トップPDF 日本語「ノンネイティブ」教師の専門性とアイデンティティに関する一考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

日本語「ノンネイティブ」教師の専門性とアイデンティティに関する一考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

日本語「ノンネイティブ」教師の専門性とアイデンティティに関する一考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ーダレス化する社会状況において、英語が国際として認識されるようになった結果、英語話 者多様に注目した研究が増えた経緯があり、「ネイティブ・スピーカーは誰か」という定 義づけ問題が顕著化したためである(嶋津,2015)。  この「ネイティブ・スピーカー」「ノンネイティブ・スピーカー」という二項対立概念だ が、対象言語ノンネイティブを多く抱える現在多文化共生社会においてはすでに意味をな していないことが、英語教育分野では議論されている。例えば、Kramsch(1997)や Davies (2003)は、「母語話者」というものが理念上規範にすぎないことを指摘し、「ネイティブ・ スピーカー」ノンネイティブ・スピーカー」という二項対立関係そのものが、ある種権 威をネイティブ・スピーカーに与えている捉えている。外国教育では、学習者到達目標 としてその言語理想的な話者モデルを必要するため、その言語に関する正しい知識を持ち、 その言語を正しく使用するされているネイティブ・スピーカー存在が重要な意味を持つわ けである。しかし、その言語に関する「標準」をネイティブ・スピーカー言語使用に求めた 場合、ノンネイティブ・スピーカーである学習者言語行動は「逸脱」見なされることにな る(Firth & Wagner, 1997)。
さらに見せる

14 さらに読み込む

アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

念につきまとわれた。ついにその疑念があまりにも大きくのしかかってきたので、私は小型 馬車を雇い再びアルバーノに戻った。午後遅く宿に到着したが、スクロープたちに宿で会える かどうか分からなかった。実際、彼らは散歩に出かけていて、宿主人も彼ら行先を知らな かった。彼らが帰って来るまでその小さな汚い町をぶらぶらする以外にすることがなかった。 アルバーノ湖ほとりカプチン派修道院を覚えておられるだろうか?私はそこまで歩いて 行った。教会入り口がまだ開いていたので、私は中に入って行った。夕暮れが教会隅に忍 び寄っていたが、何か信仰上儀礼か、多くろうそく灯りで祭壇は明々照らされていた。 薄暗い中で、ろうそく灯りは絵ようにきらきら輝いていた。あちらこちらでひざまづい た人影がぼんやり自ら存在を示していた。それは組み合わされた明暗が織りなすちょっと した作品だった。私は座ってそれを楽しんでいた。しばらくして、私近くに座っている若い 女性が熱心に祈っている姿に気がついた。手は膝上に組んで置かれていた。顔は上を向き、 奇妙に開いた目は光輝く祭壇を見つめていた。ご存知とおり、私たちは家庭暖炉輝き 中で様々なことを想像するものだ。この若い女性はろうそく中で恍惚するような啓示 を読み取っているように見えた。彼女表情がとても特異で、それが彼女正体を偽装してい たので、自分がアディナ・ワディントンを見ているだという認識は突然衝撃とともにやっ て来た。私は彼女同行者を探したが、彼女はようだった。彼女をこっそり観察する権 利は私にはないように思えたが、彼女に声をかける気にも黙って立ち去る気にもなれなかった。 夕闇がせまっていた。彼女に連れがいないはどういうことなだろう?彼女は残り人たち を待っている私は結論づけた。多分スクロープは、ご婦人たちには許されない特権、つ まり、修道院テラスから夕日を見るために中に入って行き、ワディントン夫人はスケッ チためメモをとるために教会外をぶらぶらしているだろう。私は向きを変え教会側 壁に沿って反対側にいるその若い女性に近づいた。今度は私が近づいてくることに彼女が気づ いた。祭壇から目を離して私方を向き、しばらく私顔を見つめていたが、どうやら私だ 気がつかなかったようである。しかし、ついに彼女がゆっくり立ち上がったとき、彼女が私 に気づいたことが分かった。彼女はカトリック教徒になり異端者である友人たち袂を分かつ 準備をしているだろうか?
さらに見せる

