促進し、経済の効率化 を達成することである。対外経済開放と市場経済化という2つの戦略を展開す ることで、外国からの投資を呼び込み、輸入代替および輸出志向の工業化を短
(1) 国連の定義では、一人あたりの国民所得が300ドル以下である国が最貧国という。
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期間に達成させようというシナリオである。(2)
上記のように、1986 年以降のベトナム共産党は、対外的に資本主義国との交 流を拡大し、経済発展を促進するために技術・資本を積極的に導入する路線を 採択した。この路線を具体化するために、1987 年 12 月に初めての個別投資法が 制定され、1988 年 1 月に施行された。そして 1988 年 9 月にその個別投資法に関 する施行細則が公布された。この時点以来、外国投資に関する事業は、法律上 で規定されるようになった。このように、「ドイモイ I」が採択されたからこそ、
外国企業はベトナムにおいて歓迎され、法律の規定に基づいてベトナムへの投 資を実施できるようになったのである。
第 2 は、旧ソ連の崩壊である。1976 年の統一後、ベトナムは旧ソ連の政治体 制と経済発展戦略に沿って国づくりを実施した。しかし、長い年月の戦争があ ったため、ベトナムの国内経済は自立的で健全な発展を達成できなかった。旧 ソ連のような社会主義計画経済体制は、国民に生産効率化の誘因を提供できず、
生産は停滞した。結果として国内経済の活力が縮小し、国家の財務赤字が増大 し、物資と食糧が不足し始めた。その深刻な状況の中で、ベトナムの国づくり の財源は旧ソ連をはじめとする社会主義国からの援助に依存した。
しかし、旧ソ連は、1981 年からインドシナにかかる負担を軽減したい意向を 示していた。ゴルバチョフ政権になった時、旧ソ連は援助の削減、効率化政策 が具体化した。旧ソ連の対ベトナム援助の無利子借款供与額は、1985 年比では 前年 25%減、1990 年では同 11%減と、2 年間で 3 分の 1 も削減されてしまった。
これは、旧ソ連が自国の経済危機で援助どころではないという状態に陥ってい たからである。(3)
1990 年代初頭、旧ソ連は自国の政治・経済体制の改革を求めて激しい試練に 直面した。しかし、1991 年 8 月のクーデターとその失敗は、ソビエト連邦とソ
(2) 永田智章「日本企業によるベトナム投資の経済分析:ドイモイ政策から20年、対外経済 開放の展開と対越投資」『広島経済大学創立四十周年記念論文集』、2007年、626頁。
(3) 子島明「太平洋の政治経済環境とベトナムの経済発展」、関口末夫・トラン・ヴァン・ト ゥ(編)『現代ベトナム経済-刷新(ドイモイ)と経済建設』勁草書房、1992年、137頁。
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ビエト連邦共産党の崩壊を決定的にした。ベトナムは二重の問題を突き付けら れた。一つは、従来の経済援助が期待できなくなったこと、もう一つは、ベト ナムが追求する社会主義が一大兄弟国の進路が変わったことによって根拠を問 い直されていたことである。(4)
こうした状況に対処するため、窪田光純がいうように、ベトナムは旧ソ連お よびその他の社会主義国から離脱し、アセアンとの関係を基軸に進める政策を 取った。旧ソ連なしでは生きられなかった国家が多かった中にあって、ベトナ ムは「ドイモイ I」路線導入が功を奏して新しい国づくりが一挙に加速した。旧 ソ連時代にはブレーキがかけられてきたが、1986 年の「ドイモイ I」路線は誰 に遠慮することもなく、ただ国益だけを優先する形で強力に推進された。換言 すれば、旧ソ連の崩壊がベトナムの「ドイモイ I」を加速させたと言える。(5)
旧ソ連の崩壊の後、対外経済開放と市場経済化などの「ドイモイ I」路線の一 環として、ベトナム政府は国際会議にも意欲的に参加し、「新しいベトナム」を 紹介し、外国資本の誘致を加速しようとした。こうした事情の中で、ベトナム 民間企業が外国企業と合弁事業を行うことを認める個別投資法は、各国の投資 家に注目された。各国のベトナムへの関心も急速に高まりだした。
第 3 は、日本の ODA の再開およびアメリカによる経済制裁(エンバーゴ)の 解除である。日本は、1975 年に社会主義国ベトナムへの資金協力を開始した。
1978 年 4 月、日本とベトナムは、過去のベトナムの対日債務および日本の対ベ トナム新規援助に関する合意に達した。これによると、ベトナムは過去の対日 債務(160 億円)を 30 年間で返済する。日本の方は 4 年間で 160 億円の無償援 助を行う他、200 億円を円借款として 2 年間でベトナムに貸し出す。つまり、1981 年まで日本がベトナムに 360 億円を援助することになったのである。しかし、
1978 年末にベトナム軍がカンボジアに侵攻したことに伴い、アメリカなど各国 は「経済制裁」と称してベトナムへの禁輸措置をとり、日本政府によるベトナ
(4) 関口末夫・トラン・ヴァン・トゥ「ベトナムの経済体制と経済発展段階」、関口・トラン
(編)、同前書、3頁。
(5) 窪田光純『早わかりベトナムビジネス』日刊工業新聞社、2008年、123頁。