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サー ・ジョン・フォルスタッフ

 私たちにとって幸運だったのは、オールドキャッスル・スキャンダルが生 じたことである。『ヘンリー四世』に登場する太った道化的人物に、オール ドキャッスルの名前が付されていたとき(あるいはそれが歴史上のオールド キャッスルの再現であったとき)、オールドキャッスルの子孫であるブルッ クス家(コバム卿)からの批判、あるいはプロテスタント側からの批判があっ たとき、改名もやむなしとなったとき(何を言っても許されるLicensed Fool たる役者たちも、限度を超えると不興を買い罰せられる一例であろうか)、

シェイクスピアが選択したのは、かつて『ヘンリー六世・第一部』で登場さ せていた臆病者・卑怯者のサー・ジョン・ファストルフであった。ランカス ター家に仕え、ヘンリー五世そして五世なきあとはベッドフォード公に仕え たファストルフを、ヘンリー五世の友人で反乱者であったオールドキャスル とまちがえた可能性もないわけではないだろうが、実在のファストルフ(そ の臆病者説は多分に風説が入っていたとしても)とオールドキャッスルは、

ヘンリー五世の周辺にいた人物という点では同様の存在であったとしても、

そのほかの点では似ても似つかぬ人物であった。

 ただ現在の目からみると、『ヘンリー六世・第一部』のファストルフと『ヘ ンリー四世』のフォルスタッフ(オールドキャッスル)とは似ているところ がある。ともに敵前逃亡者であり、自己弁護(それもまた言論上における逃 亡の形態だが)に長けた不名誉な存在であるからだ。おそらく事態は逆であっ て、シェイクスピアがオールドキャッスルのかわりに『ヘンリー六世・第一 部』に登場したフォスタルフの名を採用したときに、オールドキャッスルの

属性のなかの特定のものに光があてられることになったのだ。それによって オールドキャッスルのキャラクターに変化が起こる。いや反転すら起こる。

 殉教者の名にふさわしからぬ生への執着は、欺瞞的人間の愚劣さとして揶 揄の対象となったが、殉教者の名が消えたとき、生への執着は、むしろ、名 誉と死を重んずるタナトスの美学の対極にある生の謳歌へと反転をとげるだ ろう。もしフォルスタッフの名前の背後にオールドキャッスルを見る者がい ても、それは問題なく、タナトスの美学への否定を強烈に感じ取ることにな る。またフォルスタッフFalstaffの名前にはFalse Staff(偽りと欺瞞的な性格)

あるいはFull Staff(肥満体)の含意もあるだろうし、さらにはファストルフ Fastolfの名称も考慮にいれれば、そこにFast Off(逃げ足の速い)など、逃亡 者・臆病者・卑怯者の含意も加わっているとみることもできる。

 かくしてフォルスタッフが誕生する。サー ・ジョン・オールドキャッスル からサー ・ジョン・フォルスタッフに変わったとき、変貌をとげたのは名前 だけではない。その性格も変化したのだ。太った殉教者だったこの人物は、

フォルスタッフとなることで、太った人物(大酒のみの大食漢)として生を 強烈に謳歌する人物へと変更をとげる。思わずエロスの聖人とまで命名した くなるこの人物は、いうなれば真摯な忠誠心と名誉という永遠の生を否定す るため、聖人とは呼べないだろう。しかし、ここに誕生するのだ、何者とも 呼ばれることなく、あるいは名前のなかに一義的に収奪されることなく、矛 盾することもいとわず、一義的アイデンティティに拘泥せず多義的多様な演 劇的生を目指し、特定の制度なり慣習なりに束縛されることなく逃げ続ける 卑怯者であり、エピキュリアンでありつづけようとする人物が。もしフォル スタッフの名前の背後にオールドキャッスルを見る者がいても、それは問題 なく、聖人性あるいは聖性から世俗への肯定的逃亡が見えてくるにすぎない。

 おそらくここに近代的主体のいまひとつのありようが、あるいは正確にい えば、犯罪者=殉教者型アイデンティティを否定する、逃亡的世俗的主体、

いうなれば主体なき主体、根源的一者なり起源に拘束されない融通無碍で演 技的・遊戯的主体、くりかえせば主体ならざる主体への展望が、可能性の中 心として、成立したのではないか。フォルスタッフの誕生を、オールドキャッ スルの消去とともに、あるいはオールドキャッスルの痕跡とともにみるとき、

近代的主体の誕生を、双子の誕生物語として語る可能性がみえてくる。つま り、いっぽうが強烈なタナトスの主体として成立したとすれば、いまいっぽ うは、それに寄り添いながらも、限りなく逃亡する主体ならざるプロテウス 的演技的主体として成立したのである。アイデンティティの確立と脱アイデ ンティティの確立。

 フォルスタッフ/オールドキャッスルは、『ヘンリー四世・第一部』の終わ りのほうの、有名な「名誉」をめぐる台詞のなかで、こう述べている―

’Tis not due yet; I would be loath to pay him before his day.(5.2.127-28)

