(1) 第 20 号
弘 学 時 報 2005年7月25日俄
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資生堂社長 池田守男氏 ウイスコンシン大学との調印式
記一 記念式典 二〇〇五年十月一日︵土︶午前十時 場所 弘前市民会館 第一部 式 典 第二部 講演会 ﹁いのちと響き合う言葉﹂ 講 師 柳田邦男氏二 記念祝賀会 二〇〇五年十月一日︵土︶午後一時 場所 ホテルニューキャッスル
創 立 百 二 十 年 記 念 事 業 開 催
二〇〇五年四月十三日︵水︶午後一時三十分︵現地時間︶︑アメリカウイスコンシン州に
あるウイスコンシン大学ラクロス校と弘前学院大学は姉妹
校提携の協定書に調印︒米国
と日本の両国旗を背に︑そしてテーブルに置かれたミニ
チュアの国旗の前で︑ダグラ
ス・N・ハスタツド理事長と私が英文と邦文で作成された書
類にそれぞれサインをし硬く
握手を交わしたその時を︑私は弘前学院大学の歴史に残る
瞬間だと強く感じました︒こ
の契約を結ぶにあたっては︑本学の奈倉俊江国際交流委員
会委員長はじめ︑タッド・J・レオナルド︑大高研道︑志村健
一ら︑事務の斉藤昭︑下山桂子
らのなみなみならぬ努力の結果であったことは言うまでも
なく︑特に︑タッドはウイスコ
ンシン大学の国際教育課の関係者との交渉および契約書の
作成などのために︑一つひと
つ慎重に丁寧に対応してくれました︒契約書を取り交わす
その日まで︑ウイスコンシン
大学と弘前学院大学の間を電子メールがほぼ毎日やり取り
されていたことを︑今︑思い出
しています︒サインされた契 約書のコピーは額に納められ︑理事長室と学長室にあります︒
また︑この機会に本学の英文
パンフレットも作成されました︒
姉妹校提携の記事や︑ウイ
スコンシン大学からの研修生が弘前学院大学で活動してい
る状況は︑地元紙である東奥
日報︑陸奥新報などで取り上げられていましたので︑お読
みになった方も多いと思いま
す︒現地ラクロスのテレビでも放映され︑ホットホットな
瞬間だとアナウンサーが盛り
上げていましたし︑大学のニュースレターにも弘前学院
大学は第二十八番目の国際提
携であると記されていました︒ ウイスコンシン大学は︑そ
の州にいくつかの分校があり︑もっとも大きな規模のものが
ラクロス校です︒北米の多く
の大学がそうであるように︑ラクロスの町そのものが大学
の町です︒全体で数万人の学
生を有する総合大学で︑州の名前が付されている大学です
から︑さしずめ日本では日本
大学と言ったところでしょうか︒弘前学院大学は規模こそ
比較になりませんが︑対等な
立場での契約は評価されてよ
学 長 岡 利 忠
弘前学院は︑今年創立百二十年を迎える︒一九八六年の百年記念以来︑二十年を経過
したがこの間特に記念行事等
は開催しなかった︒しかし︑この二十年間には次のような事
業が成し遂げられている︒
一九八七年︵昭和六二︶焔聖愛高等学校図書館南側
のりんご園買収
一九八八年︵昭和六三︶焔弘前学院短期大学の科名
を﹁家政科﹂から﹁生活福
祉学科﹂と変更焔青森県高等学校総合体育
大会女子の部で総合優勝︵初︶﹁明朗旗獲得﹂
一九九〇年︵平成二︶
焔聖愛高等学校体育館増築
六月二十三日︑創立一二〇年記念礼拝・教職員研修会・社
会福祉学部三年生リトリート
を開催した︒講師は︑資生堂社長池田守男氏である︒この行
事について﹃東奥日報﹄と﹃陸奥新報﹄が二十四日の朝刊で
報じているので引用させて頂
く︒ ﹃陸奥新報﹄は︑﹃弘前学院大
学︵租岡利忠学長︶は二十三
日︑創立一二〇年記念礼拝を構内で開くに当たり︑クリス
チャン経営者として知られる
資生堂代表取締役社長池田守男氏を招いた︒牧師になる資
格を持つ池田社長が説教や講
演を行い︑社会奉仕する喜び 焔﹁弘前学院百年史﹂出版
一九九三年︵平成五︶焔弘前学院環境整備事業実
施︵大学・高校とも︶
一九九五年︵平成七︶ 焔聖愛幼稚園閉園
一九九九年︵平成十一︶
焔大学社会福祉学部開設︵大学男女共学となる︶
二〇〇〇年︵平成十二︶
焔大学礼拝堂新築焔聖愛高等学校男女共学と
なる
二〇〇一年︵平成十三︶ 焔弘前学院野球場整備
二〇〇二年︵平成十四︶
焔弘前学院サッカー・ラグビー場造成
