トップPDF 有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

27 30 有余大学生活振り返っ 福 井 七 子  関西大学時間は、学問中心として私生活に彩り添えくださった人々おかげで、 非常に恵まれた期間だった。30 有余にわたって、まったく波風がたたなかった時期がなかっ たとは言えない。ルース・ベネディクトという複雑な女性研究テーマ中心にしたことで、 彼女思想・文化捉え方、また彼女異文化理解に迫ろうともがき続けた年月であった。  研究性質から、私は常に一次資料求めようとした。資料集めがうまくいき、というより 納得いくまでやり続けたというべきかもしれないが、そして多く人々に助けられ、これまで あまり研究がなされいなかった分野少しは明らかにできたではないかと思っいる。  アメリカには 6 回ほど調査旅行した。第一回目調査旅行は実に不安な気持でいっぱいで あった。プキプシーにあるベネディクト・コレクション中心に、エール大学や議会図書館に も出かけた。ニューヨーク図書館では思いもかけなかった資料得ることができた。結果的 に私心配は杞憂に終わっただが、資料収集だけでは何も発信できない。収集以上に努力が 求められるは、それ読み解き、まるでジグゾーパズルように時間軸中心に埋め込んで いかねばならない。
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 それ以降、それまで頻繁にしいた家出は二度としませんでした。私幼児期家出は、私 癇癪発作と同様に、家庭内罪と考えられいました。実際には 2 回しか家出した覚 えいませんが、どちらも大事でした。最初家出はその後にジレンマ感じたからよく覚え います。私が 3 ∼ 4 歳頃、母が用事で 3 ∼ 4 日外出するので、その間絶対に家出しない ように約束させられました。でも私は家出しました。母が帰宅しから約束破ったこと 母にとがめられましたが、私はその理由言うこと拒否しました。母は私が話しするまで 家に閉じ込めると決めました。でも私家に閉じ込めもあまり効果はなく、一日一日とそれ は延長されました。話ししさえすれば、罰から解放されるは確かでしたが、私は母に話し することはできませんでした。今振り返っ考えると、家出と家出にまつわることは、私世界であり、別世界について母に話すことはできませんでした。家族みんなが私に手 焼きました。ためしに私が石油缶開い小屋にそれまいた時、母は罰する ことやめました。私は何しでかすかわからないような子だったので、みんなに迷惑かけ るだけでなく、悪意に満ちいるかような存在でした。ある朝、母は私一階寝室に連れ 行き、私が話しするまで何も食べはいけないと言いました。その時自分苦しみよ く覚えいます。家族は正午に食事し、午後時間が経っいきました。みんなは夕食食 べ、電気が灯されました。母は私隣に座っ、ほぼ一日待ちました。やっと私は、話し始め ました。その解放感たるや、まるで本当に酔ったような気持ちでした。今まで成し得なかった 最も困難なこと成し遂げたです。母は私食堂に連れ行き、ランプもとで二人だ けで食事しました。
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人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