37 さらに読み込む

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 言語間習熟度に濃淡はあれ、3 言語習得はルクセンブルク人アイデンティティー礎 であり、どの言語を欠かすわけにもいかない。ルクセンブルク人が最も得意な言語はルクセン ブルクであるが、ルクセンブルクを政治・経済・学問領域で本格的に使用するには綿密 なコーパス政策を展開せねばならず、そればかりかフランス語ドイツを主要言語するメ リットが失われることにもなるので損失は大きい。したがって、フランス語ドイツ役割 を減じるような言語政策は国益に反するだろう。言語レベルだけを考えるならば、ほとんど母 として習得が可能なドイツを主要な公用するがルクセンブルク人にとって最も現 実的な選択肢なろう。だが、ドイツに国土を占領された経験を持つルクセンブルク人にとっ て、ドイツ同じ言語を国語することには抵抗感がある。最近では、特に若年層でドイツ態度が好転しており、居心地がいい外国位にドイツが入っている点は特筆すべきであ る。また、最も得意な言語 2 位にドイツが位置していることを考えるならば、ドイツ 使用域拡大環境が整っていることを示唆している。しかし、憲法が規定するフランス語司 法上優位、主たる学術言語をフランス語が担う言語教育政策を守り続ける以上、フラン スを上位言語する 3 言語主義は変わらないだろう。特に、EU ではフランス語が英語並 ぶ「作業言語」(working language)として使われているため、EU 主要機関が立地するルク センブルクにとってフランス語を主要言語するメリットは計り知れないものがある。ただし、 ドイツにもフランスにも依存しない独立国であることを示すには、ドイツフランス語バ ランスを取ることが重要になる。ドイツフランス語というヨーロッパ 2 大言語を公的に 使用することで、幅広い通用を持つインフラを提供しながら国際的な求心力を得るが小国 ルクセンブルク生き方であるからだ。
さらに見せる

14 さらに読み込む

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 バッファローに行く前から私は「物書き」をしていました。ある夏日、オワトナから帰っ て牧場家にいた時、ウィルおじさんが私儲けを数えていました。彼は私が 10 点ノートに書 き取ったら、1 ドルくれる言いました。何を書いたかは覚えていませんが、大きな誇り責 任を感じたを覚えています。母は子どもが書いたものに対して、子どもだからいって甘や かして、誇張した値段をつけるはよくない思ったかもしれません。しかし、その頃私が感 じていたマージェリー器用さうまくバランスをとるためには仕方ない思ったかもしれ ません。バッファローでマージェリーが土曜日に美術学校に行き始める、私は家で文を書い て母に見てもらいました。4 月吹雪について書いたを今でも覚えています。それはこんな ふうに始まります。 「春日差し日々を通して、お日さまは地球交わり、毎日とてもとても 素敵でした。」それは詩ような拍子であったことがとても気になりました。でも他にどのよう に表現したらいいか分かりませんでした。この頃までに、私はかなり本を読んでいました。 ディケンズ、特にデイビッド・コパーフィールド、そしてスコット、特に「アイヴァンフォー」。 でもそこから学ぶことは特にありませんでした。この時期までに読んだ本で聖書に優る本はあ りませんでした。ルツ(旧約聖書書)話はラモーナより良く、ジョブ詩はロングフェ ローより良い思いました。今でも最初聖書を持っており、それは注意深く赤線が引 いてあり、一所懸命に書いた文章ページがはさまれています。バッファローに移った時から マージェリー私は教会に行く、週に 5 セントもらい、日曜学校で聖書 3 節を 1 日におぼ え、日曜日には 6 節おぼえる 1 ペニーもらえました。私は何十も章を暗記しました。 「エバ ンジェリン」「ヒアワサ」詩は高尚なものだ聞いていましたが、私はあまり好きではあ りませんでした。
さらに見せる

