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∞ 門戸

ドキュメント内 谷 田 義 一 (ページ 68-77)

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Nそは単に経済皐に関する典型的場合巳口々志与の吋山口を説明したるものに外なら

ぎる理由によりて︑此の従来の債値理論争﹄排尽して︑夏らに一般的にして現買に趨合する理論を

以って之れに置換へんごしたのである︒彼の債値論に謝する濁自の立場は︑・既にその著﹁債値

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於いて後表せられ︑従来の依低論に濁して抗争的態皮を示してゐるのである︒古典経済亭より 現在に到るまで経済理論の論遠方治は著しく言葉に囚はれてゐるものであ

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︑現買なる経済生

経沼恒値の決定に就いて

活への接絢ご人の共同生活の質在ゃ逸したるものである︒彼は﹁言葉の自由﹂

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点 目 ︒

LUNU)に於いて︑これに関する一般

的論陣ケ張ったのであるο

彼は従来の償値理論の基礎概念を修正せんさなしたるものではな

く︑その基礎的包括範囲の修正を試みんざしたのである︒郎も彼によれば従来の理論経済的学は

所謂

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山梨仏門印ち個々の財に閲する諸考察乃至は財に謝する各個経済主嘘

の立場に囚はじ過ぎたものであるさなされてゐるのであるo経済理論が墜に替利経済及び楼利

経済的なるものに立脚してゐるご見るこさは除︑りに編頗である︒古典経済撃を親子るじ経済生

活は何人も貨俗︑土地︑或は労力を以って自由に出入し得る市場の如き視があるが︑かく経済

生活を観察するこごは偏ってゐるのである︒か︿して従来の経済事は自然科事研究の様式に倣

って︑図民経済の治則に到達してゐるのであるが︑この法則を取扱ふ閥民経済理論は各程の問

題に直面するこ之を忘れて単純に概念上の解決論争ダ恋にしてゐるのである︒こ︑に於でプグト

ゥYは輩に個々の財じ謝する各個主憾の関係論争離れて︑その着服を現買なる経済生活の会陸

に轄

じて

︑ 彼の所謂経済的容長論

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03に到達してゐるのである︒

先づ彼は債依は個々の財が経済生活に謝する関係より導かれて来るものではなく︑叉債低の

測度は快さ不快の成長の大いき︑若しくは技術的費用によりて見出3

れる

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では

なく

︑甲

﹂れ

は庚︿経済生活の今一陸に基づいて定められるものさなしたのである︒然し彼は債値の内容ケ否

認するものではな︿︑唯︑此の債値が導き出される論理的立貼を批剣したのである︒郎ち︑自在

的目的物の外界に関する形而上亭乃至は理論上のの

20

20

一任内長より離れて︑現買を捕捉し経済

生活の金位にその槻容を投宇るこさが︑彼によりて方法論的に説明せられてゐるのである

o交換

はこれに会加する人の集図の会陸的関係争﹄喚起するこごなくして行はれるものではない︒故に

この経済に闘し全般に謝する観察より而かも会館に謝する関係の考慮より︑果して交換を行ふ

ぺきか︑又如何なる分量に於いて交換を行ふぺきかの決定が導かれるものであるo此の貼は主観

債値理論が個人よ︑り出後して︑個々の財の利用の諸関係ケ捕捉し︑又古典債値理論が個々の財に

投性られる労働の費出を捕捉して︑共に債依の説明の理論的基礎争得んざする肝却さ比唆すれば︑

その立脚駄に著しき相異の存するこさを認め得るのである︒郎もゴ

yトゥYは︑経済者は財じ於

いて思慮するものではなく︑形勢に於いて忠索し︑彼が凡てのものを決定するは﹁会館に謝する関

係 ﹂

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によるものであるさなし︑経済者の決定は﹁集団内に於ける凡て

の現象の最生活促進的の相互作用﹂ロ

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三 一

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一 日

一一色︒によりて定るものであるごなしてゐる︒かくして一つの目的物の債値秤量は︑一の主陸の め

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より見れば︑車に経済者ごしての行須の附加的反映であって︑反制到にるの行結局は草に債低秤量

経済債位の決定に就いて

九三

九四

の反動ではないo交換並に債格を決定するものは︑常に経済の計歪である︒虎分し得る財を欲

望に組織的に配分するこさは少くさもこの欲望が交換過程に於いて充足せられるものである限

b

は︑その達成の相互作用が問題になるのであって個々の財の達成が問題さなるのではなレ︒

従って上記の配分︑印も財の欲望に資する関係は︑個々の目的物に濁して一定の関係に置くこ

さは出来ないのであるoこれ従来の債値理論に抗需‑するゴy

トゥ

Yの絹自の理論的立場であるo

経済行須の凡ての目的物

l

財ど名附くるも︑又その他の名穏を以ってする場合もあるが

l

︑︑

︑︑

る特殊の経済的容量を表示するものである︒凡てこれ等の目的物に謝しては︑ぞれが経済一般

におして有する関係によりて﹁認められたる大い

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を表示する特質的数量﹂丘去の

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のら訟のが附着してゐるものである︒かくしてゴグトゥYは﹁経済的容

