トップPDF 杉谷眞佐子教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

杉谷眞佐子教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

杉谷眞佐子教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

1971 年 3 月 九州大学 文学部 独語・独文学科 卒業 1971 年 4 月 九州大学 大学院文学研究科 独語・独文学専攻修士課程 入学  (在籍中 2 年間旧西ドイツ・オルデンブルク教育大学、ボン大学へ留学) 1974 年 3 月 九州大学 大学院 文学研究科独語・独文学専攻修士課程 修了 1974 年 4 月 広島大学文学部 助手

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福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「ルース・ベネディクトが遺したもの」(1996)新潟県長岡市特別文化講演会 「ルース・ベネディクト研究をめぐって」(1997)立命館大学言語文化研究所 「『菊と刀』著者ルース・ベネディクトからメッセージ」(1999)市整会研修会 テーマ『日本・日本人を探る IV』「『日本人行動パターン』を読む」(2003)中央市民大学教 養講座

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河合忠仁教授略歴及び主要研究業績 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

河合忠仁教授略歴及び主要研究業績 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国教育研究 第16号(2008年10月) 10 学術論文 A Study of the New Course of Study and the New Textbooks(英文) 単著 昭和56年 近畿大学視聴覚教室通信 第 2 号 The Lack of Self-Expression in Teaching English (英文)

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杉谷眞佐子教授のご退任に際し感謝をこめて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

杉谷眞佐子教授のご退任に際し感謝をこめて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 創造連鎖を創造することが大学人重要な目的であるならば、私たち同僚や教えを受けた 学生たちが創造的であることが、杉谷先生功績を輝かせることになるはずです。杉谷先生が 退任されても、共に歩ませていただいた道が私たち記憶から消えることはなく、新たな創造 に向けて光を発し続けてくれる贈り物として守っていきたいと思います。

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北村裕教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村裕教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国学部紀要 第 10 号(2014 年 3 月) 8 Kitamura, Y., K. Horii, K. Kotani, T. Asao & G. d’Ydewalle. (2009). How may asymmetry be accommodated by an ocular-motor map? Abstracts of the European Conference on Eye

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ゴードン・スコット・ジョンソン教授 略歴及び主要業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ゴードン・スコット・ジョンソン教授 略歴及び主要業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

単著  平成元年 3 月  関西大学経済政治研究所 「研究双書」 第 67 冊 pp. 130-155. “Sketch-tour books and prints of the early twentieth century” 単著  平成 2 年 1 月  Andon Vol. 10, No. 37 pp. 3-33. “The ‘Sketch-Tour’ Books and Prints and the Role of Osaka Publisher KANAO Tanejiro” 単著  平成 3 年 3 月  関西大学経済政治研究所「研究双書」第 77 冊 pp. 86-127. “The Japanology Class and the Audio-Visual Center”

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外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

テーゼ 4 :体系的な複数外国学習ためには、広義言語概念が基盤になけれ ばならない。  歴史的に成長してきた言語は全て、形態論、統語論、語彙論、音声言語、書記言語個別要 素を越える要因を含んでいる。それにも拘らず具体的な現実外国授業は、言語体系のみか ら出発した言語理論に基づく言語観に特徴付けられている。このことは文法を教授する際、特 に明らかになる。その結果、言語形式的側面学習が極端に強調され、異文化学習や文化に 関する学習が軽視されてしまう傾向にある。このような伝統的な言語概念に対し、体系的な複 数言語学習構想は、現実的な「『複合的言語』概念」(Sprachenbegriff)から出発する。  それは狭義言語材料のみでなく、異文化理解や異文化間コミュニケーション行動を念頭に おき、用論や文化に特徴的な言語・非言語ルーティン行動、標準的行動傾向等を教授過程 最初から含むものである。
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「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

時中、果敢に執筆活動に勤しんだ桝井迪夫にとっては、敗戦は実に不幸なことであったと筆者 には思われる。なぜなら、戦後思想がこれまでとはすっかり変わってしまったからである。戦 後は「戦争は悪である」という思想一色に染まってしまっただ。第二次世界大戦中は国家 意思に積極的に賛意を表明し、実社会とコミットメントを強く希求した桝井迪夫ような英 英米文学研究者にとって、戦後こうした時代風潮は、非常に居心地が悪かったであろうと 推察される。太平洋戦争後時代を一体どういう態度で生きてゆけばいいかを、桝井迪夫は きっと悶絶しないわけにはいかなかっただろう。そうした苦悶を抱えつつ、桝井迪夫は戦後、 名門広島大学英語学教授として広島学派を率い、あまた優れた弟子を日本中大学に送り 込んだ。筆者は、英語学泰斗・桝井迪夫若き日人間味溢れる情動的な研究姿勢に、今や 時流となった自然科学的色彩を濃厚に帯びた「evidence-based」的な研究法とは一味違う迫真 力を感じてしまう。人文学真髄とも言える人間痕跡が桝井文章には存在するだ。筆者 は今、「情動的な研究姿勢」と表現したが、これはまさに、歴史学者・白永瑞が論考「社会人文
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吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

