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アジアのビジネス文化と現代中国の 職業観

ドキュメント内 HOKUGA: 東アジア企業の管理思想 (ページ 49-86)

Ⅰ.現代中国におけるビジネス文化

本章は、東アジア―儒教文化の発祥地・中国の管理思 想とマネジメント哲学さらに現代中国人のビジネス観の 変遷の課題について中国人の価値観の変化と新しいビジ ネス様式を論究するものである。可能な限り、理念的な 論議・論争を避けて中国人の思考様式および行動原理を 具体的な事例研究を通して真の中国ビジネス像(実情)

に接近してゆきたい。そして、かかる中国(大陸)と筆 者の生活基盤(儒教文化)である台湾=台湾におけるビ ジネス事情(職業観と人事様式)および管理思想の差異 についても念頭に入れて言及したい 。

まず、現代中国の経済発展とビジネス観の根底にある 中国人固有の思考様式・商慣習・職業観などを詳細に検 討を加える。次に、中国人の思考様式を明確にした上で 共産主義思想からの脱却―すなわち、改革開放後(1978 年)の中国における職場環境、とりわけ 1990年代以降の 中国人のビジネス観を概観する。そして、現代中国にお いて支配的な 職業観とビジネススタイル を整理する。

儒教思想および共産主義思想という二つの思想を乗り越 える新しい現代中国の管理思想を市場原理との関係にお いて鮮明としたい。

そして、伝統的中国文化と中国人の行動原理(交渉術)

について言及する中で、競争原理と公正原理の間(はざ ま)において今も生き続ける 階層間の格差(効率主義)

と階層内の平等主義 の混在― ウチ と ソト という 中国人固有なる生活空間=意識構造を解き 明 か し た い 。この点にこそ中国人の価値観―すなわち自己中心 主義的価値志向の原点があり、職業観およびビジネス文 化を形成する基盤である。階級なき社会における競争原 理―それはまさしく現代中国の本音と建前を表現してい る。どのような職業観のもとで ビジネス世界でのキャ リア を積み、成功を収めるか。改革開放後の多くの中 国人の人生哲学となっている。

本論文の対象は、1992年以降の中国企業、とりわけビ

アメーバ経営として最も有名なのは京セラである。システム の各部分が自主的に独立しており、しかも全体として調和と まとまりがなければならない。一般な定義では分権型の組織 と指す、自己組織性や、自律性、循環性、自己言及とっいっ た概念が不可欠である。コンミュニケーションは、民主的で、

組織システムは、流動的という特徴を持つ。

王元・張興盛・グッドフェロー 中国のビジネス文化〜経営 風土と交渉術 代田郁保監訳(人間の科学叢書)(新装普及 版)/人間の科学新社、2001年、pp.23‑46。

李年古 中国人の価値観 学生社、2006年、p.99。中国湖南 省に生まれ、1996年以来 中国異文化コミュニケーション研 修 中国人との交渉力向上研修 中国人の労務管理研修 を中心に、三菱重工業、日産自動車などで企業内研修を実施。

2002年日中ナレッジセンターを設立。中国市場調査などのコ ンサルティング事業も展開(本データはこの書籍が刊行され た当時に掲載されていたものである)。

ジネススタイルとビジネス観であり、とくにビジネス・

フィーバーといわれた 1997年以降の中国人特有の会社 意識・仕事観・対人関係への言及と中国人固有なキャリ ア志向の実態を論じる。方法論としては、中国のマネジ メント哲学と職業観―成功するために必要な管理知識と 実践的技法、価値観に占める 独立自尊 安定 公共 心 の地位などをキータームとする文化論的アプローチ をとることになろう。最終的には文化要因と政治要因に よるビジネス様式の差異を中国大陸と台湾において検証 してみたい。

Ⅱ.中国人の職業倫理とビジネス観の変遷

⑴ 現代中国のビジネスの価値観の変遷

現代中国におけるビジネスに対する価値観は 1978年 以来大きく変貌してきた。現在では、多くの中国人は ビ ジネス が世間から受けられる職業として見られている。

かかるビジネスに対する価値観の大きな変化を中国の新 聞はビジネス・フィーバーと呼ぶ。特に 1996年〜2005年 の 10年間は多くの人はお金を稼ぐもっともいい手段と してビジネスを選好した 。この状況は特に知識人に当 てはまり、彼らはいま最も良い職業選択の一つとしてビ ジネスが好ましいと考えた。それまでの中国の知識人は 儒教文化という伝統的価値にもとづき、役人になる道を 選択したのと比べて大きな価値観の変換である。この変 化は段階論的に説明ができる。中国の改革開放政策と職 業倫理との関連から理解できよう。

