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エリザベス時代の回教強制とアイデンティティ

楠 義彦 1. は じめに

イングラン ドにおけるプ ロテス タン ト化 がいかなる経過 を もって進展 したかは、宗教改 革前後 にわた るカ トリックの継続性 の評価 の問題 とも密接 に関係 し、イ ングラン ドの宗教 改革 研 究 に とっ て 不 可 欠 の課 題 を な して い る。 これ らに関す る研 究 は デ ィケ ン ズ (A・GIDickens)、コ リンソン (P・Collinson)、ポ ッシー (J・Bossy)、‑イグ (cIHaigh)を初 め として、それ こそ枚挙に暇がない程の多 さで ある。 国教強制 の研究はイ ングラン ドのプ ロ テスタン ト化の政治的な側面にまず第一に注 目す るものである。

しか し、エ リザベス時代 の国教強制の問題 は信仰上の問題 としての側面 も持 っている。

政治技術上の問題 としての国教強制は国家が選択 した教会のあ り方に即 して具体的な政策 課題 が設定 され実行 され る○基本的には 目に見える強制の諸対象が明 らかに され、それぞ れに対 して個別 にまた全体的に担 当者を決定 し、強制 のための諸組織が考案 され る。エ リ ザベス時代に関 しては、それ らは枢密院が全体を統括 しつつ、新規に創 作 された高等宗務 官制 と中世以来用い られてきた主教 の監察を二本柱 として設定 されていた と言 えるだろ う。

一方、前者の信仰 上の問題 としての国教強制 については、主教の国教会やカ トリックに対 す る姿勢 の温度差や悉意性 の強 さによる主教個人の差異の大 きさが しば しば クローズア ッ プされてきたoそれ ゆえ、国教強制の研 究は特定の主教 を中心 とした地域研 究へ と包摂 さ れてい くことにな らざるを得ない。

2.国教強制研究の問題点

筆者 はかねて よ りエ リザベス時代の国教強制について ささやかな研究を行 なってきた。

そのなかで、政治権力の中心である枢密 院の意向 と地域 の取 り締ま り担 当者 である主教 と の意向の差異の存在 について再三述べてきた。両者 のこの意 向の差異 は俗人 と聖職者 とい う差異に とどま らず政策立案者 と政策実施担 当者 のそれぞれ の意向の差異で もあった。そ のため枢密院は主教に国教強制を全面的に任 せることはせず 、主教 と俗人の治安判事 との 混成の宗務官団を地域での国教強制の担 当者 として用いるよ うになっていった。けれ ども、

現実には多大の困難のため国教強制機構 は しば しば機 能麻痩 していた。組織形成の面か ら は高等宗務官制の導入によ り、効果的で緊密 な国教強制機構 を作 り上げていたが、現実に は地域の有力者 を取 り締 まることはできなかったのである。

こういった国教強制 の問題 を複雑化 した背景にはイ ングラン ドのカ トリックの特殊性 を 考えなければな らないoすなわち、彼 らは分離主義の道 を取 らなかった し、政治的に も急 進主義者 にな らなかった一方で、 自らの信仰 を守 り国教遵奉 も行なわなかったのである。

彼 らは しば しば体制内カ トリック (Chl血 Papists)として活動 し、はっき りした国教忌避 を現わ さなか ったoっま り国教支持者、体制 内カ トリック、国教忌避者、カ トリックとい った範噴分け、これ らは大き く区分する とアング リカン とカ トリックに二分 され るが、が 当時存在 したにもかかわ らず、実際 には これ ら四者 の区別 が難 しかったのである。 もっ と も当時カ トリックといって も多様性 があ り単なる保守主義者 で中世のカ トリックの儀式や 祭儀 に執着す るだけの人々 もいた。それぞれの範噂 と実態 とは複雑であった。

