得
レ
成
二
上 中 下 之 諸 願
→
况 今
、
於
一
; 百 萬 温 之 諸 行
一
加
一 邁
現 未 來
」
之 萬
ヲ
レ
タ
チ
あ
ノ
ニ
レ
カ リ ン
リ ス ノ
の ニ
テ
ハ
か リ
ニ ニ
善
哨
佛 法 霾 驗 末
レ
堕
レ
地
、
弟 子 善 願 豈 共 室 哉
、
珊 非
齢 一
弟 子 之 大 事
司
襲 又 諸 佛 之 弘 願
、
能 滿 諸 願 之 悲 願
、
更 非
二
他
ル ゐ
メ
ム
ル
リ ス ル
う
ト ワ ン く ノ
ニ
レ ノ ソ ン
コ
ト ジ
ハ
ンゐ
人 之 奉
【
勤
、
感 應 靈 驗 之 誓 約
、
偏 起
二
大 聖 之 深
鴇
心滿
二
多 劫 之 誓 願
→
非
二
此 時
一
何
日
哉
.
救
二 一
子 之 憂 惱
「
非
二
今
一
度ノ
レソ
ハ
メ フ
ノ
者 何 期 乎
、
仰 願 眞 言 教 主 大
日
如 來
、
金 剛 薩 錘
、
伏 乞
太
奪
黒 會
、
能 滿 諸 願 虚 筌 蔵
尊、
十 方
「
切 三 竇
、
秘 密 傳 燈
八
大
シ
ヲ
ク
メ ノ
ヲ
ニ
メ
ハ
岨 師
、
大 師
.
明 帥
、
金 剛
天
等
、
・
三 界
、
八 部
.
四
海 諸 祕
、
各
々
還
昌
念
亠
く
誓 噸
→
同 發
二
起 隨 喜 慈 悲
魂
同 心 加 護 不
レ
失
「 噌
佛
ノ
ヲ
メ タ
て ヘ
ワ あ
ニ
シ
ヲ
ク
シ ノ
ヲ
シ
ヲ
ニ
シ
ノ
ヲ
ニ
ニ
法 靈 驗
朔
令
下
弟 子 等 速 成
二
就 此
悉
地
覗
早 果
「 噌
途 彼 諸 願
→ 一
咸二
切 種 智 於 當 座
→
顯
二
薩 般 若 慧 於 即 身
輔
成 佛 得 道 速 疾
シ
レ ラ
ノ
ニ
チ
ス
圓 滿
、
弘 法 利 生 自 在 無 礙
占
乃 至 法 界
、
平 等 利 釜
、
願 主 倫 鍋 鑁 助 成
椴
明 寂
、
異
ロ
同 心 敬 白 保 安 三 年
七
月
二 十 日 願 主 僞
覺
鑁
敬 白 助 成 揖
明
寂
敬 白 助 成 借
永
尋
敬 白
梵 綾 上 人 の 遘 跡
一
五 七
智 山 學 鰛
一
五 八 即 ち 此 第 九 筒 度 の 求 聞 持 修 法 は
、
右 表 白 中 に
「
多 刧 の
誓 願 を
滿 ん す る こ と 此 時
に
非
ル
ば 何 れ の 日 そ や
、
一
子
の
憂 惱
を 救 ん こ と 今 度
に 非 ん ば 何 れ の
期
」
ぞ と.
最 後
の
決 意 を 示 さ れ た
る が 如
く
、
如 法 に 滞 身
の 心 血
を 注 い で 之 を 奉 修 し
、
漸 く に
し て
悉 地 成 就 の
効 を 途 け ら れ た の で あ る
。
『
大 傅 法 院 本 願
上
人 御 傅
』
に
、
先 師 倹
正 の 求 聞 持
の 大 事 秘 決
、
殘る
所 無 く 授
け 申
さ れ け れ ば
、
即 ち 根 來 寺
に 立 歸 て
、
百 日 籠 居 し て 求 聞 持
の
法 を 修
せ ら る
。
倫 都 相 承 の 祕 決
の
印 明 結 誦
し
給
ふ と こ ろ に
、
立 と こ ろ
に
乳 涌 き 出
て
、
五 百
の
佛 頭 地 よ り 涌 き 胤
し 給
へ
り
.