28 さらに読み込む

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 表向き反感を示した最初振る舞いあと、ヘンリエッタ・コングリーブは、友人かつ姉常連客としてとても喜んでオズボーンを迎えるようになった。彼は、自分が次ように考 えても馬鹿げていることにはならない考えた。つまり、読者がどう考えよう、自分行動 全体が浮かれた愚か者それだオズボーンが考えていないは言うまでもないこと、そして、 彼女を取り巻くほとんど若い男性よりもヘンリエッタは彼に好意を持っている考えること である。オズボーンは自分持って生まれた資質を正しく評価していたし、感情的なことに厳 しく制限しなくても、より洗練された社会的な目的ために、ひとかどの人物になる素質も備 わっていることが分かっていた。彼はささいな事には関心がなかった。しかし、ウィルクス夫 人客間ではささいな事はほんのわずかな役割を果たすに過ぎなかった。ウィルクス夫人は単 純な女性だったが、愚かなわけでも軽薄なわけでもなかった。そして、コングリーブ嬢はさら に優れた理由でこれら欠点から影響を免れていた。グラハムがかつて多少苦々しさを込 めて次ように言うを聞いたことを思い出した。 「女性は本当は自分に何か言ってくれる男性 だけが好きなんだ。女性はいつも何かニュースに飢えているんだ」オズボーンは、コングリ ーブ嬢が通常あつめられる以上ニュースを自分がもたらすことができることを考えて満足し た。彼は素晴らしい記憶力を持っていたし観察力も鋭かった。その点についてはコングリーブ 嬢も同じだったが、社会についてオズボーン経験はもちろん彼女それよりも十倍広が りを持っていたし、彼は常に彼女不完全な推論を補足し、間違った憶測を正すことができた。 彼女憶測は素晴らしく如才がないように思えることもあったし、無邪気で愉快なこともあっ た。しかし彼は、まったく新しい事柄が持つ魅力について事実を彼女に提供できる立場に自 分がいることにしばしば気づいていた。彼は旅行をし、男女を問わずさまざまな人物に会って きたし、もちろん、通常女性が読むべきではない考えられている多く本を読んでいた。彼 には自分強みがよく分かっていた。しかし、彼知的な資質を披露することによってコング リーブ嬢が大変楽しんだとしても、一方で、彼女関心が彼知性に非常にさわやかな影響を もたらしているようにも思えた。
さらに見せる

36 さらに読み込む

想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 帯文案は縦書きで、「空前絶後 宗教史家ミルチャ・エリアーデ 中心思想方法論を  余すところなく捉えた、新進気鋭 28 歳 スペイン人哲学研究者 マルセリーノ・アヒース・  ビリャベルデ恐るべき才能をつぶさに伝える 学会デビュー作、本邦初登場」というもので あった。じつは、これがわたしいちばんお気に入り「訳者自装」本にほかならない。  この本については、エリアーデ『イメージシンボル』(せりか書房)を訳された和光大学 名誉教授、前田耕作氏が、読書新聞 〔2013 年(平成 25 年)7 月 19 日(金曜日)〕 に書評を寄せてく ださった。それによる、〈エリアーデ伝記をふくめた最初本格的な研究書邦訳は、デイ ヴィッド・ケイヴ『エリアーデ宗教学世界』(せりか書房・1996 年/原題:新しいヒュー マニズムへミルチャ・エリアーデ視線・1992 年)が初めてであった。ケイヴ著作も次 年に刊行されたダニエル・デュビュイッセンもまた「エリアーデ聖なるもの」(『20 世紀神 話学―デュメジル/レヴィ・ストロース/エリアーデ』・1993 年)を主題しながら、それら より先に刊行されていたアヒース=ビリャベルデ処女作でもある本書(1991 年・サンティア ゴ・デ・コンポステーラ大学出版局)にはまったくふれていない。本書邦訳が刊行されなけ れば、エリアーデ「中心思想方法論」淵源を歴史的に抽出し、その思考枠組みを緻密 かつ包括的に論じた本書を私たちがついに目にすることはなかったかもしれない〉。
さらに見せる

10 さらに読み込む

日本語教育における学習者コーパスの構築とICLEAJ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

日本語教育における学習者コーパスの構築とICLEAJ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

学習者日本語コーパス CIA 作文コーパス コーパスデザイン ICLEAJ 1 .はじめに 1 . 1  本研究背景  学習者コーパス研究が最も進んでいるは英語教育であるが、1990 年代初頭にはすでに研究 者や EFL 専門家、出版社が電子化学習者コーパス理論的、実践的な可能を認識し、プロジ ェクトを立ち上げた。学習者コーパスとしては、「ICLE」(International Corpus of Learner English、国際学習者英語コーパス、母語数 16、サイズ 200 万)、「LLC」(Longman Learners’ Corpus、ロングマン学習者コーパス、母語数 20、サイズ 1,000 万)、「HKUST (Hong Kong University of Science and Technology) Corpus of Learner English」香港科技大学学習者英語コ ーパス、入学試験定期試験英作文、サイズ 2,000 万)などがよく知られている。たとえ ば、「ICLE」は 1990 年に始まったプロジェクトで、2009 年に初版 CD ROM(ICLE V1)が、 2009 年に ICLE V2 が公開されたが、上級英語学習者(大学 3 ∼ 4 年生)から人 500 以上 論説文を集めて編纂された、200 万規模学習者英語コーパスである。筆者らが邦訳した Granger(1998) Learner English on Computer は、同コーパス構築や同コーパスに基づ
さらに見せる