れば「良い生活」が可能だと知った父は、一週間うち六日は「酒は一切飲まない」など、 厳格な生活規律を確立し、まことに勤勉な人生を送った。(吉田暁子 282)  若き日吉田健一は、激動する世界情勢なかで政治家として天寿を全うした実父・吉田茂 とは異なり、「言葉世界」で生きて行くことを決意し、実際その初志を貫き通したことを、吉 田健一娘・吉田暁子は読者に伝えてくれる。そしてその吉田健一は、「ただ生きるだけでな く、人生与えてくれる良いものを楽しむこと」にも重きを置いたとことである。学問や芸 術全般を己実人生と密に絡めて追究していこうとするその好事家的生き方は、若き日英国 留学薫陶たまものであったと思われる。吉田健一人生に対する態度には英国精神真髄 が感取できるからである。現に晩年 1974 年に吉田健一は、『英國に就て』と題する著書を刊 行しているが、そのなか「英国文化流れ」章で、文学と実人生と関係について持論 を展開している。そして彼はその持論を実際に己人生において実践したである。その際、 彼人生観根幹には、吉田暁子が言うところ「強靭な精神」があっただ。「勤勉な人生」 を基調とした吉田健一理想的ともいえるホリスティックな文筆活動豊かな実りを通して、 後代私たち現代人、特に筆者ような日本で英米文学を専攻する者は今、先達・吉田健一が 遺した卓抜な人文学的知性を感受し、体得しうるである。人文学領域、とりわけ英米文学研 究界にとって停滞・沈滞という過酷な状況下にある現代私たちは、吉田健一が後世に伝えた 偉大な足跡再評価を通して、生き直すことができるだ。よって吉田健一は、われらが救世 主たりうる存在だと、筆者は確信している。なぜなら第二次世界大戦後、少なくとも大学を中 心とした日本アカデミズム世界では人文科学分野も自然科学分野と同様だと考えられる風 潮が強まり、学問研究なるものはおしなべて客観的・実証的態度に徹するべきで個人感情等 を吐露してはいけないだという、まことしやかな教義が主流を占め、現に大学に籍を置く英 米文学研究ほとんどは己個人的感情等は封印し、権威ある学会というアカデミズム世 界にひたすら閉じ籠るようになってしまったからだ。英米文学研究者は、己が属する学会や大 学を中心としたアカデミズム尺度・基準によって下される業績評価に一喜一憂する傾向が強 まった。しかしこれはひとつ間違えば、現実社会から逃避になりかねないと思う。言わば、 大学や学会という閉じた組織・機関へ引き籠り現象である。こうした風潮に敢然と逆らい、 警鐘を鳴らしたが『太平洋戦争と英文学者』(研究社、1999 )著者・宮崎芳三である。宮 崎芳三は、「学問研究」という名美辞麗句に守られているがために実質的には脆弱なものとな ってしまった日本英文学研究実態を、しんから憂え、活性化ため処方箋を模索した
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齋藤榮二先生に心から感謝を込めて齋藤榮二教授略歴及び主要業績 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

齋藤榮二先生に心から感謝を込めて齋藤榮二教授略歴及び主要業績 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

英語教師ため読解セミナー ― William฀ LittlewoodCommunicative฀ Language฀ Teachingを 読む ― ฀ 書評 昭和63年 「新英語教育」三友社 中学校における「聞き・話すこと」目標 ฀ 論文 昭和63年 「英語教育」大修館

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想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 帯文案は縦書きで、「空前絶後 宗教史家ミルチャ・エリアーデ 中心思想と方法論を  余すところなく捉えた、新進気鋭 28 歳 スペイン人哲学研究者 マルセリーノ・アヒース・  ビリャベルデ恐るべき才能をつぶさに伝える 学会デビュー作、本邦初登場」というもので あった。じつは、これがわたしいちばんお気に入り「訳者自装」本にほかならない。  この本については、エリアーデ『イメージとシンボル』(せりか書房)を訳された和光大学 名誉教授、前田耕作氏が、読書新聞 〔2013 年(平成 25 年)7 月 19 日(金曜日)〕 に書評を寄せてく ださった。それによると、〈エリアーデ伝記をふくめた最初本格的な研究邦訳は、デイ ヴィッド・ケイヴ『エリアーデ宗教学世界』(せりか書房・1996 年/原題:新しいヒュー マニズムへミルチャ・エリアーデ視線・1992 年)が初めてであった。ケイヴ著作も次 年に刊行されたダニエル・デュビュイッセンもまた「エリアーデと聖なるもの」(『20 世紀神 話学―デュメジル/レヴィ・ストロース/エリアーデ』・1993 年)を主題としながら、それら より先に刊行されていたアヒース=ビリャベルデ処女作でもある本書(1991 年・サンティア ゴ・デ・コンポステーラ大学出版局)にはまったくふれていない。本書邦訳が刊行されなけ れば、エリアーデ「中心思想と方法論」淵源を歴史的に抽出し、その思考枠組みを緻密 かつ包括的に論じた本書を私たちがついに目にすることはなかったかもしれない〉。
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社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