之れ に
依
て 此 の
砌 を 求 聞 持
の
峯
と も 云 ふ
。
又 五 百 頭 之 峰 と も 稱 す
。
其
の 在 所 今
に こ れ 有
の
。
昔 聖 徳 太 子 橘 寺 に 於 て
、
勝
鬘 經 講 讃
ω
時
、
無 量 佛 形 地 よ
り
流
れ
出 し
給
ふ の
故
に
、
共 所 を 佛 頂 山 と 云 ふ
。
故 に 太 子 自
ら 額
を 立 て
給
へ
り
。
今 此 山 も 亦 此
に
同 き か
。
と
、
此 悉 地 成 就 の
靈 黷
は
根 來 寺 五 百 頭
ケ
峯
な り と 傳
馬
ら る
も
、
又
高 野 傳 法 院
(
今
の 金 剛 峯
寺
)
裏 山 を も 五 百 ケ
峯
と 稱 し て 此 靈 蹟 な り と 傅
へ
ら る
。
○ 正
覺
院 正
覺院
(
西 院 谷
)
は 永 保 三 年 壇
一
律 師
(
和 泉 國 日
根 野 莊 西 野 の 人
)
の
開 創 す
る と こ ろ に し て
.
初 め は 明 王 院
と
呼 ば れ た る も
、
後覺 鑁上 人 此 寺
に 居 住 し て 求 聞 持 を 修
し た ま ふ て よ
り
、
上 入 の 房 號 正 覺 を 以 て
直 ち に 寺 號
に
改 め ら れ た も の と 傳
へ
ら る
。
『
紀 伊 績 風 土 記
』
に
或 祕 記
の
交 を 引
て
、
祕 記 に 日
、
上 人 求 聞 持 七 度
に
及 ひ て
、
未 だ 悉
地
を 得 さ り し か
ば
、
或 夜 本 奪 告 けて 目
、
汝 進 修 度 あ れ ど も 彼 大 冨 を
究
享
、
明 日 名 師 あ ら ん
、
時奐
は
轟 馨
得べ
し と
、
夢 覺 め て夫 冀
の 思 ひ を な し、
昔 壅
に
騙 聽 饕
融 騙 離 騰 翫 警 耀 設 騎 驪
斟
謹 壊
入 る に 見 馴 ざ る
溶
あ り
、
是 を 問
ふ に
醍 醐 山
の
法 匠 賢 覺 阿 闘
梨
な り
,
上 人 感 喜 に
耐
へ
す
、
帥 請
じ て 大 事 秘 印 明 を 授 か り
、
第
八
度 の 聞 持
に 悉 地 を 得 た り
,
依 り て 此 大 事 を 二 四
度
の
大 事 と い ふ 云
々
其 時
の
閼 伽 井 あ り
、
覺 鑁 水 と 云 ふ
,
上 人 聞 持 止 觀
の
時 蛙 聲 頻 に
喧
し か け け れ ば
、
觀 念
の
障
な り と 呪 禁
せ し に
亀
今 に 境 地 池 中 群 蛙 森 夏
と い へ
ど も
、
聲 を 發
す る こ
と
な し と
、
此 読
本
設
に
相 違 す る と こ ろ な き に
非 ざ る も
.
永 く 同 寺 に
傳
ひ 來 れ る 傳 読 で あ る
。
更
に
『
同 記
』
に よ
れ ば
.