9 さらに読み込む

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ベネディクトが生きた第二次世界大戦前後アメリカ社会は、黒人、ユダヤ人、女性に対す る偏見ばかりでなく、少数民族、敵国民、性的マイノリティーに対する偏見が充満している社 会だった。そのような偏見に対してベネディクトは感情に流されることなく、あくまでもアカ デミックな手法で、偏見は社会が作り出すもので、一つグループ人間が別グループ人 間に勝るは言えないことを淡々論じている。それは、ベネディクトネイティヴ・アメリ カン研究においても、日本研究においても、一貫して保っている姿勢である。そして、ベネ ディクトは自分考えを証明するため努力を惜しまなかった。戦争足音が刻々近づいて いる中、ボアズは懸命にユダヤ人へ差別無意味さを説き、ベネディクトは戦争を引き起こ す社会構造を分析した。彼ら努力もむなしく、アメリカが戦争に突入した時落胆は大き かったに違いない。戦争が終わりに近づく、ベネディクトはアメリカ政府を説得するために よりいっそう科学的な手法で日本人行動パターンを分析し、それを悪決めつけられない理 由を明確にした。当時アメリカ政府がベネディクトやボアズような研究者に耳を傾け、彼 ら意見を少なからず尊重したことは、歴史において幸いなことだ言える。
さらに見せる

3 さらに読み込む

人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

pologist t Work: 1965: 356 382)を翻訳したものである。  「連帯感」は日付ない原稿であるが、1942 年頃書かれたものであろう。「戦後人種差別」 は未発表原稿で、1947 年頃書かれたものである。最後「戦争自然史」は未出版原稿で あるが、1939 年にフランツ・ボアズ間で交わされた書簡からも明白であるように、1939 年 頃書かれた論文である。これら 4 篇論文は戦前、戦中、戦後アメリカを取り巻く状況が大 きく変化した時期に書かれたものである。このことから、戦争が及ぼしたベネディクト考え 方向や心情変化を読み解くことは興味深いことである。ベネディクトがこれら論文を執 筆してすでに半世紀以上経過した現在、人種差別に反対する意識は世界中で高まりを見せては いる。しかし、アメリカ合衆国のみならず、世界的にみても人種に対する偏見・差別はベネデ ィクトが執筆してした当時さしたる変化は見られず、それどころか差別・偏見は複雑化し、 民族問題もからみ、それらを解決する糸口はいまだ見出せずにいる。偏見・差別は過去問 題ではなく、いまも我々に突きつけられている大きな問題なである。ベネディクトが正面か ら向かい合って取り上げたこれら問題に対する科学的考察を今度振り返って読み直すこと は、連綿続いている偏見・差別もつ根深さを考えるめにも意味あること考える。  ヨーロッパ人にとって戦争は 1939 年 9 月 1 日、ドイツによるポーランド攻撃で始まった。ア メリカ人にとって事実上戦争が始まるは、その後 2 年ほど経過してからことであった。何 に対して戦う価値があるか、そしてまた死ぬ価値があるか、また何を変えるために戦う か考えざるを得なくなっていった。ユダヤ人、黒人、またアジア人に影響を及ぼすかどうかも 含み、ベネディクトはさまざまな人種差別に反対するため活動も増やしていった。それはま た戦争によって基礎を危うくされている学問自由という原則を守るため、人前で話しをする ことが苦手であってもベネディクトはラジオ放送を通して話したりもした。「アメリカにおける 人種偏見」もそうした活動一つであった。
さらに見せる