二〇〇三年︵平成十五︶ 焔社会福祉学研究科人間福祉専攻修士課程開設
二〇〇四年︵平成十六︶
焔弘前学院テニスコート造成
焔本部・大学院棟新築
二〇〇五年︵平成十七︶焔文学研究科日本文学専攻
修士課程開設
焔看護学部開設︵看護学部棟新築︶
創立百二十年記念事業は︑
二〇〇三年十月十八日﹁弘前学院創立百二十年念事業協賛
会準備会﹂からスタートした︒
協賛会会長は弘前学院後援会会長兼弘前学院理事野澤武氏︑
顧問に弘前学院後援会元会長
大西世鎬氏と前会長葛西泰輔氏を選任︑副会長に理事長阿
保邦弘︑学長租岡利忠氏︑校長春藤英徳氏︑校友会長工藤幸
氏︑委員は大学・高等学校宗教
主任︑後援会から三名︑校友会から三名︑本部から二名︑さら
にPTAについては大学・高
等学校とも会長・副会長・監事が委員として加わることに なった︒準備会では︑今後の予定や創立百周年記念事業の詳
細を通覧した︒ただし︑百二十
年記念式典の日程だけは︑会場確保のため二〇〇五年十月
一日︵土︶と決定した︒準備会
を受けて︑二〇〇三年十月二十三日付けで︑各委員に委嘱
状を送付した︒
二〇〇五年一月二十五日︑会長︑副会長︑大学宗教主任︑
本部事務長︑大学・高等学校事
務長で構成される協賛会事務局会が開催された︒記念事業
として逮弘前学院拡充関係︑
次の事項に﹁創立百二十年記念﹂を冠すること︒大学院社会
福祉学研究科人間福祉専攻修
士課程開設︑大学院文学研究科日本文学専攻修士課程開設︑
大学看護学部開設︑聖愛中学
校開設予定︵二〇〇六年︶︑弘前学院野球場整備︑弘前学院
サッカー・ラグビー場造成︑テニスコート造成︑弘前学院本
部・大学院棟新築︑看護学部棟
新築︑弘前学院資料館開設︵外人宣教師館︶隊式典・祝賀会・ 催物関係 担当委員長 租岡
副会長 黛出版物関係︵百二十年記念写真集︶担当委員長
阿保副会長 鯛募金関係 担当委員長 春藤副会長とし︑
関係予算も決定した︒
事務局会の骨子を受けて︑二〇〇五年二月十九日第一回
協賛会総会が行われた︒隊に
ついては︑二〇〇五年十月一日午前十時から弘前市民会館
で記念式典・講演会︑午後一時
からホテルニューキャッスルにおいて祝賀会を開催するこ
とになった︒黛については︑百
二十年分の写真と年表を纏め上げることになった︒ただし︑
出版は二〇〇六年六月を期限
に設定した︒鯛については目標額を一億円とし︑大学学生
会館の整備補助︑高等学校校舎屋上整備補助を目的に設定
した︒募金期間は二〇〇七年
四月一日までとした︒各委員会とも二〇〇五年の早い時期
に実行委員会を組織し︑所定
の期限までにまとめて実行に移すことになった︒
池田社長は説教や教職員研
修会に続き︑社会福祉学部三年生を前に︑︹全員参加の社会
を目指して︺をテーマに講演︒
厳しい社長業を妥協せずにやってこられた理由を︑﹁奉仕
と献身を信念とする宗教的
バックボーンがあったから﹂と述べ︑さらに︑﹁ギブアンド
テーク﹂という言葉があるが︑
もらうことを考えるのでは
なく﹁ギブアンドギブに徹
したい﹂と話
し社会福祉の道を目指す学
生に奉仕と献
身の喜びを説いた︒﹄
﹃東奥日報﹄
では︑﹃池田社 長は︑教職員研修会での講演
で︑企業は創造性豊かな人間を要求し始めているが︑知育
が尊ばれて徳育がないがしろ
にされている︒道徳や倫理をもっと教育の中心に持ってく
るべきだ︑などと述べた︒﹄ いずれの新聞も︑的確に報
道しているので︑掲載させて
頂きました︒
について語った︒ 記念礼拝は︑今月二十五日
の創立記念日を前に開かれた︒
池田社長は同学院の中澤實郎宗教主任と同じ東京神学大学
を卒業した縁もあり︑今回同
学院を訪れた︒ いと考えております︒
六月四日に来弘した三人の語学研修生は︑弘前市内の四
家族のもとでホームスティをしながら一ヶ月間のスケ
ジュールをこなし︑午前中に
日本語の読み書きを外国人向けの日本語教育に明るい庄司
由子氏のもとで進められ︑午
後は文化活動︑本学学生や教職員との交流などを消化しま
した︒ちなみに文化活動とし
ては︑病院︑弘前城︑岩木山︑りんご公園︑農協︑ねぷた村︑
きものセンター︑郵便局︑弘前
周辺案内︑凧作成︑生け花︑習字︑などなどです︒六月九日に
は歓迎会︑二十九日には修了
書を贈呈し︑送別会が開催されました︒研修生らは︑七月二
