トップPDF 翻訳を通して文化が規定するアブノーマルの概念を考える 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

翻訳を通して文化が規定するアブノーマルの概念を考える 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

翻訳を通して文化が規定するアブノーマルの概念を考える 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

子どもダンスに興じさせ、ヨーロッパ街にあふれたダンスマニア 23) は、私たちいかに感 化されやすいか示す極端な例である。  これら行動は、どんどん手込んだものに仕上げられることあり、人はそれにかなり 労力費やす。一つ文化なか不安定な人物特徴は、他文化では欠落しているか、非 常にまれなものかもしれず、その特徴に社会的価値与えられると、その特徴はますます顕著 なものとなる。たとえば、なんらかの境界性行動シャーマン属性として認め、シャーマン に権威や影響力与える社会では、シャーマンは自分境界性行動人に見せびらかすことに なる。これまで見てきたとおり、カリフォルニアシャスタ族( Shasta )、そして世界様々 な部族においてひきつけ起こすことはシャーマンになるため切符得たようなもので、シ ャーマン実践には必ずそれつきものである。他宗教においては幻視、あるいは幻聴、そ してまた別社会では私たちヒステリー的な癲癇と呼んでいるものに近い行動などこれに あたる。シベリアにおいては、私たち霊界と交信集いとしてよく知っている特徴、シ ャーマンあらゆるパフォーマンスで必要とされている。これらすべてケースで社会で選ば れた特定体験は、手加えられ、地元基準に合わせてかなり細かくパターン化されている 常である。つまり、それぞれ文化は境界性行動という広い分野から、かなり少数もの 選ぶ、その体験タイプ特定人物属性として結びつけるである。その不安定 な性格持っている人物特定行動は、その人持つアブノーマルな面表わす唯一、あ るいは必然的行動ではない。社会人と同じように、彼は伝統的に規定された行動パター ンとっているである。逆に、私たち社会含めてどの社会においても流行からはずれた 不安定な特徴ある。流行にあったもの感化されやすい人に与えれば、その人たちはそれ すぐに真似ることになる。彼らは社会大多数占めており、社会からはアブノーマルとみな される。ここで明らかなことは、こうした人々行動ノーマルとかアブノーマルということ ではなく、あるグループ生物学的、遺伝的特徴でもなく、社会的パターンに則っているとい うことである。
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大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

に訳すという作業を通じて、言語「深い処理」できるようになり、これによって学生 基底言語能力強化されるとともに、L2 習得促進されるである。 5 .大学における通訳翻訳教育位置づけ  以上述べたとおり、筆者らは大学における通訳翻訳教育広い意味で「言語教育」一環 としてとらえ、これ従来英語(またはその他外国)教育補完するものとして位置付 けている。ただし、筆者ら考える通訳翻訳教育は、単なる語学学習から、これ契機とした 「メタ言語能力」養成へという視点において、従来語学科目とは大きく異なっている。極限 すれば、仮に(ネイティブスピーカーようにはなれなかったという意味で)英語習得に 失敗したとしても、その学習プロセスを通じて、学生将来にとってより重要かつ本質的なメ タ言語能力獲得することできれば、外国教育として十分に成功だと考えている。学生 将来どの分野に進むにせよ、「ことば」に対する鋭い感受性と、十分に鍛えあげられた「基底言 能力」備えていること、将来、その道プロとして成功するため確かな土台作りにな るからである。反対に、いくら外国で流暢に会話できるようになったとしても、「ことばへ 意識」や「異文化意識」含めた高度なメタ言語能力伴っていないとすれば、これは 成功とは言えないだろう。残念ながら、現在英語教育はむしろ後者歩んでいるように 思われる。
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中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