21 さらに読み込む

関西大学図書館所蔵ちりめん本の整理 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

関西大学図書館所蔵ちりめん本の整理 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ちりめん本は、縮緬布ように細かい皺を施した紙を用い、欧文に訳した日本昔話などに 浮世絵画家たち絵をもとにした多色刷り挿絵を添えて印刷した本で、明治半ば、長谷川 武次郎により刊行されたものが、その中心をなしている。なつかしい昔話という題材はもとよ り、そのしんなり手になじむ布ようなやわらかさ、そして一流絵師による美しい多色 挿絵が相まって、ちりめん本はいまも読者こころを捉えて離さない。もとは、日本国内 人びと、特にこどもたちが外国を学ぶため教科書として意図されたが、その美しさ異国 情緒により、日本にやってきた外国おみやげとして人気を得ることになったようである。  ちりめん本については、石澤小枝子氏が深く研究されており、その著書『ちりめん本すべ て 明治欧文挿絵本』を参考にさせていただき、本学図書館所蔵ちりめん本整理を試み た。石澤氏による、ちりめん本としてもっともよく知られている「日本昔噺」シリーズは 20 冊からなるが、No. 16 に重複があるので 21 冊なっており、また、同じタイトル平紙本も 出版されていた、ということである。さらに、“Enlarged English Edition”として Nos. 21∼25 出版が続き、そのうち、Nos. 23, 24, 25 は、ラフカディオ・ハーンが訳したもので、後に、こ れに二冊が加えられ、箱入りで売り出されることになった。この加えられた二冊うち冊は、 「日本昔噺」セカンド・シリーズ(第二弾)五冊うち冊であったようであるが、本学は
さらに見せる

24 さらに読み込む

フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 教材により学習する動詞時制形数は異なるが、すべて教材で複合過去形は最初に学習す る直説法過去時制なっている。週 1 回授業が想定される教科書では最終課で現れ(『話し てみようフランス語』:12 課、『カジュアルにフランス語』:14 課)、週 2 回(以上)授業が想 定される 3 つ教材では教科書後半(『場面で話すフランス語』:8 課[全 12 課]、Alphabetix: 14 課[全 15 課]、『ピエールユゴー』:12 課・13 課[全 18 課])で導入されている。これら 課において、複合過去形は「過去」という時間軸密接に結びついて提示されている。『話し てみようフランス語』『場面で話すフランス語 1』では過去時関連が課テーマ「過 去ことを言う」(『話してみようフランス語』)、「過去出来事」(『場面で話すフランス語 1』) として明確に打ち出されている。他 3 つ教材では「過去」という言葉が明示されることは ない。しかし、課学習内容が過去事柄関係していることは、課タイトル( Vous avez bien travaillé. よく働いてくれたわね『ピエールユゴー』12 課:p. 52)、課セクションサ ブタイトル( Qu’est-ce que vous avez fait hier ? 昨日何をしましたか?『カジュアルにフラン ス』14 課 Conversation:p. 67 )、練習問題指示(滞在中出来事、やったことを下写 真を参考に複合過去形で述べてください。Alphabetix : p. 103, activité 6 指示文)から容易に 見て取れる。
さらに見せる

25 さらに読み込む

教師の専門能力開発をめぐる研究 外国語教育研究(紀要)第1号〜第10号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

教師の専門能力開発をめぐる研究 外国語教育研究(紀要)第1号〜第10号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

がもつダイナミックさと多面性を考慮すると同時に、文化的に多様な現代オーストラリアなら びに地球上のあらゆる文化に暮らす人々を理解することの重要性を認識させるためである ( :以下QSCC 2001) 14) 。初等・中等外国語教育に必要な組 織の枠組みとカリキュラム作成のために「オーストラリアの言語レベルに関するガイドライン ( :以下ALLガイド[r]