日に名古屋経由で帰国しました︒彼らのアンケートには︑ た毎日を送ることができまし
た﹂とありました︒来年は︑多くの研修生の来弘
が期待されます︒
国際交流については︑120
年の歴史がある
弘前学院としてさらに推し進め
て行きたいと考
えております︒諸外国との学生︑
教職員どうしの交流︑研究活動︑
会議開催などを
とおして国際的感覚があふれる
学院にすること
は︑校友会︑後援会︑父母の会および地元の皆
さんに期待されているものと
信じております︒ ﹁短期間ではあったが︑津軽の
文化︑日本の文化を少しでも
吸収することができ︑充実し 宗教主任 中澤 實郎
創 立 一 二 〇 年 記 念 礼 拝 理 事 長 阿 保 邦 弘 学 校 法 人 弘 前 学 院
第 20 号
編集発行 弘 前 学 院 大 学 広 報 委 員 会
印 刷 所
㈲小野印刷所
弘 学 時 報
(2) 第 20 号
2005年7月25日俄
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第三十五回弘前学院大学国
語国文学会夏季大会を大学院
文学研究科日本文学専攻修士
課程増設記念として︑新しく
大学院教授に採用された三氏
によって左記のとおり行った︒
一︑日時 平成十七年七月九
日︵土︶十二時三十分より
二︑場所 弘前学院大学四一
四教室
三︑研究発表題目及び発表者
①否定疑問文と︑その応答
詞ーそのとき︑ハイとイ
イエは︑どう使われてい
たかー
大学院文学研究科教授
中村幸弘
②自讃歌の歌人とその周辺
大学院文学研究科教授 丸山正道
③東北四景ー柳田國男の選
びとしてー
大学大学院文学研究科教授
梶木 剛 LLLLLLLLLLLLLLLL
本年度初めて公開講座委員
会︵委員長井上諭一文学部教
授︶に加わり︑公開講座︵出前
講義︶担当になった西東です︒
よろしくお願いします︒
私自身は四年前高校より依
頼されて以来︑有り難いこと
に毎年高校に出かけています︒
もちろん︑本学には他にも私
以上に出前講義に経験ある先
生方が多数います︒
数年前から高校︵学校︶は︑
総合的学習やキャリア教育
︵進路の学習︶に力を入れてい
ます︒高校側は地域のあらゆ
る業界で活躍する人々に出前
講義を望んでいるようです︒
本委員会はこのような機会を 本学として是非活かしたいと
考え︑出前講義を長期に渡り
続けています︒
本学の出前講義は︑教員が
あらかじめテーマを設定し︑
これを高校側にお知らせした
後︑高校側の注文したテーマ
に沿った講義がいわば﹁出前﹂
として届けられる︑という形
態をとっています︒ただ︑これ
ではせっかく希望した教員が
﹁出前﹂にいけないという︑と
てももったいない結果がでる ことも珍しくありません︒
これは現在検討されている
ことの中の一つですが︑例え
ば高校側が希望するテーマを
作成し︑これに本学の教員側
が﹁出前﹂としてお届けすると
いう方法があります︒高校の
先生方や本学学生のご両親の
関わるグループの方々などが︑
本学出前講義の積極的活用を
してくださることを是非とも
お願いいたします︒
出前講義は無料です︒
6月の講演会の様子
大学院文学研究科日本文学
専攻修士課程︑看護学部の増
設という︑この記念すべき年
に附属図書館長に任命された
ことを心から喜んでいます︒
わたしが専門としている日本
文学は︑図書を相手に研究す
る学問でありますので︑図書
の重要性などについては︑長
い間いつも痛感していること
であります︒
いうまでもなく︑図書館は
研究の命であり︑大学の大切
な財産であります︒したがっ
て︑その大学の水準がどの程
度であるかはその図書館をみ
ればすぐに判断できることで
あります︒図書館を発展させ ていくことは︑とりもなおさ
ず大学を発展させていくこと
であります︒微力ながら︑その
発展のために全力を尽くした
いと思っています︒
大学図書館もますます発展
し︑秋田市に新しくできた国
際教養大学では一年生が全寮
制であることから︑年中無休︑
一日二十四時間開館︑しかも
それを地域の住民に開放する
というサービスに徹していま
す︒それには及ばないにして
も︑少しでも前進させ︑何とか
してみんなが喜び︑これまで
以上に利用される図書館にし
たいものというのがわたしの
念願です︒そのような図書館