その若者が成し遂げたことは、イーグル・イン・ザ・スカイズグループ栄光と繁栄に貢献 するが、賛辞は若者に与えられた。捕まえた馬を分配したり、バッファロー肉を分配する栄 光に浴するもその若者であった。そしてその若者貧しい家族は彼武勇を自慢し、居留地 まわりを行進し、彼業績を叫んだ。彼ような息子を得たいと思うような指導者たち中から、彼は妻を探した。イーグル・イン・ザ・スカイズ馬を使わせてもらえなければ、 彼は部族評判を上げることはできなかっただろうが、彼に馬を使わせるは慈悲によるもの ではない。その若者がバッファローを捕まえたり、敵馬を獲得したりすることによって、イ ーグル・イン・ザ・スカイズ自負心は若者自負心と同じくらい大きくなるである。栄養 が行き届き、乗馬に長けているグループは、あくまでイーグル・イン・ザ・スカイズにとって 有利なである。他グループに属していたブラック・フット族で自分たちリーダーに不満 を抱いている人たちは、イーグル・イン・ザ・スカイズグループに入り、彼栄光にあやか ろうとした。イーグル・イン・ザ・スカイズグループは拡大していった。グループ人たち は彼に仕え、彼もまたグループメンバーに仕えた。ある可哀想な若者が襲撃でイーグル・イ ン・ザ・スカイズりっぱな馬を失った時、酋長はそれをなんとも思わなかった。自分馬を 部下に使わせてやることで大きな利益が得られるであれば、たまに馬がなくなったとしても 何とも思わなかった。酋長と部下間に相互利益が循環していた。
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 バッファローに行く前から私は「物書き」をしていました。ある夏日、オワトナから帰っ て牧場家にいた時、ウィルおじさんが私儲けを数えていました。彼は私が 10 点ノートに書 き取ったら、1 ドルくれると言いました。何を書いたかは覚えていませんが、大きな誇りと責 任を感じたを覚えています。母は子どもが書いたものに対して、子どもだからといって甘や かして、誇張した値段をつけるはよくないと思ったかもしれません。しかし、その頃私が感 じていたマージェリー器用さとうまくバランスをとるためには仕方ないと思ったかもしれ ません。バッファローでマージェリーが土曜日に美術学校に行き始めると、私は家で文を書い て母に見てもらいました。4 月吹雪について書いたを今でも覚えています。それはこんな ふうに始まります。 「春日差し日々を通して、お日さまは地球と交わり、毎日とてもとても 素敵でした。」それは詩ような拍子であったことがとても気になりました。でも他にどのよう に表現したらいいか分かりませんでした。この頃までに、私はかなり本を読んでいました。 ディケンズ、特にデイビッド・コパーフィールド、そしてスコット、特に「アイヴァンフォー」。 でもそこから学ぶことは特にありませんでした。この時期までに読んだ本で聖書に優る本はあ りませんでした。ルツ(旧約聖書一書)話はラモーナより良く、ジョブ詩はロングフェ ローより良いと思いました。今でも最初聖書を持っており、それは注意深く赤と黒線が引 いてあり、一所懸命に書いた文章ページがはさまれています。バッファローに移った時から マージェリーと私は教会に行くと、週に 5 セントもらい、日曜学校で聖書 3 節を 1 日におぼ え、日曜日には 6 節おぼえると 1 ペニーもらえました。私は何十も章を暗記しました。 「エバ ンジェリン」と「ヒアワサ」詩は高尚なものだと聞いていましたが、私はあまり好きではあ りませんでした。
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英語語法における曖昧性の回避について 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

英語語法における曖昧性の回避について 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

there is a Twitter team dealing with it. ― Marketing, November 28, 2012  「E メール」意味では、email だけでなく email message という表現も使われる。次例を 見て欲しい。 (12) Correction: As my colleague Brad Stone–and a number of commenters on this blog pointed out, Steve Jobs did, in fact, disclose his pancreatic cancer after he was operated on in 2004. He did so by sending an email message to Apple employees after his successful surgery. I still think it would have been more appropriate for the board to make the announcement to shareholders. Nonetheless, I stand corrected.
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有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国学部紀要 第 16 号(2017 年 3 月) 28  良きこと、悪しきこと、後悔すること、また理不尽さを感じることも少なからずあった。し かし、人もそれぞれ、生き方もそれぞれ、価値観もそれぞれである。私個人価値観では到底 考えられないような人や出来事も経験したが、それもまたよしである。