13 さらに読み込む

大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

に訳すという作業を通じて、言語「深い処理」ができるようになり、これによって学生 基底言語能力が強化されるとともに、L2 習得が促進されるである。 5 .大学における通訳翻訳教育位置づけ  以上述べたとおり、筆者らは大学における通訳翻訳教育を広い意味で「言語教育」一環 としてとらえ、これを従来英語(またはその他外国)教育を補完するものとして位置付 けている。ただし、筆者ら考える通訳翻訳教育は、単なる語学学習から、これを契機した 「メタ言語能力」養成へという視点において、従来語学科目は大きく異なっている。極限 すれば、仮に(ネイティブスピーカーようにはなれなかったという意味で)英語習得に 失敗したとしても、その学習プロセスを通じて、学生将来にとってより重要かつ本質的なメ タ言語能力を獲得することができれば、外国教育として十分に成功だ考えている。学生が 将来どの分野に進むにせよ、「ことば」に対する鋭い感受、十分に鍛えあげられた「基底言 能力」を備えていることが、将来、その道プロとして成功するため確かな土台作りにな るからである。反対に、いくら外国で流暢に会話ができるようになったとしても、「ことばへ 意識」や「異文化へ意識」を含めた高度なメタ言語能力が伴っていないすれば、これは 成功は言えないだろう。残念ながら、現在英語教育はむしろ後者道を歩んでいるように 思われる。
さらに見せる

30 さらに読み込む

ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 「そうです!」彼は言った。「肉体魂が一緒でなければならないという恥ずべき必要さもしい譲歩なんです。ときどき、たとえ時間でも耐えられない感じるときがあります。 このような犠牲を払って真実について語るを聞いてもらうくらいなら、たとえ運命命ずる ところにしたがって溺れようとも、あの厚かましいペテン師別れた方がましだ感じるとき があります。黙って口を閉じ、あの男卑劣な詐欺行為に対して少なくとも私は何要求もし ない主張することで万事おさまっているですが、彼付き合っていること自体が制裁であ り、あのいまいましい見世物に参加していることが純粋な真実へ冒涜なです。ご覧とお り、私は不幸にも何かを信じてしまったです。知ってしまったです。そして知性に関して は、毒を含んだくずを口にするか、真科学という熟した甘い果実を口にするかが重要である 考えているです!私は毎晩目を閉じ、顎を固定し、歯を噛みしめているです。しかしあ くだらない戯言を聞かざるを得ないです。始めから終わりまで恥ずべき嘘塊です。 今ではもうすべて暗記してしまいました。立ち上がって私にもぺらぺら話すことができます。 それは日中私耳で鳴り響いています。長い布きれをかぶせたテーブル下に屈み込んでテ ーブルを叩いている恐ろしい夢を見るです。外に教授が立っていて聴衆に向かって『これは アルキメデス霊です』言うです。そして、私は息苦しくなってテーブルをひっくり返し 千人も前に詐欺師共犯者として登場するです。私無視された人類へメッセージ 価値があまりにも大きく、あまりにも計り知れないので、私がそれを口にすることを可能に する手段は正当だ信じることができる瞬間があります。黄金島に向かって航海するときは、 力を誇示する海賊がその船を大洋に引っぱっていってもかまわないです。そのような気分で、 目をつぶって聞かないようにしながら壁にもたれて陰に座っているときは、本当に聞こえない です!私心ははるか遠いところにあるです ― 空中に浮かび、発明翼に乗って高く舞 い上がっているです。しかし突然、忌まわしい現実が私に襲いかかるですが、ここに座っ ているが本当私 ― 山ような黄金よりも科学的真理が貴重だ考えている私 ― だという自分感覚が信じられなくなるです!」
さらに見せる

28 さらに読み込む

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Key words international collaboration, conflict resolution, facilitation skills 1 .ASEP 教育効果  毎年 12 月最終週、中華民国高雄市において、AJET (Advanced Joint English Tele commu- nication) WYMC (World Youth Meeting Committee)が主催し、高雄市政府、國立中山大学、 高雄高級中学、他後援により ASEP (Asian Student Exchange Program)が開催されている。 そこでは、アジア各国(台湾、日本、韓国、インドネシア、マレーシア)から中学・高校・大 学生が集い、ICT を活用した事前交流、2 カ国協同英語プレゼンテーション、対面交流を通じ た国際交流活動が行われている。(昨年度で 11 回目:[http://www.kageto.jp/asep/2010/]参照)  この ASEP による教育効果は、一言でいう「実践による学び奥深さ」である。このこ は、ネイティブ・アメリカンが遙か昔に気づいており、次ような諺として先祖代々語り継 がれている:
さらに見せる

