に ︑その時の模様が詳しいが︑中に ︑ 月 四日の条に ︑
一回
レ被 レ ニエ 勧賞 於 神社仏寺 ‑ 事正 二神社 之 領 ‑ ︒ 不レ
仏神︒雨下 加二 冥顕 之罰
已開 ︒ 如レ 無二光跡 ‑ ︒
候 ︒ 顧 二仏寺 之領 ‑ ︒押領 之間 ︒ 遂依 二具 各 ‑ ︒ セ月
‑ 給 正也︒全非 二頼朝 微力 芝所フ及 ︒黙考 可レ
寺領 知 レニエ 可レ 竹二本所 ‑ 之由 ︒卓司レ ニエ 宣下 ‑
︒ 頼朝は ︑その時 ㏄ )
に 唱えたか否か疑わ ひ
二年︵一一八三︶ 十 響 するところとみられるのである︒
伊勢神道神学発生の 一基盤
ヤウ
ーニ 有シの
ダヲシ ハカリ ツベ
︑ ノ " ︒ 察局奉レ抱 三党 軍︒ + 共以没二 海底 ‑ ︒
の 浦で入水のとき︑
末と 云わぬ は なるまい︒而して更に
其 後軍士等 乱二 入御 船 ‑ ︒武者 欲レ奉 ︒ 開二 賢所 ‑ ︒
ヰ乏
間 ︒彼等ま玉 : 後 朱雀院
今 ︒ 猶 顕二神変㍉
可レ仰可レ 情意︒
その四月十一日に頼朝のもとに届いているが︑ その中に
四日に京都に帰京されたが
権 右中弁 兼忠朝
ニ大宮 ‑ 入 二 御侍 賢 新一口々︒
う 懸命に当り奉迎し ている様相が知られす︒また愚管抄
にち︑︵
0 ︶ 巻互︵ 穏 ︶
上疏 ‑ ︒ 今就 二化垂問 ‑ ︒達三愚意 ‑ 許也 ︒
︒ 用レ妓楚 建ニ引火
下指 二役朝 ‑ 抹 有 ︒ 祈
多 ︒ 至 二千世 条 ‑ 者︒
可レ 被毛 ぎ 他事 ‑ 之
‑ 之由 ︒竹二内外 ‑ ︒ ︵ 乾 ︶ 欺 ︑ 誠 仏法王法滅尽 之秋也 ︒ 息之外 無二他事 ‑
実は ︑ ︵ⅡⅡ︶ ラス ニ ︒︵略︶
与えたものとみられ
まに︑後白河法皇が
後鳥羽天皇を践 作 させられたが︑玉葉に
抑
宝鋤
ウ セ / Ⅰ
ア
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事
王 法
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案
グ ,170)
と
‑ 一
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す が 更 @ ま
尤 " Ⅰ
62
との如く歎じたのである︒
︑
全くそれまでに で 源氏の追撃を ぅけ 大きな衝撃を与え ろ 重複したのである︒ののあったことが知られる︒ ︵ 巧 ︶ 察せられる︒
盤 基
の神宮に対する庶民の信 対する格別の崇敬 心
︑
ま
えられる︒ ︵Ⅱ︶
︒ 只以レ目耳 ︒
た と
日 即位式が行われ
︒ 兼 実は ︑
哉否 ︒千波︒間三
而放 下叡慮 弁 識者
の上に立
伊勢神
皇大神官
今世 記 ﹂
二所大神
あった︒
坐 伊勢二所
木記﹂﹁使姫
忠が ﹁伊勢
神祇 耐紗 ﹂
た ︒それは当然の帰 ︵ ︶ⅠⅠ 7
こなしていたが︑ そ 大きな国民信仰の上 代 以来の私幣禁断
に 信仰者を拡大して
始めたのであり︑
ところをみて︑更に︶
︒庶民は先に熊野にひ
ものの︑もはやそれ
ないが︑そこには 前
とともに︑頼朝の 出
て 信仰する 頼 朝︑ わ
頼 朝の出現を機に形成されて来たのであった︒
伊勢神道神学発生の 一基盤
て ら の に も が と と 倉 主 入 さ ら し 「
い れ な 男 松 と 日 あ あ
るるか
二けに 本る夫
6音詩がてに。
の張っ
ろうて
何 瑚%
も こ 法 頓 食 し に と 者 神 大 し に こ の そ が な
そ 奈 て に し 日
を 般 法 た の 神 代 く
援 的 之 神 閑 道 の 頼
は れ も 古 借 た
朝が
用 し 大 な ‑ 息
。
社、
係 よ 書に 書に な て の 事 仰 慈て き 出 仕 り 影 も 強
も で % 分 そ え る 以
神宮
神得 と
みり
ら通り
で 思 拾、 古思 語想
が.