言」から東アジア優勢言語へと成り上がったである。日本語変化は、江戸時代以来、西 洋新知識受け入れてきた結果である、その過程で漢字による新語・訳語決定的な役割 果たした。  言語は知識受容と伝達媒体であり、社会生活と密接に相互作用及ぼす関係にある。西 洋新知識導入は、中国近代化へ変化促進し、同時に中国社会種々近代的変化 中国によって記録された。また、漢字文化存在により、中国近代化は中国内だ けにとどまらず、東アジア全域に拡大した。中国と中国近代分かち難い関係にあると 同様、漢字漢文は東アジア近代化と密接な関係にある。西学東漸という大きな流れ中で、 中国は漢字文化言語に大きな影響及ぼす一方、漢字文化言語からも影響 受けた。特に日本語影響は非常に大きかった、中でも最も重要なことは、漢字利用し て西洋概念受け入れるという問題における「共創、共享」である。漢字文化圏内では、 多く抽象や時代キーワード同形(または同音)という形式で存在している、これ は地域内言語接触、語彙交流結果であることは疑問余地ない。一方、各言語における 同形(同音意味、用法上相異は、それぞれ国や地域西洋新知識や新概念受 容した過程反映したものである。近代新知識受容と表出には新しい語彙と表現様式必要 である。厳復翻訳最終的に中国社会に受け入れられなかったことは言語面において社会 要望満たせなかったからであるといえるだろう。新しい語彙と表現様式、特に専門分野に おけるキーワードや基本用語形成は、近代学問体系成り立つため基盤である。キーワ ードや基本用語歴史は、往々にしてその学科形成史であり、言語近代化に関する研究は、 「近代」と冠するその他研究分野基礎である。
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外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

3 . 5  意味重視へシフト  これまでアメリカ心理学は、「意味」という概念排除してきた。行動主義で刺激に対する 反応とされた人感情や意味所在は、チョムスキー言語学では深層構造( Deep Structure ) ないし理論形式(LF = Logical Form)表示レベルとして設定される、それは(頭中に ある)用論上意味など含めた意味解釈部へ「インターフェース」として出力される機 能のみ有し、実際言語使用を通して得られる「意味」どのように解釈するかには関与 しない(Chomsky, 1985)。ここまでチョムスキーいうところ言語能力(competence)で あり、実際言語運用能力( performance )とは区別された。たとえば、プレゼンテーション 上手か下手かは言語運用能力 performance 差によるものだろう、上手なプレゼンも下手 なプレゼンも非文法的な文章含まれるというようなエラー、すなわち言語能力 competence 差によるものではない。
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ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

(1917) Paris, Paul Birault 刊行した、これは『楕円形天窓』詩人ピエール・ルヴェル ディ主宰する前衛誌『北 ノールーシュド ‐南』で活動を通じて得た新しい方法論に則ったものであった。 クレアシオニスム(創造主義)名前与えられたその詩学は、1916 年『水鏡』に始まるも ので、長詩『アルタソル』Altazor o El viaje en paracaídas(1931) Madrid, C.I.A.P. でひとつ 頂点迎えることになる。「詩人は、詩なかにしか存在しえないもの創造しなくてはなら ない」というその主張は、『北極詩』にも詩的キュビスムというかたちで反映されている。  『北極詩』刊行経緯に話戻すと、1918 年マドリード訪問は詩人にとって二度目 機会であった。南アメリカ大陸からスペイン南部港町カディスに到着した後、パリに移動す る途中で立ち寄った最初一ヶ月にも満たなかったに対して、このたび滞在はもう少
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「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

トドロフ(Tzvetan Todorov)著書『文学脅かされている』(2007、小野潮訳 2009)) 13) 中で、人間理解ためにも幅広い分野で文学作品果たす役割は大きい、と述べている点に注 視するも意義あることだろう。 文学対象人間条件それ自体である以上、文学読み、それ理解する者は、文 学分析専門家になるではなく、人間存在知る者となるだろう。人間認識する という作業に何千年来取り組んできた大作家たち作品に沈潜する以上に優れた、人 間振舞い、情念理解ため導入教育あるだろうか。そうであってみれば、人 間関係に立脚するあらゆる職業ため準備として、文学教育以上に優れたものあ るだろうか。もしこのように文学理解し、このように文学教育方向づけるなら、 未来において法学学ぶ学生、政治科学学ぶ学生、未来ソーシャルワーカー、心 理療法士、歴史家、社会学者にとってこれ以上に貴重な助力あるだろうか。………… こうして文学研究は、人文諸科学内部において、事件歴史、思想史といった学 科傍らにその場所見つけられるだろう。これら諸学科は諸作品によっても諸教 説によっても、さまざま政治的行為によっても、社会的変化によっても、諸民族 生活によっても諸個人生活によっても、自ら発展させ、その結果思考進歩させ るである。(ツヴェタン・トドロフ 73 74)
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国際協働プロジェクト参加を通しての「学びの質」 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際協働プロジェクト参加を通しての「学びの質」 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