づくりのため︑全力を尽くし
て励みたいものと思っていま
すので︑よろしくお願いいた
します︒ 料も無料で頂戴し大満足の様
子でした︒
今年はその他に寺山修治︑
スポーツ政策のテーマでも集
まりを持とうと計画していま
すので︑どうぞ参加して︑討論
に加わり内容を深めてもらえ
れば幸いです︒
昨年の成果は﹃地域学三巻﹄
として結実しました︒﹁陸羯南
特集﹂と銘打ったのは︑羯南に
関する次のような論考を集め
たためです︒羯南研究第一人
者の稲葉克夫氏が羯南の複雑
な家庭環境を克明に解き明か
してくれています︒そのほか
に正岡子規︑井上豪との関係
についての論考もあります︒ ﹃地域学﹄は地域文化の理解
を意図して編集しています︒
サルケ︑能舞︑方言︑幼児教育
の歴史などの論文が収められ
ていますので︑書店で購入し
ていただければ幸いです︒ 十月の学祭に合わせて︑﹁キ
リシタン禁制をめぐる地域差﹂
というテーマで講演会を開催
します︒
津軽になぜ流されたので
しょう︒結末はどうなったの
でしょうか︒地域差は︒
キリシタン研究では第一人
者といわれる村井早苗氏︵日
本女子大助教授︶による講演
を聴くことができます︒
六月には﹁鳥居の鬼をめぐ
る諸問題﹂というテーマで講
演を福士壽一氏が行い︑津軽
にだけ神社の鳥居に鬼の像が
ついている意味について興味
津津たる話がありました︒七
十名の出席者が豊富な配布資 父母と教職員の会定例総会
が五月二十八日︵土︶︑本学にお
いて開催され︑次のことが審議
の後︑決定されました︒
第一号議案
二〇〇四(平成十六)年度活
動報告及び二〇〇四︵平成十
六︶年度収支決算報告について 第二号議案
二〇〇五︵平成十七︶年度活
動計画︵案︶及び二〇〇五︵平成
十七︶年度収支予算(案)につい
てまた︑新役員については︑次の
とおり決定されております︒
会 長 伴 恵美子 副会長 犾守 達幸
副会長 佐藤 和博
︵本学教授︶
監 事 吉川 秀樹
監 事 佐々木正晴
︵本学教授︶
弘 学 時 報
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UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU
555555555555555555555555555555555555555555555
55555555555555555555555555
pppppppppppppp
今︑野球が熱い
社会福祉学部四年 高橋 新悦 今年は野球が熱いんです
!!
プロ野球は﹃改革元年﹄東北に新球団が誕生すれば︑アマチュア球界でも﹁欽ちゃん球団﹂が話題を振りまいています︒そして忘れてならないのが︑我が弘学野球部です
!!昨
年までとは文字通り︑一味も二味も違います︒もう﹁弘学に野球部あるんず?﹂なんて言わせませんよ︒昨年までの話はしたくないのですが︑人数は良くて九人︑試合をすれば野球とは思えないスコアで大敗︑人数が集まらず︑練習もできないような状況でしたから︑当然と言えば当然なんですが⁝︒でも︑ホントに今年は違います︒元気の良い一年生の加入により︑部員数は今現在二十四名︑マネージャー三名の計二十七名︒なんと去年の三 倍︒紅白戦をしても補欠が出る程です︒とっても嬉しい大誤算︒予算︑レギュラー争い︑練習場の確保と頭の痛い日が続いています︒練習場は基本的に弘前学院グランドなのですが︑聖愛高校と同じなので︑大学が存分に使える日がなかなか無く︑弘前市内のグランドを転々としながら練習をしている現状です︒ 生まれ変わった弘学野球部は︑経験者・未経験者問わず楽しく活動ができる部です︒現に女性のプレイヤーも在籍しています︒野球がしたくなったら︑是非グランドへ︒野球部は温かく迎えます︒ 最後に﹃弘学時報﹄をご覧の皆様︑新生弘学野球部を応援の方宜しくお願いします︒
文 学 部
文学部では︑それぞれの学年に担当教員を配置し︑学年の出席状況︑学習状況をよりきめ細かく把握しようと努めています︒この制度は︑様々な理由で出席の芳しくない学生や学生生活に困難を抱えている学生に対し︑適切な時期に適切な対応をとることを目的としています︒具体的には︑学生との面談︑学費支弁社者への連絡︑学生相談室や専門相談員への橋渡し等を行ってい ます︒複数の教員が担当にあたることにより︑よりよい学生支援ができるものと考えています︒二〇〇五年度担当教員は次の通りです︒ 一年 鎌田︑坂井︑佐々木︑ 奈倉︑森田︵猛︶ 二年 井上︑佐藤︵和︶︑森 田︵喜︶︑吉永 三年 今村︑楠本︑顧︑佐藤 ︵幸︶ 四年 大高︑走井︑畠山︑レ オナルド︑渡邊
