の補 足用 か
第
V章
考察
建物の存在をうかがわせる。隣接する⑤でも両組み合わせが混 じつて出土 しているが、ここで は
6284Eb・Ec(6282E・ I)‑6721G・ Hが 大量に出土 し、⑤付近の建物の所用瓦 と考えられ る。先ほど述べたとお り、ここでは丸・平瓦 もまとまって出土 してお り、甍棟の建物
(ないし小 規模な総瓦葺きの施設 )を 推定 しておきたい。
⑥では 6132A‑6691A、 6225A‑6663Cbが 若千分布する。この付近では九・平瓦 もそれほ ど出土 しないので、総瓦葺 き建物は推定 しがたい。瓦を使用する施設があったとしても、棟な どに限定 して使用する程度であったと考えられる。④は 6691Aが まとまって出土するが、この 付近ではこれ と組み合 う軒丸瓦がない。周辺では 6225A‑6663Cbが 出土 してお り、これの補 足用 とみてよいかもしれない。これらは④付近の建物ない し南面大垣に使用 されたものであろ う。 6225A‑6691Aの 組み合わせは平城京左京三条二坊で確認されているが 、平城宮内では確 実な例がない。今回の場合 も確実に組み合 うとは言い難 く、今後の良好な出土例 を待ちたい。
③では SB5880の 柱穴か ら 6314A‑6681A・
B・Eが 大量 に出土 した。 しか し後で検討するよ うに柱掘形 と柱抜取穴の双方から大量に出土することから、 SB5880所 用 とは考えがたい。 SB
5880柱 穴出土の 6314A‑6681A・
B・Eは 、先ほどの東面大垣の状況 と同じく、大垣所用か付 近の建物で使用されたものとみた方がよい。
c期
(Fig 74上) ⑤ではb期 の建物が建て替えられたと考える。それ以外の地域では軒瓦 のまとまった出土がなく、部分的な補修がおこなわれた程度であろう。
す で に述べ た とお り
6282B‑6721Cは
この時期 に も使 用 され た組 み合 わせ で、圧 倒 的多 数 を 占め る。他 の6282‑6721型
式 の一部 もこの時期 に使 用 され た可 能性 が あ る。第一次大極殿 院第 Ⅱ期建物所用 の6133A・C‑6732Cが
わずか に出土す る。6691Aの
一部 はこの時期 に下 る と考 え られ るが、組み合 う軒丸瓦 は不 明である。6282B‑6721Cが 大量に出土するのは②、⑤である。②の大垣所用の瓦が⑤ に散ったとみる には⑤での出土量が多 く、本来、⑤で使用 された可能性が高い。⑤では b期 にも瓦を使用する 建物を推定 したが、これの補
4分用 としてはやゃ量が多い。 b期 の建物を増・改築、ない し隣接
して琵棟の建物
(ないし小規模な総瓦葺きの施設 )を 新築 した可能性 もある。
なお、
6151‑67601ま施釉品を含み、琉璃の瓦を葺 くという東院玉殿所用 とされてきた。 しか し東院庭園地区ではこの型式の施釉品は出土せず、施釉 していないものもわずかに散在する程 度である。東院玉殿の位置は未だに不明であるが、この付近ではなかったとみてよい。
d期
(Fig 74下)瓦 使用施設では①、②で大垣の補
4多がおこなわれたと推定する。③付近で も軒瓦が少量あ り、
c期建物の補修ないし棟などに少量の瓦を使用する建物を建てた可能性があ る。それ以外の地域では軒瓦を使用 した施設は推定 しがたい。
この時期の組み合わせは、 6133Db‑6726Eが 主体 となる。この組み合わせは①で顕著であり、
南面大垣 をこの組み合わせで補修 したものと推定する。②、⑥で も 6133Dbが 出土するが、こ こでは 6726Eが 出土 しない。②では
6732V、⑥ではこれに加えて 6689Cが 出土するが組み合 う のか不明である。出土状況から見れば 6689Cは 6133Qと 組んだ可能性がある。③、④、⑤では わずかに軒瓦が散在するが、これはいずれも大垣所用瓦であろう。軒瓦の出土量から見ると、
南面大垣に比べ東面大垣の補修は非常に限られた規模であつたと推定される。
なお、⑥で出土する鬼瓦Ⅵ式 Aは
c、 d期いずれの建物で使用されたか不明である。
●
▲︵
○
△
●
▲ O
△ 6282B 6721C
そのほかの軒丸瓦 そのほかの軒平瓦
6133Db 6726E