同
院
内
道 場
の
本 尊 不
動 明 王 は 和 州 信 貴 山 に 於 て
、
上 人 感 の 得 し
# ま
へ
る 奪 像 な り と 云
ひ
、
又 什 賓
と し て 珍 襲 し 來 れ る
如 意 寳 玉
一
顆 あ り
、
同 し く
信 貴 毘 沙 門 天 王 よ り 上 人
に
賜 は る も の
な り
と
傳
へ
ら る
。
當 院
は 明 治 三 年 類 燒 の 後 く 西 院 谷
よ
り 于 手
院 谷 に 移
つ る
。
O
明 星 院 明 星 院
(
于 手 院 谷
)
は 覺 鑁 上 人 の
開 創
し た
ま ふ
と こ ろ に し て
、
同 じ く 上 人 の 求 聞 持 修 行
の
遺 跡
と し て 知 ら
る の で あ る
。
帥 ち 境 内
に は 上 人 自 ら 穿 て る
閼 伽 井 あ り
、
上 人 求 聞 持 精 修 の 時
.
明 星 こ の
井 に 來 現 し た
ま ふ
に よ り
、
院 號
を か く 名 つ く と 傅
へ
ら るo
『
通 念 集
』 に
、
當 院
は
覺 鑁 上 人 の
開 基 な
り
、
上 人 あ
る
時
、
此 地 に 自 ら 閼 伽 井 を 穿 ち 玉
ひ
.
虚 空 藏 菩 薩
を
自 晝 し
、
求 聞 持 を 修 し 玉 ひ し に
悉 地 を 得
、
寅
一
屮天
に
井 中 に 明 星 來 現 せ
り
、
そ れ よ り 此 地
の
靈 な る を 感 じ
、
後 世
に 傅
へ
知 ら し め ん と て
.
梵 媛 上 人 の
遺 跡
一
五 九
智 山 學 報
一
六
〇
賓 殿 を 作 り て 明 星 を あ が め
奉
ら る 故 に
、
院
の
號
と す
、
今
の
庭 中 の
閼 伽 是 な り
、
上 人 手
つ
か ら 不 動 尊
「
疆を 彫 刻 し 本 奪 と す
.
今 の 持 佛 堂 の 明 王 こ れ な
O
と
、
明 星 院
の
來 由 を 記 し て お る の で あ る
。
又
『
紀 伊 續 風 土 記
』
に
.
「
根 嶺
の
開 組 修 觀
の
名 室
な れ ば
,
彼 門 徒
の
末 資
.
時 な
ら 争 登 陟
し て
、
本 尊 を 謂 禮 し
、
閼 伽 井 を 拜 す
」
な ど 記 す る と こ ろ に よ れ ば
,
上 人 遺 跡 を 慕
ふ て
參 詣 す る
門 徒 も 亦
尠 く な か つ た の で
あ る
。
更
に
『
同 記
一
に よ れ ば
、
本 堂 本 奪 虚 室 藏 菩 薩
、
内 道 場 本 尊 阿 遮 羅 明 王 は 共
に 上 人 の
御 作
で
あ り 叉
同 院 所 藏
の 金 泥 兩 界 種 字 曼
荼 羅 も 同 じ く 上 人
の
御 筆 と し て
、
永 く 同 院
に 傅
へ
來 た れ る も の で あ る
。
○ 龍 城 院 往 生
院
(
往
生 院 谷
) 隅
は 同 じ く 覺 鑁 上 人
の
開 基
に し
て
、
大 治 の 頃 幾 内 諸 國 の 大 早 の
時
.
上
人
こ の 地 を 相 し て
、
孔 雀 経 の
大 法 を 行
は る と 傳
へ
ら る 靈 跡 で あ る
向
即 ち 上
人 こ の
大 法 を 行 は ん と し て 淨
氷
を
覓
む る
一
に滴
の 水 だ に な し
.