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国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Key words international collaboration, conflict resolution, facilitation skills 1 .ASEP 教育効果  毎年 12 月最終週、中華民国高雄市において、AJET (Advanced Joint English Tele commu- nication)と WYMC (World Youth Meeting Committee)が主催し、高雄市政府、國立中山大学、 高雄高級中学、他後援により ASEP (Asian Student Exchange Program)が開催されている。 そこでは、アジア各国(台湾、日本、韓国、インドネシア、マレーシア)から中学・高校・大 学生が集い、ICT を活用した事前交流、2 カ国協同英語プレゼンテーション、対面交流を通じ た国際交流活動が行われている。(昨年度で 11 回目:[http://www.kageto.jp/asep/2010/]参照)  この ASEP による教育効果とは、一言でいうと「実践による学び奥深さ」である。このこ とは、ネイティブ・アメリカンが遙か昔に気づいており、次ような諺として先祖代々語り継 がれている:
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トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

⑸  , by Hans Chrition Andersen as told by Marianna Mayer, illustrations by Thomas Locker. New York: Macmillan Publishing Company, 1987.  アンデルセン「醜いアヒル子」をマリアンナ・メイヤー(Marianna Mayer)が再話した ものをテキストとし、ロッカーが絵を担当している。この「アヒル子」は、納屋中でも、 また外世界でも、他鳥たちから仲間はずれにされる。納屋描写が中心となる前半から、 後半は自然なかで鳥たち営みへと世界が広がっていく。この絵本特徴を端的に表わし ているが、表紙絵である。冷たい冬空下、凍りつつある湖面にこうこうと輝く月が映っ ている。その月反射から離れた影部分に一羽鳥が浮かんでいる。この絵を見るもの注 意を引くは、自然風景であり、そこから伝わるはその中にいる鳥孤独である。ここに、 他絵本作家たちによる『醜いアヒル子』と違いを見ることができる。他作家たちが、 子どもたち理解へ配慮からであろうか、「醜いアヒル子」に焦点をあて、他鳥たちと
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北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

竹 内   理  我々が敬愛する北村 裕先生が、65 歳定年を迎え、本学をご退職になられる。言葉では言 い表せない、強い寂しさを感じずにはいられない。  北村先生とは、お互い前任校時代から数えて、もう 25 年を越えるおつきあいとなる。私が まだ 20 代後半、先生が 40 代前半時であった。学会でお会いしたが初めてであったが、そ 素晴らしい英語力には感服するしかない、と印象を覚えた。その後、先生が長期留学経 験を一切持たず、日本でのみ英語を学んできたという話を聞き、ふたたび驚いた次第である。 また、ご研究面でも、パソコンという言葉がまだ一般化していない時代に UNIX ワークス テーションを駆使して、まさに外国教育工学という言葉にふさわしい業績を打ち立てられて いた。その後も、ベルギー著名な心理学者 G. d’Ydewalle 先生と共著で眼球運動に関する認 知心理学的研究を行われたり、米国 CNN 社と契約して英語教育教材を開発されたりと、常に フロントランナーとして、面目躍如たる活躍を続けられていた。これらに加えて、恩師大西 昭男先生(関西大学元学長・理事長)薫陶を十分に受け、幅広い分野で深い教養をお持ちで もあった(更にフルート名手でもある)。このように、私からすれば、北村先生は真に仰ぎ見 るような存在であった。その先生と、国際研究大会実行委員会メンバーとして、またその後 は、(先生が愛してやまない)関西大学同僚としてご一緒させていただき、間近に接する機会 が持てたことは、後研究者・教育者として人生に大きな影響を与えたことは言うまで もない。
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河合忠仁教授を偲んで 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

河合忠仁教授を偲んで 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 河合先生は私より 8 歳年上だが、現場教師をした後、英語学を学ぶため、神戸市外国大 学大学院に入学した。そのため、ちょうどその時期に私も大学院にいたので、ほとんど同級 生だと言っていいくらいである。ただし、河合先生指導教官は増山節夫先生で、私方は小 西友七先生ということで、小西先生授業時に顔を合わせるだけ間柄であった。

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稀代の目利き、福井七子先生へ贈る言葉 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

稀代の目利き、福井七子先生へ贈る言葉 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

竹 内   理  敬愛する福井七子先生が、ご定年を迎えられ、30 余年に及ぶ関西大学学究生活に別れを 告げられる。寂しさを感じずにはおられない。先生から折に触れて頂いた数冊本を改めて見 返してみると、その寂しさが一段とこみ上げてくる。それだけ先生存在感が大きかったので あろう。

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