本章では、第1章で述べた3つの目的を明らかにするために、どのような研究方法を用 いるかを述べる。本研究では、断りメールの調査、断りメールに対するフォローアップ調 査、日本語母語話者の評価に関するインタビューという3つの調査を行った。ここでは、
各調査の概要、目的、分析手順を中心に述べる。
3.1 断りメールの調査
「ビジネス場面におけるTJBPの言語行動様式を明らかにすること」及び「JBPとTJBP のラポールマネジメントの特徴を明らかにすること」という2つの研究目的を明らかにす るために、架空の依頼メールに対して協力者に断りメールを書いてもらう調査を実施した。
なお、企業でやり取りされた断りメールの生データを収集することには、プライバシーの 問題や、それぞれの断りのメールの内容や社会的な要因の相違をコントロールできないと いう限界があるため、本研究では、実際の場面でやり取りされている断りメールの生デー タは取り扱っていない。
3.1.1 調査の協力者
中間言語語用論において、第二言語話者の言語行動様式に語用論的転移の有無を調査す る方法として、清水(2009)は、Selinker(1969)を例に挙げ、第二言語話者の目標言語で遂 行された発話内行為データに加えて、目標言語の母語話者によって遂行されたデータと、
第二言語話者とは別の母語話者のデータという3つのグループのデータを比較し、初めて 語用論的転移の有無を明らかにすることができたと述べている。これまでの中間言語語用 論の研究において、Selinker(1969)と同じく、上記で述べた3グループのデータを取り扱 っている研究は少なくない(Beebe et al.1990、生駒他1993、藤本1994、藤原2004a,b、
藤浦2007)。しかし、Ellis(1994)は、第二言語話者と別の母語話者のデータではなく、第
二言語話者によって彼らの母語で遂行された母語データが必要だと指摘している。本研究 において、第二言語話者の母語データはSelinker(1969)と同様に、一般的なタイ人の母語 話者のデータを取り扱う。理由は次の2点である。まず、目標言語能力が高い第二言語話 者は、反対に目標言語の特徴が彼らの母語を使用する際に影響を与えるという逆行転移も 起こる可能性がある(Kecskes and Papp2000)。本研究が対象としているTJBPは高い日本
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語能力を持っている第二言語話者と見なすことができ、かつ、日本の習慣や文化に接する ことが多い日系企業に勤めているため、彼らの母語であるタイ語に目標言語である日本語 からの影響を受けている可能性が高い。Kecskes and Papp(2000)を踏まえて、日本語を知 らず、企業に勤めている一般的なタイ人ビジネスパーソン、すなわちTBPのデータを取 ることにより、より明確にタイ語の語用論的な特徴を把握することができると考えられる。
また、TJBPに日本語のメールとタイ語のメールの両方を書いてもらうのはTJBPにとっ て大きな負担になると考えられる。以上の理由により、本研究では、協力者を次の3つの グループ(各30人)に分けた。
(1)日本にある企業に勤めている日本人のビジネスパーソン(以下JBPとする、日本語の
データ)
(2)日系企業に勤めている、営業部のスタッフ、通訳者、翻訳者、秘書などのような仕事 上に日本語を使用しているタイ人ビジネスパーソン(以下TJBPとする、日本語のデータ)
(3)タイにある企業に勤めている、日本語を知らないタイ人ビジネスパーソン(以下TBP
とする、タイ語のデータ)
3グループの年齢は20代~50代で、企業の勤続年数は1年以上とした。母語データで あるJBPとTBPの協力者は男性と女性が15人ずつである。しかし、日本語がよくでき るTJBPの数は少なく、またその多くが女性であるため、TJBPは全員女性となった。ま た、TJBPは全員が旧日本語能力試験2級~1級、またはN2~N1に合格している。
3.1.2 架空の依頼メールと状況説明の内容
調査で取り上げる内容や状況は、目標言語の母語話者の社会のみならず、第二言語話者 の社会でも起こりうる場面を考慮する必要がある(グエン2012)。本研究では、断りに対す る依頼メールの内容を設定するために、実際のビジネスの場面でTJBPがJBPによくメ ールで依頼される状況を追求する必要がある。そのため、2013年10月にTJBPの71人 を対象とし、JBPにメールで依頼されたことがある状況の調査を行った。この調査で取り 上げた依頼状況の選択肢は、『しごとの日本語メールの書き方編(奥野他2008) 』という日 本語メールの書き方の本、及び、TJBP3人へのインタビューから参考にして作成したもの で、複数回答可とした。
55 表4 TJBPがJBPにメールで依頼された状況
TJBPがJBPに依頼された状況 選択したTJBPの人数
A.商品の価格を下げてもらいたい 9人
B.定められた締め切りまでに報告書やレポートを作成し てもらいたい、または、締め切りを変更してもらいたい
53人 C.あなたと約束やアポイントを取りたい、または、アポイ
ントの予定を変更してもらいたい
