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即ちこの区別は、間接事実について弁論主義の第一テーゼが適用されないと言う形で現れる。主張しなければ、

返還約束、金銭の受け取りの立証は裁判所が心証を持っていても勝手に行うことはできない。対して、ATM から お金をおろしているとか、他の債務の弁済をしているとか言った間接事実については、間接事実であり弁論主義 を適用しなくていいから、その直接の主張がなくとも、金銭の受け取りについての主張さえあれば事実として認 定し、判決の基礎とすることができるのである。

法の適用に関してではない、経験則による推認については弁論主義が妥当しないのである。

この理由だが、「ない」とバッサリきる人間は確かにいる。しかし判例通説はそれなりに合理性を見出している。

間接事実は、冷静に機能的には証拠資料と同列にあるからである。証拠調べの結果得られた資料は、当事者が取 捨選択できないというルールが働く(後述)。そうだとすると、同じように当事者の取捨選択を許すべきではない と言うことになるのである。

なぜ証拠資料についてこうなるかだが、主要事実についての争いがある場合にはそれにつき可能な限りのものを 利用して真実に適った事実認定を行うべきだと言う理念があるからである。この意味では間接事実についても、

主要事実を認定するために利用できるならすべきであるということになり、判例通説の立場はそれなりに説得的 である。

※間接事実について認定すれば採用できると言うことになるが、これは情報処理のレベルの話である。認定はで きたが、当事者の主張がないと言うときの話。

ということで、弁論主義の適用がないからと言って、職権で調べてくれるというわけではなく、原則として主 張はいるのである。主張されないと証拠調べがなされないので、事実認定が起きない。ただ、稀有な場合とし て、主張はしていないが偶然認定できることがある。このようなときに認定できた間接事実を利用することは できる。

相手方の応答

主張は、言ってみればこういうことがある!という信念の表明である。が、いったん主張すればその事実につい て立証の機会が与えられ、それ次第では事実を基礎に法律効果の発生を認めてもらえると言う効果をもつ。

では続いて、これに対しての相手方の主張と言うのが問題となる。

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すでに示唆したが、自己の請求を理由づける事実を主張するものに対して、被告側は一定の応答をする。最初の 準備書面 of 相手方を答弁書と言うが、これは規則の 80 条による規律を受ける。

これによると、請求の趣旨に対する応答として、基本的に「棄却」を求める場合にはその旨のほか、訴状に記載 された事実に対する認否や抗弁事実を記載する必要がある。ここにおいても、間接事実は区別されている。

訴状に対する答弁書には一定の事実記載が求められるが、これはとりもなおさず原告の主張に答弁するためであ る。そのなかには、否認・自白・抗弁と言うものが想定される。それぞれ見ていくが、ここでは概説だけ。

⓪認否

認否とは当事者の主張に対して、相手方当事者が認めるか、認めないかということになる。認める場合には争 わない、認めない場合には争うことを意味する。前者を自白、後者を否認と言うのが一般的である。

この区別が重要なのは後の手続きが変わるからである

※民訴は相手方の態度をいくつか想定している。知らないと言う「不知」、態度を明らかにしない「沈黙」など である。態度の解釈ルールは 159 条に記載され、不知は「争ったものと推定する」、沈黙は「自白したものと みなす」ということになっている。

この規定は 159 条3項につき、「当事者が口頭弁論の期日に出頭しない場合」に自白が擬制されるので、とて も重要だと言うのはいつかいった。ちなみにこの規定は公示送達による場合は除く。

つまり、お休みすると、準備書面に記載した事実については(相手が欠席しているときは、ほかのことは言え ないんだった)認められ、普通はその書面に訴状の内容が記載されるから、原告が勝訴する。

否認は立証を求める行為、自白は立証しなくていいよと言う行為と言う訳で、その選択が認否の態度表明で明ら かになるわけである。それに加えて「抗弁」があるわけだが、以下、3類型をざっとまず眺める。

①否認

そんなことはありません、と立証を求める行為。

②抗弁

相手方は事実と両立する新たな事実(抗弁事実)を主張することもできる。たとえば契約が無効だとか、弁済し ているだとかそういうことを主張できる。いずれも請求権がないことを基礎づける主張である。これも事実で あり、具体的な主張が必要。争いがある限りは証拠調べの対象となるのであるから、具体的な証明の対象と言 う必要があるのである。「弁済した」ではなく、「●月×日に弁済した」ということが言われないといけない。

③自白

自白は、相手方の主張を認めて争わない態度である。これはテキストの定義とは若干異なるが、趣旨は後で述 べる。主張レベルでの自白と証拠調べにおける自白では意味が異なり、ここでは主張レベルの定義を新たにし ていると思ってほしい。