やコンフリクトは、日本人同士場合よりも、むしろ明確な形で表面化し、原因特定し、解 決へ努力しやすい可能性もあろう。またコンフリクト解決し、相手理解できたとき「全 く違うと思っていた人と分かり合えた」喜びともなるであろう。参加者話し合いを通して コンフリクト解決していく対話プロセスについては出口・八島(2009)で報告している。  コンフリクト解決したグループにおいてその解決道筋経験した人は、そうでない人と 比べて、より大きい達成感得たり、あるいは質違った学びあるだろうか。出発前オリ エンテーションである男性語り、この問い答えヒントとなる。彼は、ハンティング 施設運営に関わるプロジェクトに参加した、その際、プロジェクトメンバー一人、作 業意義動物保護・環境保護という観点から疑問視し、問題提起した。これ受けてこの 活動意義について、メンバーで一日議論したこと報告された。この経験は彼に強いインパ クト与えたようだ。こういった経験を通して、集団として成長や変化、個人成長にど ように関わるか。逆に個人貢献グループ全体変化にどのように関わるか、このあ たり明確にすること、ミクロとマクロつなぐ意味で重要である。また、実践共同体 ( Wenger, 1998 )として文化集団学び可能性や意思決定プロセス探ることも今後
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想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 帯文案は縦書きで、「空前絶後 宗教史家ミルチャ・エリアーデ 中心思想と方法論  余すところなく捉えた、新進気鋭 28 歳 スペイン人哲学研究者 マルセリーノ・アヒース・  ビリャベルデ恐るべき才能つぶさに伝える 学会デビュー作、本邦初登場」というもので あった。じつは、これわたしいちばんお気に入り「訳者自装」本にほかならない。  この本については、エリアーデ『イメージとシンボル』(せりか書房)訳された和光大学 名誉教授、前田耕作氏、読書新聞 〔2013 年(平成 25 年)7 月 19 日(金曜日)〕 に書評寄せてく ださった。それによると、〈エリアーデ伝記ふくめた最初本格的な研究書邦訳は、デイ ヴィッド・ケイヴ『エリアーデ宗教学世界』(せりか書房・1996 年/原題:新しいヒュー マニズムへミルチャ・エリアーデ視線・1992 年)初めてであった。ケイヴ著作も次 年に刊行されたダニエル・デュビュイッセンもまた「エリアーデと聖なるもの」(『20 世紀神 話学―デュメジル/レヴィ・ストロース/エリアーデ』・1993 年)主題としながら、それら より先に刊行されていたアヒース=ビリャベルデ処女作でもある本書(1991 年・サンティア ゴ・デ・コンポステーラ大学出版局)にはまったくふれていない。本書邦訳刊行されなけ れば、エリアーデ「中心思想と方法論」淵源歴史的に抽出し、その思考枠組み緻密 かつ包括的に論じた本書私たちついに目にすることはなかったかもしれない〉。
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岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 言語間習熟度に濃淡はあれ、3 言語習得はルクセンブルク人アイデンティティー礎 であり、どの言語欠かすわけにもいかない。ルクセンブルク人最も得意な言語はルクセン ブルクである、ルクセンブルク政治・経済・学問領域で本格的に使用するには綿密 なコーパス政策展開せねばならず、そればかりかフランス語とドイツ主要言語とするメ リット失われることにもなるので損失は大きい。したがって、フランス語とドイツ役割 減じるような言語政策は国益に反するだろう。言語レベルだけ考えるならば、ほとんど母 として習得可能なドイツ主要な公用するルクセンブルク人にとって最も現 実的な選択肢となろう。だが、ドイツに国土占領された経験持つルクセンブルク人にとっ て、ドイツと同じ言語国語とすることには抵抗感ある。最近では、特に若年層でドイツ態度好転しており、居心地いい外国一位にドイツ入っている点は特筆すべきであ る。また、最も得意な言語 2 位にドイツ位置していること考えるならば、ドイツ 使用域拡大環境整っていること示唆している。しかし、憲法規定するフランス語司 法上優位性と、主たる学術言語フランス語担う言語教育政策守り続ける以上、フラン ス上位言語とする 3 言語主義は変わらないだろう。特に、EU ではフランス語英語と並 ぶ「作業言語」(working language)として使われているため、EU 主要機関立地するルク センブルクにとってフランス語主要言語とするメリットは計り知れないものある。ただし、 ドイツにもフランスにも依存しない独立国であること示すには、ドイツとフランス語バ ランス取ること重要になる。ドイツとフランス語というヨーロッパ 2 大言語公的に 使用することで、幅広い通用性持つインフラ提供しながら国際的な求心力得る小国 ルクセンブルク生き方であるからだ。
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アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 目に見える影響暗くて古い町に与えるローマ初春空気は、ご存知とおり不思議な魅 力あるけれども、どちらかというと外国体にはしばしば辛いことある。北アフリカか ら熱風二週間途切れることなく続いたあと、ワディントン夫人活発だった気分落ち込 んだ。彼女は「熱病」にかかるではないかと心配し、急いで医者と相談した。医者は、何も 心配することはなく彼女に必要なは単なる気分転換だと言った。そして、一ヵ月ほどアルバ ーノに行くこと勧めた。というわけで、二人女性はスクロープ付き添いもとアルバー ノに行くことになった。ワディントン夫人は親切にも私も一緒に来るよう誘ってくれた。しか し、親戚ローマにやって来ることになっていて、私は彼らためにガイド役引き受け ることになっていたので、ローマに残っていなければならなかった。機会あればアルバーノ 訪れると約束だけはしておいた。私叔父とその三人娘は申し分ない観光客で、私には 次から次へとすることあった。しかし、週末にはやっと約束果たすことできた。私は宿 に泊まっている彼ら発見し、二人女性、汚れた石造り床としわ寄った黄色いテーブ ルクロスについて意識、窓から見える霧かかった海ように広大なローマ平原について 恍惚とした黙考に溶け込ませている見た。景観は別として、彼らは楽しい日々過ごし ていた。その地域美しさと山間見慣れない古い町美しい近郊思い出していただきたい。 その地方は早咲き草花咲き誇っており、私友人たちは野外空気中で暮らしていた。 ワディントン夫人は水彩画スケッチし、アディナは野生花々摘んでいた。スクロープ は満足気に二人行ったり来たりして、時折、ワディントン夫人絵の具使い方やアデ ィナスイセンとシクラメン組み合わせについて歯に衣きせない酷評していた。みんな とても幸せそうで、嫌味ではなく私はもう少しで、神々からもっとも望ましい贈り物とは、 自身欠点なさに対する終始変わらない確信ではないかと思うところだった。しかも、心に やましいところある恋人でさえ、アディナ・ワディントンような自分人生における予想 もしない愛らしさ存在によって、当然報いというもの存在すること信じられなくなる ということあるかもしれない。
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吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