「まだしかるべき時ではない。彼が定めた日以前に彼に借りを返すの はいやだ」

 ここでいう「彼」とは神のことである。神が定めた運命の寿命を全うする のを待たず、死にいそぐことはごめんだと述べているのだが、これがオール ドキャッスルの台詞なら、殉教者にあるまじき生への執着として殉教者の欺 瞞性に対する批判的視点を導入することになるだろう。だがこれはフォルス タッフの台詞であり、それは死に急ぐことのない生への直裁的な執着として、

たとえ不名誉であっても、息にすぎない言葉でしかない「名誉」など歯牙に もかけないフォルスタッフの高らかな臆病者・快楽主義者宣言であろう。ま だしかるべきときではない。たとえ死すべき運命から逃れることはできない としても、それまでは逃げ続ける。いや、これは、しかるべき時を、遠く先 延ばし地平の彼方に追いやることで成立する脱タナトス的姿勢の立ち上げそ のものでもあった。私たちは、それにフォルスタッフの誕生という名称を付 与しているのである。

1 『ヘンリー六世・三部作』新国立劇場・中劇場 10月27日(火)〜11月23日(水)。

作:ウィリアム・シェイクスピア、翻訳:小田島雄志、演出:鵜山仁、第一部  百年戦争、第二部 敗北と混乱、第三部 薔薇戦争。

2 以下、シェイクスピアの原文からの引用はすべて、The Oxford Shakespeare

(Oxford World’s Classics)に拠るが、『ヘンリー六世・第一部』Henry VI, Part Oneに

おける‘Puzzel or puchell, dolphin or dogfish’は、以下、訳文をそのまま使わせてい ただいた小田島雄志版(白水社Uブックス)とは場面分割が異なり、第1幕第5 場85行となる(なお以下これを1.5.85の形式で表記する)。

3 詳細な情報ならびに原文は、Bevington(1987, 1994) p.6参照。

4 な お 小 田 島 版 で は「 フ ォ ー ル ス タ ッ フ 」 と 表 記 し て い る が、The Oxfrod Shakespeare版ではFastolfと表記している。シェイクスピアの全集First Folio(1623) 所収の『ヘンリー六世・第一部』においてはFalstaffと表記されているが、実在し て年代記にも記載のある人物はFastolfであり、まぎらわしいのでオックスフォー ド版ではFastolfに表記を統一するとの説明がある(Taylor(2003:93))。

5 以下の記述は百科事典あるいはウェブ・サイトなどから得た情報を取捨選択し て単純化して整理したもので、新説を提示するものでもなければ学術的に遺漏の ないものを目指しているわけではない。ファストルフに関する文献としては Cooper(2010)が最新のものだが、これは一般向け読み物であって過去の研究調査 や情報を提供してくれるものの、学術的文献ではない。

6 とりわけ参考にしたのがCorbin & Sedge(1991: 2-6)である。なお本稿では年月日 はすべて十八世紀にイングランドがグレゴリオ暦を採用する以前の旧暦をそのま ま使っている。

7 こうした文献の全文ないし抜粋はCorbin &Sedge(1991)の付録参照。Foxeについ てはネット上で、豊富な挿画とともに全文公開されている。Weeverに関しては Honigman(1989)を参照。そこにもThe Mirrors of Martyrsが収録されている。

8 なおオールドキャッスルの子孫であるコバム卿ブルックス家との確執は、『ウィ ンザーの陽気な女房たち』においてもつづいており、詳述は避けるが、Brooksの 名前を揶揄した結果、変更を余儀なくされた台詞のあることが指摘されている。

9 Sir John Oldcastle, Part 1の現行版はいくつかあるが、Corbin & Sedge(1991)に収録 されたものが便利で読みやすい。引用もCorbin & Sedge (1991: 40)より。この劇は、

ヘンリー五世の友人たるオールドキャッスルが、悪意ある教皇勢力によって反乱 者に仕立て上げられ糾弾され命すら狙われるが、逃亡し、再起を待つところで終 わる。続編のPart 2は存在せず、失われたか、書かれなかった。

10 以下の記述に関する詳細はBevington(1987,97:7-9)を参照のこと。

11 この劇もCorbin & Sedge(1991)に収録されている。シェイクスピアの『ヘンリー 四世』から『ヘンリー五世』の材源のひとつとして重視されている作品だが、内 容と形式は、シェイクスピア劇のダイジェスト版かと思われるものになっている。

ヘンリー王太子につき従うオールドキャッスルたちが盗賊をはたらくエピソード が『ヘンリー四世・第一部』と関係する。

12 こうした焚刑図のもつ宗教的ならびに演劇的意味については、Diel(1997)を一部 参考にしているが、ここでの議論と同じではない。なお殉教とアイデンティティ あるいは主体については、ここではまだ思索の端緒に立ったにすぎないが、神学

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