萱は或る場合には特定物ごして

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グYの飯土

l

或る場合には都類の一例ごして

l

四歳の農

応 l

或る場合には数萱の車位ごして

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一明

の銭

る﹂ご述べてゐるo

∞ 一 品

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ゴy

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Yはこの経済的容量の概念念従来の経済償値理論者しく

一米

の布

l目的物に調し関連ぞ保つものであ

はその債格理論が変りたる因乱を惹起しないために︑債値若しくは債格さ名附けてゐない︒﹁人

は紛糾ぞ免れないであら

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︑ぞれ故にこの新誌がある﹂何︻

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7.

然しながら彼に於いては従来

の如く等しく債値に相官すぺきもの印も︑上記の経済的容量の志義が債格のそれより明確じ匹

立の存在を保持してゐるこさが認容せられてゐるのである︒ 別せられてゐるのである︒郎ち経済的容量︑印も目的物の特質的数量以外に債格なるものが猫

一の過程︿

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的己

記が

存在

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の過程自陸が大いさを保つ定量に於いて現はれるものであるから︑ぞれは異なる椀類の確定せ

る及川長のその時々の迩鎖に導かれるこさが︑経済の領域に於いては多種の様式に於いて起る︒

この時によりて異なる分量の連鎖より︑又時によって異なる﹁組合せ﹂吋

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口問が現はれるもの

である︒債格はこの交換に於げる組合せ分量の時々の滋化︑印もその割合に蹄着するものであ

る︒この意味に於いて.yトゥY

に従へば︑所謂経済的容量は債格の基礎合なすものであ

b

︑.

これや﹂従来さ異なる怠味に於いて債値なる名都営附するも敢へて不可なき誇であるo唯︑彼は

従来の債値理論を批剣し.これを認容せざる意味に於いて債値なる名和を斥けてゐるに止まる

のである︒反之︑債格の場合に於いては上述の如く時々一波化する組令せ分量の関係に就いて︑

如何に此の関係が現買に行はれる交換過程号のものさ並立して行はれるかャ窺はれるのである

o

かくしてゴyトゥYは債格の本性合︑例へば主税偵値亭設の債格論の如きに比しよb現買に接近

せしめんご努めてゐるのである︒尤も日常生活︑若しくは経済理論が日常の債格︑その騰落︑或

は仮格の一般現象じ闘し述ぺる場合に於いて︑経済的容量︑印ら債値の概念がその校祇をなす

こさを‑認める結に於いては︑ゴyトゥY

も亦従来の亭設ごその授を同じうするものである︒然ら

経一両偵値の決定に就いて

九六

ば経済的容量の概念は彼により如何に債格より区別せられてゐるか︒

債格は過去に於いて寅現せられたものである︒経済的容量は一の持続絞態宣不すものであ

LJ一目的物の特質的数量

ε

して認められる何ものかである︒経︑法的容量は債格に蹄着し︑そ

の後に於ける交換過程におして決定的のものである︒然るに債格は個人的のものであり︑そは

事震に依存しこの事買は必然的に債格決定を↓内在する交換を決心せる人に依存してゐるもので

ある︒この意味に於いてゴ

yトゥYは・債格は個人的のものであるごの遊説に反する推論を敢へ

でしたのである︒経済的容量は個人を股却せる或る非個人的のものであって﹁過去の存在﹂ロ

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口 ︒

に依存するものではな︿︑﹁遮用﹂ロ包の岳

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に依存するものである︒印も︑経済

的容量は債格に関する枝挨ある珠測であり︑債格の珠望であ

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︑市場債格

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よし此の債格は所

謂一

公正

債格

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には関係なくして単に交換取引より生子るものごしても

l

に諒する

一の要求を包容してゐるものである︒かくして経済的宗畳は︑ゴyトゥY

に従へば︑凡ての秤

畳の準縄をなし︑経済に於ける凡ての計量の要目を形づくるものである︒而して経済的容量は

目的物に謝する債格の侍統であり︑債格の常時的地位ぞなすものであるoかくしてそは過去の

債格の支持者ざして存在し︑将来の債格に濁しでも一定の支持カを後揮するものであるo

債格

の過去よ

b

債格の賂来を連結する橋渡しは又これである︒経済的容量はその後現を市場に求

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