れば「良い生活」可能だと知った父は、一週間うち六日は「酒は一切飲まない」など、 厳格な生活規律確立し、まことに勤勉な人生送った。(吉田暁子 282)  若き日吉田健一は、激動する世界情勢なかで政治家として天寿全うした実父・吉田茂 とは異なり、「言葉世界」で生きて行くこと決意し、実際その初志貫き通したこと、吉 田健一娘・吉田暁子は読者に伝えてくれる。そしてその吉田健一は、「ただ生きるだけでな く、人生与えてくれる良いもの楽しむこと」にも重き置いたとことである。学問や芸 術全般実人生と密に絡めて追究していこうとするその好事家的生き方は、若き日英国 留学薫陶たまものであったと思われる。吉田健一人生に対する態度には英国精神真髄 感取できるからである。現に晩年 1974 年に吉田健一は、『英國に就て』と題する著書刊 行している、そのなか「英国文化流れ」章で、文学と実人生と関係について持論 展開している。そして彼はその持論実際に己人生において実践したである。その際、 彼人生観根幹には、吉田暁子言うところ「強靭な精神」あっただ。「勤勉な人生」 基調とした吉田健一理想的ともいえるホリスティックな文筆活動豊かな実りを通して、 後代私たち現代人、特に筆者ような日本で英米文学専攻する者は今、先達・吉田健一 遺した卓抜な人文学的知性感受し、体得しうるである。人文学領域、とりわけ英米文学研 究界にとって停滞・沈滞という過酷な状況下にある現代私たちは、吉田健一後世に伝えた 偉大な足跡再評価を通して、生き直すことできるだ。よって吉田健一は、われら救世 主たりうる存在だと、筆者は確信している。なぜなら第二次世界大戦後、少なくとも大学中 心とした日本アカデミズム世界では人文科学分野も自然科学分野と同様だと考えられる風 潮強まり、学問研究なるものはおしなべて客観的・実証的態度に徹するべきで個人感情等 吐露してはいけないだという、まことしやかな教義主流占め、現に大学に籍置く英 米文学研究者ほとんどは己個人的感情等は封印し、権威ある学会というアカデミズム世 界にひたすら閉じ籠るようになってしまったからだ。英米文学研究者は、己属する学会や大 学中心としたアカデミズム尺度・基準によって下される業績評価に一喜一憂する傾向強 まった。しかしこれはひとつ間違えば、現実社会から逃避になりかねないと思う。言わば、 大学や学会という閉じた組織・機関へ引き籠り現象である。こうした風潮に敢然と逆らい、 警鐘鳴らした『太平洋戦争と英文学者』(研究社、1999 )著者・宮崎芳三である。宮 崎芳三は、「学問研究」という名美辞麗句に守られているために実質的には脆弱なものとな ってしまった日本英文学研究界実態、しんから憂え、活性化ため処方箋模索した
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スイス連邦の公用語と国語 史的背景と憲法上の言語規定 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

