最終回
「導きの星」となったという事実もある。ではバッハの音楽に、本来 の大衆性を与えてくれた功労者は誰かと考えると、それは指揮者の レオポルド・ストコフスキー[
1
]以外の何者でもない。彼はフィラデルフィ ア管弦楽団を率いて、ウォルト・ディズニー[2
]の音楽アニメーション 映画『ファンタジア』(1940
年)の音楽を担当し、冒頭ではシルエットで 登場までしてバッハの《トッカータとフーガニ短調》を指揮しているの である。ディズニーがストコフスキーを起用したのは、彼の音楽映画の「権 威付け」のためだったが、その背景には、アメリカの音楽界において、
ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団が確立したユニークな企 画があった。ストコフスキーは交響楽団のプログラムにバッハ作品の 管弦楽編曲を導入し、大成功を収めていたのである。
ストコフスキーはもともとロンドンの王立音楽大学で学んだオルガ ニストで、さらにオックスフォード大学クイーンズ・カレッジで音楽学も学 んでいた。ニューヨークでも教会のオルガニスト、聖歌隊指揮者とし てキャリアを始めたのだが、たまたま研究旅行で立ち寄ったパリで、
急病の指揮者の代わりに指揮をして成功を収め、指揮者としてのキャ リアを歩むことになった。
1912
年からフィラデルフィア管弦楽団常任 指揮者として活躍するのだが、以前のようにオルガンでバッハを演奏 する機会がなくなったために、《パッサカリアとフーガ ハ短調》を彼に とっての新しい楽器であるオーケストラで演奏できるように編曲して 楽しんでいたのだそうだ。最初はリハーサルでのみ演奏していたの だが、楽員たちから演奏会でも取り上げたいとの希望が出た。実際、演奏してみると聴衆の評判も上々で、それから頻繁に演奏するように なった、と彼自身も回想している。
この成功に勇気を得たストコフスキーは、さらに受難曲のアリア、コ ラールなどを管弦楽用に編曲し、《ブランデンブルク協奏曲第
3
番》や《ブランデンブルク協奏曲第
5
番》、《管弦楽組曲第2
番ロ短調》と いったバッハのオリジナルの管弦楽曲とともに上演することが多く なった。編曲かオリジナルかを問わず、バッハの管弦楽作品は、フィラ デルフィア管弦楽団のプログラムのじつに7
パーセントを占めるように なったという。これは当時のアメリカの他の管弦楽団のプログラムに おけるバッハ作品の割合が3.5
パーセントであったことを考えると、それらの
2
倍にあたる。フィラデルフィア管弦楽団の場合、バッハ作品 はチャイコフスキーの交響曲、リヒャルト・シュトラウスの交響詩、モー ツァルトの管弦楽曲よりも頻繁にプログラムに登場し、1926
年12
月1
…レオポルド・ストコフスキー(
1882
〜1977
)。イギリス 出身のアメリカの指揮者。シンシナティ交響楽団、フィ ラデルフィア管弦楽団、アメ リカ交響楽団などの指揮者 として活躍。同時代の音楽 の紹介、レコーディングなど を通じてのクラシック音楽の 普及に熱心に取り組んだ。
2
… ウォルト・ディズ ニー(
1901
〜1966
)。アメリカ のアニメーター、プロデュー サー、映画監督。46 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PHILHARMONY | APRIL 2016
にはストコフスキーは、バッハ作品だけの演奏会を指揮するほどで あった。
ストコフスキーはバッハの編曲にあたり、アダージョやアンダンテの ゆっくりした楽曲を選ぶことが多かった。これらの原曲は多くの場 合、小さな編成で書かれていることが多いが、ストコフスキーはそれ に、大オーケストラのパレットを駆使して、豊麗な極彩色を施した。ス トコフスキーとフィラデルフィア管弦楽団は一体化し、まさに「フィラデ ルフィア・サウンド」でバッハを讃美した。そのうえ、ストコフスキーの 指揮ぶりは、視覚的にも魅力的だった。だからこそ指揮者ストコフス キーは、映画『オーケストラの少女』(
1937
年)で、アメリカ、いや世界の 大衆を魅了したのである。ディズニーが映画『ファンタジア』でストコフ スキーを起用した背景には、まさにこうした彼の不動の人気があっ た。映画『ファンタジア』では、デュカスの《魔法使いの弟子》や、スト ラヴィンスキーの《春の祭典》における映像と音楽の合体がみごとだ が、冒頭にバッハの《トッカータとフーガニ短調》のような抽象的な音 楽をもってきて、指揮をするストコフスキーのシルエットを映したのも、彼の指揮ならではの視覚的魅力と音楽のみごとな一致が、アニメー ションに勝ると判断したからにほかなるまい。
ストコフスキーの「フィラデルフィア・サウンド」を駆使したバッハ演奏 は、驚くほどの大衆的人気を勝ち得たが、その反動として、ハロルド・
C.
ショーンバーグ[3
]に代表される音楽評論家の批判を浴びたこと もまた事実であった。それに対してストコフスキーは、「もしバッハが3
…ハロルド・C.