︵助教授 楠本紀代美︶
社 会 福 祉 学 部
社会福祉学部には︑学部開設当初から︑﹁基礎演習﹂という一年生の必修科目があります︒これは︑大学での学習における基礎的な技術の習得を目的とした︑少人数ゼミ形式の演習で︑文学部では既に十数年続けられてきたほか︑新設の看護学部にも取り入れられ︑本学の教育の特色のひとつとなっています︒ この﹁基礎演習﹂では︑十人前後の学生が︑自らの希望をもとに決められた一人の教員と︑一年間約三十回︑顔をつきあわせて演習を行います︒このため︑この﹁基礎演習﹂を通して︑多くの学生が担当の教員と懇意になり︑二年生や
看 護 学 部
看護学部の学生支援体制は︑担当教員を六名決め︑一教員が学生を十名ずつ担当しています︒学生には︑四月のオリエンテーション時に︑担当教員の紹介をし︑困ったことがあれば︑担当教員へ相談してもよいし︑基礎演習担当教員や︑それ以外の教員へ相談してもよいことを伝えてあります︒学生が選択できる窓口は︑多い方がよいとの考え方からです︒ 四月の当初は︑担当教員へ︑アルバイトや教科の取り方な どについての相談がありました︒しかし︑基礎演習が回を重ねるにつれて︑基礎演習担当教員へ友人関係や授業状況︑家庭のことなどを吐露したり︑相談する学生が増えており︑担当教員に相談する学生は少なくなったように感じます︒ 学生のプライバシーを守りながら︑教員相互が学生を支援していきたいと考えます︒ 本年度の担当教員は︑神郡︑片桐︑加藤︑工藤︑葛西︑櫻井です︒学生の皆さん︑扉は開かれています︒
︵教授 櫻井 尚子︶ 三年生になってからも︑その教員のもとを訪れて︑生活や健康面を含む様々な質問や相談をもちかけるということが︑これまでよくありました︒ 社会福祉学部で︑二〇〇五年度新入生から始まった﹁担当教員﹂制度は︑学生の質問や相談の求めに︑﹁基礎演習﹂の担当教員が︑在学期間通して応ずるというもので︑つまりは︑これまでずっと行われてきたものを制度化したものに過ぎません︒とはいえ︑制度化されたことにより︑より多くの学生が︑教員の研究室を訪れてくれるようになることを︑﹁担当教員﹂一同楽しみにしています︒
︵助教授 北村 繁︶ 写真は楽しく
英文科三年部長 佐藤 育見 私たち写真部は︑毎週水曜と木曜日が活動日でありますが︑その日だけに限らず︑自分達で写真を撮りたいと思ったときは︑部員それぞれがいつでも自由に活動して良いことになっています︒ 主な活動内容は︑自分の好きなものや撮りたいと思うものなどを写真撮影︑その︑フィルム︑写真の現像を行います︒そして︑その写真を学祭の写真展で展示したり︑東北学生写真展へ出品したりしています︒ 私を含め︑写真部のほとんどが︑初心者でカメラについても写真についても︑まだまだ知識が少ないです︒ですが︑部員の皆は︑誰もそのような事は気にせず︑﹁写真を撮影する﹂という事を楽しんでいます︒楽しむという事は︑簡単そう で難しい事なのかもしれません︒いい写真を求めるあまり︑技術や知識に偏りすぎては︑たのしむことはできないと思います︒そういう意味では︑私達は技術などに縛られず︑自分達の好きな物を︑自由に撮影できるので︑皆︑のびのびと楽しく写真というものと︑向き合えているのだと思います︒ 私達︑写真部はカメラ部ではありません︒カメラについての知識が少なくたっていいんです︒写真を撮る事︑現像することの楽しさを︑味わう事ができれば十分だと思います︒これからも写真部は︑﹁写真を楽しむ﹂をモットーにして︑頑張ります︒
今年度から︑学生相談室に
専門相談員が置かれることに
なりました︒すでにたくさん
の皆さんにご利用いただいて
おりますが︑再度ご紹介させ
ていただきます︒
今や高校までが義務教
育といわれる時代になり
ました︒大学に進学する
かどうか︑どの学部を選
び︑どこに入学するか︒皆
さんも︑他者とは違う自
分らしい選択で︑この弘
前学院大学に存在してい
ます︒
今でもその選択を何度
となく振り返るかも知れ
