冒頭で記した本稿の課題にそってみたとき、これまでの分析結果からどうい うことがいえるのか。会社の人的資源管理の方向性と技術者のキャリアや仕事 意識という点から重要な事柄を指摘すると以下のようになる。
第1は、企業の経営・人事制度の改革の経緯と動向である。調査対象となっ た電機メーカーでは、競争的環境の深化の下で、文字通り生き残りをかけて経 営・人事改革に取り組んできた。従業員のやる気の促進、処遇の納得性の向上 表7 人的資源管理の今後の重視事項と技術者の側からみた意識の乖離
HRM の重視事項 技術者の側からみた意識 経営目標と社員行動
の整合化
経営方針に関する説明を受ける機会がある
(①78.4;②80.4;③74.1)
事業計画の中で仕事の位置づけがあいまいである
(①44.5;②39.9;③54.2)
仕事の打ち合わせや連絡を十分にとっている
(①79.8;②81.9;③74.9)
長期的な人材育成 会社は従業員に対する能力開発に積極的である
(①54.3;②56.8;③49.0)
職場に人を育成する雰囲気がなくなっている
(①62.0;②60.8;③64.6)
能力開発を指導する人がいない(①72.1;②71.5;③73.3)
指導する人が多忙で十分な指導を受けることができない
(①76.3;②74.8;③79.5)
自分が日常業務に追われて十分な指導を受けることができな い (①74.0;②72.7;③76.7)
個人の能力・業績重 視型賃金制度
自分の能力評価結果に納得している
(①81.4;②82.4;③79.3)
自分の業績評価結果に納得している
(①79.1;②79.2;③79.1)
長期的視点によっても評価が行われている
(①45.6;②47.1;③42.4)
注1:( )内は(①技術者計;②アンカーあり;③アンカーなし)の順で表記し た。
2:数値は「あてはまる」+「ややあてはまる」の計(%)
キャリア・アンカーと仕事意識――技術者を中心に 169
を目的とした成果主義的人事制度を導入した企業が全体の85.7%を占める。
一方、人材マネジメントとして過去5年間で実施した事項と今後5年間で重 視する事項をみると、過去5年間では「中途採用」「有能な若年社員の早期の 昇進」「経営理念や方針の社員への意識付け」といった事項が上位を占めてい たが、今後は「経営理念や方針の社員への意識付け」「外部人材の活用」「企業 戦略と人材配置を整合させること」が上位事項に浮上してきた。なお、過去5 年間で売り上げに占める研究開発費の割合と教育訓練費の割合をみると「増加 した」が「減少した」を上回っている点も見落とせない。実際、今後の人材育 成方針では、「長期的な視野にたった能力開発」を重視する割合が高い。
既に小括でも記したが、こうした方向性は企業のコア競争力の源泉を人的資 源(Human Resource)とみる戦略的人的資源管理(SHRM)の理論と共鳴 するところが多い。
第2は、経営・人事制度改革の進行下における技術者のキャリア形成の実態 である。多くの電機メーカーの経営・人事制度改革の方向性がSHRMと共鳴 点があるのならなおのこと、企業の競争力の源泉は優れて人的資源、とりわけ 技術者の能力と意欲に依存しよう。とすると技術者の育成と処遇がこの論点の 枢要点をなすとみて大過ない。
第3に、そこで技術者のキャリア形成の実態が問題となるが、3節と4節で みたように、自信のある技術・分野(本稿ではそれをキャリア・アンカーと呼 んだ)の形成の有無がまことに重要なものであった。キャリア・アンカーのあ る者はないものに比べて、職務遂行能力・特性のスコアは高く、仕事や会社へ のスタンスも積極的で仕事上のモラールも高くなる傾向がみられた。しかも多 くの技術者の経験によると、そのキャリア・アンカーの形成は最初の配属先で の仕事経験でなされており、その形成時期は30歳代前半期が多い。その意味で 初任配属を含めた初期キャリア管理の重要性が指摘できるだろう。
第4に、こうしたキャリア・アンカーは技術者のキャリア形成上重要な意味 をもつが、すべての技術者が首尾よくそれを形成しているわけではないという 点が見落とせない。労組員レベルでは全体の約3分1(管理職レベルでも全体 の1割強)が「自信のある技術・分野はない」と回答しているからである。キャ リア・アンカーが未だ確立していない技術者を多く抱えていることは、人事管 170 法政大学キャリアデザイン学部紀要第6号
理の基本原則である適材適所に照らしても、またさらには「経営理念の社員へ の浸透」「経営戦略と整合した人事配置」といった多くの企業が重視しようと している今後の人事管理の方向性に照らしても、課題を残している。