「 豊 葦
か 斯 べ を 理 と の こ 頭
に 依
ここ
く仏し
、
低 て 守っ 推 な みら 上に 一 国そ 渋 渋 て 測 れ 頼 政
の を を の で な 胡 ん
仏 退 避 祭 は い に だ
散
は
け よ 式 け 儀 の な し か よ と り と出
払 う 自 助 で の て る 天 。
教 と を 行 あ こ 改 と
と し 守 で ろ と め も
る 謂 れ
諸 仏 し 伊 Ⅱ 。 さ よ ea'
し 典 て え
な 用 い ば
れ、
神宮う
が 語 る 御 祠 そ 神
、 は の
ら る こ 鎮 官 の 国 か の の 古 な 深
と 信 な 6c 情 思 伝 い ろ
初 念 る
そ し み 記 期 の 語
65 (173)
尊厳につい
かも知れない
尊 して行った
いのである︒
とされた一点
それ以前の撰
外宮神道と称さ 響 であ
り︑か
られな
金打
外宮
ような
考 型式が無関係とす
覚し︑神仏習合の変
なものでなく︑仏教
社 とは一線画したものとしての観方である︒
二神明 之 霊威 項 ︒﹂
との表現構造は﹁貞永式目﹂の ︑
一 ︑可 下 惨毒神社 ‑ ︑ 専 ︒集福上妻
のなかの ︑
か 直接的なその影響
をしのばせるものもあるのである︒
(174) 66
︵㎎︶
などに載せられている 程 6
記紀二典の最初に記
としたとみられるのであ
想 であり︑二宮兼行思想
︵ 騰 ︶荒木田氏と対抗し︑
なし︑以て天照大神
せ むための手段とし
一の心理状態なりと よこしまがあるとの批難である︒それに つ い
豊 受を月神とし︑月を水に取り水は御飯
を欲 ふか︒或は造化に 湿 し︑或は理 説を以
塞 んす︒所謂造工 妖書 妖言 ョの 徒にして莫大
と記したころより端を発して︑ 殆 んど通説と
﹁是等の諸 側 は ︑ 何れも豊受大神が天照大神
るものとす︒即ち︑彼等伊勢神道諸家は年代 ては︑吉見幸和がぬ して内宮に相 雙 ばんこ と
舌口を費して人の耳自ら
の 罪人なり︵五部書 説弁 ︶
中 より関係文を掲げ︑
もの
|
なるを証明せはれたる国常立尊︵ 書
神道に関係のあるこ ︵ 却 ︶
袖止する説の存する
外宮祠官の非ときめ
を 尊貴ならしめよ う
臣 戯訓解﹂と比較 考 二宮 共 案上官幣
ス 有ニ加増 ‑ ︒
︑﹁伊勢
なる神宮
なすと 軽
しても︑
殺 また訂正されたのではなかろうか︒しかし︑ そのいわ
ば ﹁ 皇字 沙汰 文 ﹂に
太神宮号 ニ 豊受宮 ‑ 如 二君臣 ‑ 之夫上元:
か ︒そ う
あろう︒この里宰沙汰文も︑それに続けて︑ 二所太神宮 祠官である 々に考える それが為に ゆる五部書 ︒これ 例え
於レ 社有二尊
ではないで
( Ⅰ 76) 68
伊勢神道神学発生の 一基盤
( 一
D = 文 め
)
宮
地
博 モ が そ の 一 「
神
無人
神
尊
生貝
尤 よ @
養 る
を
」 明
て
掲 げ
ら つ
れ
尤, Ⅰ
69 (177)
部 書などの伊勢神
として初めて考案し
なく︑さらに考慮を
撰せられた﹁中臣 祓
誠 によって︑外宮御 ︵Ⅰ 2 ム ︶
ない︒﹂と述べられ
富 三部 書 となると︑
ぅ としてゐる事は ︑ ︵ % ︶
乙 な と や 手 め ぅ と
︑これと同等の意の文は更に明確に 博 士は掲げられたのであろう︒
レ 肩馬 レ日 ︒ 永懸
昭二敵船六合 之内 ‑ ︒︵倭姫命世記︶
博士の云われるよ
豊受大神とが︑ 予
るに崇神天皇の御
処 をと尋ね廻り︑
つ と五十鈴川上に鎮座したところ︑
眩戸 伸張︒ 原知 見々恵真 伎忠 国宮処 波是処也 ︒ 鎮理 定理 絵 正党
給主︒︵倭姫命世記︶
あるが︑そのよ う
大神より尊貴なる
また水火︑陰陽 と
最少 限 に止めて宮地 祇敬 レ宗 ︒乱数馬︒ 先 ︒︵ 御 鎮座伝記︶
大神 ‑ ︒布上申 気皇
同上︶
(178) 70
伊勢神道神学発生の 一基盤
な 城 代 よ と た と 6 0
種 土 る て の り 唱 ま も の 不 時 女
{
優 劣 係 関 で ナ よ @
し Ⅱ く、
所気雰
大 話 い る 天 天 に補対 最 題 る で
抗 も は も の
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る も 御 。 世 と
ろ
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蕃 神 真 因 み て の小 一 万
の 健 筆 岐 処 表
日 面 物 し た 神 む 現
た る を し で
も 国 天 ろ
の 常 御 両
か 土 中 宮
否 尊 主 の
祐 一
あ た 国 を る 太 常 主
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こ 御 尊 す ま |
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落 拉 で る の 気