ません︒進級につれて︑新
たな課題や選択を迫られ
ることも多いはずです︒その
折々に︑﹁自分とは何か﹂とい
う問いに行き当たるのです︒
﹁自分とは何か﹂ということ
に︑真正面に向き合ってみま
せんか? 友人や恋人︑先輩︑家族と
いった周囲の人に支援を求め
るのも良いことです︒図書や
芸術・スポーツ・ボランティア
活動などを通して自己を発見
することもできます︒
でも︑それらの方法で
は﹁自分﹂をとらえきれ
なかった時には︑ぜひ学
生相談室を利用していた
だきたいのです︒青年期
は︑気がつかないうちに
心の病にかかる人が増え
ていく年齢です︒早めの
発見や対処が何より大切
です︒
自分とは何か︒卒業す
る時には︑さわやかに説
明できる人格形成を願っ
ています︒
専門相談員は精神科医・学
校医・いのちの電話相談員・吉
岡学長そしてカウンセラーの
5名です︒メール予約もでき
ます︒([email protected]) 三人の研修生はリアン︵女
性︶とジェレミーとデェレッ
クで四週間の日本語集中コー
スを終了しました︒
リアンのウィスコンシン大
学での専攻はスペイン語で外
国語の学習一般に興味を持っ
ているようです︒ジェレミー
はグラフィック・デザイナー
として以前に働いた経験があ
り日本文化︑特に古い様式美
に関心があります︒現在の専
攻は心理学ですが︑以前に看
護学も半期だけ履修したとの
ことです︒デェレックは一番
のスポーツマンタイプで一輪
車にも一人チャレンジしまし
た︒他にもビリアード︑ゴルフ
や釣りと趣味は広範囲で国際
経済を専攻しています︒
日本語運営能力は始めは大
きな開きがあり担当の先生も 大変だったのですが後半にな
り全員かなり慣れて日常会話
に対応できるようになったと
いう印象を受けました︒
日本文化のクラスでは書道
に特に興味を持ったようで日
本語学習の助けにもなるので
もう少し時間数を増やしても
よかったと考えました︒たく
さんの方が時間を割いていろ
いろなところにフィールドト
リップに連れて行かれたので
すが一番インパクトのあった
場所は大学付近のカラオケと
聞いて意外な気がしました︒
まぁ確かに日本で生まれた独
特の空間なのですが︒
三人それぞれ食べ物の好き
嫌いはあるようですが昼食に
コンビニでよくおにぎりを
買っていたそうです︒
(4) 第 20 号
弘 学 時 報 2005年7月25日俄
3333333333333333333333333333333333333333333333333333333333 4444444444444444444444444444444444 好天の六月九日︵木︶︑十一時十五分から十二時四十分まで︑本学の英語・英米文学会主催による新入生歓迎のためのティーパーティーが︑大学中庭で開かれました︒租岡学長︑中澤チャプレンをはじめ︑他学部の教員や学生も参加して英語・英米文学科の一年生を囲んで︑ドーナツ︑コーヒー︑紅茶をとりながらの︑にぎやかなパーティーとなりました︒ 三十名ほどのパーティーに︑本学へ短期留学中のウイスコンシン大学からの学生三名もゲストとして招待されました︒簡単な自己紹介のあと︑英語と日本語の混ざりあう楽しい会話のやりとりが参加者の間でしばらく続きました︒一年生が留学生との英会話にチャレンジすることもあったようでした︒ 中庭のベンチに座って話したり︑立ったままで話しこんだり︑一年生は他学年の学生との交流 がありました︒また普段あまり話す機会のない教員とのやりとりもあったようです︒一年生は︑パーティーという場で︑﹁見知らぬ人﹂とコミュニケーションを持つことにより︑﹁社交﹂の練習をしているのではないかとも思いました︒こんな風にして︑ゆっくりと一年生も大学生活になじんで来ているようです︒ 最後にパーティーの成功を裏で支えてくれたスタッフ︑学生諸君に感謝します︒