スイス連邦の公用語と国語 史的背景と憲法上の言語規定 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 反ハプスブルク派として知られたルクセンブルク家出身神聖ローマ皇帝ハインリヒ 7 世は、 1309 年にこれら 3 カントン自由認可証(Freiheitsbrief)発行した、ハインリヒ 7 世没 後に混乱起こった。バイエルン公ルートヴィヒとオーストリア公フリードリヒ(ハプスブル ク家)皇位継承巡って争い、スイス 3 カントンはルートヴィヒ側につく。1315 年にフリー ドリヒ騎士軍モルガルテンで攻撃仕掛けた、スイス「羊飼い戦士」(Hirtenkrieger) により撃退された。このモルガルテン戦いは騎士軍に農民勝利した戦いとして有名である。 さらに、スイス奪還しようとハプスブルク家レオポルト 3 世 1386 年に騎士軍派遣した 、ゼンパッハ戦いでスイス農民軍勝利し、1388 年ネーフェルス戦いでもスイス軍 勝利したことで、独立へ基盤固まった。その後、同盟規模拡大して 1513 年には 13 カントンとなる、全てドイツ語圏であった。第 1 次(1529 年)、第 2 次カッペル戦争(1531 年)経て、1648 年ヴェストファーレン条約によりスイスは神聖ローマ帝国から分離し、法 的に独立国と承認された。1798 年にはフランス革命軍スイスに侵攻し、独立性高いカント ン同盟から成り立っていたスイスに、カントン権限大幅に弱める形で中央集権的なヘル ベチア共和国建国されることになる。
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日本語母語話者が初めて書いた作文を英語に翻訳することについて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