ショーンバーグ(
1915
〜2003
)。アメリ カの音楽評論家、ジャーナリ スト。1971
年、音楽評論家 として初のピューリツァー賞 を受賞。ストコフスキーだけ でなく、レナード・バーンスタイ ンの指揮を辛らつに批判し たことでも知られる。映画『カーネギー・ホール』(
1947
年)でのストコフスキー今日生きていたなら、疑いもなく彼は、高度に発展したモダン・オーケ ストラのために輝かしい音楽を書いたに違いない。彼は、その表現 にいかなる制限も見出さなかっただろうし、当時のオルガンのあらゆ る手段を用いたように、今日のオーケストラのあらゆる手段を用いた であろう」と反論している。
バッハ作品を大オーケストラで演奏するというアメリカの伝統は、じ つはストコフスキーの専売特許ではなかった。すでに
1873
年、ヨア ヒム・ラフ[4
]によって編曲された無伴奏ヴァイオリンのための《シャコ ンヌ》が、ニューヨーク・フィルハーモニック協会(現在のニューヨーク・フィル ハーモニック)によって初演されている。20
世紀に入ると、ニューヨーク やシカゴのオーケストラが、しばしばバッハ作品を上演するようになっ た。1909
年にニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者となったグス タフ・マーラーは、メンデルスゾーンの伝統を踏襲した「歴史的演奏 会」を行い、ラモー、グレトリ、ハイドンと並んで、バッハの《管弦楽組 曲第2
番ロ短調》から〈序曲〉〈ロンド〉〈バディヌリ〉、《管弦楽組曲第3
番ニ長調》から〈エアー〉と〈ガヴォット〉を、ピアノで通奏低音を弾きな がら上演し、大評判となっている。ストコフスキーとフィラデルフィア管弦楽団に代表されるアメリカの大 オーケストラによるバッハ作品の上演は、すでにヒンデミットらによっ て批判され、第二次世界大戦後のバロック音楽ブーム、特に歴史的 演奏習慣の重視がトレンドとなるにつれて、徐々に下火となったと思 われる。しかし
N
響桂冠名誉指揮者であったウォルフガング・サヴァ リッシュが、フィラデルフィア管弦楽団の第6
代音楽監督として、『スト コフスキー・トランスクリプションズ』というCD
をリリースし、大先輩ス トコフスキーの偉大な業績に敬意を示していることも忘れてはならな い。ストコフスキーこそは、バッハの音楽を現代の大衆に広めた偉大 な宣教師だったのである。樋口隆一(ひぐちりゅういち)
明治学院大学名誉教授、国際音楽学会副会長。著書に『カラー版作曲家の生 涯バッハ』『バッハカンタータ研究』『バッハから広がる世界』ほか。
4
… ヨアヒム・ラフ(1822
〜1882
)。スイスの作曲家、ピアニスト。
48 NHK SYMPHONY ORCHESTRA, TOKYO PHILHARMONY | APRIL 2016
5
月の定期公演は、N
響正指揮者の尾高 忠明と首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィの父、ネーメ・ヤルヴィが登場する。しなやかな音楽 を作り出す尾高はエルガーを中心としたプロ グラムを、
2014
年4
月定期以来2
年ぶりとな るネーメは、ロシアとドイツ・オーストリアの作曲 家を組み合わせた、交響曲のみで構成され る2
つのプログラムを披露する。チック・コリアと小曽根真の競演と 尾高忠明による待望の《変奏曲「」》
尾高は、国内外のオーケストラで武満徹の 作品をたびたび取り上げているが、
A
プロで はテレビ・ドラマの音楽として作曲された《波 の盆》を選んだ。武満は、映画や劇音楽を 長年手がけ、《波の盆》は、1983
年に放送初 演された音楽を演奏会用組曲にした作品で ある。尾高が「日本人の感性の奥深くに武 満さんが語りかける」と述べているように、雄 弁に物語る音楽は繊細で美しい。丁寧な指 揮で作り上げるN
響の演奏で、しみじみと味 わいたい。2
曲目のモーツァルト《2
台のピアノ のための協奏曲》では、ソリストにピアニスト、作曲家、バンドリーダーとして活躍し、グラミー
賞はじめ数々の音楽賞に輝くジャズ界の巨 匠チック・コリアとジャズ・ピアニストとして世界 的に活躍する小曽根真を迎える。
30
年来の 友人という2
人のピアニストが、互いに刺激し 合い繰り広げる、即興も含む演奏は注目だ。モーツァルトの音楽への斬新なアプローチも 聴き逃せない。
英国音楽を得意とする尾高は、
N
響定期 では2008
年からエルガーの3
曲の交響曲を 番号順に取り上げてきた。いよいよ待望の 傑作《変奏曲「謎」》が演奏される。友人たち の印象を描いた音楽的肖像と言われるこの 作品。主題と14
の変奏曲に作曲家が仕掛 けた謎に思いをめぐらせながら楽しみたい。ネーメ・ヤルヴィが聴かせる
ロシアとドイツ・オーストリアの交響曲
エストニアのタリンに生まれたネーメ・ヤル ヴィは、今年
79
歳。世界の主要オーケストラ に客演し、現在はエストニア国立交響楽団 芸術監督および首席指揮者を務める。大ら かで自然体の音楽作りに定評があるが、そ のレパートリーの広さと膨大な数の録音は、現役の指揮者の中で随一であろう。今回
2
つのプログラムで演奏されるロシア作品も、彼ならではの、こだわりの選曲といえる。
B
プロでは、プロコフィエフの《交響曲第6
番》を指揮する。第二次世界大戦の犠牲者 への哀悼と戦争の悲劇が描かれた大作で、1947
年に初演されたものの、翌年の「ジダー ノフ批判」では名指しでやり玉にあがった。そのため作曲家の生前に再演されることは なく、スターリンの死後、事実上批判は撤回 されたが、その後も演奏の機会に恵まれて いない。ネーメは、