pologist t Work: 1965: 356 382)翻訳したものである。  「連帯感」は日付ない原稿であるが、1942 年頃書かれたものであろう。「戦後人種差別」 は未発表原稿で、1947 年頃書かれたものである。最後「戦争自然史」は未出版原稿で あるが、1939 にフランツ・ボアズと間で交わされた書簡からも明白であるように、1939 頃書かれた論文である。これら 4 篇論文は戦前、戦中、戦後とアメリカ取り巻く状況が大 きく変化した時期に書かれたものである。このことから、戦争が及ぼしたベネディクト考え 方向や心情変化読み解くことは興味深いことである。ベネディクトがこれら論文執 筆しすでに半世紀以上経過した現在、人種差別に反対する意識は世界中で高まり見せは いる。しかし、アメリカ合衆国のみならず、世界的にみも人種に対する偏見・差別はベネデ ィクトが執筆しした当時とさしたる変化は見られず、それどころか差別・偏見は複雑化し、 民族問題ともからみ、それら解決する糸口はいまだ見出せずにいる。偏見・差別は過去問 題ではなく、いまも我々に突きつけられいる大きな問題なである。ベネディクトが正面か ら向かい合っ取り上げたこれら問題に対する科学的考察今一度振り返っ読み直すこと は、連綿と続いいる偏見・差別もつ根深さ考えるめにも意味あることと考える。  ヨーロッパ人にとって戦争は 1939 9 月 1 日、ドイツによるポーランド攻撃で始まった。ア メリカ人にとって事実上戦争が始まるは、その後 2 ほど経過しからことであった。何 に対して戦う価値があるか、そしてまた死ぬ価値があるか、また何変えるために戦う か考えざる得なくなっいった。ユダヤ人、黒人、またアジア人に影響及ぼすかどうかも 含み、ベネディクトはさまざまな人種差別に反対するため活動も増やしいった。それはま た戦争によって基礎危うくされいる学問自由という原則守るため、人前で話しする ことが苦手であっもベネディクトはラジオ放送を通して話したりもした。「アメリカにおける 人種偏見」もそうした活動一つであった。
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岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ンス保つべくルクセンブルク会話力がこれまで以上に求められることになろう。  一方、国語であるルクセンブルクが、ルクセンブルク国内でしか使われない言語であり、 学問するにも十分でないという状況が、ルクセンブルク教育強化に踏み込めない理由に なっいる。外国統合に国語利用できないルクセンブルクは、3 言語間バランス調 整することでアイデンティティ守る他ない。そのために、ルクセンブルク在住ポルトガル 人やイタリア人は、自分母語以外に 3 言語学ばねばならなず、これに英語も加えると学ぶ べき言語が 5 つになっしまう。そもそもルクセンブルクは、欧州主要言語であるフランス とドイツによる言語インフラ整備することで、EU 中心的な都市として発展しきた。 ルクセンブルクが国際都市として繁栄し続けるためには、この言語インフラは不可欠だ。現在 枠組みでは、ルクセンブルク在住外国人はインフラ提供する側、通勤者はインフラ利 用する側に組み込まれいるといえる。こう考えると、ロマンス系言語母語とする外国人は、 ロマンス系言語ベースとする複言語能力身につけることで、ルクセンブルク人とは異なる 言語インフラ提供できるようになり、ルクセンブルク言語インフラ豊かにする潜在力 持っいると考えられるだろう。国家権限吸収しながら深化する EU 都市機能と、国家 に基盤置くアイデンティティー保持という必ずしも相容れない要求満足するは難しいが、 前者損ねない形で緩やかな 3 言語主義にシフトしいくが現実的な方向であろう。
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英語語法における曖昧性の回避について 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