着 し あ 。 宮
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時 " う
。
れ はiC
内
れ れ
71 (179)
曲鼠 皇 太神宮 ‑ 也 ︒ 然 俊哉官祭事 可二 勤仕 ‑ 也 ︒
ろう︒つまり 豊 愛犬
て 存在する大御中主
た 天御中主神︑また
︒ 御 鎮座伝記で二神
ユヰ カ ︒
無窮 夷 ︒光華 明彩 ︒昭二 徹於 六合文 内 ‑ 英 ︒
とあるそれ︑また同書に ︑
前面 宮 日月前 レ表 ︒諸神尾 位 ︒
なかろうか︒また 御
鎮座本紀の ︑
教の影響もあろう
り ︑そこに度会 氏 な
如惣
明
) 故 甚
(1 ㏄ )
剛神 ︒︒ 生 化本性︒
伊勢神道神学発生の 一基盤
︒ 先 ︒冥加 以 ニ王
神祇 兎 ︒日月 廻二
四洲 ‑ ︒ 錐レ照 三八合 ‑ ︒ 須レ照
主面
頂 1 キ
り︑ 軽々に外宮優位
コ カ O
註
日本文化研究所紀要第二十六号所収︶参看︒
いたことがみられる︒ ︵ 3 ︶﹁浄蔵 伝 ﹂参看︒ との思想にもみられ︑また︑
宮 諸雑事記に︒
葉二豊受神宮 ‑ 也 ︒無役 我 官祭事百ニ勤仕 ‑ 也 ︒
釈すべきであったか
せず二宮のままで 考
神 ︑他を諸星として
こ にのべる︑
加以
主面
‑ 為レ混沌 之始 ‑ ︒ 屏 二仏
法之息 ‑ ︒︵主基本記︶
73 (18 Ⅰ )
(182) 74
23@ 22@ 21@ 20@ 19@ 18
) ) ) ) ) )
ノ
ⅠⅠ(
(7 ( Ⅰ 上 ムリ (く ヰ Ⅰ し ( ⅠⅠ アサ 千Ⅰ (Ⅰ 0 ⅠⅠ ( り乙 ヰ (Ⅰ Ⅰ 上 Ⅰ ユ ( 月リ ( 0 Ⅰ ( 00 (Ⅰ イ ( 几り ( Ⅰ ニ Ⅰ
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道 惟
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部 っ 間
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当知 領
四国遍路における 接待の意味
す こ と 昔 通 用 口 徴 こ
る ろ い 霊 し 路 な の の 四
と が れ 場 か が ど ひ 傾 国
外 よ 。 を の 休 え と あ 八
者 ぅ ま は 接 験 る す い ケ
甘 る 礼 わ い ‑ う こ て 場
の 開 を の 歴 待 。 の の 八
が の な に に け の で 用 遍
み 村 い ろ み た 変 あ ガ 路
ら 落 参 ら る 経 遷 る ィ vV
れ の 詣 れ な 験 と ド は
る よ に た ら を と っ ブ 近
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い な い で 決 っ に り ク 一
わ 比 て あ し て 接 、
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い . 閉 待
ま 国 。 形 に さ l
る 鎖 は た 遍 態 射 れ ム
。 状 各 ョ 路 や し て と
内 て い も
容返 も隣。 る呼
べ交 付 そ る
星
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て な い ど 実 数 の の
る が 内 な
野
も 和 書 お
の 所 の い め や お 巡
、 通 お 拝
英
現 路 左 道 が る く 者
で 治 田 辺
も い 国 え
ト て い る ケ な ど 路 お お な 遍 て
紀
」 歓 る っ 所 く で の・ り
説 待 と た 観 の 金 持
75 (183)
味
を し い の そ
意つ 識い解ま以
(ふて 現う 間適のよ「
さ で 釈 ず 下 さ り 象 点 に 路 三 り ま に
目論むところ
さにそこにある︒
として 抱 える︒
いる者︵以下
者と 遍路者 と
あるのか︑ と
る ︒
拠りどころと
来の研究成果
という範囲に限定されるものである︒
︑記述の順序は次の通りである︒
従来の説明
を意味する︒
には必ずしも
果と 巡礼の 一
が に し 試 + 億 か み 表
し ら さ
な れ れ が て る
待 ま 外
の た 者
研 田 歓
完 固 持
に 接 習
そ 歴 あ
う 史 っ
し 的 た
た 変 こ
民 選 と
俗 を が 学 他 指 的 の 摘
あ 遠 さ
る 隔 れ
い 参 )
は 請 口 歴 の 国 史 そ の 学 れ 接
的 と 律
見 終 に
弛 み つ
と あ い
は わ て
則 せ も
に て そ 3&.
国 よ た
に う 民
お と 俗
け し 学
る た 的
美 明 旦
際 究 地
の も よ
接待
の 。 ま巴あ 牡
(184) 76