文学部一年 野宮 元気 私は着慣れないスーツに身を包み︑桜の香りをかぎながら︑これからの新生活へと踏み出しました︒ 大学に通うようになって︑一番嬉しかったのは友達ができたことでした︒正直︑できるかどうか不安でしたので︑仲良くなれたときはとても嬉しく思ったのを覚えています︒彼らは楽しくてとてもいい人たちです︒ですから︑今の関係よりもっと何でも話して笑いあえるような仲になりたいと思います︒ それから︑様々な講義を受けました︒その中には面白いもの︑楽しいもの︑先生が面白いもの︑眠くなるものなど︑色々ありました︒何を言っているのかわからない先生や言葉が早すぎる先生も中にはいましたが︑なんとか友人とともに頑張ってノートをとっています︒しかし何と言っても︑一番新鮮だったのは︑やはり一週間に一度ある礼拝でしょう︒厳粛な前奏で始まり神へ祈りを捧げる︑一つの儀式的な行事は今までこういった物に触れる機会すらなかった私に様々な衝撃をもたらしました︒ 私は当初︑本学へ自分の興味のあることについての勉強と資 格のことだけを考えて入学してきました︒しかし︑いざ入ってみると誘惑は無数です︒一人暮らしということもあって︑友人が泊まることも多いです︒しかし︑友人がいなければ︑こういう楽しいことがなければ︑私はすぐにでも音を上げたような気がします︒ですから︑勉強や資格ももちろん大切です︒ですが︑ときどきは皆で遊んで︑これからの大学生活を充実した日々で過ごしていきたいです︒
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二 〇 〇 四 年 度 就 職 状 況 に つ い て
二〇〇四年度の就職状況を振り返ると︑長らく続いていた﹁大学生の就職氷河期」 もようやく終りを告げたという感がある︒ ただ各企業の採用のスタンスは﹁厳選採用︵採用予定数に満たなくても採用基準に合った人だけを採用する︶﹂に変わりはなく依然厳しい状況である︒ また︑本学の学生の志望が多い公務員・教員採用については︑いずれも採用数が少なく︑極めて狭き門であった︒ さて︑本学の就職状況は以下のグラフの通りである︒就職内定率は
の平均就職内定率は また︑青森県内一〇大学 年を上回ることができた︒ 88・1%で昨
職を希望した学生の就職内 べきことはその内︑県内就 %であった︒ただ︑特筆す 88・6 定率は
76・
4%と県外就職に比べて極めて低いという結果が出たことである︒ 本学においても残念ながら最後まで就職の決まらなかった学生のほとんどは県内就職希望であった︒ 様々家庭の事情はあるとは思われるが︑広く視野を広め 県外就職も検討されることを望む︒ 就職課では様々な就職に関する行事を開催しており学生
二 〇 〇 四 年 度 就 職 状 況 に つ い て
就職課長 福井 修
た の し か っ た 学 生 生 活
一九九八年三月卒
日本文学科 奥田 朋子
私は現在︑労働基準監督官として東京労働局の品川監督署に勤務しています︒あまり聞きなれない職業だと思いますが︑働く人の労働条件が︑法律の基準に合っているか企業を監督し︑改善を図るのが仕事です︒採用後は三ヶ月の研修を受け︑司法警察員の証票をもらった後︑全国転勤を経験します︒希望する人には厚生労働本省にも道が開かれており︑労働行政の企画・立案などの業務に携わることも可能です︒ 私は大学卒業後︑地方銀行に就職しましたが労働基準監督官の存在を知り︑ぜひこの職に就きたいと悩んだ結果︑5年勤めた銀行を退職し勉強に打ち込みました︒公務員試験は容易ではありませんでしたが︑強い意思をもって努力し合格できました︒苦しかった勉強中︑大学時代の仲間たちによる温かい励ましは今でも忘れられません︒ なお︑民間試験と公務員試験を受験した私の経験上︑いずれの試験も面接で︑大学で得たものを聞かれます︒私は在学中︑趣味から仲間たちと写真サークルを立ち上げ︑写真部を創設しました︒部活動はほとんど仲間と遊んでいたようなものでしたが︑今思い返しても大変楽しかった記憶があります︒在学生の皆さんも︑くじけそうなとき励ましてくれる仲間にめぐり合うべく︑学生生活を楽しみ︑いろいろな経験を積んでください︒