英語語法における曖昧性の回避について 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 この画像見れば一目瞭然だが、「宝石箱」は jewelry case と表現されるようになっ いる。今度は、この jewelry case に plastic 付け「CD ケース」表すかどうか調べ みた。plastic jewelry case は「プラスチック製宝石箱」表しいる事が分かる。  つまり、まとめると、jewel case は「宝石箱」意味だったが、「CD ケース」表す事もで きるようになり、「宝石箱」と「CD ケース」二つ意味間で曖昧になり、「宝石箱」場 合には jewelry case が jewel case に取っ代わられるようになり、曖昧さが回避されるように なっいるである。
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社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ここから得る教訓は、戦争が人間にとって欠かせないものだということではなく、戦争時に おい得られる人間悦びは、社会秩序によって平和には奪われいるということである。そ れに比しミシシッピ大平原多くインディアン部族状況は、平和時と戦争時状況が 逆である。平和時部族同士やりとりは共同出資会社と同じように利益共有し、義務も 分散されいる。敵は人間とも見なされず、その敵犠牲にし難なく個人利益手に入れ ることができるである。ダコタ族は勇敢で根っから戦争好きであった。彼らは近隣部族 から恐れられいた。しかし国は彼ら功績には全く無関心であった。政治的な目的で軍隊が 派遣されることもなく、彼らには他部族支配するという考えは思いもしないことであった。 戦争に加わっいる若い青年たちは手柄どんどん増やしいった。例えばキャンプ先にいた 敵盗み、倒れた敵がまだ生きいる間に触れ、頭皮剥ぎ、敵陣地から傷ついたり、 殺された部族助け出したりした。これら手柄は加算され、仲間と張り合う時に使われた。 戦争とそれにともなうことは競争であった。戦争部隊に入隊する理由は愛国心からではなく、 一旗揚げたいために入隊した。戦闘部隊が敵地に入ると、隊員はそれぞれ一番りっぱな服装羽根飾りつけた。羽根一本いっぽんは彼が過去に成し遂げた手柄表しいた。隊員 たちが本拠地に帰ると、英雄となった人たち家族や彼と何らかのつながりがある人たちが集 まり、彼功績称えた。兵隊たちは死ぬまで競い合っ自分たち成し遂げた手柄自慢し あうである。集会場には 100 以上数え棒が置いあり、誰が一番多く手に入れ、自 分たち手柄話しができるかということ競い合った。
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大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「何もかも」という部分に対応させるという構想である。“I could see”は原文にはない が、これも前半部“making . . . look like”と対応させ、この風景眺めいる「僕」視 点強調したものである。このほか、“a thick layer of rain cloud”は単に“a thick cloud”だ けでいいではないか、“going down through”とすると「(くぐり抜け)落下[墜落]し」 というニュアンスになっしまうではないか等意見や、「やれやれ」どう表現するか、と いった点についてさまざまな意見が交わされた(注:ただし、この時点では自主的な議論とい うよりも、講師誘導による意見交換いない。この点については改めて触れる)。  なお、前述とおり、この課題意図はあくまでも「英語学習」一環ということであり、 本来意味「翻訳」(または「翻訳教育」)目指したものではない。したがって、出来上が った訳文「翻訳」として質はとくに問題とはしない。指導する側から見重要なことは、 ⑴ 訳出という作業を通じてテクスト視点から眺めるという経験させること、その上 で ⑵ 日英言語構造上差異について理解より深め、これ ⑶ 最終的な目標である「言 メタ意識」養成へとつなげいく、ということである。
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杉谷眞佐子教授のご退任に際し感謝をこめて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

杉谷眞佐子教授のご退任に際し感謝をこめて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Es gibt ein Ziel, aber keinen Weg; was wir Weg nennen, ist Zögern*.  今年度をもって退任される杉谷眞佐子先生は、関西大学に着任されから今日に至るまで 35 年間にわたり、ドイツ教育重鎮として八面六臂ご活躍なさいました。日本独文学会で は長きにわたり「文学・語学」という二分野しか存在しませんでしたが、杉谷先生は学会中 心的な役割担うメンバー一人として、「ドイツ教育学」新たな分野として定着させるこ とに取り組んでこられました。その甲斐あっ、『ドイツ教育部会報』が『ドイツ教育』と 改称され、新たな研究誌として生まれ変わったは 1996 ことでした。この時期は「文学・ 語学・教育」三分野体制確立期といっもいいでしょう。教育分野で杉谷先生は、英語 圏とは違った視点持つドイツ教授法理論日本へ導入するうえで大きく貢献されました。 最近は、ドイツにおける複言語教育に関する研究中心に取り組まれいます。なかでも、ヨ ーロッパ言語共通参照枠やポートフォリオ日本における応用可能性探る研究は、ドイツ 教育世界だけでなく、日本における外国教育全般にとっても示唆に富むものといえるで しょう。このように進取精神に富む杉谷先生と同僚としてお仕事させいただけたことで、 私もドイツ教育開拓一端に触れるという僥倖に恵まれました。
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北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 北村先生これまで人生は、長く苦しい戦い連続だったと思う。様々な難局乗り越え、 3 人分ほど人生過ごされきたように見える(決して大袈裟ではないだろう)。ここから先 は、どうかお体いたわり、楽しいこと、美しいことだけ考え、のんびりと過ごし頂き たい。これまで人生に、真剣に向きあっ格闘しこられた方にのみ、休息意味はわかる ものだ。そう考えると、先生は休息堪能するに値する方だ、と私は思う。
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国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Key words international collaboration, conflict resolution, facilitation skills 1 .ASEP 教育効果  毎年 12 月最終週、中華民国高雄市において、AJET (Advanced Joint English Tele commu- nication)と WYMC (World Youth Meeting Committee)が主催し、高雄市政府、國立中山大学、 高雄高級中学、他後援により ASEP (Asian Student Exchange Program)が開催されいる。 そこでは、アジア各国(台湾、日本、韓国、インドネシア、マレーシア)から中学・高校・大 学生が集い、ICT 活用した事前交流、2 カ国協同英語プレゼンテーション、対面交流通じ た国際交流活動が行われいる。(昨年度で 11 回目:[http://www.kageto.jp/asep/2010/]参照)  この ASEP による教育効果とは、一言でいうと「実践による学び奥深さ」である。このこ とは、ネイティブ・アメリカンが遙か昔に気づいおり、次ような諺として先祖代々語り継 がれいる:
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ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