此 時 上 人
さ ら ぱ 先 づ 大 法 の 前 相 を 試
さ ん や と て
、
水 天 供 法 を 修 し て
地 を 穿
つ に
、
忽 ち に し て
淨 水 地 上 に
湧 出 し て
群 瑞
を 示 す
、
乃 ち 大 法 を 修 し
# ま ふ に
、
大 に 雨
ふ る こ と 三 日
、
依
つ て 龍 王
序
勸 請 し τ 境 内
の
鎭 守 と な
し
、
其
の
井 を 龍 池 と 名 づ け
、
又 寺 を 建 立 し て
龍 城
院
と 號
せ
ら る に
至
つ
た の で あ
る
。
上 人 根 來 寺 隱 棲 後 は
、
弟 子 淨 法 房 勲 海
上
人
、
肥
後
阿 闍 梨 尋 海
、
賢 譽 等 逹
々
相 稷 ぐ と 云 ふ
。
天 保 の 頃 ま で は
、
覽 鑁 上 人 新 雨
の
時 地 中 よ り 堀 り 禺 し た
る 二 顆
の
龍 石 を 寺 賓 と し て 相 傳
へ
、
水 天 供 奉 修
の
時 に 之 を 壇 上 に
安 直 す れ ば
、
必 ら す 寄 瑞 あ り と て
、
珍 襲 し 來
れ る 靈 石 で あ る
。
籠 城 院
は
明 治 初 年 正 塔 院 と 合 併 し て
、
往 生 院 谷
よ り 五 ノ
室 谷
に
移
つ
る
。
往 年 再 三 の
類 燒 に 罹 り て 舊 記 什 竇 を 燒 失 し た る は
、
誠
に
惜 し む
べ
き こ と で
あ る
。
今 同 院
17
傅は る
覺 鑁
上 人 筆 の
弘 法 大 師 像 は
、
火 中 禺 現 の
弘 法 大
師
と し て
名 高 き
も の で あ る
。
同 繪 像 は 肥 後 熊 本 市 呉 服 町 三 丁 目 龍 城 庵
(
龍 城 院 出 張 所
)
の
本 魚 佛
な る が
、
寛 政 七 年 九 月 廿 八 日 の
夜
.
同 庵 燒 失 し
、
翌 廿 九 日
嶢
跡 友 除 き
の
際
。
御 繪 像
は 聊
か の 破 損 も な
く
、
僅 か に 右 眼 少 し く 變 色 し た
る の み に す ぎ 参
、
此 事 遑 近
に
傳
へ
ら れ て
、
爾 來 火 中 出 現 の 大 師
と
稱
せ ら る に
至
つ
た も の で あ る
。
一
〇
、
阿 彌 陀 院
、
鑁池
院
、
玄 弉 院
、
高室 院○ 阿 彌 陀 院
阿 彌 陀 院
(
西 小 田 原
)
は
覺 鑁
上
人
.
時
々
別 行 修 禪
の
舊 跡 と し て 傅 ひ ら る 道 場 で あ
る
。
即 ち 大 治 年
中
、
上 人 信 貴
山
參 籠
の 時
、
出 現 し た ま ふ
.
毘 沙 門 天 の
奪 容 を 刻 み τ
、
三 七 箇 日
の
祕 法 を 修 せ ら れ た る が
、
此 祕 法 を 修
し た ま ふ 時
、
彌 陀 如 來 池 中 に
來 迎 し 給 び る を 以 て
も
其
の 池 を 來 迎 池 と 呼 び 寺 を 阿 彌 陀 院
と 號 す
る に 至 つ 弛
と 相 傅
へ
ら る
。
又
.