日本語母語話者が初めて書いた作文を英語に翻訳することについて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 言語習得する場合、語彙問題はいわば量的な問題だと考えられる、関係代名詞使わ ずに文書く段階と、関係代名詞使って文書く段階と間には、言語習得発達という観 点から質的な変化ある。池上嘉彦は『「する」と「なる」言語学』において、“Do you know of the millions in Asia that are suffering from protein defi ciency because they get nothing but vegetables to eat? ” という英文に対応する日本語として、「手ニ入イル食物ト言エバ野菜バカ リノタメ、蛋白質不足デ苦シンデイルアジアノ何千人トイウ人タチヲ知ッテイマスカ」よりも、 「アジアノ何千人トイウ人タチガ手ニ入イル食物ト言エバ野菜バカリノタメ、蛋白質不足デ苦シ
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ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 この苦しい試練におけるマリアン振る舞いはまさに英雄的なものだった。未来感情 中に何か微妙な変化起こったこと彼女は感じ取っていた。彼女にはその変化原因突 き止める力はなかった、明らかにその変化は彼女将来危険にさらすものだった。二人 間で何か裂けた。彼女は力半分失っただ。彼女は恐ろしく追い詰められた。彼女喜 んでレノックスに認めていた人格あの優れた深み、今、彼女想像するに、大胆で不吉な 意図覆い隠しているかもしれなかった。彼にはこの亀裂調停することできるだろう か?人良い億万長者妻であるというスパイス効いた甘く香りよいお椀彼女唇から はね飛ばすこと意図なだろうか?マリアンは恐る恐る自分過去に目向け、何か黒 い染み見つけたではないかと考えた。実際、その点については、そうできるものなら してみよと彼に挑まないでもなかった。してはいけないようなこと彼女は本当に何もしてい なかった。彼女歴史には目に見えるような汚点は何一つなかった。確かに、ある種漠然と した道徳的な汚れによって彼女過去にはかすかに色あせている部分もある、他女性と比 べると比較にならない程度ことだった。彼女は楽しみ他には関心なかった。しかし、そ れ以外何に向かって少女は育つというだろうか?大体において、彼女は気楽に暮らしてき たではないだろうか?そのとおりだと彼女は自分に納得させた。しかしそれでも、もしジョ ン婚約破棄したいと願ったら、彼女振る舞いにおける問題程度ではなく、高度に抽象 的な根拠にもとづいて彼はそうするだろうと彼女は感じた。それは単に彼女こと愛さなく なったということである。彼女親切にもこの状況見過ごし、気持ち恩義は断念する と彼に請け合っても彼女には何役にも立たないだろう。しかし、彼女感じていたぞっとす るような心配にもかかわらず、彼女は微笑み続けていた。
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キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 以上ように、個々 CS 機能特定できる場合ある一方で、CS 発生頻度最も高い C は、3.1 文内 CS 例③ように、母体言語不明で複雑な CS 多数見られ、個々 CS 機能は必ずしも明確ではなかった。Poplack ( 1980: 588 )指摘するように、安定的な二言語 併用コミュニティにおける特定発話状況では、CS 自体規範となる事例もある。その場合、 話者は CS を通して混合アイデンティティ表現していると考えられ、前掲 6 つ機能のう ち「表現機能」に該当する。よって、安定的な二言語併用環境である首都ビシュケク市に生ま れ育ったインフォーマント C にとっては、キルギスとロシア CS に満ち溢れた会話様式 ありふれたものであり、CS を通して、キルギス優勢な地方在住キルギス人とは、異な るアイデンティティ表現していると考えられる。
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

意味で共通悩みなではないかと思っている。ベネディクト抗い難い時代軋轢に悩みな がら、いうならば当時社会絶対的な基準や常識と考えられていたことに対してどのように 対応し、諸問題いかにして切り崩していこうとしたか、彼女底知れぬ強さと忍耐過程 は猛烈な模索期間であるとともに、彼女求めていくことに繋がっていくことでもあった。  マーガレット・ミードとベネディクトは一時期、同性愛関係にあったことは事実である。 しかし、その関係は長くは続かなかった。本著翻訳している過程で、私たちは何度も同性愛 やフェミニズムについて討論した。同性愛という観点からベネディクトとらえ、書かれた著 書もある。それも研究として可能かもしれない。しかし、ベネディクト書いたものに触れて いると、そのように結論出すは少し短絡的ではないかと感じさせられる。ベネディクトは 理屈っぽく、幼いころには自分自身コントロールできず、激しい癇癪に悩まされていた。自 分気持ち理解してくれる相手希求していた。ミードとは違い、ベネディクトは自分気 持ち率直に外に出すタイプ人ではなく、内にこもっていくタイプ女性であった。肉体的 なハンディ、つまり片方聴力極端に悪かったことも一因かもしれない。しかし、それだか らこそ、一時期ミードベネディクトに果たした大きな役割は、重要なものであったことも想 像に難くない。聞き取れない講義ミード援助によってハンディ軽減されたも大きな助 けとなったであろう。性格においてもミードとは異なる故に、惹かれるものあったも事 実であろう。ミードにとっても、ベネディクトは魅力ある人間であった。
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人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