必要はないだと判断しいた。結婚リスクと利点レノックスはよく考慮し、目よく開 い結婚するだ。人にはそれぞれ好みがあるし、三五歳ジョン・レノックスは、エベレッ トが見かけどおり女性ではまったくないかもしれないと忠告されなければならない年齢では ない。バクスターはこのように、レノックスは二人目妻として可愛いだけ女性 ― 人も てなしたり、彼ように美しく使ったりすることに才能ある女性 ― 意図的に選 んだだと思い込んだ。バクスターにはこの気の毒な男性情熱真剣な性質については何も 分からなかったし、バクスターが幻想と呼ぶものにレノックス幸せがどの程度抱き込まれ しまっいるかも分からなかった。彼唯一関心事は仕事上手く仕上げることだけだっ た。人魅了するマリアン顔に対して彼が以前持っいた関心おかげで、その分だけ彼 仕事は上手く仕上がった。性格造形におけるあの力、そして、レノックス関心捉えた現実 あの深さ実際バクスターが肖像画中に吹き込んだことは紛れもない事実だった。しかし それは、彼がまったく意識せず悪意持たずにしたことだった。バクスター芸術家として 気質が失望糧にし、喜びと苦悩によって脂肪蓄え、バクスター人として部分に旺盛な 影響力発揮した。つまり、簡単に言っしまうと、この若い男性は本当意味で芸術家だっ たということである。強力で感じやすい彼性質測り知れない奥深い所で、彼才能は彼 心と交感し、失望と諦めという重荷キャンバス上に移し換えたであった。マリアンと ちょっとした関係あと、バクスターは一生愛し続け信頼し続けることができると感じた若い 女性と知り合った。この新しい感情によって目覚まされ力づけられた彼は、古い恋愛によっ できた不足よりはっきりとした明晰さで埋めることができた。それゆえ彼は心込め肖 像画描くことができた。彼にはそれ以外に何かできることがあるなどエベレットには想像も できなかっただろう。彼は心底から正直に最善尽くした。その確信は招かれなくも訪れ たし、そのために彼正直さはさらに優れたものとなった。
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稀代の目利き、福井七子先生へ贈る言葉 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

稀代の目利き、福井七子先生へ贈る言葉 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

竹 内   理  敬愛する福井七子先生が、ご定年迎えられ、30 余に及ぶ関西大学学究生活に別れ 告げられる。寂しさ感じずにはおられない。先生から折に触れ頂いた数冊改めて見 返しみると、その寂しさが一段とこみ上げくる。それだけ先生存在感が大きかったので あろう。

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《Spiralの会》の歩み―ボランティア活動15年の記録― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

《Spiralの会》の歩み―ボランティア活動15年の記録― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

に挑戦した。その後、25 回目ぐらいからは、児童文学に注意が向いいる。  実は、上記 1999 ガン闘病以降、それまで研究対象に取り組めなくなったという経緯 がある。その理由はいくつか考えられが、一番理由は、生理的に読めなくなったということ である。アメリカ社会における移民生活反映する作品が、いつも明るい側面描くばかり でないことは明らかであろう。そうした人々苦難擬似的に再体験すること、わたし体 が受け付けなくなっいったというが本音である。アジア系アメリカ文学は新しく進出し きた分野であり、その全体像捉えるためには、たくさん作品読み整理しいく作業が必 要であった。まさに、それは、わたしにとって「作業」であり、ときには、苦しい読書体験さ えあった。それが、病気転機に、無理強いるではなく、自分が読みたいもの読むとい う姿勢になり、それおし進める勇気が持てたということである。
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存在命題の意味論的分析―フレーゲ再考― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