本 堂 本 奪 阿 彌 陀 如 來 は 安 阿 彌
の
作
、
脇 士 毘 沙 門 天 並 び に
謹摩
堂 本 尊 不 動 明 王 は
共 に 覺 鑁
上 人 作
と
相 傳
へ
ら れ た る も
、
今
は
來 迎 池
の
名 殘 り に
よ り て
、
僅 か に 其
の
院 跡 を 偲
ぶ の み で あ
る
。
0
鑁
池
院 鋏 池 院
(
往 生 院 谷
)
は 又 古 來
上 人
の
舊 跡 と し て 知 ら る
。
即 ち 本 奪 不 動 明 王 は 上 入
の
御 作 に し て
、
上 人 の
加 持 水 鑁 宇
ノ
池 あ
り
。
こ の 池 の
名
に 因 ん で 寺 號 を 鑁 池 院
と
名 つ
く と 云 ふ
。
天 保 の 頃 に は 未 だ 其 池 堂 下 に
存 し た
り と 云 ふ も
.
今
は
之 を 牝 づ ぬ る 由 も な
い の で あ る
。
0
玄 弉
院 覺
鍛 上 人 の 逾 跡
一
六
冖
智 山 學 報
「
六
二
玄 弉 院
(
蓮 華 谷
)
は
.
大 治
の 頃 覺 鑁 上 人 修 觀
の
區 と し て
知 ら る
。
本 奪 不 動 明 王
は 上 人 の
作
.
又 上 人 の
開 鑿 し た ま あ 闘
伽
井 も 永 く 存 し て お
つ
た の で あ
る
。
○ 高 室
院
高 室 院
(
小 田 原9 に は 上 人 の 加 持 水 と 云 ふ
井 あ り
、
『
紀 伊 績 風 土 記
』
に
「
境 内 の
乾 方 に 祕 水 あ
O、
山 徒 こ れ を
覺 钁
水 と 稱 す
、
蓋 し 奪 者
の
加 持 し 玉 ふ
者 な れ ば な り
、
嚴 寒 に も 凍
る こ と な く
、
炎 早
に も 渇
る こ と な し
、
實
に
稀 有
の
婁 水 な り
」
と
も
又 同
院
に は も と の
密 嚴 院 本 奪 不 動 明 王 を ま つ
る と も 傳
へ
ら る
。
剛
、
上 人 の 退 山
に
絡 む 諸 遺 跡 傳 法
院
日 は 々 に
隆 盛 に
趣 き
,
逑
に
其
の
威
勢 遙
か に
、
金 剛 峰 寺 徒
の 上 に 出 づ
。
乃 ち 金
剛 峰 寺
の
衆
.
徒 等
は
こ れ を 嫉
み て
.
夙 に
傅 法 院
征
服
の
意 を 抱 く
。
偶
々
保 延 六 年
+ 二 月 七 日
,
寺 院
(
金 剛
峯 寺 と 偉 法 院
)
の
間
に
、
相 賀 莊
の 境 界 論 爆
發
し て
急 を 告
ぐ る や
、
金 剛 峰 寺 衆 徒 等
は こ の 好 機 逸 す
べ
か ら す
と て
、
金 剛 峰 寺 衆 徒
、
坊 人
(
行 人
)
諸 庄 の 兵 士 等 合 同 大 擧 し て
、
相 賀 の 境 界 を 侵 掠
し 更
に
勢
に
乘 じ て
翌
八 日 拂 曉
、
傅 法
、
密 嚴 の 兩 院
を
襲 撃
し
、
傅 法
院 方 櫓 坊 八 十 畭 有 を 破 却 す る の
、
悲 慘 事 を 演 出 せ し む
る こ と
、
な
つ
た の で あ る
。
此 時 上 人 は 密 嚴 院 の 禪 室
に
在 り
、
暴 徒
の
襲 來 を 聞
か せ た ま ふ て
、
靜
か に 座 を 起 ち
「
高 匝 入 定 の 簽 洞 を 血 に 汚
す
勿 か れ
」
と 學
徒
を 相
戒
し め
、
暴 徒
の
無 謀
を
愍
み
て
、
傳 法 院 方 七 百
有 餘
の
清 衆 と 共
に
.
高 野 山 を 去
つ て 根 來 の 地 に 向 は せ た ま ふ た の で あ る
。