pologist t Work: 1965: 356 382)翻訳したものである。  「連帯感」は日付ない原稿である、1942 年頃書かれたものであろう。「戦後人種差別」 は未発表原稿で、1947 年頃書かれたものである。最後「戦争自然史」は未出版原稿で ある、1939 年にフランツ・ボアズと間で交わされた書簡からも明白であるように、1939 年 頃書かれた論文である。これら 4 篇論文は戦前、戦中、戦後とアメリカ取り巻く状況大 きく変化した時期に書かれたものである。このことから、戦争及ぼしたベネディクト考え 方向や心情変化読み解くことは興味深いことである。ベネディクトこれら論文執 筆してすでに半世紀以上経過した現在、人種差別に反対する意識は世界中で高まり見せては いる。しかし、アメリカ合衆国のみならず、世界的にみても人種に対する偏見・差別はベネデ ィクト執筆してした当時とさしたる変化は見られず、それどころか差別・偏見は複雑化し、 民族問題ともからみ、それら解決する糸口はいまだ見出せずにいる。偏見・差別は過去問 題ではなく、いまも我々に突きつけられている大きな問題なである。ベネディクト正面か ら向かい合って取り上げたこれら問題に対する科学的考察今一度振り返って読み直すこと は、連綿と続いている偏見・差別もつ根深さ考えるめにも意味あることと考える。  ヨーロッパ人にとって戦争は 1939 年 9 月 1 日、ドイツによるポーランド攻撃で始まった。ア メリカ人にとって事実上戦争始まるは、その後 2 年ほど経過してからことであった。何 に対して戦う価値あるか、そしてまた死ぬ価値あるか、また何変えるために戦う か考えざる得なくなっていった。ユダヤ人、黒人、またアジア人に影響及ぼすかどうかも 含み、ベネディクトはさまざまな人種差別に反対するため活動も増やしていった。それはま た戦争によって基礎危うくされている学問自由という原則守るため、人前で話しする こと苦手であってもベネディクトはラジオ放送を通して話したりもした。「アメリカにおける 人種偏見」もそうした活動一つであった。
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昭和における日本の絵本の成立 ―翻訳が果たした役割を知るための資料― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

昭和における日本の絵本の成立 ―翻訳が果たした役割を知るための資料― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