存在命題の意味論的分析―フレーゲ再考― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Ⅵ.フレーゲ「『レオ・ザクセが存在する』は自明である」(本稿Ⅲ)に対して  フレーゲは、概念主語とする一般存在命題だけでなく、固有名主語とする単称存在命 題(singular existential propositions)についても、〈存在〉は主語固有名が指す個体属性 ではありえないこと主張する。上述ように、フレーゲ論敵ピュンヤーは、命題「ザクセ は人間である(Sachse ist ein Mensch./Sachse is a man.)」から命題「人間が存在する(Es gibt Menschen./There is a man.)」導き出すためには、命題「ザクセが存在する(Sachse existiert./Sachse exists.)」も必要であると主張するに対して、フレーゲによれば、命題「ザ クセが存在する」は、命題「ザクセは人間である」自明な前提であり、余分(überfl üssig/ superfl uous)である。両者違いは、結局、「存在する」機能に関する理解違いから来る と思われる。ピュンヤーは、「存在する」が個体何らかの属性表すと見なしおり、彼にと っては、「人間が存在する」導出するためには、「ザクセは人間である」に「ザクセが存在す る」が付け加わる必要があった。しかし、フレーゲにとっては、「人間が存在する」は個々人 間にとって命題ではなく、「xは人間である」xに当てはまる対象が 1 つ以上あること、す なわち、∃ xHx(Hx:x は人間である)意味するから、「ザクセは人間である」が与えられ れば十分であった。この論理的導出に関する限り、フレーゲ主張に何異存もない。  しかし、ここで、「レオ・ザクセが存在する(‘Leo Sachse existiert/exists’)」は、個体レ オ・ザクセについてではなく、 ‘Leo Sachse’ について命題であり、その文は ‘Leo Sachse’ は空虚な音ではなく、何か指示すること意味するというフレーゲ主張には、大いに異存 がある。この主張は、指示矛盾避けるために時々用いられる。指示矛盾とは、‘Leo Sachse does not exist’ ような存在否定文において、これがもし個体レオ・ザクセについて命題 なら、‘does not exist’ が述語されるべき主語 ‘Leo Sachse’ 指示する対象が、そもそも存在 しいないことになるので、‘Leo Sachse does not exist’ はナンセンスであるという矛盾であ る。ギーチも言うように 25) 、これは明らかに、名前指示(reference)と名前持ち主(bearer)
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博識無双の凛然たる人、北村裕教授 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

博識無双の凛然たる人、北村裕教授 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 私畏敬する人生友、北村裕教授が満 65 歳定年迎え本学退かれる。言い知れない 寂寥感覚えならない。  外国学部前身である外国教育研究機構(2000 4 月発足)機構長 4 長きに 亘っ務められた北村教授は、当時学長コーナーならびに全学共通教育推進機構と度重な る交渉・折衝に骨身惜しまず専心された。日本外国教育学に高遠な理想掲げ、変通自 在才に長けた北村教授犀利で俊敏な学内行政感覚は、類いまれなものであった。戦国時代 争乱世に生きる武将勇姿そのものであった。解決すべきすべて懸案事項に対して北村 機構長は、うわべ糊塗したり言い逃れたりはせず、責任は一身に背負い、正々堂々と真正面 から対峙された。志操堅く信義に篤かった。はたで見清々しく、私は常に畏怖抱 かざるえなかった。
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《スパイラルの会》の歩み ― ボランティア活動20年の記録 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

《スパイラルの会》の歩み ― ボランティア活動20年の記録 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国学部紀要 第 13 号(2015 10 月) 48 皆様方に感謝しいる。  50 回まで流れについては、すでに前報告で解説したように、アジア系アメリカ文学から、 児童文学、ヤングアダルト文学へと関心が移っ行ったことがわかる。この 5 年間は、自分自 身関心から絵本とも関連付け講義組むことが多かった。また、大学で翻訳授業受け 持つことになっからは、翻訳に関連する事項取り上げ、授業と往来楽しみ、また、そ れ充実させることもできた。
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中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