まず、1984年に私的ビジネス活動が社会的に認められ るようになる。すなわち、副業の解禁である。国有企業 下で 鉄の食器 のなかで与えられた職業・仕事を遂行 する共産主義的ロボットから一歩進んで自らのインセン ティブによって労働を位置づけることが可能となったの である。一気にビジネス・フィーバーがおこった。その 時(1984〜)のビジネスへの志向には多くの国有企業の 従業員・農民・大学生や知識人たちが 新しいパートタ イムの労働市場 に参加し始めた。いわば、副業として のビジネスである 。

ついで、1990年に現れた次のブレイクでは、職業観も ビジネス観も異なる行動原理を生む。すなわち政府の役 人・大学教員などエリート達が商業部門に転出し始めた ことに特徴がある。何千、何万もの中国の最高頭脳が 鉄 の食器 =国家による職業の保証を捨てて将来において 不確実なビジネスの世界に入っていた。

このビジネス・フィーバーにより短期と長期に派生す る問題が出てきた。短期には、それは給与や労働条件の 再調整、すなわち鄧小平型改革の期待をどのように再調 整するかを意味した。長期的には、中国の普通の人々や 知識人の伝統的な信条(職業倫理)に大きな変化を起こっ ていた。ビジネス・フィーバーは中国 3,000年にも渡る 社会的価値観―役人官僚になることが学問の最終目標で あるという観念に終止符を打ったのである。これは完全 な社会的機能および役割の逆転である 。

一世代も経ないで中国の知識人はその立場を儒教的価 値観の番人から中国の社会的・経済的資源の活用とその 偉大な代理人・提唱者へと転換した。これにより、現代 的ビジネス文化の明確化、すなわち成熟化が中国全土で 加速された。

以上の流れを再度、伝統的職業観からの脱却、新しい ビジネス観の生成として三つの段階を時系列に確認して みよう 。① 1984年の改革 ② 1992年の改革 ③ 1997 年の改革、1984年〜1992年〜1997年のビジネス・フィー バーの特色について解説する。

① 1984年の第一次フィーバー

同年に 私的ビジネス活動 が社会的に認められるよ うになり第一次ビジネス・フィーバー(第一次ブレイク)

がおこる。多くの国有企業の従業員、農民、大学生や知 識人たちが新しいパートタイムの労働市場に参加し始め る。セカンド・ビジネスの容認と参加の構図である。

② 1992年の第二次フィーバー

政府の 社会主義的市場経済 という国是の採択によっ て政府の役人・大学の教員などが商業部門に転出し始め たことに特徴がある。何千人もの中国の最高頭脳が 鉄 の食器 =国家による職業の保証(国有企業)を捨て将来 において 不確実なビジネスの世界 に入る。

答えた人は 26%に上っており、副業への関心の高さがうかが える。

ビジネス・フィーバーは単なるビジネスへの関心ではなく、

社会的価値観の転換であった。多くの中国人は改革開放政策 のもとで 社会的資源の活用 としての ビジネス は最も 自分を社会貢献できる領域と考えるようになった。

王元・張興盛・グッドフェロー 中国のビジネス文化〜経営 風土と交渉術 代田郁保監訳(人間の科学叢書)(新装普及 版)/人間の科学新社、2001年、pp.23‑46。

佐々木信彰 現代中国ビジネス論 世界思想社、2003年 pp.

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中国では副業経験者5割を超える。中国人は1人3つの肩書 きを持っていると言われることがある。昼間の本業と夜と休 日の三つの副業である。中国に進出している日系企業の中に もサイドビジネスをしている中国人従業員が相当数存在する 可能性がありそうだ。そして、半数以上が副業を経験〜大手 人材サイト 智聯招聘網 がインターネットで求職している 2,400を対象に行った副業に関するアンケート調査による と、 以前、副業 を持ったことがある と回答した人は 35%、

ずっとやっている は 16%を占め、半数以上が経験者である ことが分かった。また、 チャンスがあればやってみたい と

ドキュメント内 HOKUGA: 東アジア企業の管理思想 (ページ 49-86)

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