7 さらに読み込む

ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

(1917) Paris, Paul Birault を刊行したが、これは『楕円形天窓』詩人ピエール・ルヴェル ディが主宰する前衛誌『北 ノールーシュド ‐南』で活動を通じて得た新しい方法論に則ったものであった。 クレアシオニスム(創造主義)名前を与えられたその詩学は、1916 年『水鏡』に始まるも ので、長詩『アルタソル』Altazor o El viaje en paracaídas(1931) Madrid, C.I.A.P. でひとつ 頂点を迎えることになる。「詩人は、詩なかにしか存在しえないものを創造しなくてはなら ない」というその主張は、『北極詩』にも詩的キュビスムというかたちで反映されている。  『北極詩』刊行経緯に話を戻す、1918 年マドリード訪問は詩人にとって二度目 機会であった。南アメリカ大陸からスペイン南部港町カディスに到着した後、パリに移動す る途中で立ち寄った最初折がヶ月にも満たなかったに対して、このたび滞在はもう少
さらに見せる

16 さらに読み込む

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Another is for there to be more ‘original’ or ‘creative’ writing. English continues to focus on enabling you to respond to the world around you. (Robert Eaglestone 133 )  私たち日本英文学専攻者にとって有意義だ思われる箇所を、本稿論旨である実践知性 として英文学研究視点からまず引用したが、実は著者ロバート・イーグルストンは第 1 部 第 1 章 ‘Where did English come from?’ 中で、英文学という学科目がどのような歴史的背景 もとでイギリスに設置されるに至ったかを詳述している。英文学本家であるイギリス事 情を知っておくことも大切であろうから、以下に、簡潔にまとめてみる:「元々英文学研究なる ものはイギリス大学では受け入れられず、特に古典学教授たちにとっては無用長物であ った。ところがこの英文学は 1835 年、一つ正式な学科目としてインドにおいて誕生した。当 時インドを統治していたイギリスは、英文学研究を通して現地インド人をイギリス化させよ う目論んだである。そしてやがてこれがイギリスに逆輸入されることになる。そうした逆 輸入者代表的人物が、詩人・思想家マシュー・アーノルド(Matthew Arnold)であり、 彼は当時イギリス人に文学的教養を身につけさせよう思ったである。具体的には、有益 で文明的な道徳的価値観修得が目標された。これに対して、英文学を研究してもほとんど 意味がない考える一派も存在し、彼らは、教養ではなく、むしろ言語研究として英文学を 志向した。こうしたせめぎあい中、1893 年オクスフォード大学に英文学学位コースが導入 されたが、英文学専攻は主としてフィロロジー研究を意味した。この流れが変わるは 1917 年 以降である。ケンブリッジ大学講師たちが中心なって、主としてフィロロジーから成り立 っている英語専攻コース抜本的改革を進め、やがて言語研究だけではない、今日私たちが 知っている豊潤な英文学基礎が作られたである」。
さらに見せる

22 さらに読み込む

日本人学習者の目指す明瞭性()の高い英語発音とは 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

日本人学習者の目指す明瞭性()の高い英語発音とは 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

2 .学習者英語発音に対する考え方  外国教育における発音指導分野には、二つ相対する考え方が存在する。ひとつ意見 は、目標言語母語話者に近い発音を習得することは可能だし、それを目標にすべきだという 考え方である。二つ目考え方は、「外国なまり」があっても構わないから、わかりやすく明 瞭な発音を目指すべきだというものである。Levis(2005)は前者を母語発音原則(nativeness principle)、後者を明瞭原則(intelligibility principle)呼んでいる。行動主義心理学に基盤 をおく audiolingualism が主流を占めた 1960 年代以前時代においては、ネイティブ発音を 目指すべきという、このような母語発音原則が優勢であった。しかし「完璧」なネイティブ発 音でなければならないする極端な主張は、それ以前発音教育歴史を遡っても多くは無か ったようである。たとえば Jones(1956)は「“よい発音”は誰にでも分かりやすい(intelli- gible )な発音で、“悪い発音”は、ほとんど人が理解しにくい発音」だいう。このよう に 1950 年代においても、発音「理解されやすさ」は重要視されていたことがうかがえる。  誤答分析(error analysis)研究分野では、学習者エラーを種類別に分類したり、中間言 特徴を分析したりすることが、その主な関心事だった (Schachter, 1974;Scott, 1974)。学 習者発音誤りを分析し、いかにすれば母語発音干渉から生じる発音誤りを防ぐことが できるかが研究焦点なっていた。この時代では、学習者発音上エラーを分析・分類し、 どのようにすればエラーを防いで、英語母語話者発音に近づくことができるかが研究中心 であった。コミュニケーションは話し手聞き手間で成立するが、この時代は、話し手であ る学習者側発音が主な分析対象になっていた。
さらに見せる