そのほかの軒丸瓦 そのほかの軒平瓦
195 Fセ
.74 c、
d期 の軒瓦の分布 (上iC期
、下:d期
)SG5800
の造 り替 え はC期以降
第
V章
考察
C
遺 構 の 時 期 に 関 わ る瓦つ ぎに、瓦導類か ら遺構 の時期が推定で きるものをとりあげる。ここでは、SG5800、 SD18120、
SB5880に
つ いて検討 す る。瓦 の年代観 は、それが 出上 した遺構 の時期 の上 限 を示 す にす ぎな いが、あ る時期 までの遺物 しか含 まない場合 、下 限年代 を もうかが い知 る手がか りとなる。 こ こで はSG5800A出
土瓦 の下 限はb期 であ ること、SD18120出
土瓦 の上 限はb期
末 で あ る こ と、SB5880柱
穴 出土 の大量 の瓦 はSB5880と
は関係が な く、柱掘形 出土瓦 の下 限はc期 であ ること を指摘 す る。SG5800出
土瓦園池SG58001よX、 A、
Bに
分 かれ るが 、Aか
ら出土 した瓦がb期
のみ に限 られ、園池 の造 り替 えはc期
以 降 となる。SG5800A堆
積 土 ない し埋 土 とされ る層位 (灰色砂)か
ら出土 したの は、b期
の軒瓦 と鬼瓦 Ⅵ 式Aで
あ る。毛利光 によれば鬼瓦Ⅵ式Aは
Ⅳ期 に属 し、最 も年代 が下が る遺物 となる。 しか し、この鬼瓦 は
SG5800が
上 。下層 に分 かれ る と認識 され る前 に出土 してお り、上層 か らの混入で あ る可 能性 を捨 て きれ ない。 これが 出上 した位置 に隣接 した地点か ら、 もう1点
鬼瓦 Ⅵ式Aが
出土 してい るが 、 こち らの出土層位 は上層 園池埋土であ るこ とも示唆 を与 える。 この「灰色砂」
出土 の鬼 瓦 Ⅵ式
Aは
、下層 園池 の年代 を検討す る材料 としては不適 当であ り、 ここで は省 いて 考 えるべ きで、SG5800A出
土瓦 はb期
に限定 されることになる。SD18120出
土瓦SD18120出
土瓦 か ら、SD18120の
廃絶 の上 限 はb期
末以降であ る こ とを 指摘 す る。調査 者 はSD18120の
埋 土 出土 の軒平瓦顎部 を「天平宝字年 間以降 に見 られ る縄 叩 き 手 法 を用 い る」 としてお り、SD18120の
廃 絶 を この時期 以 降 に位 置づ けた (第302次)。SD18120は SG5800の
北西 か らの給水 路で、底石 の一部がの こる ものの、溝 の北半 は底石 の 抜 取 穴 のみ残存 し、狽J石も抜 き取 られていた。 この溝 の底石 の抜取穴か ら6132A、 溝埋土 か ら 軒平 瓦 の平瓦 部 が 出土 した。6132Aは
Ⅱ期 末か らⅢ期前半、本考察 のb期
に位置づ け られ、溝 の下 限 を示す のは軒平瓦 の平瓦部である (PL 64)。 徐 々に厚 み を増 してい くところか ら平瓦部 の顎 に近 い部分 と考 え られ、凸面 に縦縄 タタキのの ち横縄 タタキ を重 ねて施す とい う特徴 的 な 調整技法がの こる。 これは平城宮所用6732型
式 をは じめ奈 良時代 後半 の数型式 に見 られ る ものと共通 し、今 回、調査者 の指摘が正 しい ことを追認 した。
ただ し、その年代観 は問題が残 る。学報XⅢ 編年 ではⅣ期前半 に出現す る技法 とす るが、その 手がか りは6732A・
Cで
あ る。 これは第一次大極殿地域第 Ⅱ期建物 の所用瓦で 彿 295次)、 第 Ⅱ 期建 物 の造営時期 は、一連 の造営工事 に伴 い解体 された東楼SB7802お
よび西楼SB18500柱
抜 取 穴 よ り出土 した紀年 木簡 の下 限で あ る、天平勝 宝5年
が 目安 となる。 これ は古 い建物 の解体 年代 を示 し、第 Ⅱ期 建 物 の造営 自体 は若千 下 る と して も、所 用 瓦 の製作 年代 をあ えて Ⅳ期 (天平宝字年間)ま で下 げる理 由にはな らない。年代観 の上 限の 目安 はあ くまで天平勝宝
5年
であ り、この技法 の本格 的採用 はⅣ期 以降 に下が るにせ よ、出現 自体 は Ⅲ期 末、本考察の
b期
末 まで さ かのぼ る り得 る。SB5880柱