47人 D. 相手が希望する日時に商品を発送してもらいたい 24人
E.ホテル、航空券、ゴルフ場を予約してもらいたい 44人
F.残業や他人の変わりに仕事を担当してもらいたい 18人
G.その他 12人
この調査の結果、定められた締め切りまでに報告書やレポートを作成してもらいたい、
または、締め切りを変更してもらいたいという状況が最も多いことが分かったため、本研 究では、この状況を取り上げた。依頼メールの作成には、JBPの1人の協力者36に筆者の 設定した状況(pp.164-166を参照)を踏まえた上で、作成してもらった。その後、筆者が TJBPにとって分かりにくい表現を一部修正した。最後に別のJBP3人に修正した依頼メ ールの自然さや表現を確認してもらった。
次に、依頼者と依頼された人の社会的な関係の設定を述べる。本研究では、ビジネスメ ールの書き方に大きな影響を与えると予想される、メールの受け手が社内の人か社外の人 かという社会的な要素に注目する。そのため、社内の人と社外の人からの2つの依頼場面 を設定した。また、上下、親疎、性別に関しては、依頼者と依頼された人の両者は同じポ ジションに勤めている人、すなわち同等な人であり、仕事上で2ヶ月に1回程度の連絡を しあう関係、すなわち親しくない関係と設定した。第1章で述べた日本語のビジネスメー ルに関する調査の結果から、TJBPは社内の上司・同僚と社外の人とメールをやり取りす る機会が多いと分かった。また、その調査に協力してくれたTJBPの意見によると、社外 で上位のポジションにある人は、自分より低いポジションのスタッフに自分から連絡する ことはほとんどなく、同等または上位のポジションにいる人に連絡する場合が多い。その ため、本研究では、社内・社外の依頼者と依頼された人が同じポジション、すなわち営業 部のスタッフという設定にした。また、ビジネスでは、社内の同僚とは親しい関係になる 可能性が高いが、社外の人の場合にはそれは予想しにくい状況であるため、社内と社外い ずれの状況でも疎の関係に統一した。さらに、同じ支店に勤める社内の人は、メールでは なく、直接話す場合が多いため、本研究では、社内の場合において、依頼者と断り手は違 う支店に勤めているとした。また、依頼者の性別の設定には、依頼者と依頼された人の関
36 40代の男性であり、日系企業に15年以上勤めている。この人物は断りメールを書く調査には参加していない。
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係における同性と異性をコントロールするため、依頼者は断り手と同性であると設定した。
JBP、TJBP、TBPの断りメールを書いてもらう協力者に相手からの依頼を断る状況を
具体的にイメージしてもらうため、頼まれた仕事に対する担当者の人数、進み具合、段取 り、及び担当している他の仕事の内容という具体的な状況説明を提示した。
まとめると、本研究では、2014年4月から6月にかけて、JBP、TJBP、TBPの各30 名を対象とし、メールを書く人と同等の立場にいる、社内の人と社外の人からの仕事の繰 上げ依頼という架空のメールを協力者のパソコンアドレスに送り、協力者がその依頼メー ルに対して断りメールを送信する。また、TBPの場合には、筆者がTJBPの調査で用いる 状況説明と依頼メールをタイ語に翻訳し、TJBP3人に確認してもらった。以下は、JBP に対する状況説明と依頼メールの例37である(全ての場面の状況説明と依頼メール
pp.167-172を参照)。
例1) 対社内を想定した状況説明と依頼メール
37TJBP、TJBPに対する状況説明と依頼メールは、依頼された人の国籍、支店名、本社名がJBPの場合と異なる。
以下の状況説明と依頼メールを参考にしながら「3月20日までに顧客満足度調査の結果を報告する」
という依頼をメールで断ってください。
●あなたの個人情報
国籍:日本人 勤務の会社名:A社(車のタイヤの会社) 役職:営業部のスタッフ 勤務年数 :3年間
●依頼メールの差出人の情報
差出人:同じA社で勤務する東京本社営業部のスタッフ(田中幸一さん) 連絡の頻度:この3年間に仕事のことだけで2ヶ月に1回程度
以下の依頼メールの送信日付:今日(3月14日)
●状況説明
-あなたは「Zタイヤ」に対する顧客満足度の調査のただ一人の担当者 -昨日、100人分の調査シートを回収。3月27日に結果を報告する予定
-今日(3月14)日から3月20日まで、3月20日の大阪支店営業部の会議で発表する新商品の企画書 を作成する予定
-3月20日以降に調査をまとめる予定
●依頼メール
件名:顧客満足度調査のしめきり日の変更のお願い 大阪支店営業部
○○様
お世話になっています。
大阪支店も、今期の業績はたいへんよく、お陰様で全社目標を達成しそうです。○○さんのご活躍に は大阪支店のみならず、本社を含めてみんな感謝しています。
さて、本日は折り入ってお願いがあります。
急に、吉田社長のタイ出張が決まり、社長が出席する営業部会議が3月28日から3月21日に変更 となりました。したがって、○○さんがまとめている「Zタイヤの顧客満足度調査の結果」につい てのファイル提出日を3月27日から3月20日に繰り上げをお願いできないでしょうか。販売手法