13 さらに読み込む

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 文化人類学者は自分社会よりもなるべく違う社会を研究しようするため、様々な集団 データを持っている。そして西洋文明影響範囲からはずれたところで発展したシンプルな社 会を特に研究する。文化人類学者はある集団が特定価値観に基づいて実現した方略を研究す ることができる。その価値観は自由という価値観なか、社会統一という価値観なか、権 力に屈するという価値観なかを研究することができる。文化人類学者にとって部族役割は、 科学者が細菌生死を研究する実験室役割同じなである。文化人類学者実験室は研究 者が自分で設定するではない。それは原住民が何世代にもわたって、何千年もかけて生き方 詳細にいたるまで設定したものである。しかしフィールド・ワーカーはその部族なかに存 在する私たち時事問題を、たとえそれが違った姿であったとしても認識することができる。  フィールド・ワーカーが研究している裸プリミティブ・ピープルはもちろん社会保障条 例について話すわけではない。しかし彼らは老人や飢えた人をどのように扱うべきかはっきり している。年寄りや飢えた人を守る部族もあれば、守らない部族もいる。そして文化人類学者 はそれがもたらす帰結を研究することができる。原住民は黄金率について語らないが、オース トラリア原住民からカラハリ砂漠原住民にいたるまで、黄金率が働いていることは見受け られる。たとえば、「他人に施しを与えなければ、誰が自分に施しを与えてくれるだろう」、「他 人を敬わなければ誰が自分を敬ってくれるだろう」といった教訓は、若者頭にたたきこまれ、 南洋島々人からティエラ・デ・フィエゴ冷たい霧にすむ人に至るまで、それを実践して いる。同時にこのような黄金率がまったくない原始社会があり、文化人類学者は黄金率が存在 する結果、しない結果を研究することができる。黄金率は人を支配するだろうか?プリミ ティブ・ピープルなかで黄金率に縛られた人間関係しか知らない人もいれば、相手を強いる 状況に立たされたことがないプリミティブ・ピープルもいる。
さらに見せる

16 さらに読み込む

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

量、すなわち、外国教育深く関連する母語・早期英語教育・ネイティヴスピーカー等問 題に寄せる気概厳粛な認識、そしてその志操には敬服せざるをえない。  月刊雑誌『新潮』〈2009 年 1 月号〉「特別対談:日本語危機ウェブ進化」において水 村美苗は、インターネット専門家である梅田望夫対談し、その場で日本語将来に対する 強い危機感を吐露している。「西洋ロゴスに地球が支配されないために、非西洋国語 して日本語を維持していく。それこそが人類的ミッションではないか」(水村美苗/梅田望夫  347)揚言する水村美苗は、対談者梅田望夫相手に深い焦慮に駆られつつ、「グローバリゼ ーションいうけれど、その一方にはグローバリゼーションに回収できないローカルいうか、 個別的なものがある。それは人間が地球さまざまな土地に住み、さまざまな母語を話してい る限り、必然的に存在するものですよね。だから、ローカルであることを意識しつつ、そのロ ーカルな環境で生きる運命をどう引き受けるかということを、日本語で書くことでもって人類 に向けて示していかなければならない。すべて人が人類に向って直接書くを目指す必要は ない。あえて言えば、人類という抽象的な対象に向けて書かれたこと、ローカルな人間に向 けて書かれたことがちがうを日本人が日本語で読み書きして示すことが、人類へ貢献にも なる思うんです。すべて人が英語という人類で書いてしまったら、世界はとても退屈な ものになってしまう。…………………グローバルなものに回収しきれない世界存在を訴え続 けることこそ、パブリックな行為だ思うんですよ」(水村美苗/梅田望夫 355)、持論を ぶつ。英語支配という問題に敢為精神で立ち向かう水村美苗肩肘張らない率直な意見を 傾聴するに如くはないだろう。新たな主体確立を希求して日本語世界に帰って行った吉 田健一水村美苗決断勇気は、筆者心に漣が立つ。
さらに見せる

19 さらに読み込む

Show all 10000 documents...

関連した話題