穴 出土瓦SB5880柱
穴 か ら出土 した大量 の軒瓦 が いず れ もこの建物所用 とは考 え に くい ことと、その造営 の上限がc期
になるこ とを指摘 す る。検討材料 とす るのは柱掘形 と柱抜取 穴 の区別が付 く状態で出土 した軒瓦である (Tab 22)。 重要
な点 は、すで に指摘 されてい る ように 、柱 掘 形 と柱 抜 取 穴 で 出土 す る軒 瓦 に同型 式 、 同種 の ものが多 い こ とで、柱 掘 形 内 の瓦が そ の ま ま柱 抜 取 穴 に入 っ た 可 能 性 が 高 い。
6314‑6681、 6308‑6663は
そ う したもの と考 えて よいだろ う。
SB5880所
用 瓦 の可 能 性 が残 る もの は、柱掘 形 か ら出土せ ず 、柱 抜 取 穴 の み か ら出 土 す る型式 に限定 して よい。 しか し、 これ らの なかで複数点 出土す るのは
6282の
みで ま とま りが ない とに、6755A、 6801A (各
1点
)を
の ぞ けば、す で に触 れ た よ うに大 垣 で使 用 され た と推 定 で きる もの で あ る。もち ろ ん、 これ らが
SB5880で
使 用 され た 可 能 性 を完 全 に否 定 す る こ とは で きな い が 、以上 の ような状 況 か ら、軒瓦 につ いて はいず れ も同建物 の所用瓦 で はなか った可 能性 が 高 い。 これ らの瓦 は、大 垣 か付 近 の 建物 に葺 かれ、SB5880を
建 て る際 に柱 掘 形 の埋 め戻 しに使 用 され た と考 え るべ きだ型 式 掘 形 抜 取
区別不 能 小 計 比率
%
6663A6663B 6681A 6681B 6681E 6688Ab 6721Ga 6732C 6755A 6760A 6801A
1 1
3 11
2
1
5 16 24
1 1 1 1 1 1
37
199.3 29.6
444 19 19 19 19
1.9
19 999
計
ろ う。軒瓦 以外 で、柱掘形 か ら出土せず、柱抜取穴のみか ら出土 した もの に檜 皮 と鬼瓦
V ttA
が あ り、 これがSB5880の
屋根 を復 原す る手がか りとなる可能性 を指摘 してお きたい。つ ぎに、
SB5880が
建 て られた時期 につ いては、柱掘形 出土瓦 の下 限が手 が か りとなる。b期
の軒瓦が圧倒的であるが、a、
c期
の軒瓦が各1点
出土 している。つ ま り、SB5880の
造営 はc期
をさかのぼ り得ず、c期
ない しd期
の建物であることは間違いない。廃絶 は柱抜取穴出土瓦 にd 期 の瓦 を含 む こ とか ら、d期
以降 となる。註
1)毛
利光俊彦・花谷浩「平城宮・京出土軒瓦の再編年」『平城宮発掘調査報告XⅢ』奈文研学報第50冊1991。
2)註
1文 献 337〜338頁 。3)今
泉隆雄「8世紀造宮官司考」『文化財論叢』同朋社1983 429〜
431頁 。4)奈
文研 『平城宮発掘調査報告Ⅶ』奈文研学報第26冊 1976。5)京
都府教育委員会『恭仁宮発掘調査報告瓦編』 1984。
6)註
1文 献。7)岸
本直文「瓦尊類J『平城京左京二条二坊・三条二坊発掘調査報告』奈文研学報第54冊 1995。8)6284Eb・
Ecは6721G以外にも6721Haとの一括出上が 2カ 所でみられ、これも組む可能性がある。このほかに6721Gと 一括で出土 しているのは6282Ca、 Haで ある。このうち6282Caは瓦当径が極端に 小 さく、組み合わせ としては不釣 り合いであろう。6282Haは 1例 のみであるので、組み合う可能性を 指摘するのみにとどめる。
9)佐
川正敏「屋瓦」F平城宮発掘調査報告XⅣ』奈文研学報第51冊 1993。0 は 降
88 営 以 B5
造 期 S の C
Tab.22 SD5880柱
穴 出土軒瓦 の比率型 式 掘 形 抜取
区別不能 小 計 比率
%
6133Db 6135A 6225A 6275D 6282E 6282G 6284E 6308B 6313C 6314A
1
1 1
1
6 8 5
59 59
88 29 29
5929
59 2955.9
197