④反 応 す る
⑤探 求 す る
⑥再検討する
で 、テキス トを通 り抜 けてゆ く。
システマ テ イックにテキス トや リツースを移動 し、それ ら を点検 してはいるが、読 んだ り反応 した りしているのでは ない。
ベ ー ジを開いて、テキス トを読 むのには十分 な時間 をかけ てい るが、l,ソースはほ とん どあるいは まった く利用 しな い。
リツース にア クセ スす るが 、テ キス トの読み と関係付 け ら れ た方法で リツースが呼 び出 されているわけではない。
ベ ージごとに、テキス トを読むの に十分 な時間 をとって、
システマ テ イックにテキス トを移動 してゆ き、 また リツー ス もテキス トと統合 した方法で利用 している。
テキス トを再読 した り、あるいは利用可能な リツースに再 度 ア クセス した りす る。
コ ンピュー タメデ イア と読書
第1の「 スキ ミング」 は、ざっと上澄みをす くうように、全体のおよその 内容 を把握する読み方で、「点検する」読み とは、テクス トの一定の範囲に どのようなリソースがあるか、調べ、確めてゆ く読み方である。いわゆる読 むこと、すなわちテキス トを追 うことで先に進んでゆ く読み方が「読 む」に 相当する。「反応する」というのは、テキス トよりもむ しろさまざまなリツー スに読みの中心がおかれているもので、何度 も同 じリツースにアクセス した り、物語の進行 と関係 な くリツースの利用が行われた りする。「探求」 とい うのは、読みの目的を設定 し、それに合目的的にテキス トや リソースを統合 して、読 んでゆ く読み方で、「再検討」の読み とは、一通 り読み終 えたあ と、
主要なテキス トとリツースを再 び利用する読み方である。
ハ イパーテキス トでの読書行動は、レヴインらによれば、「少な くとも2 つの重要な次元」すなわち「一つは、ハ イパーテキス トとの相互作用の程度 に比例する次元であ り、 もう一つは、 リソースの使用 とテキス トの読み とを 統合する程度に比例する次元」によって変異 を生みだす。それは、
たとえば、 「③読む」パターンはきわめて非対話的であり、そしてリ
ツースと統合的で もない。電子の「ベージ」 をめ くる ときにだけ コン ピュー タと相互作用 しただけであ り、さらには、 リツースが手助けす るように設計 されたページと統合す るような仕方で有用な拡張機能 に アクセスす ることもなかった。これ と対照的に、「⑤事栞求する」パ ター ンは対話的であ り統合的で もある。ページをめ くるの と同様 に、心覚 えを記録 した リリツースにアクセス した りす るため に、コンピュー タ との相互作用がはか られた。 さらには さまざまな拡張機能の利用はテ キス トの読み と統合 され、ベージにな じみのない言葉が現 れればその 定義が呼び出 され、理解の程度 を見 るため に解釈の 自己評価の質問が 利用 され、発見 したことは傍注に記録 されていった。といつたように、先の2つの次元の深 まりに応 じて
6類
型が生 じる。しか しこれ らは、発達の段階 とい うよりは、読教の局面 におけるヴァリエー シ ョン見ることがで き、それぞれの読みのパ ターンが機能分担 をはた してい るとい っ。
生徒たちのハ イパーテキス トの読みのパ ター ンを時間を追 って物語 を 通 して調査 した結果、異なった時に異なったパ ターンを適用 しているこ とがわかった。たとえば、何人かの生徒は、テキス トや リツースを時間 をかけて「③読む」か「⑤探求する」前にハイパーテキス ト文書全体を
「②点検する」ことをしたがった。あるいは、リツースにアクセスした
り再読したりするためにテキス トを読み返 しながらあちこちに立ちl卜ま
って「③再検討する」ことで読書を終えようとしたがった。
つまり、ハイパーテキス トでみられる読書行動は、書物によって培われた 読書行動を機軸としつつ、そこに他のテキス トやバックグラウンドリソース を統合 してゆくことで形作 られている。 しかも全体の読書の局面において合 日的に読書行動のパターンが選択適用される、機能的な読書行動なのである。
むろん書物をメデイアとする読書でも機能的な読書行動は展開されるわけだ が、それが可能なかぎり拡張されているといえる。
また、レヴインらはハイパーテキス トの読者像について「一連の研究を通
して、
3種