これ らを生み出 した諸原 因の一部がカ トリックの指導性 の欠如、大陸のカ トリシズム と の関係の相対的弱 さ、カ トリック支持者 の保守主義にあるこ とは間違いないであろ う。彼 らはエ リザベスの宗教解決に積極的に反対す るわけではな く、逆にカ トリックを多様化 さ せなが ら存続 していったのである。 そのため、史料上でカ トリックやカ トリック ・コ ミュ ニテ ィを捉えることは しば しば非常に華 しい (隠れカ トリックはなお難 しい)。 このことは 同時に国教強制の有効性 の評価 を分母が不明なために困矧 こしたのである。実態を捉 えに くい とい う国教強制研究の問題点の一つがここにある。

もう一つの問題点は国教忌避者 に対す る取 り締 ま りに厳格 さが不足 していることである。

当時においては宗教の問題 は政治の問題 で もあ り、国王至上権の動揺は国家 の安全を脅か す一大危機であったはずである。 にもかかわ らず 、エ リザベス治世当初は非効率的で信頼 の置けない監察を中心に国教強制 を行なお うとした。 このこ とは監察質問条項の内容 に国 教強制関係の項 目が含 まれていった ことや、主教たちが極 めて定期的に監察を行なったこ とで も窺い知 ることがで きる。つま り国教強制の重要性 に比較 して極 めて寛大な取 り締 ま りしか行なっていなかったのである。もっとも

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年 ごろよ りこ ういった状況は変化 し、

国教忌避者に対す る取 り締ま りは確実に厳 しくなったO

3・アイデ ンテ ィテ ィの観点を導入する利点

寛大な取 り締 ま りの理 由を人的な関係を重ん じる当時の社会の特殊性に求めることは簡 単である し、国教強制研 究を地域史 として行な うことも方向性 としては考え られ るであろ うD しか し、後者 の場合 、先行研 究のコピー を超 えた研究は簡単ではない し、そ ういった 研究は遅かれ早かれ研究その ものの意義 を疑わ しくす るよ うな気がす るO国教強制の問題

をアイデ ンテ ィテ ィの観点か ら考察 してみ るのは今後の研究の方向性 を展望す る1つの試 みでもある。

‑ ン リ8世 とエ ドワー ド6世の脱カ トリック、メア リ時代 のカ トリック‑の復帰、エ リ ザベス即位後のイギ リス国教会確 立 とい う宗教の変動 は、イ ングラン ド人民の宗教上 の統

‑を解体 させ新たな社会統合を必要 としたOその社会統合 を形成す るものが国教強制 であ った とす るな らば、国教強制はナ シ ョナル ・アイデンテ ィテ ィ形成 を 目的 としたものであ った と考えられ よ う。

このよ うな理解の仕方はシャロン ・ルイ‑ズ ・ア‑ ノル ト(SharonLouiseArnoult)に見 られ る。国教強制の中心課題 となった一般祈祷書は、VisitationArticles等で再三にわた り取 り上げ られたO彼女によると聖書や聖職者 と俗人の関係、キ リス ト教共 同体の統一、 キ リ ス ト教の礼拝の正式な焦点 と真髄、イングラン ドの宗教上の特殊性 についての特定の宗教 上の諸観念は一般祈祷書 に具体化 し表現 された。 当時の教会人に とってはこれ らの諸観念 が重要な要素 とな り宗教上のアイデ ンテ ィテ ィを構成 していたのである。一般祈祷書の使 用は礼拝 の統一を提供 し、それによってイングラン ド教会の統一性 を表現 し支 えたのであ る。 この意味では一般祈祷書の使用強制は間違いな くアイデ ンテ ィテ ィの問題であった。

また、俗人に とっても一般祈祷書は英語で記述 された ものであったため、イ ングラン ド国 王の人民 としてのアイデ ンテ ィテ ィを明瞭に示す ものであった と考えることができる。特 にラテン語か ら英語‑の転換はメア リ時代のカ トリックか らの転換 を礼拝の出席者 に常に 意識 させ る効果があった と考えられ る。

