のみならず、住民の側にも、問題解決のために連携して市民運動を立ち上げようという気 風が乏しいように思われた。たとえば、前助役の A 氏の仲介で市内の諸地域に住まう 4人 の市民からヒアリングする機会を得た折、それぞれに自らが住まう地域に存在する環境問題 等の訴えを受けた。なかには、相当に深刻な問題もあった。だが、そのように A 氏を仲立 ちによく見知っている 4人でも、連携して各地域の問題の解決にあたろうという声は出なか った。コミュニティ内部には組織的な活動もあるとのことだが、コミュニティを超えた連携 にはなかなか向かわないのである。そうした草の根レベルでの連携より、第3章においてタ イの社会風土として触れた、有力者との庇護.被庇護関係に依拠したほうがてっとりばやい という社会風土があってのことかもしれない310
こうして、市民運動組織はなかなか育ちがたい政治・社会風土ということになるのだが、
そのなかでクワン川沿いの
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つの地区に住まう諸個人が連携して既に 10年間も活動を続け ているグループがあった。次にその活動の経緯に立ち入ってみよう。(2)クワン川沿いの環境市民運動の経緯4)
まず、クワン川では 1992年8月、魚が大量に変死する事件があった。市の南端にある固 定式の堰のあたりがとくにひどかったという。公害管理局に連絡を取り調査を依頼したが、
総選挙の前後で行政当局はそちらに多忙というなかで、前述の工業団地からの排水かそれと も別の要因か、原因はうやむやに終わった。原因をめぐって住民たちが集まって話し合い、
大きなセミナーも開催されたとのことであるが。
その後、 1996年、向上の堰でまた問題が生じた。大学教員も加わって住民間で話し合い が持たれただけでなく、堰を壊そうと爆発物まで用意する人さえあったがあとのことを考え て実行には移されなかったという。固定堰であるがゆえに乾期には堰が障害となって水が淀 み、この当時にはひどい悪臭で頭痛に悩まされる人が広汎な地域にわたって存在していた。
くわえて、そもそもなぜこうした堰が設けられたのか判然としないところがあった。住民の なかには、工業団地からの排水の影響を暖昧化する役割を疑う人もあったそうである5)。
爆破物で堰を壊すことまで論議されたということは、被害がどれほど深刻であったか、住
民がどれほど切羽詰まっていたかをよく物語っていよう。じっさい、地元の行政機関に訴え てもそれらは国の管轄である工業団地には手を出せなかったし6)、警察に訴えても川の魚は 誰の所有物でもないからその大量死で損害を訴えることはできないという理由で播ねつけら れ、らちがあかなかった。
そこで、次々と会議場となるお寺を変えつつ会議が重ねられ、被害を明確化できるように 魚の養殖を行って「自分たちの魚」をつくりだそうと決定された。さらに、養魚池は工業団地 のすぐ南ほか3カ所に設けられた。どの養魚池に被害が及ぶかで、原因は工業団地にあるの かそれとも別の要因か、また別の要因だとすればどの地域が問題かがわかるように工夫され たのである。
さらに、この事業にはNGOの助力という興味深い要因が見出される。すなわち、 DANCED (Danish Cooperation for Environment and Development) 7 )というデンマーク系の NGOに援助を 申請し、 10万パーツの助成金を得ることができた。かっ、 DANCEDへの援助の申請は、バ ンコクに拠点を置く全国的な NGO組織の北部地域支部からの示唆に拠っていた。養魚池の 実施にあたっては、やはりこの支部の助言でバンコクで類似の活動をしているグループの見 学にも行ったそうである。つまり、厳しい環境破壊に直面するなかで、しかも国家も地元行 政機関もきちんとした対応を行おうとしないなかで、それらに代わって NGOが資金、知識、
情報などの支援を行って市民運動組織の出立をサポートしたというわけである九たしかに、
10万パーツはそんなに大きな金額ではない。だが、タングシカプット氏は、金額より外国 のNGOに認められたことが彼らをひじように勇気づけたにちがいないと評していたC