言」から東アジア優勢言語へと成り上がったである。日本語変化は、江戸時代以来、西 洋新知識受け入れきた結果であるが、その過程で漢字による新語・訳語が決定的な役割 果たした。  言語は知識受容と伝達媒体であり、社会生活と密接に相互作用及ぼす関係にある。西 洋新知識導入は、中国近代化へ変化促進し、同時に中国社会種々近代的変化 が中国によって記録された。また、漢字文化圏存在により、中国近代化は中国内だ けにとどまらず、東アジア全域に拡大した。中国と中国近代が分かち難い関係にあると 同様、漢字漢文は東アジア近代化と密接な関係にある。西学東漸という大きな流れ中で、 中国は漢字文化圏言語に大きな影響及ぼす一方、漢字文化圏言語からも影響 受けた。特に日本語影響は非常に大きかったが、中でも最も重要なことは、漢字利用し 西洋新概念受け入れるという問題における「共創、共享」である。漢字文化圏内では、 多く抽象や時代キーワードが同形(または同音)という形式で存在しいるが、これ は地域内言語接触、語彙交流結果であることは疑問余地がない。一方、各言語における 同形(同音意味、用法上相異は、それぞれ国や地域が西洋新知識や新概念受 容した過程反映したものである。近代新知識受容と表出には新しい語彙と表現様式が必要 である。厳復翻訳が最終的に中国社会に受け入れられなかったことは言語面において社会 要望満たせなかったからであるといえるだろう。新しい語彙と表現様式、特に専門分野に おけるキーワードや基本用語形成は、近代学問体系が成り立つため基盤である。キーワ ードや基本用語歴史は、往々にしその学科形成史であり、言語近代化に関する研究は、 「近代」と冠するその他研究分野基礎である。
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キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

一連会話中で二言語織り交ぜながら併用する CS は、二言語併用中でも特に動的なも であるといえよう。  ソ連崩壊後旧ソ連諸国では、基幹民族 2) (titular nation)中心国家運営一環として、各 基幹民族「国家(state language)」として推進する言語政策が実施されきた。キルギ ス共和国では、国家であるキルギスに加え、ソ連時代に広く普及したロシアが「公用 (offi cial language)」として定められ、首都中心として現在もなお様々な領域で使用されい る。すなわち、同国では公的に二言語主義が実施されいるである。その一方で、特に行政 や学術分野でキルギス普及が進まない現状が問題視され、語彙整備や辞書出版など、 同言語あらゆる領域で使用するため取り組みも行われきた。その過程では、国会議員に 対しロシア混合せずに「純粋な」キルギス話すよう要請が行われるなど 3) 、一部で CS がキルギス普及障害として表現される傾向が見られる。このように、CS 現象存在自 体は現地人々によっても広く認知され、言語政策上主要な論点 1 つとなっいる。また、 国内外研究者や現地メディア、そして一般人々によってもある種社会現象(キルギス とロシア混合する話し方)として指摘されきたが、これまでその実態は、事実上、学術 的に解明されこなかった 4) 。
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福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

研究発表 「関西大学留学生生活における現状について」(1994)大阪商工会議所 「日本研究ルーツ―『菊と刀』―」(1995)国際日本文化研究センター “Background Research Undertaken for “The Chrysanthemum and the Sword””(1996 )米国 ネブラスカ大学『菊と刀』誕生 50 周記念国際フォーラム

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トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

し、「道徳的寓意」描こうとしいたことが理解できる。(Millhouse, 66) 18)  寓意性持つとは、描かれた対象が一義的な意味超え、別次元で意味帯びることで ある。描写が写実的である場合、意味はその次元にとどまる。まさにロッカー場合がそうで、 彼は写実的な描写に徹しおり、描かれた人間が寓意性帯びることはない。科学発展によ り科学的知識に裏付けされた彼認識では、人間も自然も写実的にとらえるしかない。彼作 品においては、自然中で人間が浮き立っしまうことが多いが、自然中に不自然に佇む人 間描写見るとき、そこからは、自然と対峙する姿勢身に付け、もはや自然中に溶け込 むことできない人間ありようが伝わっ来るようである。さらには大自然中に人間が配 されること自体が不自然である、という悲しむべきメッセージも聞こえきそうである。ノヴ ァックによると、ハドソン・リヴァー・スクール画家たちは、その絵中に文明象徴であ る斧や汽車、そして人間描くことで、来るべき未来予感させることはあっも、「その未来
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