類の読者像 を見っけだす ことがで きた。すなわち、本愛好家、探 求家、そ して リツース中毒者である。」 と述べ ているが、この読者のプロフィールは、ハ イパーテキス トの構造 を理解 し、テキス トとリツースを統合 し、
機能的な読書が展開で きるか どうかによつて理解することがで きるだろう。
本愛好家は、システムを表面的に利用するだけであつた。物語 を読み は じめた当初はリツースを利用 していて も、急速にリツースヘのアクセ スが減少する。そ して彼 らは物語 を線形的な方法で読んでゆ く傾向が認 め られた。本愛好者は一般的に彼 らが読んだ ものは理解で きているが、
物語のより素晴 らしいそ して微妙 な点 を把握することには失敗 しが ちで あった。
ハイパーテキス トの操作やテキス ト・ リツースの構造把握が弱い場合には、
ハイパーテキス ト上であって も、書物 による読書 と変わらない、む しろ単純 なテキス トの表層の解釈だけに終わるプロフィールをもつ読者、本愛好家が 生まれる。一方で、書物 による読書の特質である線形性・連続性の意識が希 薄になるとテキス トが興味の焦点から外れ、バーカーツが憂慮 した断片化 し た読み、 リツース利用に傾斜 したプロフィールを持つ読者、 リツース中毒者 が生 まれることになる。それは
読者の最後の タイプ、 リツース中毒者はハイパーテキス トシステムの まっとうな利用者ではない。彼 らはたいてい物語の大半を読みそこなっ ていて、その代 わ り、利用可能なリツースに夢中になってひたす らアク セス し続けた。
とい う事態 になる。ハイパーテキス トの読者 として望 ましいのは、「探求家」
であ り、その読書行動の特徴は
彼 らはさまざまな異なった タイプの リツースにアクセス し、物語 を読 んでいる間中、有用な手がか りを活用 し続けた。非常 に詳細にそ して正 確 に物語 を再現することがで きた。そ して リツースが もたらす示唆は、
彼 らに物語の理解 と記憶の支援 となっていた。
とされる。 まさに「これに対 し、探求家はハイパーテキス ト環境での読書の 熟達者であった。」 とい うことになる。
コンピュータメデ ィアとリテラシー
コンピュータメデ ィアによる読書は、読書資料 としてのテキス トと読書能 力について、その概念の変更 をせ まる可能性 を秘めている。
本 というメデ ィアにあっては、テキス トは、完結性、線形性、連続性 を備 えていたが、コンピュー タメデ ィアではこれ らは保障されない。ハイパーテ キス トに典型的に見 られるように、テキス トはオブジェク ト化 し、他の種々 のオブジェク トとの関係の網の目の上で機能 しているにす ぎない。このとき、
限定 されたテキス トに対する垂直方向への深 まりを追及する従来の読書は可 能だろうか。 こうしたメデ イアを利用する行為 を、私たちは読書 と呼べるだ ろうか。メイヤーや レヴィンの研究に従えば、ハイパーテキス トにおいても 読書は成立する。だが、そのためには、書物の読書に見 られるプライベー ト な時間 と空間を確保することが ます ます必要になる。その中で、従来の読み の技能、とくに表現の深みに沈潜 してゆ く読みの力を養 うことが必要になる だろう。
一方で、ハ イパーテキス トの読書 に見られたように、コンピュータメディ アでの読書技能は、従来の読みの技能 とハイパーテキス トシステムにかかわ る技能か ら形成 されている。後者の技能は、テキス トが存在する構造に対す る知識 と情報単位オブジェク トの構成法、テキス トや リツースを合 目的的に 統合する仕方、多面的にテキス トを取 り扱いテキス トを効果的に再構築する 方法などからなる。 さらに、コンピュータメデ ィアの リテラシーとは、メデ イア操作能力、解釈力、表現力が一体化 したもので、読者が自身の想像・創 造力 を駆動力に、メデ イアとの相互作用 を継続する力であるといえよう。 こ こにいたってコンピュータメデ イアは新 しい読書の局面 を切 り開 くことにな るといえる。
参考文献
デイヴイッド・クローリー、ポール・ヘイヤー「歴史のなかのコミュニケー ション」新曜社
スヴェン・バーカーッ『グーテンベルグヘの挽歌」青
t社コ ン ピュー タメデ イアと読書
アラン・ケイrアラン・ケイ」アスキー出版局
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