もう一点、 DANCEDにより与えられた助成には、養魚池のみでなく、かつての水路を渡 深してピン川の水をランプーン市内の濠に導き、さらにクワン川に導水するというプロジェ クトも含まれていた。二つの地区から 100名以上の村人がボランテイアとして協力したそう で、直接の環境改善という点では効果は小さかったが、村人の関心を喚起するという点では 効果的であったと解されていた。こうした事業には多数の村人がボランティアとして参加し たというところに、もともと北タイにはムアン=ファイという濯概用の水路と堰を地域住民 が共同で設置し、維持管理してゆく伝統が存在していたことを想起させるものがある9)0 r近 代化」とともにそうした伝統も維持されづらくなっているけれども、なにかのきっかけがあ れば基底に眠るその伝統が目覚めることもあるということではないだろうか。「共」の世界の 再構築を展望するさいの北タイの社会的土壌として注目しておきたい。
もっとも、養魚池プロジェクト自体は 1999年までの2年間で終了した。各池で 1万パー ツとコストが嵩んだうえに、 2年目に市場に出す直前に養魚が全滅したそうである。工業省 にもかけあったが、時聞が経過しすぎていて原因を特定できないという結論に終わった。但 し、このそれ自体としてはやはり成果に乏しかったプロジェクトにも、ランプーン市との関 係でちょっと興味深い論点が付随する。
すなわち、 4地区のうちのひとつだけはその後2年間養魚池事業を続けている。上述のよ うに費用が大きなネックであったとすれば、この養魚池には市から補助金が出ていたことが 注目されよう。今回のヒアリングにさいしての市民グループからの説明では、それは身障者 の就労支援という趣旨の補助金だったということであるが、数年前市職員にその養魚池の案
内を受けたさいには、他にも補助の申請はあるけれど財政的に難しいという説明を得ていた。
つまり、うえの説明は市の口実とも解される。となると、クワン川の水質汚染に対する住民 の関心をまったく等閑視することもできず、一定の理解はあるというポーズを示しつつ、か といって熱心にサポートする気もなくて、別の理由をつけて補助を広げることを回避したと いうのが、市の対応だったと見ることもできるのではないだろうか。
ともあれ、その後このグループはクワン川東岸地区とも協力をすすめることとなる。西岸 地区が町として発達したのに対して、下流の東岸地区は農村としてとり残されたままという
ことで結びつきは希薄だったのだが、クワン川の水質改善を実現するには上流と下涜とがい っしょに考える必要があると気づき、東岸地区への働きかけを行ったというわけである。
そのさい、「クワン川を住みよくするには」というパワーポイントが、地域のことをよく知 らない人の理解を促進するのに効果的だったという。たしかに、このパワーポイントはなか なか魅力的なものであって、とくに、かつての暮らしのなかで人々はどのようにクワン川と 親しんできたのか、あるいはクワン川をめぐる土木作業でどのように協働してきたのかなど の歴史を映像で紹介しているのは、クワン川の水質改善への取り組みがどのようなライフス タイルを目指すものでなければならないとこのグループが構想しているかを明確に示しつ つ、村人への働きかけを行っている点で、きわめて興味深い。
なお、このグループは代表宅を事務所 としていたが、事務所にはパソコンが複 数備えられ、パワーポイントを利用して ヒアリングに対応してくれた。また、フ ルタイムの女性スタッフをひとり雇用し ている。いろいろなプロジェクトを立ち 上げて利益を計上してゆきたいというこ とであった。さらに、財政面では、行政 機関からの補助金は受けていなかった。
政府の地域組織開発研究所からの支援は あるということであったが。
現在、このグループは、一方で、環境破壊の被害を受けている人々をまとめながら、自然 の保護活動を行っている。そのさい、水環境に限らず、大気汚染などにも関心を広げている。
(3)において少し立ち入るが、たとえば、市のごみ焼却場からの大気汚染が深刻なようであ る。と同時に、代表は、運動を維持していくには、環境の尖鋭な問題から福祉問題を含めた 生活の細やかな問題へとシフトしていく必要があるとも感じていた。
他方で、ネットワーク活動にも力が入れられている。この点、行政との関係も大きな問題 となっているので、やはり (3)で論議することにしよう。
こうして、はなぱなしい成功をおさめているというわけではないけれど、廃棄物のリサイ クルー利益は寺院に寄進ーを含めて、多様に活動は継続されてきている。但し、各地区 を代表してヒアリングに集まってくれた人々も将来を必ずしも楽観しているわけではない。
この地域では、グループを組織することはできるけれども維持するのは難しいからである。