また、国教強制の最初の道具であった監察 もアイデ ンテ ィテ ィの観点が有効である。エ リザベス時代 に最 も定期的に主教が 自分の管轄主教区を監察 した意味は、主教が主教区内 のアイデンティテ ィを共通のVISitationAJticlesを用いることによって示 し、また同アイデン ティテ ィを構築 しよ うとしたため と考え られ る。教区 レベルでは、すべての者が 自分の所 属す る教区教会に出席す ることによ り同 じ教 区民 としてのアイデンテ ィティを具体化 し、

その実現の程度は常に監察の対象になっていたOつま り、VisitationAn iclesは教区の レベル での同一教区民 としてのアイデンテ ィテ ィをふ りだ Lに し、そこか ら主教が作成 した共通 のVisitationArticlesに返答す る各教区委員の教区横断的なアイデ ンティティ、同一主教区民 としてのアイデンテ ィテ ィ、そ して最終的にはエ リザベスを聖俗 の長 に抱 くイングラン ド 国教会に属す る人民 としてのアイデンティティを重層的に示す ものであった

けれ ども、このよ うに国教強制が単にイ ングラン ドの重層的なアイデンテ ィテ ィを形成

す るものであった と考えた場合、国教強制の実態か ら明 らか となった先の問題点は解消 さ れない。

しか し、筆者 は依然 としてアイデンティテ ィの観点を導入す ることに利点があると考 え ている。すなわち、国教強制の具体的な課題 であった国王至上宣誓強制 ・教 区教会‑の出 席強制 ・一般祈祷書の使用強制のそれぞれをアイデンテ ィフィケー シ ョンであると考えた い。そ して国教強制全体をアイデ ンティテ ィであると考えたい。 ここでのアイデンテ ィテ ィの意味はスチュアー ト・ホール (ShartHall)に したがって 「縫合の点」 とい う意味で考 えられないだろ うかOすなわち、国教徒 としてイングラン ド人民を構築す るプ ロセス と、

「呼びかけよ うとする試み」の出会いの点 とい う意味である。 「呼びかけよ うとす る試み

はアイデンテ ィフィケーシ ョンである。 これ によ り、国教強制の相対的な寛大 さや国教強 制機構の有効性 に対す る疑問を解消す ることができないであろ うか。

4.今後の課題

国教強制の三つの課題 をアイデ ンテ ィフィケー シ ョンと考 えるためには当時のイングラ ン ド社会のさま ざまな結合関係が どのよ うに成 り立っていたか とい う検討が必要であろ う。

課題 として検討 しなければな らないことは多 く残 っている。例 えば、地域社会でのネ ッ ト ワー クの編成 の問題、地域の論理 と国家の論理の接合、いわゆる中央 と地方の問題、そ し て、これ らの諸問題はマイケル ・ブラディック (MichaelBraddick)い うところの 「国家形 成」 (statefbm ation)の問題 に収赦 してい くようにも思われる。 これ らの問題 は当然である が特定の地域 内部 に限定 されず、 しば しば州 の境界や主教区の境界 を越 えるものである。

地域 とイングラン ド全体 との諸々の接点 も含 まれ る。 こういった ことが らを念頭に置きつ つ国教強制を見直 し、新たな視角の提起に向けた取 り組みを行ないたい と考 えている。

【参考文献 (国教強制関係の文献は除 く)】

S.L.Am oult.'"TheFaceofanEnglishChurch":TheBookofConulOnPrayerandEnglishReligiousIdentity, 1542‑1662,DoctorPhil.Thesis(UniversityofTexasatAustin),I997.

M・JIBraddick.SLaleFomzationinEarlyMdem Englandc.15501700,CambridgeU.P.,2000.

スチュアー ト・ホール&ポール ・ドゥ ・ゲイ編 、宇波彰監訳 『カルチュラル ・アイデ ンテ ィティの諸問 題 一誰がアイデ ンテ ィテ ィを必要 とす るのか‑』大村書店、2001年。

木村靖二 ・長沢栄治編 『地域‑の展望』山川 出版社、2000年。

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