この四月に開設された弘前学院大学看護学部に再就職することが出来て四十二年ぶりに弘前に帰ることが出来た︒弘前は私にとって小学校から大学までを過ごした︑言わば我が青春のすべてを凝縮した思い出深い土地である︒多くの友人もいて懐かしい弘前だが親や兄弟が住んでいる訳ではなく二度と戻れることはないと思っていた︒採用決まってからは赴任後の行動計画が次々に浮かんで来た︒その一つが白神山地再訪だった︒その白神山地に出かけるチャンスがやってきた︒白神山地の保護運動のリーダー的な役割を果たしてきた弘前高校後輩の根深 誠氏からのお誘いがあったのだ︒日本山岳会創立 百周年記念事業の一つで﹁白神山地ブナ林再生事業﹂というイベントがあるのだと言う︒今から五十年も前の話になるが︑弘高時代︑生物部に所属してアガソ先生︵鈴木正雄︶という名物教師に惚れ込んでしまい日曜ごとに弘前周辺の野山を歩き︑動植物の分布状況の調査の手伝いをした︒そんな山歩きは大学生になっても生物同好会に入り継続した︒白神山地は一九九三年︑世界遺産として登録されてから急に一般にも知られるようになったところだがアガソ先生は五十年も前にその大切さを認識され何度か調査隊を出していた︒私も高校生のとき同行したことがある︒六月二四日から二六日までの二泊三日の日程で半世紀振りの白神行きが決まった︒ブナの植林は赤石川上流の世界遺産地域に隣接した櫛石山の北斜面で行われた︒櫛石山はいわゆるモヒカン刈りが行なわれ︑尾根筋を残して斜面のブナは皆伐されて杉が植林されていた︒しか し︑その杉は毎年の豪雪の圧力に負けて斜面を這う根曲がり杉になってしまい木材としての価値はゼロになっていた︒我々がそこに植えたブナは太陽光を浴びてスクスクと育ってくれるだろう︒本来ブナ林だった場所でもあり︑自然の再生力は計り知れないはずである︒悠久の時が流れ櫛石山北斜面が豊かなブナの森に生まれ変わることを祈って山を下りた︒ 諸君の積極的な参加を望みます︒また︑いつでも就職課のドアは開いていますので︑遠慮なくお訪ねください︒
看護学部一年 村上光太郎
私が弘前に来て一番困ったことは︑方言だ︒私の実家のある秋田からそれほど遠くないのに言葉が全然違った︒例えば︑﹁な︑どんだんずや﹂が﹁あなたはどう思うか﹂という意味で︑﹁な﹂は相手のこと︑﹁わ﹂が自分のことを指すということを知った︒また︑﹁あんま︑多い﹂はすごく多いという意味だということだが︑普段は﹁あんまり多くない﹂と使うことが多いことから戸惑ったこともある︒看護学部では一年生から病院での実習がある︒その時に︑年輩の方の津軽弁に対応し︑うまくコミュニケーションをとるためにも︑今から友人を相手に学んでいきたい︒ 弘前に来て一番良かったこと は︑看護学部一期生だということだ︒何もない状態から私たち一期生が看護学部を作っていかなければならない︒なんと楽しいことではないか︒しかし︑先輩がいないので四年間がどんなふうに進んでいくのかをイメージできないということなど︑不安な事も沢山ある︒これから先︑自分達だけでは不十分なところもたくさんでてくるだろう︒その不十分なところは︑先生方︑事務の方々︑他学部の先輩の方々の力を借りながら︑私達六十名が力を合わせて頑張っていきたい︒そして四年後には︑後輩が後を引き継いでくれるだけの道を作りたい︒弘前学院看護学部の歴史が作られていく第一歩のところに私達がいるということを自覚しながら︑毎日の学びを積み重ねていこうと思う︒ 光陰矢のごとし︒月日が流れるのは速いもので︑右往左往していたあの頃の事も記憶から思い出へと移り変わる時期となった︒試験シーズンを乗り越えれば︑大学生活での一つの区切りを迎えることとなる︒そんな中︑私が弘学時報の記事を手掛けることとなろうとは全く予想していなかったことだった︒ さて︑入学雑感と中々文章ら しく銘打ったのはいいのだが︑正直入学して感じた事と言っても︑脳裏に浮かぶのは切羽詰まった自分の姿だけである︒毎日毎日生活に対する不安を抱いて過ごしていたのは私だけではないだろう︒それでも時が経てば刺激不足な日常に不満を感じるようになるので︑人間とは不思議なものである︒ 一時はどうなることかと思われた暮らしも︑今は充実していると言っていいだろう︒友人にも恵まれ︑国文学会など学内の組織に関わる機会も出来た︒勉強の方も順調⁝と言いたい︒今では周囲の人々は︑﹁どの授業に出ればいいか﹂よりも﹁いかに授業に出席せず単位を取得するか﹂という考えに向かっているようだ︒私はそれも面白いと思うが⁝多少ベクトルが誤った方向を向いてはいまいか⁝︒ 最後に︑四年間という貴重な時間を有意義に過ごしたい⁝などと締めくくりたいのは山々だが︑ここは一つ︑四年間云々よりもまず目先にある試験という壁に︑我々一同気合いを入れて当たっていきたいと思う︒勿論︑砕けることがないように︒ 社会福祉学部一年 藤本 隆介
平成十七年四月四日︑私は弘前学院に入学しました︒その日︑