ポイントは事実につき争いがなく、主張が一致していることである。この時、弁論主義のテーゼより、これを 判決の基礎としなければならないという拘束力が生じるのである。

そうだとすると証拠調べをしても無駄であるので、一致した場合においては証拠調べは不要と解されている。

179 条はその趣旨である。

【参考】民事訴訟法第 179 条

裁判所において当事者が自白した事実及び顕著な事実は、証明することを要しない

すなわち、証明の必要性を解除する行為が、自白と言うことになる。ここで一応言っておくと、「争いがない」

ことが必要であり、これにはまた争うことを明らかにしない擬制自白の場合も含む。

以下、個別に眺める。

否認

否認は、争いある事実を作出する機能を訴訟上でもっている。こうした事実は必然的に証拠調べの対象(要証事 実)となるから、相手方の証明を要求する行為ということができるだろう。

これが争点というものになるわけである。

ここから先は細かい議論だが、今言ったように、否認は争点を作出し、証拠調べの対象を明らかにする。その機 能からして、証拠調べの対象を明らかにするような事実の主張が望まれることになる。

請求を理由づける事実も最終的には証明の対象となるとは述べたが、否認も具体的でないといけないのである。

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これを表すのが 79 条であり、否認の場合には「なぜ」否認するのか理由を明らかにする必要がある。

たとえば返還約束を否認する場合、「会ったことがないから」といえば相手方は契約をしたことを立証すること になるし、「贈与だから」といえば相手方は贈与の意思表示がなかったことを立証することになるだろう。この ようなレベルでの否認が求められるのである。

抗弁

認否は、争点とそうでないものを振り分ける。

対して抗弁は、新たな事実の提示である。抗弁事由である自白だとか弁済は、契約そのものの存在とはまた別の 事実なのである。原告の主張に対して、自己に有利な効果を導く新事実を主張することになる。

そしてこれは新たな事実なので、これに原告側が認否や(再)抗弁の提示を行うことになる。例えば錯誤無効の主 張を抗弁として出した場合、それに対しての再抗弁として重過失の主張が考えられることになり、これによって、

証拠調べが必要かどうかが確定することになる。この抗弁というのは、請求棄却を理由づける事実となるが、大 まかに言えば権利障害事実と権利消滅事実に分けられるだろう。いずれも、認められれば請求の棄却をもたらす ことになる。

これは「被告に」証明立証責任があることになる。詳しくは証明責任のときに話すことになるが、少しだけ先取 りしてお話しておくことにする。

というのも、以上の整理によると、抗弁事実と認否とは区別できるし、されないといけないのである。

①区別できる

たとえば、先ほど述べたように否認については理由が必要であるところ、「金返せ!」に対して、「金は受け取っ たけど贈与」だと言うとき、これは抗弁のようにも見える。だがこれは否認であり、抗弁ではない。

否認は端的に「NO」と言うことであり、それ以下の because…は付随的なものに過ぎない。

対して抗弁は、「NO」の場合もあるが、基本的には「YES,but…」というものなのである。

※「NO」の場合もあるというのは、「違うと思うけど」「仮に」返還約束をしていたとしても時効でしょ…とい うパターンがあると言う意味で、こういうのを普通の単純抗弁に対して仮定抗弁と言う。

贈与の主張は、このような観点からは「YES,but…」となるだろうか。

分析すると、まず少なくとも、金銭の受け取りについてはここで、受け取ったと認めているのだから証拠調べが 不要となる。しかし、この文脈で「贈与」というのは、論理的な関係で返還約束をしていないと言う意味になる。

だからこれは、抗弁ではなく、「NO」否認なのである。

※否認の「理由」はでは民訴上どのような効力を有するかが気になるが、これはあくまで理由でしかなく、訴訟 上では直接の意味はないと思われる。すなわち論理則を用いて主要事実の不存在を推認させる事実であり、こ れは間接事実と言うことになる。これについては弁論主義の第一ルールが適用されないから、否認かというの は大事になるのである。

②区別しないといけない

この否認と抗弁の区別は事案によってはかなり難しいことになるが、やらねばならない事情がある。

【事例】100 選 46 事件を参考に

相続財産は被相続人に所有権がある。被相続人が死亡したとき、それは子に相続される。

だから、前主の所有権と、その死亡を言えれば子は請求を通せそうである。

X 相続取得した!

◎被相続人の所有権 ――――――――――→

◎被相続人の死亡 ――――――――――→

Y(というか裁判所の認定) 死因贈与した!

あったよね【YES】

死んだよね【YES】

+死因(生前)贈与により A は所有権喪失【but…】

ここで、死因贈与を否認の理由と考えると、あくまでこれは否認の理由であり、すなわち間接事実だから、認定 してもさっきこの判例を見たときあれほど問題にされていた弁論主義違反は、議論にならないのである。

が、死因贈与をいうとき、X の側の被相続人の所有権は、いったん認められ、それが死亡で消滅しているのであ る。だから、これは「YES,but」すなわち、抗弁事実とすべき。だから弁論主義の対象になるというのが、ここ での最高裁の判旨の意味する所だったのである。このような効果に鑑みると、区別はしなければならないという