19) 「短歌英語翻訳 ― 与謝野晶子と『小倉百人一首』実例とおして ― 」関西大学外国学部外国学部紀要』第 6 号(2012)119 139. 20) 江戸初期(1593 年)、天草本『イソポハブラス』としてローマ字で日本に紹介された『イソップ 物語』は、日本で最古翻訳文学書であり、その後、元和年間に各種仮名草紙『伊曾保物語』出 版された。(『子ども本』22, 鳥越 2001, 53)ただし、宮川建郎は、これらは「子どもたちため 翻訳とはいえなかった」としている。(『子も本』22)それら初期翻訳に対し、1872 ∼ 75 年に かけて渡部温訳した『通俗伊蘇普物語』(6 巻)は、子どもにも読めるように易しい言葉遣い用 いられていたこと、原昌指摘からわかる。(鳥越 2001, 61)また挿絵観点からは、イソップ 万冶絵入本、浮世絵師による日本情景用いている点で、興味深い。
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社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 文化人類学者は自分社会よりもなるべく違う社会研究しようとするため、様々な集団 データ持っている。そして西洋文明影響範囲からはずれたところで発展したシンプルな社 会特に研究する文化人類学者はある集団特定価値観に基づいて実現した方略研究す ることできる。その価値観とは自由という価値観なか、社会統一という価値観なか、権 力に屈するという価値観な研究することできる。文化人類学者にとって部族役割は、 科学者細菌生死研究する実験室役割と同じなである。文化人類学者実験室は研究 者自分で設定するではない。それは原住民何世代にもわたって、何千年もかけて生き方 詳細にいたるまで設定したものである。しかしフィールド・ワーカーはその部族なかに存 在する私たち時事問題、たとえそれ違った姿であったとしても認識することできる。  フィールド・ワーカー研究している裸プリミティブ・ピープルはもちろん社会保障条 例について話すわけではない。しかし彼らは老人や飢えた人どのように扱うべきかはっきり している。年寄りや飢えた人守る部族もあれば、守らない部族もいる。そして文化人類学者 はそれもたらす帰結研究することできる。原住民は黄金率について語らない、オース トラリア原住民からカラハリ砂漠原住民にいたるまで、黄金率働いていることは見受け られる。たとえば、「他人に施し与えなければ、誰自分に施し与えてくれるだろう」、「他 人敬わなければ誰自分敬ってくれるだろう」といった教訓は、若者頭にたたきこまれ、 南洋島々人からティエラ・デ・フィエゴ冷たい霧にすむ人に至るまで、それ実践して いる。同時にこのような黄金率まったくない原始社会あり、文化人類学者は黄金率存在 する結果と、しない結果研究することできる。黄金率は人支配するだろうか?プリミ ティブ・ピープルなかで黄金率に縛られた人間関係しか知らない人もいれば、相手強いる 状況に立たされたことないプリミティブ・ピープルもいる。
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カルデロンの翻訳から見る鷗外の翻訳論 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

カルデロンの翻訳から見る鷗外の翻訳論 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ところで演劇改良運動目的は、取り敢えずは新劇場建設と脚本改良にあった。しかし これはあまり活動しないままに、後身として明治21年(1888) 7 月、日本演芸矯風会作られ、 翌年 9 月には日本演劇協会と改称された。これ等運動は、結果的には西洋風劇場建設 することだけ先行してしまって、実挙げることできなかった。しかし「脚本改良」と いう点からみれば、「明治二十二年当時状況は、言い換へれば遅れてそこに参加した鷗外にも 尚十分の活躍余地残しておいてくれた、と見ることできるものであつた。鷗外は演劇改 良運動に対する己寄與、差当つては翻訳を通じて新しい脚本提供と、雑誌『柵草紙』 紙上で演劇論発表といふ形を以て果していった。演劇改良枢軸となるべきは脚本改良 であり、即ち優秀なる戲曲制作してこれ演劇界に提供することである、という持 論であり、また事実機会ある毎に彼提唱した」(小堀:259-260)ことであった。だから鷗外 先ず出来得た事は、上演目的とする革新的な改良脚本作成にあった。そこで思い付いた 、カルデロン『サラメア村長』である。ドレスデンで反応、留学中に観劇した カルデロン戲曲、鷗外は、「ギョオテ嘗て以爲らく。カルデロン戲曲は其舞臺に宜きことシ エクスピイヤ戲曲上に出づ」(「再び劇論じて世評家に答ふ」:47)とし、カルデロンシェークスピアより、日本舞台にあっていると考えた。またカルデロンは、1760年代ド イツで演劇改良行ったレッシング絶讃し独訳しようとして果せなかった作家であってみれ ば、日本でその運動に身置こうとする鷗外にとって、『サラメア村長』は改良脚本としてま たと無い作品であった。鷗外は「新たに編輯する演藝文書等は、最も優美なる要すと雖、漫 りに歴史、文法、事實に抱泥して、我演藝無味境に陥らしむべからず(中略)作者目中 には現代看客あるべきこと」(演劇場裏詩人:110-111)旨とし、「独 ど い つ 逸巨 ギョーテ 垤、英 い ぎ り す 吉利
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