第5に、この課題と関連して、とくに人材育成に関して企業と技術者の間に 乖離がある点が見落とせない。「職場に人を育成する雰囲気がなくなってい る」とする者が6割強、さらに「能力開発を指導する人がいない」「指導する 人が多忙で十分な指導を受けることができない」「自分が日常業務に追われて 十分な指導を受けることができない」はそれぞれ7割強を占めているのであ り、キャリア・アンカーのある者でもそうした不満を抱いている。
第6に、技術者のキャリア志向をみると、キャリア・アンカーのある者には 管理職志向の者が相対的にやや多く含むが、総じて専門職志向の者が多い。こ の点は管理職をゴールとするX型キャリアだけでは括りきれないY型キャリ アの成熟という文脈に照らして興味深いだけでなく、管理職と専門職の複数の キャリアパスからなるデュアルラダーの構築の必要性を示唆している。
ともあれ、本稿の分析により、技術者の初期キャリア管理、とりわけキャリ ア・アンカーの形成を配慮した人事配置の重要性が浮き彫りになった。今後の 動向を見守りたい。
[注]
(1)キャリア・アンカーとは「個々人の内的キャリアの安定性の自己認知の源 泉」であり、内的な達成感と他者からの外的フィードバックにより形成さ れ、アンカーの形成は人と組織のマッティング機会向上に寄与する(Cart-wright, S(ed.)(2005:37)の「キャリア・アンカー」事項の解説による。
なお事項執筆はScheinによる)。キャリア・アンカーとは、もともと一種 の自己イメージであり、各々のキャリアヒストリーのなかで「自分が適し てない仕事についたとき、自分にもっと適しているなにかに引き戻されて いる」というイメージ(=錨を下ろしている)に由来する。その意味では 人の内的キャリアを探る概念である。このキャリア・アンカーという概念 は「いかにして管理職へのキャリアが形成されているのか」という問題意 識にたって、MIT修士生44名を対象に継時調査を1961年に開始されたと きに浮かびあがってきたとされる(E.シャイン(金井壽宏訳)2006:24− キャリア・アンカーと仕事意識――技術者を中心に 171
5)。
ところで、本稿ではキャリア・アンカー(の有無)という言い方と「自 信ある技術・分野の有無」という言い方を互換的なものとして使用してい る。それは注6で触れるように今回の我々の調査ではキャリア・アンカー 的意味のことを「自信ある技術・分野の有無」という設問を用意したこと による。したがって、本稿では、調査結果を分析する際(とくに3節と4 節)には「自信ある技術・分野の有無」という表現をし、問題意識の設定 や分析枠組を記述する1節や考察を行う5節では、これをやや一般化した ものとして「キャリア・アンカー」という表記をすることとする。
(2)たとえば最長職能分野(=つまりキャリアの幅)を決めた要因をみると、
初任配属のセクションが最も大きく、会社や人事の意向、自分の希望など がこれに続いているという知見(佐藤博樹1995)などがその代表である。
(3)「一 皮 む け た 経 験」(quantum leap experience)に つ い て は 金 井・古 野
(2001)などを参照。ちなみに「経営トップ20人中5人が、入社初期段階 の出来事を一皮むけた経験」とし、学校では教えられなかったことだが、
職業生活の中で学ぶべき点が多いこと、仕事が完遂するまでのプロセスや 関わっている人、人を動かしている動機や仕事の仕組みなどを知ることが そのきっかけとなっている、という。
(4)何をもって「ハイ・パフォーマー」(高業績者)とするかについては、外 的な基準(昇進時期が同期と比べて早い、特許出願件数、社内表彰件数な どの客観的指標のほか、内的・主観的指標もある。後者の例として平野
(1999:23)は「ハイ・パフォーマーとは、キャリア発展の過程で数多く の良質な経験を積んでいる(分化が高い)だけでなく、それらの経験をた だ過去のものとして分散させることなく、きちんと自己に統合していくこ とができる人」(=キャリア・ドメインのある人)としている。なお本稿 で用いる指標は主観的なものもあるがどちらかというと客観的なものが多 い。なお、平野のいうキャリア・ドメインを我々のいうキャリア・アン カーとみれば、平野と我々の分析結果とは整合的である。
(5)ちなみに研究開発技術者、ソフト技術者など専門・技術職を組織内プロ フェッショナルとしてとらえ、そのキャリア志向と組織のキャリア管理と の葛藤という視点から研究サーベイを試みたものに佐藤(1999)がある。
なお最近では、尾川(2006:65−101)などの社会人大学院生の研究成果 172 法政大学キャリアデザイン学部紀要第6号